おならしちゃった♪
人にはそれぞれ与えられた役目があり、それを一生懸命こなす事によってご褒美が貰える時がある。そして彼もまたそのひとりであった。
「今日は店をお前に任せる、恥さらしの弟よ」
「そ、それは本当ですか兄さん!?」
カイザーのパン屋エデン支店。店長のパン職人、カイザー=ブレッドは義兄弟のトミーに一日だけ店を任せ、地球へ溺愛している妹的存在のハニーに会いに行く事にした。彼は故郷に帰ってからというもの、あまりにも経営するパン屋が忙しく妹に会えなくなっていたが、今日は彼女をを寂しがらせ続ける訳にはいかないと、弟に店を任せ、地球に行く事にしたのだ。
兄のカイザーは生真面目で義理人情を重んじる性格であるが、弟は金儲け第一で薄情かつ自己中心的な性格であった。
そして彼は、以前から兄の隙をついて店の乗っ取りを計画していたのであるが、それを実行に移すよりも早く、彼にとっては幸運な出来事が舞い込んできたのだ。
この願ってもないチャンスに彼は今にも踊りだしてもおかしくないほどに歓喜していたが、恐怖の兄の前なので踊るのはやめる事にした。彼は生唾をゴクリと飲み込み、ぎこちない作り笑いで、彼に言った。
「お店の事は私に任せて、兄さんは安心してハニーに会い行ってください」
「任せたぞ、恥さらしの弟よ」
カイザーが出かけたのを確認したトミーは、瞳を金の形に変化させ(アニメでよくあるアレと想像するとわかりやすい)、バレエを踊り出した。
「兄さんがついに店を開けました。そしてついに、私の壮大なカイザーのパン屋の乗っ取り計画が始まるのです……!」
ドォン!
轟音と共に、金髪を後ろに束ね碧眼の瞳を持ち筋肉隆々の屈強な体つきのカイザーは、博士の家の前に降り立った。彼が降りた場所には巨大なクレーターが形成されていたが、それを気にするような彼ではなかった。二メートル越えの巨体で彼は悠々と玄関まで歩いて行き、インターホンを鳴らす。応対に出たのは意外にも博士であった。彼はカイザーの巨体を見るなり口を開いた。
「きみが、ハニーちゃんのお兄ちゃんであるカイザー君かね?」
すると彼は深々と頭を下げ、
「はじめまして、カイザー=ブレッドです。あなたがハニーを養子にとり、育てていらっしゃるシナモン博士ですね。お会いできて光栄です」
「まあ、そんなにかしこまらないでくれたまえ。立ち話も大変だろうから中で話そう。ハニーちゃんもリビングにいるから、きっと喜ぶと思うよ」
彼が玄関のドアをくぐろうとすると、悲劇が起きた。あまりにも彼が巨体すぎるために、ドアの枠が壊れてしまったのだ。
「申し訳ない事をしてしまいました」
「いやいや、気にしないでくれたまえ。これはいつでも治す事ができるから」
「お心遣い、感謝いたします」
博士の家は高い吹き抜けの西洋建築になっており、玄関から入るとただっ広く真っ白な壁に覆われたリビングが現れる。普段博士達はそこでお茶をしたりしているのだ。この日も三時のお茶をしていたため、幸運な事にハニー達はリビングにいた。博士と一緒に入ってきたお客を見るなり、フレンチとハニーは嬉しさのあまり泣き出し、カイザーに抱き着いた。
カイザーはハニーだけでなく、スターレスリングジムの弟子達の頼れる兄貴分的な存在として強く慕われている。常に前線で悪党を殲滅しつつ、圧倒的カリスマ性でレスリングジムメンバーを束ねる偉大なリーダーであり、皆の尊敬を集めていた。クレーターに興味を示したヨハネスとアップルも博士の家にやって来た。
アップルは彼と初めて会うが、彼の活躍はヨハネスからよく聞かされおり、ヒーローのように憧れていたため、瞳をキラキラ輝かせて出会えた事を喜んだ。
そして博士の住む住宅街の中で彼の参謀役として彼の傍にいたヨハネスは、自分の頬をつねって夢でない事を確かめた後、普段は泣くことのない彼が声を上げて泣きだした。そして六人はイスに腰かけお茶を飲みながら、楽しく語り合う事にした。果たしてこれからどんな話が飛び出すのか。
ハニーは今、最大の危機に見舞われていた。表面では笑顔を浮かべながらも内心はドキドキの状態が収まる事はなかった。
彼女の身に起きた最大のピンチ、それは――
『どうしよう、おならしちゃった!』
彼女は朝食の時間に大量のスイートポテトを食べたため、おならをしてしまったのだ。彼女は皆の話を聞きながら、心の中ではこんな事を考えていた。
『もしこれがバレてしまったら、みんなの中にある私の『可愛い女の子』のイメージが壊れちゃうよぉ』
彼女の瞳は匂いに人一倍敏感なヨハネスに向けられる。
彼の鼻は普段犬のように利くのだが、今日はカイザーが来ており、彼の話に夢中になっているため、匂いには気づいていないらしかった。それを確認した彼女は、小さくため息をつき、安心する。けれど、ヨハネス以外にも気づく可能性のある人物は他にもまだいる。その事に彼女は囚われ、落ち着けなくなってしまっていた。
