富士さんのボールペン
これは他投稿サイトに投稿したものを、一部加筆修正して投稿した作品です。文学フリマ短編小説賞に応募してみたくなり、急遽投稿した次第です。
俺が“ソレ”と出会ったのは、三回目の富士山登頂でようやく頂上に到着した時のことだった。この時はまさか“ソレ”によって苦労するとは思わなかったし、出会うことになろうとは思ってもいなかった。
そもそも富士山に登ろうと思ったきっかけは、富士山山頂に郵便局にあると、山登り仲間から聞いて行ってみたくなったからだ。山登りは興味本位で準備不足のまま向かえば危険だと、友人から聞いたことがある。それを知った俺は、トレッキングシューズやザックはもちろん、レインウェアやザックカバーにストックなど、必要な持ち物は全て揃えた。服装も登山に最適な服装にしてある。
これでいつでも登山ができるぜ!
と、調子に乗った俺がいた。
そのせいかはわからない。が、俺は二度、途中で下山した。理由は単純明快。スタミナ切れと高山病にかかったためだ。改めて、登山を舐めていたと、浅はかだったとつくづく痛感したよ。同じ失敗をこれ以上繰り返さない為、体力を蓄え、高山病の対策も念入りに調べた。そして今、三度目の登頂をし、見事に山頂に着いたという訳だ。万全を期して、準備をした甲斐があったな。
山頂に到着してすぐ、俺は辺りを見回し、例の郵便局を探した。しかし、今日は霧が濃すぎて前が見えづらい。これじゃあ、見つけようにも見つけにくいじゃないか! 濃霧め! せっかく郵便物まで持ってきているというのに、今までの努力が水の泡になるじゃないか!
と、ある建物が俺の目に飛び込んできた。見たことのない建物が建っているな。郵便局じゃあないな、雑貨屋、というべきか。郵便局も気になるが、この雑貨屋、看板はないし、妙に気になる。入るのに勇気いるが、入ってみるか。
初めて目にする古びた雑貨屋に、俺は恐る恐る扉を開けて、中に入ってみる。どんな店だろうか――そんな好奇心にも似た、淡い期待感が膨らんでいた。
店内へと足を運んでいくと、そこには一度も見たことがない商品が所狭しに売られていた。商品棚や壁、天井にまで凧糸のようなものに吊るされて飾られている。なんじゃこりゃ。しかもほとんどの商品に富士山の絵や模様が描かれてあるじゃないか。一体、なんのお店なんだ、ここは。ハッキリ言えば、不気味な雰囲気の店だな、ここ。好奇心でこの店に入ったが、帰りたくなってきたぞ。
よし、戻るか――――と考えたが、何かに誘われるかのように、両脚が勝手に動いていく。俺の中にいる俺が、「奥に進め」と言っているように聞こえた。何があっても、奥に進まないといけないのか。店の奥が気になることもあって、俺は前に進むことにした。
奥へ進むと、七十代くらいのおじいさんが、木の椅子に座って店番をしていた。相手の話を静かに耳を傾けながら、笑顔が答えてくれそうな、優しい雰囲気を醸し出している。おじいさん以外の人がいる気配はない。おそらく、おじいさん一人だけだろう。
俺は唾液を飲み込むと、思い切って、おじいさんにたずねた。
「あの、すみません。ここは何のお店ですか?」
おじいさんはワンテンポ間を開けてから、こう答えた。
「ここはのう、見ての通り『富士山の店』じゃよ」
富士山のお店……!? 富士山山頂に建つお店ということは分かる。富士山関連の道具が売られているのも理解した。だが、結局この店はなんのお店かということだ。
言葉の真意が分からなかったので、もう一度聞いてみることにした。
「すみません。イマイチわからなくて……もう一度聞きますけど、このお店は一体、どんなお店なんですか?」
今度はさすがにまともな答えが返ってくると思っていた。だが、俺の予想は見事に外れることになる。
「お前さん、山登りは好きかね?」
満面の笑みで質問返しをするおじいさん。気になったら知りたいと思う子供のような、無邪気な笑顔で俺を見つめていた。てか、質問に質問で返すって何なんだよ。
と、本人にツッコミたくなる衝動を抑えつつ、正直に答えた。
「山登りは好きです。でも、たまに面倒くさいと思うときはありますけど」
「そうか。ならここで待っておれ」
そう言い残して、おじいさんは立ち上がり、店の先にある扉の奥へと姿を消した。一体何なんだ、あのおじいさん。待つしかないのか、やれやれ……ん? これはなんだ?
