祠
「あとは、お婆さまと誰がまだお話してへんの?」
「千代さんですよね」
美尾の疑問に答える形でお雪がわしに話を振ってきた。そうか、もうみんな話をしたんやったな。
「それならわしも話をしよか」
「どんな話をするんじゃ?」
お銀から質問されて、わしはしばらく考えた。いくつかあるんやけどな。どうせやったら受けそうなやつがええよな。
「よし、それなら山にちなんだ話をひとつしよか」
わしは湯飲みに入ってたお茶を飲み干すと、ゆっくりと語り始めた。
あれは、わしがまだ山姥として宿に泊めた男の旅人を驚かせていた頃やったな。道路もまだ舗装される前で、迷信もまだまだよく信じられとったええ時代やった。月に一度くらい旅の男を泊めては、不埒なことをしようとするところで驚かしてたもんや。
まぁ、それはええやろ。
そんなある日、わしは珍しくまじめな男を泊めることにした。見てすぐわかる助平そうな奴ばっかりやと飽きてくるから、たまには一見するとまじめそう実はっていう奴を驚かしたくなったからや。え、迷惑な話やって? ひひひ、まぁ確かにな。
で、そのとき泊めた男なんやけど、酒を勧めるとうまそうに飲みよる。若い時分から大の酒好きらしい。酒が入るとだんだん口が滑らかになっていきよってな、次第に自分のことを話すようになった。それによると、元々木こりやったそうやけど、とある理由から辞めたってゆうとったわ。
今から話す内容は、その男が木こりを辞める原因になった話や。
その男は若い頃、とある山林で木こりをしとったんやけど、なんか知らんうちに世の中が変わっとったらしい。よう聞いたら、いつの間にか明治の御一新がなって政府が新しくなってたってゆうことや。でも、その若い男からしたら、木こりをして生活できたらそんでよかったんで、自分には関係ないと最初は無視してた。
ところがや、新政権ができてから色々と混乱があった。明治の御一新ってゆうたら、戊申の役があったくらいやからな。その若い男のところもちょっとした問題があって、結局そこを離れることになったってゆうとったわ。
ただ、若い男は木こりしかしたことがない。そやから、今度の仕事も木こりで探しとった。するとちょうどそこへ、当時にしては珍しく西洋の背広を着た男が声をかけてきたんや。
「この辺りで林業の仕事を探してる若い男がいると聞いたんだが、君かね? 私は今、君のような者をさがしているんだ」
見慣れん姿をしている上にきざったらしい言い方に若い男はむっとしたけど、木こりの仕事をくれるってゆうんやから我慢した。話をした結果、待遇も悪うない。若い男はこれでこれで飯が食えるって喜んだ。正に『捨てる神あれば拾う神あり』やな。
それで、若い男はこの西洋風の男についていくことになったんやけど、話をするうちにわかったことがあった。
この西洋風の男は、当時の文明開化の文化を信奉しとった奴でな、散切り頭に西洋の背広をいつも着とった。そやからもちろん、今まであった習慣の類いも迷信と言い切って一切信じんかったらしい。
それと、自分と似たような境遇の木こりを何人も雇ってるのも知った。それで若い男は、「人手が不足するほど儲かってるのか」と思わず質問した。
「違うよ。今じゃ、江戸が東京と名前を変えて、次々と家を建ててるんだ。そのせいで木材が不足してるから高値で売れるんだよ」
要するに、林業で一発当ててやろうっていう気やったんやな。
そのために、西洋風の男はとある地方にある山で木を伐採する許可を取ってるらしかった。それに、銭を方々から集めて会社っていう組織を作り、一番偉い社長ってゆうのになった。若い男はその会社に雇われたってゆうことやな。
その話を聞いて何となく感心してた若い男やったけど、ふと気になったことがあった。それは、とある地方にも木こりがいるはずなんやけど、なんで話に出てこんかったのかってゆうことや。
若い男がそのことを質問すると、意外な答えが返ってくる。
「いるさ、くだらない迷信を信じている馬鹿どもがな。せっかく儲け話をもちかけてやったのに、祟りが怖くてできないんだとさ。愚かな連中だよ」
何でも、地元の人間は木を切りすぎると山の神に祟られるってゆう話を信じてたせいで、思うように働いてくれんかったらしい。そこで、他の地域で木こりを集めとったんや。
