夏の虫
「次は誰が話すんかな?」
前の話の感想をみんなでひとしきりした後、家主の義隆が次の話を誰がすんのか聞いてきた。
「後残ってるんは、お婆さまと千代さんと貧乏神やったっけ?」
「せや。なら、次は儂が話そか。いつまでも置いとく話とちゃうしな」
儂の能力は一家を貧乏にすることやから、そんな凄惨な話はほとんど知らん。それやったらさっさとしゃべった方がええやろ。
「お雪は自分が体験した話やったけど、儂のはこの目で見た話や」
一旦言葉を区切ってみんなを見ると、儂の方に黙って視線を向けてくる。お、話してもええようやな。よし、それじゃとっておきの話をしたろか。
この国が外国と最後に戦争した後の話になるから、この話はそんなに昔の話とはちゃうで。儂は近畿を中心にあっちこっち行っとるんやけど、飽きてたまに他の地方に行くこともあるんや。
そんときも何となく他の場所に行きたなってな、ふらふらと東の方へと向かった。もちろん歩いてやで。乗り物が使えるほど金なんて持っとらんさかいにな。
途中でなんか手頃な家があったら取り憑いたろうと思ったけど、そんときはたまたまなんもなかったなぁ。せやから、舗装された道路を歩いていくつもの山を越えていった。
けど、さすがにずっと歩きっぱなしは疲れるさかいにな、たまには休むこともある。そのときは、もう少しで街に出るというところで日が暮れてしもた。別にそのまま歩いていってもよかったんやけど、舗装された道路から分かれてる細い道のずっと先に、一軒家があるのを見つけたんや。そろそろ歩くのも飽きてきたところやし、もう今日はここで泊まったろって思ったから、儂はその家に向かうことにした。
細い道は自動車ってゆうやつがやっと通れるくらいの幅しかない。しかもむき出しの土が見えとる。そこをしばらく歩くと、見えていた家が次第にはっきりと輪郭を現してきよった。
その家は、結構大きかった。遠目でも見えるくらいなんやから、近くで見たらそりゃ大きいわな。せやから、屋敷ってゆうた方がええんやろう。それと、コンクリートっちゅーやつをふんだんに使った丈夫そうな屋敷なんやけど、もうかなり人が住んどらんらしくて荒れ放題やった。
ところで、人間に妖怪って呼ばれてる儂らは、おんなじ妖怪や霊がいるかどうかっちゅーのがある程度わかる。これは人間が人間の気配を察知できるんと似てるな。さすがに気配を隠されたらわからんけど、そうでなかったらある程度はどこにおるんかっちゅーのはわかる。
で、なんでそんなことを話したかっちゅーと、その屋敷に近づくにつれて何やらただならん気配を感じ取ったからや。しかも割と強い。てっきり空き屋やと思ってたのに妖怪か霊がいるとは少し予想外やったわ。まぁでも、大抵は隅っこでおとなしゅうしてたら文句も言われへんし、なんかゆーてきたら一言詫びを入れて済ませたろうって思っとった。
一晩泊まれるやろって軽い気持ちで崩れ落ちた塀のところから敷地に入ったんやけど、見て驚いたわ。何と薄い幽霊が一人漂ってたんや。しかもなんか苦しそうやし、一体どうしたんか儂は尋ねてみた。すると、
『イタイ、イタイ、イタイ、イタイ』
って延々と繰り返しとるやんけ。しかもよう見ると全身がずたずたやんか。
このとき既に儂は、「うわぁ、なんかやばそうなんがここにおるんかぁ」ってげんなりしたけど、気になってしもうてその幽霊に一体どうしたんか聞いてみた。
苦しんでばっかりでなかなかしゃべってくれへんかったけど、それでもどうにか聞き出せた。それによると、この廃屋にはかつて殺人鬼が住んでて、生前に何人も殺した末に事故で死んでしもたらしい。けど、こいつはよっぽど人を殺すが好きらしく、死んでも死にきれんで悪霊になってしもたそうや。それ以来、未だにやってくる人間を殺しているっちゅことやった。
ちなみに、この苦しんでる霊は、まだ殺人鬼が生きてる頃に殺されたそうや。なんかさんざん拷問された末に殺されたってゆーとったな。どうりでぼろぼろな姿のはずやわな。かわいそうに。
