ガーランド邸
クレアさんとの約束の時間になったため、俺とルミナは指定された貴族街の区画へと向かった。
「えっと……ここで合ってるんだよね?」
「うん、住所的には間違いないと思うんだけど……」
「……で、入り口はどこにあるのかな……?」
俺たちは完全に迷子になっていた。
いや、目的の『クレアさんの家』には間違いなく到着しているのだ。ただ……とにかくバカみたいに広い。
縦横百メートルはくだらない広大な敷地が重厚な鉄柵でグルリと囲まれており、中に入る隙間すら見当たらない。どこかに正門があるはずなのだが……。
「ねぇ、しょうがないからこの柵、叩き壊して入る?」
「ルミナ、お腹いっぱいすぎて頭のネジ飛んだか? 普通に不法侵入で捕まるだろ」
「ばぁか、冗談に決まってるじゃない。こんな柵、ひょいっと飛び越えれば済む話よ」
「それも不審者すぎて一発アウトだと思うよ……」
そんな不毛な会話を交わしながら敷地の外周を歩くこと数分。ようやく遠くに二人の武装した警備兵と、重厚な鉄製の大門が見えてきた。
「おっ、あれが正門じゃないか!」
「だねぇ……やっと着いたぁ、疲れたぁ……」
広すぎる敷地にげんなりしていた俺たちは、ホッとして足早に正門へと駆け寄った。
「貴様ら、止まれッ!!」
走ってきた俺たちに対し、槍を構えた警備兵の一人が威圧的な怒声を上げた。
「何の用だガキ共! ここは貴族街、ガーランド公爵邸の門前だぞ! 冷やかしなら早くママの乳でも吸いに帰りな!」
……なんという口の悪い警備兵だ。久しぶりにここまで不快な奴に会ったぞ。……ゴラン以来か?
いくら末端とはいえ、こんな下劣な奴を雇っていたらガーランド家の品格が問われる。よし、後でクレアさんにきっちりチクっておこう。
「いえ、俺たちはクレアさんに招かれて来たのですが——」
「はあぁ!? お前たちのような泥臭いガキをクレア様が呼ぶわけねぇだろ! さっさと失せろ、さもないと痛い目を見るぞ!」
警備兵は吐き捨てると、腰の剣を抜き放って俺たちを威嚇してきた。
「お、おい! やめろッ!」
もう一人の警備兵が何かに気づき、顔色を変えて慌てて制止に入った。
「なんだよ邪魔すんな! こんなガキ、少し脅して——」
「馬鹿野郎! あの娘の首元についているネックレスが見えないのかッ!?」
「えっ……? あ、あれは……ガ、ガーランド家の家紋……!?」
制止された警備兵がルミナの胸元に目をやり、一瞬硬直した。だが、すぐに下衆な笑みを浮かべて剣を握り直す。
「ハッ! まさか本物のわけがねぇ! どこかで盗み出したか、精巧な偽造品に決まっている! ガーランド家の名を騙る不届き者め、この場で叩き斬ってやるッ!」
「バカやめろ!!」
もう一人の制止も虚しく、正気を疑う勢いで警備兵が俺に向かって剣を振り下ろしてきた。
……が。
たかが警備兵の鈍くさい一撃が、俺に届くはずもない。
ひゅん、と空を切る刃を、俺は右手の人差し指と中指で『ヒュッ』と挟み込んだ。
そのまま軽く指先に力を込めると——キンッ! と乾いた音を立てて、剣身が真っ二つにへし折れた。
「……良かったな、斬りかかったのが俺で。もしルミナに斬りかかっていたら、一瞬で首と胴体が泣き別れになってたぞ」
まあ、ルミナに攻撃したところで傷一つつけられず、逆に反撃で跡形もなく吹き飛ばされていたろうが。
「ひっ……ひぃぃぃぃっ!? ば、化け物だあぁぁぁっ!?」
警備兵は腰を抜かし、へたり込んだまま無様に尻餅をついた。
……誰が化け物だ。こんな爽やかで可愛らしい十五歳の青年を捉えて失礼な奴だな。
「門前で何を騒いでいるッ!!」
重厚な正門が引き開けられ、中からクレアさんが凛とした姿で現れた。
「あッ! クレア様、良いところに来られました! ガーランド家の家紋ネックレスを盗み出した化け物どもが不法侵入を企み、襲いかかってきたのです! 私も必死に防戦したのですが、惜しくも敗れてしまい……っ!」
腰を抜かした警備兵が、すぐさま被害者面でクレアさんにすがりついた。
