地下の共同トイレ
「そ、それじゃ、さ、最初は私から」
ライターという仕事をしている関係もあって、そういった話を集める機会というのが何度かあった。そのときの話をしようと思う。
「お、積極的ですね、亜真女さん」
「は、話す人は私以外全員妖怪の皆さんですから、ほ、本職の人の話には敵わないですし。そ、それなら最初に話しておこうかなって思って」
普段の消極的な私からすると、一番に名乗りを上げるのは珍しい姿だと自分でも思う。でも、気づいたら最後を任されていたなんてことになると、もっと恥ずかしい目に遭うのはわかりきったこと。それなら最初にしゃべった方がいいっていう打算なのよね。
説明すると納得してくれた義隆さんは黙ってくれた。
そして、居間の蛍光灯の明るさが一段暗くなる。見れば千代さんが蛍光灯のひもを引っ張っていた。うわ、ちょっと盛り上がってきた。
「そ、それじゃ、ふ、不動産にまつわる怖い話を集めていたときに知った話をします」
私は一呼吸おいて、その話を始めた。
と、東京でフリーライターになった頃、し、知り合いの編集者さんに「怪談特集をやるので記事を書いてくれないか」と頼まれたんです。と、当時の私はとにかく仕事をもらわなくちゃいけなかったんで、あ、ありがたくその話を受けたんですよ。
わ、私が担当したのは不動産関係で、し、仕事を引き受けると早速調べて回りました。と、とはいっても、か、確実にそういった話を知っている人っていうのは限られています。そ、そこで私は住んでいたマンションの管理人さんから、な、何人かの不動産屋関係者の人を紹介してもらってお話を聞きました。
そ、その中で、あ、ある物件の話をしてくれた方がいました。そ、その物件というのは、と、とある地方都市の繁華街にある、ち、地下一階付きの五階建て雑居ビルです。し、商売する人に貸し出しているテナントビルですから、ビ、ビルに入っている人たちは何らかの商売をそこでしていました。た、大半が飲食店ですけどね。
ビ、ビルの作りをもう少し詳しく言いますと、ち、地下一階から五階までの作りは全部同じです。か、各階は手前にエレベーターがあって、つ、次に両面に二つの店舗が入ることができて、い、一番奥に共同トイレがあるんです。あ、で、でも、エ、エレベーターは地上だけにしかなくて、ち、地下に行くには階段を使わないといけないんですよ。そ、そこだけがちょっと違いました。
そ、その雑居ビルは繁華街の中心にあるおかげで、そ、そこで営業している飲食店はどこも繁盛していたそうです。と、とてもいいことですよね。け、けど、ち、地下一階だけは店舗が入っていなくて、い、いつも真っ暗だったんです。
じ、じゃぁどうして地下だけ店舗が入ってないのかってことなんですけど、じ、実はその共同トイレで、な、何年も前に女の人が刺し殺されていたんですよ。そ、その女の人を殺したのは男の人で、こ、殺した後に自殺しちゃったそうです。
も、もちろん大騒ぎになりましたよ。つ、通報を受けた警官もその様子を見て驚いたそうです。な、何しろ、き、共同トイレ付近の廊下は血の海で、な、中は壁や鏡や天井を問わずに血しぶきが一面にこびりついていたそうですから。き、救急隊員が中に入って脈を取るまでもなく、ふ、二人とも死んでいたそうです。
そ、それで、ど、どうして男はそんなことをしたのかってことなんですけど、け、検死の結果、ま、麻薬中毒患者だってことが判明したそうです。ほ、本当に末期的だったそうですよ。こ、この雑居ビルにやってくるまでの目撃証言も結構あったらしくて、く、薬によって錯乱して女の人を殺したって、け、警察は結論づけたそうです。