ともかく、生前の殺人鬼は殺す相手を街で誘拐しとったらしいけど、死んでからもやってくる人間を殺してるってさっきの幽霊はゆーとった。どうやって人間を攫ってきてるんか不思議やったけど、たまに肝試し気分でやってきた人間を殺人鬼が殺しとるみたいやな。あとで街に行ったときに知ったんやけど、どうもここは有名な場所らしい。
幽霊から聞いた話からすると、この屋敷に住んでる殺人鬼の幽霊は今も凶悪なままやそうや。屋敷の隅っこだけ借りようか、それとも立ち去ろうか悩んでしもたわ。
で、そうこうしてるうちに、一台の自動車っちゅーやつがこっちに向かってやってきた。それで、屋敷の脇に自動車を止めると二人の若い男が出てきよった。
「へぇ、ここがあの殺人鬼の住んでた家かぁ」
「おお。ほどよくボロくて雰囲気あるっすねぇ!」
この屋敷にそぐわん明るい二人は、話を聞いてると大学の先輩と後輩っちゅー間柄らしかった。どうも以前から話を聞いていて興味があったらしく、宴会の帰りに寄ってみたってゆーとったな。
え、その間儂はどうしてたんかって? 基本的に姿は見られへんはずなんやけど、習性で物陰に隠れてたんや。
その二人は正面玄関が開かんか試しとったけど、さびて動かんことを知ると、今度は中に入れんか壁伝いに歩き始めよった。そしてすぐに、さっき儂が通った崩れた壁のところを見つけると、嬉しそうに中へと入りよる。中にいる奴のことを考えると、どう考えても自殺行為なんやけどな。
二人が思うままにそれぞれの懐中電灯を振り回すもんやから、光があっちこっち行ってちょっと鬱陶しかったけど、若い男二人はまず屋敷の様子を楽しそうに鑑賞しとった。
「先輩、そろそろ入らないっすか?」
「お、いいねぇ!」
やっぱりっちゅーかなんちゅーか、興味は中にあるようで、後輩の方から先輩を誘いよったんや。そんで、二人はかなり立て付けの悪くなった大きめの扉を開けて、正面玄関から入った。
こうなると結末が気になってしゃーなくなった儂も、この二人に一緒について行った。
正面玄関の木製の扉は傷んでて、わずかにでも動かすとうるさいくらい鳴り響きよる。その音を我慢しながら入ると中は大きな広間やった。外国語でエントランスホールっちゅーんやろ? やたらと天井が高いと思ったら、一階の天井を取っ払ってんねんな。それで、両脇に二階へと続く階段がある。
ただ、屋敷の外側も荒れとったけど内側はそれ以上に酷かった。一体何が暴れたんやっちゅーくらい壁や柱は傷つき、調度品は破壊されとったんや。
「へぇ、いかにもって感じじゃん!」
それでも男二人はそれも肝試しの醍醐味にしか感じとらんようやったわ。儂からしたら正気とは思えん。
何しろ、明らかに誰かが暴れた跡があるし、屋敷の外で感じとったあのただならん気配が一層強うなった。これで全く気づかんって相当鈍いわ。
そんな脳天気な二人やから、嬉しそうに屋敷の中を探検って洒落込み始めた。最初は一階で、客室、応接室、居間、台所、風呂場なんかをふらふらと回って行きよる。
で、そんとき儂は気づいたんやけど、この屋敷の窓って全部打ち付けられてたんや。これやと、なんかあったときに外へと出られん。
「先輩、この黒いのなんすかねぇ?」
「え? なんかのシミじゃねぇの?」
とある部屋で、二人が懐中電灯の光で指した先には、確かに大量の黒いしみがあった。そういえばこの黒いしみみたいなのは、屋敷のあっちこっちにあったな。
しばらく二人が悩んでいると、鉄の扉が軋む嫌な音が玄関の大広間の方からした。
「お、誰か入ってきたか?」
「あれ、でも先輩、玄関の扉って開けるときあんな音したっすか?」
「じゃ何の音だよ?」
「……」
せやな。確かに正面玄関の扉は木製やから、鉄の軋む音なんかせぇへんわな。けど、この扉の音が玄関の扉のものとちゃうとなると、屋敷の中に元から誰かいるっちゅーことになってしまう。誰なんや、それ?