しばらくして頭数が揃うと、社長はその若い男を含めた木こりを引き連れて、良質な木材のある山へと向かった。行くのは社長をはじめ、木こり、飯係、医者、それに作業場を作ったり荷物を運んだりする人足と結構な数やったそうや。
いまはどうか知らんけど、昔は切った木を川に流して街まで運んでいた。そのためにはある程度の大きな川が必要やねんけど、幸いなことに一本あった。地元の木こりが使ってる川なんやけど、その社長は更に上流へと上った。
そんな簡単に上がれるんかと思うかもしれんけど、実は、地元の木こりが伐採している場所から更に上流へいく細い道が元々あったんや。そっから先は神域ということになってるから地元の木こりは滅多に入り込まん。社長とよそから来た木こり達はその細い道をたどっていった。
半日ほど歩くと、川の畔にやや大きめの広場が見えてきた。
「ここだ。ここを我が社の拠点とする!」
周囲には良質な木々もある。ここがいいと判断した社長は、この周囲の木を切り倒すことにした。
ただ、その河原の隅っこに随分と古くさい小さな祠があった。苔むしてろくに手入れされとらんように見えたらしい。誰に聞いても何が祭ってあるのかわからん。
「ふん、おおかた古くさい連中が後生大事に奉ってるんだろう。放っておくといい」
社長は迷信の類いと鼻で笑ってそれを無視した。
本来やと、地元の木こりなんかに山でやっていいことと悪いことを聞かんとあかんねんけど、社長がさせへんかった。そのせいで、よそから来た木こり達は、社長に言われるがまま周囲の木々を片っ端から切り倒していってしもた。
作業は順調に始まった。最初は自分たちの寝泊まりする小屋や道具を置く小屋を作って、長い間いられるように拠点作りから入る。周囲の木々を切り倒して作ってたそうやけど、それは随分と立派な木材やったらしい。社長も満足そうやった。
十日もすると、とりあえず住めるようにはなった。そして二週間が過ぎる頃には本格的な作業が始まる。木こり以外にも多めに人足を連れてきたおかげやな。
どうやら作業が順調に進みそうやと判断した社長は、一旦山を下りて地元の村で指揮を執ることになった。社長なんて上役がいても、現場でやることなんてあんまりないしな。
ということで、木こりや飯係や医者なんかを残して、社長は人足を引き連れて山を下りていった。
社長が山を下りてしばらくは何もかもが順調やった。切り倒した材木は次々と集められてくる。若い男はこの様子を見て、話に乗ってよかったと思った。
けど、二週間が過ぎた頃に異変が起きた。
「あ……うっ、はぁはぁ!」
「おい、どうした?!」
突然、木を切っている木こりが次々と苦しんで倒れたんや。ほんまに突然で、何かおかしいなって気づいてからしばらくすると、急に体がだるくなる。そして息が荒くなって、最後は立てんようになるくらい目眩がするそうや。近くにいた奴がそいつに触るとやたらと熱い。
もちろん、近くにいた奴は慌てて寝床まで倒れた木こりを運ぶんやけど、医者を呼ぶくらいしかできん。けどその医者も、一体何が原因なんかさっぱりわからんかった。おまけに若い奴や年を食った奴と関係なく倒れるもんやから、尚更わからん。
わしに話をしてくれた元木こりである若い男も、もう少し後になってかかったそうや。結構苦しかったそうやで。
こんなことが当たり前のように起きると、さすがに木こり達は不安になる。詳しいことはわからんけど、地元の木こりが崇めてるところっていうくらいは知っとったさかいに、これは山の神の祟りなんと違うかとみんなが恐れてしまう。さすがに半数以上の木こりが原因不明で寝込むと、怖じ気づいてしまうのも無理はないわな。
けど、山の神なんて類いの話を一切信じんあの社長が、そんな理由で作業が中断することを許すはずもない。
「お前達、何をしている! 動ける者はさっさと仕事をしろ! 風邪が流行っただけだろう! 迷信なんて信じるんじゃない!」
連絡を受けてすぐさまやってきた社長は、動ける木こりに作業を命じた。ところが、作業を再開した木こり達は、次々と倒れて虫の息になってしまう。そして、ついには誰も作業ができんようになってしもた。
「くそ、どいつもこいつも役に立たん!」
これに社長は怒り狂ってな、作業場の物に当たり散らしとった。ところがや、そのときたまたま例の祠が社長の目に入った。
「みんなこいつのせいだ! こんなもの!」
