黒い欲
亜真女さんとお銀ちゃんのお話が終わりました。二人とも興味深いお話でしたけど、参加している皆さんはあまり怖がっていないようです。まぁ、どちらかというと、怖がらせる側の方が多いですから仕方のないことかもしれません。
「次は誰が話すんや?」
「それじゃ私が」
義隆さんの問いかけに私が応じました。後残っている方は玉尾さん、千代さん、貧乏神さんのお三方。いずれも怖そうなお話を知っていそうな方ばかりです。亜真女さんの言葉ではありませんが、この辺りで話をしておいた方が良さそうですね。
幸い皆さんから反対されることもありませんでしたので、このまま話し始めてしまいましょう。
これは何年か前のお話になります。私が冬以外の季節に人里へと降りて生活していることは、皆さん既にご存じですよね。毎回住む場所と生活費を稼ぐ先を探すのが面倒です。それでも今まで何とかやってこれたんですけど、たまにうまくいかないときがあります。
その年は住む場所がなかなか決まらなくて困っていました。毎年冬になると山に登らないといけない都合上、同じ所を利用していると怪しまれますから、いつも違う場所を選んでいました。しかし、このときはうまく見つからなかったんです。
所持金も心許なかった当時は、とりあえず住めればいいと思って、思い切ってルームシェアというものを利用することにしました。本来一人で借りる部屋を複数人で借りて住むんです。まだ当時はそれほど知られていなかったですけれども、こういうときのために以前から調べていたんですよ。どんな同居人と住むことになるのか不安でしたが、最悪お金が貯まるまでのわずかな間だけと割り切ることにしました。
私が利用したのは中年男性の持ち主が管理人も兼ねているマンションでした。提示された値段は手頃ですし、同居人は女性ということでしたから、当時の私としてはかなりましな条件に思えたのですぐに契約しました。これで安心して仕事を探せると胸をなで下ろした記憶があります。
「今度から一緒に住む人? アタシ、アケミってゆーんだ!」
管理人さんに案内されて部屋につきますと、やたらと明るい女性のアケミさんが出迎えてくれました。実は名字も漢字も教えてもらってないので、名前の発音しか知らないんですよね。年の頃は二十歳で、美容師を目指していると話してくれました。
ただ、このアケミさんですけど、やたらと他人に接したがる方なんですよね。たぶん寂しかったんじゃないのかなと今なら思います。
「名前は? 前ドコに住んでたの? シゴトは何してるの? シュミは? 今までどんなオトコとつきあってたの?」
私の方は、あまり他人に関わりたくなかったので迷惑がっていました。それでも、手頃な家賃を更に二等分できたので我慢していたんです。
住む場所が見つかったおかげで、いよいよ本格的に勤め先を探せるようになりました。私としては毎月生活できるくらいのお給金がもらえればよかったので、あまり条件にこだわりはありません。ですから、勤め先は割とすぐに見つかりました。
これで安心して今年も過ごせると思っていましたが、残念ながらそう簡単にはいきませんでした。勤め先に問題があったのではありません。問題は住んでいる場所にあったんです。
一体何があったのかと言いますと、毎日アケミさんの部屋から性交渉をする声や音が聞こえてきたんです。恐らく男性を連れ込んでいたのでしょう。確かに同居人といえども他人ですから何をしようと自由ですけど、あまりにも度が過ぎるのは迷惑です。特に、その、声が大きかったんでとても困りました。
もちろんアケミさんには何度も注意しましたよ。
「ごっめーん! 丸聞こえだった?! マジヤバイわ! 今度から控えめにするわ!」
その度にアケミさんはきちんと謝って善処すると約束してくれましたが、守られたことはありませんでした。真剣に謝ってくださっていたので次は、と最初は思っていましたが、さすがに感情が高ぶっているときにその感情を抑制するのは難しかったのかもしれません。けれど、私としては非常に不愉快でした。あのときは、部屋が完全防音だったらよかったのにと毎日思ったものです。