二人はようやく何かがおかしいっちゅーことに気づいたらしく、顔色が悪うなってきよった。
しばらく固まったままの二人やったけど、屋敷から出るためにも玄関へ行くしかない。文字通り、逃げ道なんてないわけや。
「せ、先輩……どうするんすか?」
「どうするって、行くしかねぇじゃん。あ、なんか武器になりそうなもんねぇか?」
手にしてる懐中電灯も振り回したら鈍器になるけど、いくら何でも短すぎると思うた二人は、近くに何かないか捜した。けど、長さ二尺の棒きれがやっと見つかったくらいやった。
覚悟を決めた二人は玄関に向かって歩き出した。おもろいんは、行きしは先輩の方が先頭切って歩いてたのに、今度は後輩を先に歩かせてたっちゅーことやな。
屋敷の奥の方まで進んでしもてたせいで、二人は結構な距離を歩かんといかん。自分らの他に得体の知らんもんがいるとなると不安やわな。しかも、中に入った屋敷が有名な殺人鬼のやもんな。
すっかり怯えてしもうた二人は無口なままや。たまに物音に過剰反応して悲鳴をあげとったけど、それくらいやな。
それで、ようやく玄関の広間にやってきたわけなんやけど、その出入り口で後輩が止まった。
「おい、どうした?」
「せ、先輩……あれ!」
後輩が懐中電灯をかざした先には、何かぼんやりとした人影があった。不思議なんは、懐中電灯の光に当たってるのに、影しか見えんっちゅーことや。
「な、なんだありゃ?」
「知らないっすよ、そんなの!」
その当時はそれが何なのかはっきりとわからんかったけど、明らかに危ないもんっちゅーのは気配でわかった。ありゃそもそも隠す気なんてないやろっちゅーくらいや。さすがに殺人に未練があってこの世に残るだけのことはあるわ。
そんなんが光を当てられたとたんに、二人の方へと向かっていく。
「やばいっすよ! こっち来るっすよぉ!」
「あ、あれ?! 何で動かねぇんだ?!」
さっさと逃げたらええのにって最初は思った儂やったけど、どうも二人は金縛りにあっとるらしかった。体を動かそうとしとるんやけど全然動かんようになっとった。
二人が焦ってるうちに影は更に近づいてくる。やがて、その影は後輩と重なった。
「ひ、や、やめ、くる、くるなぁ! いがあぁあぁぁあああ!!」
断末魔みたいな悲鳴をあげた後輩は、その後ぷっつりと無反応になってしもうた。先輩がいくら呼んでもな。けど、しばらくするとゆっくり体を反転させて先輩と向き直った。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒ……」
「……だ、誰だよ」
顔つきは確かに後輩のもんやったけど、雰囲気は明らかに先ほどまでとは違った。危ないと思った先輩の方は逃げようとするけど遅い。
「おい、なにすんだ! 放せよ! はなっ、がっ!?」
殺人鬼に取り憑かれた後輩は、その場に先輩をうつぶせに押し倒し、そのまま顔面を床に何度も打ち付けた。最初は悲鳴をあげてた先輩やったけど、さすがに何度も打ち付けられているうちに、なんも言わんようになってしまう。
「ヒヒヒ、キョウノエモノ……フタリ……」
取り憑かれた後輩は先輩の首筋を掴むと、そのまま引きずって歩き始めた。どこに行くのか見とると、いつの間にか階段の真下にある壁の一部が空いてた。隠し扉やな。見れば下に続く階段があるやないか。取り憑かれた後輩は先輩を引きずりながらその中へと入って扉の取っ手に手をかける。
そのとき、その後輩の視線が儂に向けられた。ああやっぱり、あの殺人鬼には儂が見えるらしい。ただ、儂に手を出す気がないんか、じっとこっちを見とるだけ。殺人鬼にしたら、人間やないけど闖入者には違いないから気になるんやろう。
儂としては興味本位で入っただけで、殺人鬼をどうこうしようっちゅー気はなかった。せやから、さっさと玄関の扉を開けて退散することにしたわ。すると、あっちも儂に興味をなくしたみたいで、そのまま鉄製の隠し扉を閉めおった。
その後、二人がどうなったかはよう知らん。今あの屋敷に行ったら、あの二人の乗ってきた自動車がまだあるかもしれんなぁ。
「どや、なかなか怖いやろ?」
「おぬし、結構危ないことをしておるの」
「そうや。自分が襲われたらどうするつもりやったんや?」
お銀も千代も怖がってるってゆーよりも呆れとるな。まぁでも、義隆と美尾が怖がったらそれでええか。
「俺は、貧乏神の無鉄砲さが怖かったわ。普通ついていくか?」
「で、その二人がどうなったかはわからへんの?」
「美尾、それは聞かぬが花じゃ」
義隆は別の意味で怖がってしもてるな。美尾は不安そうにしとるけど、これは一体どう受け取ったらええんやろ?
「さ、さすが本物の妖怪ですね。い、いつも襲われる側の人間とは違った角度から話を聞けて、きょ、興味深いです」
「基本的に私達は襲う側ですからね」
亜真女に至っては感心しとるな。うーん、人を怖がらせるのは難しいなぁ。