怒りの収まらん社長は手にした斧で滅多打ちにしたんや。斧をひとつ潰したところで怒りは収まったらしいけど、祠の方も酷いことになってしもたらしい。
さすがにこれには木こり達も絶句した。いくら迷信って切り捨てても、壊すことはないやろうってな。
ともかく、このままではいつまで経っても木を伐採できん。仕方がないから、社長は一旦倒れた木こり達を山から下ろすことにした。まぁ、そうするほかないわな。
今後のことを決めた社長は、この作業場で一晩となることになった。村から作業場まで一日近くかかるから、山を登るにしろ降りるにしろ、最低一泊はすることになるんや。
「全く、こうやってみんなを食わせているだけでも金がかかるんだぞ。それをただみたいに……」
不満たらたらの社長は飯を食うとすぐに寝た。他の木こり達も軽いもんを食ってすぐに横になった。こんな山奥やとやることなんてないし、食ったら寝るしかないねん。
とりあえず明日になったら降りられることがわかった木こり達は、かなり安心した。中には先のことを考えて、ここを辞めて別のところへ移るってゆう話をしてた奴もいたらしい。
「アアアアァァァアアァァァアアアアアァアァァァア!!!」
そんな木こり達がぐっすり眠っていた夜中に、突然、強烈な悲鳴が響き渡った。もちろんみんな跳ね起きる。「一体何だ?!」って誰もが周囲を見るけど真っ暗で何も見えん。その間にも悲鳴は続いたもんやから、みんな何とか明かりを点けようと必死やった。
「アアギィィイイイイイイィィイイイイ!!!」
誰かが松明を初めとしたいくつかの照明に光をともすと、お互いの顔が見えるようになって木こり達は少し落ち着く。それで、改めて周囲を見ると、悲鳴が聞こえるのは社長が寝てる間仕切りの奥やった。
一瞬熊にでも襲われたんかと思ったらしいけど、動物が暴れてる気配はない。近くにいた木こりが恐る恐る間仕切りをどけると、何かがのたうち回っていたんや。
「な、なんだ、これ」
いや、そこには社長しかおらんのはみんな知ってたんやで? けどな、そこで見たんは人型の何かやったんや。土左衛門みたいに普段の倍くらいに水ぶくれして、はいからやったのに見る影もない。
「ヒィ、イィタァ、イィ……」
あまりの変貌に全員が呆然とみてると、そのうちだんだん弱ってきたようで、声は小さくなって動きも鈍くなる。さすがにこんな風になってるのを見ると、もうあかんねやろうなって誰もが思ってたそうやけど、最後にこの水ぶくれした社長は強烈な目に遭った。
なんと、体の内側からいろんな虫が皮膚を食い破って出てきたんや。一体いつの間にこれほどの虫なんて仕込まれたんやってゆうくらい、次から次へと全身から出てくる。
「「「うわぁぁぁ!!」」」
さすがにこれを見て正気でなんていられんわな。周囲にいた木こり達は耐えきれずに休憩場から飛び出して、一目散に山を下りたそうや。
その後、山に登った奴はおらんらしいから、社長がどうなったかは誰もわからん。まぁ、この様子やとあかんかったんやろうな。
それと、この話をしてくれた木こりやけど、この体験があんまりにも衝撃で木こりができんようになったらしい。それで、さんざん考えたあげく、仏門に入って各地を旅しとるそうや。
わしからしたら、まじめそうな顔つきで女好きやと思ってたら、酒好きやったってのは誤算やったわ。
「うわぁ、その社長って人、酷い死に方してんな」
「祠を壊したのであろう? なら当然の報いではないか」
「そうなんですけどね。ただ、いくら怒ってても祠を壊すってのは普通しないですよね」
最初に声を上げたのは義隆やった。顔をしかめて渋い表情をしとるな。玉尾殿と話をしてる。
「うちはそんな死に方したないなぁ」
「ほほほ、美尾は良い子じゃから、あのような死に方なぞせぬ」
眉を寄せて不安がってる美尾を玉尾殿が慰め始めた。いたずら盛りの子狐やから、何かやらかしたときのことを想像したんかもしれんなぁ。
「玉尾殿がそばにおれば、そのようなことにはならんじゃろ」
「せやな。逆にいてこまされてまうわ」
お銀がしたり顔で頷きながらしゃべるのに合わせて、貧乏神が笑う。
「山にも神様はいらっしゃるんですから、滅多なことをしてはいけないということですね」
「き、きれいにまとめましたね」
亜真女のゆうとおりやな。お雪に台詞を取られてしもたわ。