ただ、ひとつだけ気になることがありました。それは、アケミさんの相手の男性を一度も見たことがないことです。声が漏れても平気なくらいですから男性を隠すようなことをすると思えません。しかも、毎日のようにアケミさんのお相手をしているはずなのに、すれ違うどころか、声すら壁越しに聞いたことすらないんです。
それでも他人事でしたので何も尋ねませんでした。しかし、一週間もするとアケミさんに異変が起きていることに気づきました。やつれてきた上に目つきが異常になってきたんです。ほら、よく話しに聞く麻薬でもやっているような感じです。ただ、振る舞いは普段と変わらなかったんですよね。別に異常な言動や行動もありませんでした。ですから、大した関心を抱かなかった私は無視しました。そうして更に一ヵ月が過ぎたんです。
ところがある夜、それまでいくら注意しても止まなかった声と音が全く聞こえなくなりました。最初は全く気づかなかったんですけど、ある意味聞き慣れたものが聞こえなかったので驚いたくらいです。
でも、これで静かに眠れると思うと嬉しかったですね。そのときは一体何があったのかさっぱりわかりませんでしたけど、元々アケミさんにも興味はありませんでしたから、私の要望通りになってくれたのならそれでいいと思ったくらいです。
これからずっと静かだったらいいのになと思いながらいよいよ寝るときになりますと、そのときになって何か異常な気配がすることに気づきました。一体何かと思って室内を見回してみますと、部屋の扉付近に黒い塊が浮いていました。それは色が黒いというだけでなく、何やら負の感情そのもののような存在に感じられました。
「何者ですか?」
嫌な感じのする存在でしたが放っておくわけにもいきません。私も人ならざる存在、雪女として話ができるのなら事情を聞こうと問いかけてみました。
しかし、その黒い塊は何も応えずに、ゆっくりとこちらに近づいてきます。そして、徐々に人の姿へと変わるではありませんか。
「ナァ、オレトヤロウゼ。ゼッタイ、キモチイイカラヨォ」
人の姿になるに従って、黒い存在の言っていることがわかってきました。しかも、同じ言葉を何度も繰り返しています。
この時点で、私はこの黒い存在は誰かの性欲に対する執着が悪霊と化したんだろうと思いました。正直不愉快な存在です。
尚も近づいてくるその悪霊に対して嫌悪感しかなかった私は、冷気で凍えさせてやりました。もちろん通常の冷気が通じるとは思っていませんでしたので、妖気混じりの冷気をかけてやりましたよ。すると、情けない悲鳴をあげて逃げていきました。まぁ、あの程度の悪霊でしたらこんなものでしょう。軽く痛めつけてやりましたから、もう近づいてくることもないはずです。安心した私は、その晩は久しぶりに静かな夜を過ごせました。
ところが、それ以後、アケミさんの姿を私が見ることはありませんでした。最初は時間が合わないだけだと思っていたんですけれども、さすがに一週間以上全く姿を見せないというのはおかしいですよね。けれど、アケミさんの部屋を訪れて確認したいとまでは思わなかったので、そのままにしておきました。静かな夜を過ごせるのであればそれ以上は望まなかったからです。それに、部屋から人の気配はしませんでしたから。
このマンションでは、月末に家賃を支払うことになっていました。毎月管理人さんが家賃を求めてやってくるんです。アケミさんを見かけなくなった月にも当然やってきて、私は家賃の半額を支払いました。
「あれ、もう一人は?」
「さぁ。ここしばらく見ていないんです」
「じゃぁ、呼んできてんか」
気は進みませんでしたが、私はアケミさんの部屋から呼びかけてみました。しかし、反応は全くありません。何度か声をかけても無反応でしたので、仕方なく扉を開けてみますと、何とそこには干からびたアケミさんが布団の上に裸で横たわっていたんです。