その場で見回した時、ある商品ネームが目に入る。商品ネームにはこう書かれてあった。
『富士さんのボールペン』
は……富士さんのボールペン? 確かに富士山の絵が描かれてあるけども、見た目は普通のボールペンにしか見えない。どういうことだ……。
「それに目をつけるとは、お目が高いのう、お前さん」
背後から突然、おじいさんの声が聞こえたので、俺は思わず「わっ!?」と反応してしまった。
振り返ると、おじいさんがレジに戻ってきていた。しかも、何事もなかったかのように、平然と椅子に座っている。いつの間に!?
「お前さんにこれをやろうと思ってな」
おじいさんはそう言って、俺に小さな長細い木箱を手渡す。なんだろう、これ。
俺は渡された箱の蓋をゆっくり開けた。中には先ほどのボールペンと、説明書らしき紙が四つ折りに折りたたまれてあった。
「おじいさん、このボールペンって……」
俺の問いかけに、おじいさんは優しい声で答えた。
「これは先ほどお前さんが見とった『富士さんのボールペン』じゃよ。このボールペンはの、あっという間に富士山まで連れて行ってくれるペンじゃ」
富士山まであっという間に行ける……!?
「紙は何でもいい。ノートの端切れでも構わん。紙に『富士山○合目』とか書けばそこの入口付近まで連れて行ってくれるぞ。どんな紙に書いても、効果はあるんじゃよ」
おじいさんの説明を聞いた瞬間、即座に俺の決意が固まった。
「すごいボールペンですね! このボールペン、買います!」
俺は背負っていたリュックサックをおろすと、チャックを開けて財布を探した。その状態で、おじいさんに話しかける。
「値段はいくらですか?」
俺の問いに、おじいさんは言った。
「お金はいらんよ。お前さんにあげようと思ってのう」
「いえ、お金は払います。自分で買うってもう宣言しちゃいましたし、それに売り物として置かれている以上、買わないと申し訳ないですよ」
俺はリュックサックの奥底に隠れていた財布を取り出した。同時におじいさんと目が合い、優しい笑顔が目に飛び込んできた。
「そうかのう、では、五百円もらおうかのう。せっかく商品を買ってくれるんじゃから、値下げはせんとなあ」
おお、まじか! めちゃくちゃラッキーディすぎるだろ、今日は!
俺は財布から五百円玉を持つと、すぐさま財布をリュックサックに戻し、もう一度背負う。
お金を手渡した直後、おじいさんは俺に告げた。
「毎度あり。だけど、そのボールペン、あまり期待しすぎないようにのう。そのためにも取扱説明書は必ず最後まで読んでおくといい。それと……行きはよいよい、帰りはこわいじゃ」
それは一体、どういうことだ……あまり期待しすぎないように……?
おじいさんに言われた言葉の意味がわからないまま、雑貨屋を後にして、下山を始めた俺だった。
*
下山後、バスに乗り自宅に帰った頃には、すっかりお昼時になっていた。
けれども、お昼ご飯どころじゃなかった俺は、自室に戻ってすぐ椅子に座ると、リュックサックから例の箱を取り出した。一度、店で中身を確認しているので、ボールペンと取扱説明書が入っていることはわかっていた。
箱の蓋を開け、中からペンと説明書を取り出す。折りたたまれている取扱説明書をゆっくり開いていく。そこには、細かな文字でびっしり隙間なく説明が書かれていた。最後までよく読むように、っておじいさんは言ったが、これを最後まできちんと読めってか!? めんどくせぇな、こりゃ。第一、字が小さすぎるだろ!? もう少し大きめに書いてくれればまだ読みやすかったのにな。
とりあえず、必要な箇所だけ読んでおくか。いろいろと面倒だし……よし、そうするか!