で、でも、ほ、本当にかわいそうなのは女の人ですよね。た、たまたま麻薬中毒患者に目を付けられたせいで殺されちゃったんですから。し、しかも、ぜ、全身を百ヵ所以上も滅多刺しにされてです。し、死に顔も、き、恐怖と痛みにゆがんだ酷い状態だったらしいです。
ぎ、逆に男の方は、じ、自分で何十ヵ所と刺して死んだのに、か、顔は笑っていたそうです。た、たぶん、ま、麻薬のせいで感覚がまともじゃなかったんだろうって話です。
こ、ここまでは凄惨ですけど、よ、よくある殺人事件の話です。で、でも、問題はここからです。
や、やっぱりこれだけ悲惨な事件が起きちゃうと、ど、どうしてもお客が寄りつきにくくなっちゃうみたいで、わ、割と短期間で地下の店舗は入れ替わることが多くなったんです。ビ、ビルのオーナーも困ってたんで、テ、テナント料を低くするとかの努力をしていたそうですが、け、結果は変わらなかったそうです。
げ、原因はお察しの通り、ゆ、幽霊が出るからです。あ、あの殺された女の人と殺した男の人です。お、お客がトイレで用を足していると、く、苦しそうな声で女の人がうめいてたり、お、男の狂ったような高笑いが聞こえたりしたそうですよ。し、しかもそれが頻繁に起きちゃうんです。
そ、そしてついに、ち、地下一階の共同トイレに幽霊が出るっていう噂が繁華街全体に広まって、ち、地下の空き室を誰も借りなくなっちゃったんです。
け、結局、じ、事件が起きてから二年が経過するころには、ち、地下一階では誰も店を営業することはなくなっちゃったんです。
こ、これで本当に誰も近寄らなくなったら話はここで終わっちゃうんですけど、や、やっぱり物好きな人っているんですよね。ゆ、幽霊が出るっていう噂はそのままでしたから、き、肝試しや興味本位でやってくる人が何人もいたんです。は、繁華街にあって、す、すぐ横に人通りの多い道があるんで、み、みんな気軽にやってきたんですよ。し、しかも困ったことに、ち、地下への階段は自由に行き来できるままだったんです。
な、何人もの人が幽霊の出るっていう噂の共同トイレにやってきました。そ、そして、そ、その多くが幽霊と出くわしたそうです。し、しかも、ま、まだお店があった頃と違って、も、もっと酷い目に遭ったそうなんですよ。
ゆ、幽霊は相変わらず女の人も男の人も出たんですけど、お、女の人が現れたときは傷の痛みを訴えかけてくるそうです。そ、そして、よ、翌日から数日間、ぜ、全身に刺し傷のようなものがびっしりと現れるんです。
い、一方、お、男の人が現れたときは、く、狂った笑い声とともに包丁で襲いかかってきて、め、滅多刺しにされてしまうんだそうです。さ、更に、よ、翌日から数日間は全身に刺し傷のようなものが現れて、き、消えるまで激痛で苦しむということです。
こ、こんなことがあまりにも立て続けに起きたものですから、ち、地下への階段は封鎖されてしまいました。
私はそこで一旦区切って、湯飲みのお茶を飲んだ。私にしては一度にかなりしゃべった方だ。そういえば、こういった怪談話をするなんて初めてだということに今更気づく。
「なんか、よくある怪談話みたいですね」
怪談話をよく知らない義隆さんがどうしてそんなことを言えるのか不思議だけど、そうか、単に持ちネタがなかっただけだっけ?