驚いた私は管理人さんにそのことを伝えて警察を呼んでもらいました。
私達が待っていますと警察や救急隊員の方がいらっしゃいます。その後はアケミさんの亡骸の搬送に現場検証、そして私達への事情聴取です。
普通ですと同じ部屋に住んでいて遺体がミイラになるまで気づかないというのは考えにくいですから、私は真っ先に疑われました。同居してから今までのことを細かくお伝えして身の潔白を証明しようとしましたよ。でも、どうも警察官の方々は私が犯人だとは疑っている様子はあまりないんですよね。気になったので尋ねてみました。
「あー、実はですねぇ。この部屋で同じ事件がもう何回も起きているんですわ。それで、あんたと同じように同居人を徹底的に調べてきたんやけど、犯人だったことは一度もないんやなぁ」
その警官に教えてもらったところによりますと、最初は毎晩のように性交渉を行い、しばらくするとやつれていき、あるとき静かになったかと思うと、後日干からびて発見されるということでした。しかも被害者は全て女性です。いずれも同居人が真っ先に疑われましたが、結局謎のまま未解決事件になっているそうです。
私は驚きました。管理人さんからはそんな話を一度も聞いていないからです。
やがて警察の捜査が終わりました。結局今回も未解決事件なりそうだと最後に警察の方に伺いました。アケミさんの住んでいた部屋には誰もいなくなり、今では私一人しか住んでいません。
普通でしたら気味悪がってすぐにでも出て行くところなんですけど、私としては原因があの悪霊にあるように思えたので、そのまま住むことにしました。以前撃退してやったのでもうやってくるとは思えなかったからです。
しかし、ことのいきさつははっきりとさせておかないといけません。ようやく周りが落ち着いてから、私は管理人さんに疑問を投げつけてみることにしました。
次の家賃支払いのときに、私は管理人さんを部屋に招き入れて話をしました。警察に話した入室してから事件が起きるまでのことと、もうひとつ、あの悪霊のことです。何度も事件が起きているのでしたら、なにかしら管理人さんは知っていると考えたからです。たまたま他人から聞いたという形で話しました。
「なんや、あんたのところには来てへんのか。その黒い塊みたいなやつ、もう何人も女を襲ってるんや」
その第一声に私は驚きました。
詳しく聞きますと、あの部屋はかつて痴情のもつれで男が殺されたらしいんです。それ以来、入室した女性は異常にやつれたり死んだりすることが多いということでした。生き残った女性が言うには、毎晩その悪霊に犯されるということです。でも、やみつきになるほど気持ちいいので、はまると抜け出せなくなるということでした。
「どうしてそんなところに女性を入居させるんですか?」
「いや、こっちもできるだけ男を入れようとしてるんや。けど、うまくいかんときもあるしな」
管理人さんが言うには、どういうわけか、あの部屋を選ぶ女性が多いそうです。最初は女性を遠ざけようと努力していた管理人さんでしたが、途中からは諦めてしまったそうです。
結局私は、冬直前までそこに住みました。家賃は丸々支払うことになってしまいましたけど、残りの期間から考えて他に移りにくかったからです。あれ以来その悪霊は見かけていませんけど、もしかしたらまだそこにいるかもしれませんね。
「ほほ、その悪霊とやらも狙う相手を間違うたな」
私としては怖い話をしたつもりでしたが、玉尾さんには何とも思われていないようです。
「この場合、悪霊を恐れるべきなんやろか……」
「お雪の図太さが一番すごいやんか」
義隆さんが言いにくそうにしている脇から、貧乏神さんが口を出してきます。
「まぁ酷い。あんまりそんなことばかり言われますと、私、怒りますよ?」
「おお、怖いわ!」
「何してるんや、お前は」
私が軽く睨めつけますと、貧乏神さんは千代さんの陰に隠れてしまいました。
一応一部の方を怖がらせたことはできたようですけど、思惑とは少し違って残念です。