ルミナの優しさ
俺とルミナは、真新しいテントの中で就寝の準備を進めていた。
500万ピアもした高級テントなだけあって、中は広々としていて実に快適だ。以前の狭いテントと違って様々な家具が配置できるようになり、特にふかふかのベッドで眠れるのは野宿において何よりの救いだった。もっとも、設置するにはそれなりの平地が必要になるため、深い森や山の中では場所探しに一苦労するのが玉にキズなのだが。
ルミナは先ほどから終始無言のまま、てきぱきとベッドや折りたたみ式のテーブルを並べていた。
別に機嫌が悪いという風ではないのだが……どことなく遠い目をして、何か深めの考え事をしているように見えた。
部屋の設営を終えたルミナは、テーブルの上に湯気の立つお茶をふたつ並べると、椅子に腰かけた。
「ルミナ、ありがとう」
俺が声をかけて向かいの椅子に座ると、ルミナはお茶を静かにすすりながら、
「うん……」
とだけ短く返事をした。
(……やっぱり、何かいつもと違うな。何か悩み事でも抱えてるんだろうか?)
「ねぇ、ルミナ」「ねぇ、ルクス」
俺とルミナは、寸分違わぬ完全なタイミングでお互いの名前を呼び合ってしまった。
「……ふふっ」
耐えきれなくなったルミナが、ぷっと小さく吹き出した。俺もつられて苦笑いしてしまう。
一気に場が和み、落ち着きを取り戻したルミナが、いつもの明るい調子で話しかけてきた。
「で、どうしたの? ルクス」
「いや……ルミナの様子がいつもと違う気がしたからさ。何かあったのかなって。ルミナの方は何を言おうとしたんだ?」
「う〜ん……ちょっと考え事をしてたから、それをルクスに話そうかなと思ってね」
「やっぱり。ルミナが怒った時は即座に手が飛んでくるから、無言で悩んでるなら手が出ない方の『悩み事』だろうなと思ったんだよ」
言った瞬間、ルミナがムッとした表情で俺をジロリと睨みつけてきた。
「……手が飛んでくるとか言わないでよ。あれはルクスが変なことしたり、デリカシーのないこと言ったりするからでしょ? 私だって普段は奥ゆかしくて優しい女性ですよ」
「はいはい、俺が悪かったです。で、何を考えてたんだ?」
「もう……ルクスのせいで話しづらくなっちゃったじゃない……」
ルミナは文句を言いながらもお茶を一口すすり、「ふぅー」と温かい息を吐き出すと、意を決したように静かな声で話し始めた。
「……私はね、シャルルさんなら……大丈夫だよ」
……え?
俺はルミナが何を言っているのか、一瞬本気で理解できなかった。何が「大丈夫」なのだろうか?
「……え? なんの話……?」
「……もしかして、ルクスって本当に気づいてないの……?」
ルミナは信じられないものを見るような、呆れと驚きが混ざった目で俺を見つめてきた。
(え……? 俺が何に気づいてないっていうんだ……? まったく見当がつかないぞ……)
俺が頭を捻りながらお茶を喉に流し込んでいると、ルミナは「はぁ〜……」と深々と溜息をついた。
「……シャルルさんはね、ルクスのことが大好きなんだと思う」
「っぶふぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!?」
衝撃のあまり、口に含んでいた熱いお茶を豪快に噴出してしまった。
そしてそのお茶は、哀しくも一直線にルミナの顔面へと直撃した。
「ごっ、ごめんルミナっ!!? 事故なんだ、本当にごめん!!」
ルミナはぎゅっと目を閉じ、お茶を顔面に浴びたまま、プルプルと拳を震わせて無言で固まっていた
。
そしてゆっくりとポケットからハンカチを取り出すと、丁寧に顔を拭い始めた。
「……大丈夫。大丈夫よ、ルクス。私、怒ってないから。……こんなことくらいで手なんて出さないわよ」
「(絶対怒ってるだろぉぉぉぉッ!?)」
さっき俺が「手が飛んでくる」と言ったのを意地でも気にしているのだろうが、怒りを必死で抑え込んでいるのが丸分かりで恐ろしい。
……しかし、それ以上に今の言葉の衝撃が大きすぎた。シャルルちゃんが……俺のことを好き……!? いやいや、流石にそれはないだろう! 妹みたいに思ってくれてるだけのはずだ!