読みやすいように取扱説明書を顔に近づけ、必要な箇所だけ読み進めていく。ふむふむ、なるほど……そういうことか。
俺は好奇心を抑えきれず、机の引き出しから一枚のコピー用紙を引っ張り出した。ひとまず取扱説明書を折りたたみ、ズボンのポケットへとむりやり押し込む。少ししわくちゃになったが、まあいいや。
俺は富士さんのボールペンで、コピー用紙にデカデカと目立つように書き記した。
『富士山 五合目入り口前』
こんな感じでいいんだな。文字の見た目に満足していた時だった。
突然、今にも吐きそうなくらいの嗚咽感が引き起こったかと思えば、頭痛が伴った耳鳴り、体が引きちぎられそうなほどの激痛が、三つ同時に襲いかかる。何が起こったのかは分からない。ただ、死ぬんじゃないのかってぐらいの衝撃が俺を苦しめていることなら理解できた。
俺の視界は、黒しか存在しない真っ暗闇の空間へと変化していく。地平線すらない、無の世界。これがおじいさんが言っていた、『富士山にあっという間に連れて行ってくれる』ということなのか?
そして、俺の意識はここで途切れた。
*
意識を取り戻し、目を覚ました俺の目に飛び込んできたのは、くすんだ灰色の地面だった。俺はたしか、紙に富士さんのボールペンで『富士山 五合目入り口前』と書いた。その瞬間、訳の分からない衝撃に襲われて……意識を失った。
頬から伝わってくる、石の固くて冷たい感触。間違いなく俺は、コンクリートの地面に横たわっている。
ということはつまり、ここは富士山ってことか!?
俺はガバッと勢い良く起き上がった。周りを見回し、場所を確認する。辺りには何回も目撃し利用したことのある山荘があった。俺の横には、『富士山須走口五合目』と書かれた看板がある。間違いない。ここは富士山五合目の入り口前だ。
場所が判明した瞬間、俺の中に、プラスの感情が溢れ出始めた。感動と嬉しさが波となって俺を包み込む。
俺は来たんだ! 富士さんのボールペンで、富士山に! すげえ!
ボールペンの効果は本物だったのだと改めて実感した。本当に富士山まであっという間に行けるのだと、知識として脳内に刻み込まれていく。
さてと、ボールペンの効果を実感したことだし、家に帰るとするか。俺の胸ポケットにいつの間にかしまわれてあったボールペンと、ズボンのポケットに押し込んだ説明書の紙を取り出した。
俺は紙に、自分の住所を書き込む。これでよし。これで帰れるはずだ。
そうだ、家に帰ったらザックとかいろいろ整理整頓しないとな。そのまま放置するわけにもいかねえし、邪魔になるだけだしな。あ、その前に昼飯食わんと、お腹空いたな。
しばらく考え事を巡らせている内に、俺は気づいてしまった。変化が起こらないことに。富士山五合目の入り口前から全く移動していないことに。
ちょっと、まって。紙に書けば、一瞬で連れて行ってくれるんだろ!? なのに何も起こらないなんて、おかしいぞ!
俺は慌てて説明書を広げて、最初から目を通していく。あるはずだ。どこかに帰るときの方法か何かを!
読む進めてから数分経っただろうか。ある文章が目に飛び込み、テンションマックスの俺に絶望を与える。
「………………ああああぁぁぁぁ!! 嘘だろ!?」
衝撃的な事実を目の前にして、叫ばずにはいられなかった。説明書にはこう書かれてある。
『ただし、富士さんのボールペンは“あくまで”対象者を富士山に一瞬で連れて行くためのボールペンです。帰りのワープ機能は一切備わっておりません。
富士山から別の場所へワープすることも、富士山から富士山までワープすることもできません。一度限りのワープとなっております。帰路はご自身の脚でお帰りください』
「そんな……そんなことってあるのか……あ!」
そういえば、おじいさんは言っていたな。あまり期待はしないように、と。取扱説明書は必ず最後まで読むように、と。
言葉の意味はこういうことだったのか!! あ……やばい、もう一つ忘れていた!
俺は足元に目を向けた。確認すると、案の定、靴下しか履いてない。
「靴履いてないじゃないか、俺! というかほとんど持っていないぞ!!」
しまった、自宅からワープしたからほとんど家においてきてしまった。このボールペンで帰れると高をくくっていたのが間違いだった。
「仕方が無い……このまま家に帰るか……」
その後、俺は何時間もかけて富士山に下山。近くのお店に電話を貸してもらい、友人に電話。車で迎えに来てもらうと、夕方になってようやく自宅へ帰ることができた。
え、ボールペンはどうしたかって? その迎えに来てもらった友人に、お礼も兼ねて、あげたさ。木箱にボールペンと説明書を入れてね。
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