「ハニーちゃん、どうかしたのかね?」
博士が不思議そうな声で訊ねたので、ここに来てようやく彼女はハッと我に返った。
「ううん。何でもないの♪」
普段よりほんの僅かだけ作り笑いを含めた笑みをして、博士の心配を吹き飛ばそうとする。彼は安心したのか、彼女から視線を離し、テーブルに置いてある煎餅に手を伸ばす。ここは便乗して彼女も煎餅を食べた方がいいと考え、煎餅を摘まむ。
彼女はパリパリと煎餅をかじりながらも、心の中の心配は拭えない。彼女はサッと周囲の人物を見渡した。現在彼女を除いてこの場にいる人物は、博士、フレンチ、ヨハネス、アップル、そしてカイザーの五人だ。次は一体誰が自分の事を疑ってくるのだろうかと考えたその時、彼女からぷうっという間の抜けた音がした。
『はわわ、またやっちゃった……もうお終いだよぉ!!』
彼女は今更ながらスイートポテトの食べ過ぎを激しく後悔したが、持ち前の前向きさと明るさで、半ばヤケ気味になり、ハニーはある種の悟りの境地に達した。
『こうなったら、とっても面白い話をして、みんなの注意をおならからそらせるしかないっ』
彼女はアホの子(天然で可愛い子)であったが、その分楽しい雰囲気を作るのに優れており、頭を一生懸命回転させて、メルヘンのお話を考えつく。
しかしながら、この時彼女の脳内で完成したお話は、おならをした妖精さんが、相手に濡れ衣を着せた挙句、最後にはそれがバレてひとりぼっちになってしまうという、今の彼女にはあんまりな話であった。
『マズい、マズいよ~、コレ、完全に今の私の状況じゃない!なんとかして面白い話を考えて、みんなの意識を逸らさないと……』
あれこれ考えた挙句、彼女は口を開いた。
「あの、みんな実はね、ずっと言いたかった事があるんだけど……」
ハニーが話し始めたので、皆一斉に彼女の方へ体を向ける。彼女は自分に向けられる十の瞳に恐怖を感じていたが、勇気を振り絞って、こんな事を言った。
「私、剛力君と別れる事にしたのっ!」
「「ええっ!?」」
ハニーから剛力と別れる話を聞いて、真っ先に口を開いたのは博士であった。
「剛力君と言えば、確かきみのボーイフレンドだったはず。一体どうして仲がいいと聞かされていたのに別れる事にするのかね」
博士の問いに、先の展開を考えていなかったハニーは、やぶれかぶれになり泣きだしたかと思うと、席を立って自分の部屋まで駆けだした。急いで部屋に入り、カギを閉める。そしてベッドにダイブしたかと思うと、泣きだしてしまった。
「あんな嘘つかない方がよかったよぉ。でも、本当の事をみんなに言ったら……」
彼女は、みんなにぐるりと囲まれ責められている光景を想像する。
『失望したよ』
『最低ですね』
『ハニーさんはバカだね』
『兄弟の縁を切る!』
博士、フレンチ、ヨハネス、カイザーの順に責められた彼女は、最後に絶対に人を責めないはずのアップルに、涙目でこんな事を言われた。
『信じていたのに……』
皆の想像上の言葉が胸に槍のように突き刺さった彼女は、心の底から後悔した。
しかし、おならをした事を誤魔化すために敢えて嘘をつきましたなどと、発言するのは大勢の人に囲まれると引っ込み思案になりがちなハニーには、そんな勇気はなかった。よく考えてみれば、これほど恥ずかしい真実を人前で打ち明ける事自体が大変な苦行なのであるが、自分を責めているハニーはそんな事など考えている余裕もなかった。彼女は泣き崩れ、枕を涙で濡らす。
「私、一体どうしたらいいんだろう……」
後悔と悲しみでそう呟いたその時、大鎌を持ち、髑髏のネックレス、黒のマントにコート、黒いロングブーツ姿の見るからに怪しい男性が彼女の前に現れた。
「あなたは?」
「私は闇野髑髏。きみの心に光を灯しにきたよ」
彼はハニーのベッドに腰かけ優しく口を開いた。
「ハニー、何も心配する事はない。おならは誰でもするし、嘘だってつく。それは宇宙人でも人間でも変わりがない。そして過ぎてしまった事に囚われてしまっては、せっかくの時間がもったいないとは思わないかな?」
髑髏の問いかけに、ハニーは涙を拭いて笑顔を浮かべた。
「そうだね。そうかも知れないっ、これからあまりくよくよしないようにするね。ありがとう、髑髏さん♪」
彼女は彼をぎゅっと抱きしめる。すると彼は頭を撫でて、
「いい子だね、ハニー。さぁ、みんなの元へ行っておいで」
「うんっ」
ハニーが頷いて、部屋を出た後、彼はフッと消えてしまった。彼がどこへ行ったのかは誰にも知らない謎である。
博士の家で楽しく過ごした後店に帰ったカイザーは、店の乗っ取り計画を実行に移そうとしていたトミーに怒りの鉄拳を見舞い、懲らしめた。