「い、いや……本当にごめん! でもルミナが急に変なこと言うから……!」
「変なことじゃないわよ! 本当に気づいてなかったの? ……ルクスって本当に昔から鈍感よね。私と付き合う時だって、私の気持ちに全然気づいてくれなかったし」
う……それは反論できない。
あの頃はルミナの気持ちが分からず、「フラれたらどうしよう」と怖くてなかなか告白できなかったのだ。ルミナがずっと俺を好きでいてくれたなんて、当時の俺には夢にも思わなかった。
……だが、まさかシャルルちゃんまで……?
いや、仮に百歩譲ってルミナの推測が当たっていたとしてもだ。
「か、仮にルミナの言う通りだとしても……俺にはルミナがいるじゃないか。そんなこと言われても困るよ……」
「……うん。もちろん、私もずっとルクスと一緒にいたいよ。でもね……シャルルさんはきっと、私がルクスと出会うよりもずっと前から、ルクスのことが好きだったんだと思う」
「え……」
「シャルルさんの目を見れば分かるよ。……それなのに、後から来た私がルクスを好きになって、シャルルさんからルクスを独り占めしちゃったみたいで……。それにね、私も昔から思ってたんだ。『ルクスをずっと私一人だけで独り占めなんてできるのかな』って」
ルミナはどこか寂しげに、でも愛おしそうに俺を見つめて言った。
「ルクスは優しくて格好良くて、年齢よりもずっと大人びてて、それにすごく強いでしょ? 周りの女の子たちが放っておくわけないんだよ。……ねぇ、ルクスはシャルルさんのこと、どう思ってるの?」
「いや……急にそんなこと言われても……。確かにすごく可愛いし、見た目のわりにしっかりしてて、優しくて……本当に良い子だと思うけど。……でも、そういう恋愛対象として見たことなんて一度もなかったから、正直自分でもよく分からないよ……」
「そっか。……でもね、最初に言った通り、私は『シャルルさんなら大丈夫』だよ。シャルルさんと一緒なら、きっと楽しくやっていけると思うの。……もし、いつかシャルルさんともお付き合いすることになったら……二人とも、ちゃーんと大切にしてあげてね? ふふ、ランカーになっていて良かったね、ルクス」
(あっ……そういえば……!)
脳裏に、あの適当な親父——グレイブの言葉が蘇った。
『ランカーになれば、特例として一夫多妻が公的に認められる』というあの制度だ。この世界では、お互いの同意さえあれば一人の人間が複数のパートナーを持つ文化自体は珍しくない。だが正式な婚姻となると一人のみ……ただし、特権階級である『ランカー』だけはその制限が撤廃されるのだ。
(……いやでも、グレイブみたいな人生は嫌だぞ!? 今も一人寂しく、テープで補修された暗い部屋で寝てるんだろうし……!)
「ま、私の勘違いって可能性も全然あるけどね! もしかしたら、シャルルさんのパーティーの中に素敵な男の人がいるかもしれないし!」
ルミナが軽やかに笑った、その瞬間——。
胸の奥が、チクリと嫌な音を立てて痛んだ。
(……シャルルちゃんが、他の男と……?)
自分の内側から湧き上がった小さな独占欲に、俺自身が戸惑ってしまう。
「ふふ、じゃあそろそろ寝よっか! 明日は朝早くからプラシアに向けて出発しなきゃだしね」
ルミナは何の曇りもない、澄み渡った笑顔でベッドの掛け布団をめくった。
俺はその横顔をじっと見つめ——居ても立ってもいられなくなって、声をかけた。
「……ねぇ、ルミナ」
「ん? なぁに?」
「……俺は、ルミナのことが一番大好きだからね」
恥ずかしさを投げ捨てて真っ直ぐに伝えると、ルミナは一瞬だけ目を丸くし——それから、これ以上ないほど愛らしく、幸せそうに微笑んだ。
「うん……知ってる。私も大好きだよ、ルクス」
ランタンの柔らかい光の中、俺たちは照れくささを噛み締めながら、それぞれのベッドへと潜り込むのだった。