クレアさんはへし折れた剣の残骸と俺たちを交互に見やり、その瞳に静かな、しかし恐ろしい怒りの炎を宿した。
「……おい貴様。今、私の友人であり恩人でもある大切な客人に向かって……『化け物』と言ったか?」
「え……?」
「そしてその折れた剣……まさか、彼らに斬りかかったのか?」
「ひッ……!? い、いえ、これは盗賊を追い払おうと——」
「バカヤロウッ!! そのネックレスは、私が彼らに預けた本物だ!! それに『惜しくも敗れた』だと……? そこの少年は、変態だが私ですら逆立ちしても太刀打ちできない規格外の化物……ゴホン、冒険者だぞ!! 貴様ごときアリ一匹が、おこがましくも肩を並べようとするなッ!!」
……ちょっと待ってクレアさん。
今、さらっとものすごい勢いで「変態」って聞こえたんだけど。
まだ温泉の覗き疑惑を引きずっているのか。男なら誰しも一度は抱く健康的な探求心だろ。むしろ正常だ。
しかし……「私ですら太刀打ちできない」か。やっぱり俺の底知れない実力は完全にバレているらしい。
「も、申し訳ございませんでしたぁぁぁっ!!」
「私に謝っても意味がないだろう! ルミナさんとルクス君に謝りたまえ! ……まあ、今さら謝罪したところでクビなのは変わりないがな。文字通り『首』が胴体に残っているだけマシだと思え」
クレアさんの冷徹な一言に警備兵は顔面を蒼白に染め上げ、俺たちに向かって地面に額を擦り付けた。
さすがに許す気にもなれないので放置していると、警備兵は情けない悲鳴を上げながら脱兎のごとく逃げ去っていった。
「……すまない、嫌な思いをさせてしまったな。私の管理不足だ」
クレアさんは深く頭を下げて謝罪してきた。
「いえいえ、クレアさんが謝ることじゃないですよ。実害もありませんでしたし。ただ、あんな不遜な奴を置いているとガーランド家の品格に関わりますからね」
「うむ、肝に銘じておこう。……では改めまして、ガーランド公爵邸へようこそ。父も奥で待っているよ。……あ、それとネックレスは返してもらえるかな?」
「え〜? やっぱりダメですか? くださいよこれ」
冗談めかして言ってみると、クレアさんはフッと不敵な笑みを浮かべた。
「どうしても欲しいか? ならば私と結婚して、我がガーランド家に婿養子に入れば進呈してやろう」
「……ッ!?」
おいおい冗談だろ……? と俺が固まっていると、ルミナが凄まじいスピードで首からネックレスを引っぺがした。
「はい返しますッ!! ありがとうございました! おかげでいっぱい美味しいもの食べられましたっ!」
いそいそとクレアさんにネックレスを押し付けるルミナ。
クレアさんはそれを受け取ると、俺の耳元にスッと顔を近づけて極小の声で囁いてきた。
「……『いっぱい』と言っているが……大丈夫だったのだろうな……?」
俺は無言でクレアさんに向かって親指をビシッと立てて見せた。
「……良かった……ッ!!」
クレアさんは胸を撫で下ろし、心底安堵した表情を浮かべたのだった。
◇
正門を潜り敷地内を進むと、手入れの行き届いた広大な日本庭園風の庭、凄まじい熱気が漂う巨大な稽古場、そして城と見紛うばかりの豪奢な邸宅が姿を現した。……一家族で住むのにこんなデカい家が必要なのだろうか。
重厚な扉を開けて邸宅内に足を踏み入れると、整列した数人のメイドが一斉に頭を下げた。
「「「いらっしゃいませ、ルクス様、ルミナ様」」」
一糸乱れぬ洗練された動きと挨拶に圧倒されていると、廊下の奥から一人の男がゆっくりと歩み寄ってきた。
年齢は三十代後半ほどだろうか。
クレアと同じ美しい銀髪を後ろに束ね、鷹のように鋭い眼光を放っている。
何より……纏っているオーラの次元が違った。
揺るぎない自信と、幾多の死線をくぐり抜けてきた者だけが持つ圧倒的な存在感。一瞥されただけで、普通の冒険者や並の魔物なら身動きすら取れなくなるほどの精神的圧迫感。
(……間違いない。この人が、アスール王国唯一の【ランカー】——グレイブ=ガーランド……!)
俺は無意識のうちに背筋を正し、その男の眼光を受け止めるのだった。