「は、はい。た、確かにこれだけだとそうですよね」
「え、まだ続きがあるんですか?」
義隆さんに続いて口を開こうとした何人かが、動きを止めて聞く体勢に戻ってくれる。そして、目で続きを促された。
「き、聞いた当初はあんまり面白味のある話とは思えなかったんですけど、そ、その地方都市に取材をしに行く知り合いのライターさんがいたんで、こ、この話をしたんですよ。す、するとですね、き、興味を持ったらしく、じ、自分の仕事が終わったら確認してくれるって言ってくれたんです」
「物好きな奴じゃな」
「そ、その人、ゆ、幽霊とか全く信じてない人なんで、ど、どうせ何もないだろうって高を括っていたそうなんですよ。か、確認するっていうのも、そ、その雑居ビルがあるのかどうかっていう意味だったらしいです」
お銀ちゃんの感想に私は説明を返した。
その話をしたときのあの上田さんの信じていない笑顔はよく覚えてる。美尾ちゃん達と出会うまでの私も似たようなものだったから、その人を責めることはできないけどね。
「それで、その雑居ビルってのはあったんか?」
「は、はい、あ、ありました。し、しかも、ち、地下へも入れたそうです」
私の返事に千代さんは目を丸くした。さっき封鎖していたって言ってたから矛盾してるよね。
「ち、地下へ入れた理由なんですけど、ふ、封鎖っていっても、こ、工事現場で使う黄色と黒色のガードフェンスで遮ってただけだからです。か、鍵も安物を使ってたらしくて壊されてたらしいですよ」
壊れた鍵が近くに転がってたって上田さんは言ってた。だから中に入っちゃったんだよね。
「そ、それで、上田さん、あ、さ、さっきのライターの人で男です。こ、この上田さんがフェンスを越えて地下の共同トイレに行ったんです」
次に会った上田さんの表情は、行く前とは対照的だった。げっそりとしてたし、怯えていた。そして何より……
「う、上田さんが地下に降りると、さ、さすがに真っ暗だったんで、よ、用意していた懐中電灯を点けたそうです。す、すると、よ、予想通り中はかなり汚れていました。た、ただ、あ、足跡は割とあったと聞いてます」
肝試しや興味本位でやってきた人たちのものだ。
「そ、それで奥に懐中電灯の光を向けると、た、確かに共同トイレがあったそうです。で、でも、ち、血糊とかそういったものは何もなかったそうですよ」
「さすがにそんなんは警察なんかがきれいにしてるでしょうしね」
「は、はい。で、ですから、う、上田さんも拍子抜けしたそうです。で、でも、き、共同トイレに入ってしばらく中を見てると、お、男の狂ったような高笑いが聞こえてきたそうです」
玉尾さんの目がわずかに細くなる。きつめの美人に睨まれているようでちょっと怖い。
「さ、最初は幻聴だと思っていた上田さんでしたが、だ、だんだんと声ははっきりとしてきますし、ト、トイレの一番奥に何か暗い影のようなものが見えてきて、こ、これはまずいと直感したそうです」
「真っ暗な中で、上田はんは暗い影なんて見えたん?」
「そ、それがなぜかはっきりと見えたらしいの。そ、それで、い、急いで逃げようとしたんだけど、ひ、人の形になった暗い影の方が早くて、て、手にしてた何かで刺されたそうなの」
美尾ちゃんの質問に答えた私は、再びみんなの方に目を向けた。
「で、でも、う、上田さんはかまわずに階段を駆け上って、そ、そのまま雑居ビルから逃げたそうです。そ、そして、ホ、ホテルにそのまま入ったって聞いてます」
「ほう、話は真じゃったのか」
「し、しかも、よ、翌日、う、上田さんは全身が猛烈に痛くて起きてしまいました。か、体中に包丁で刺されたような切り傷がうっすらと浮かんでいたんです」
「見たのかえ?」
「は、はい。そ、その翌日に戻ってきた上田さんと会ったんです。す、すると、か、顔にも傷がたくさんあって……」
そう。次に会った上田さんの表情は、行く前とは対照的だった。げっそりとしてたし、怯えていた。そして何より、顔や手に傷がたくさん浮かび上がっていた。転んで擦りむいたっていう程度じゃない。
私は玉尾さんの質問に答えていると、今度は美尾ちゃんから質問された。
「上田はんの傷は治ったん?」
「え、ええ。い、一週間もするときれいになくなったわよ。い、痛みもね」
それを聞いた美尾ちゃんは安心したのか、肩の力を抜いた。
「わ、私の話は以上です」
「なかなか興味深い話じゃったぞ」
「訳ありのところには近づかない方がいいですね」
お銀ちゃんとお雪さんがお茶を飲みながら感想をくれた。う~ん、さすがに妖怪だとこういった怖い話に慣れてるのかな。怖がってる様子はない。
「よ、義隆さんはどうでした?」
「人気のないところは今後避けるようにします」
義隆さんの顔を見ますが、特に怖がっているようには思えない。残念、怖くなかったようね。
「それで、結局その話は記事になったのか?」
「さ、さすがに実害があるとなると問題があるっていうことで、ボ、ボツになったの」
「それは残念じゃな」
お銀ちゃんが私を慰めてくれる。でも、本当に大変だったのは上田さんだけど。何にでも興味本位で首を突っ込んじゃダメってことね。