悪役の嘆き
「悪人か……」
ドスの聞いた声で呟くのは、全身黒ずくめの軍服に身を包んだ中年男性だった。
彼、ジュバルツ=ブラックロー将軍は、子どもたちに人気の戦隊番組を、「渋すぎる」という理由で解雇された男だった。
「何という非情なものであろうか。私はヒーローの影になり、憎まれ役をずっと演じて来た。子どもたちからは罵声を浴びせられ、ヒーローに負け続け、最後に解雇か。事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ」
彼はハラハラと男泣きに涙を流した。
「誰も私を応援してくれるものなどいない。なぜなら、私はヒーローの敵なのだから」
彼は着替えもせず、失意に満ちた心情の中、撮影所を飛び出し、何を考えるでもなく、憂いを帯びた表情でバスに乗った。明らかに異様な恰好の彼は、人の目を浴びたが、そんな事はどうでもよかった。彼が悲しみを秘めたバスの中で考えていた事、それは有名な癒しスポットに行って癒される事だけであった。
しかし、そんな彼の身に悲劇が起きた。
「なんと言うことだ、私としたことが寝過ごしてしまうとは……!」
彼は拳を握りしめ、悔しさを堪える。しかし、今更降りたところで癒しスポットにたどり着けない事を悟った彼は、再び腰を下ろし、窓に映る景色を眺めた。
しばらく眺めていると、田舎の住宅街が見えたので、彼は気まぐれとばかりそこに下車した。その選択が、彼の運命を大きく変える事になるとも知らずに。
☆
「あーんっ、美味し~っ!」
ヨハネスは住宅街にある唯一のスーパーで肉まんを買って食べていた。
彼の家はかなりの金持ちであり、小遣いも相当に貰っていたが、彼はその小遣いの九十五%以上を全て食べ物に費やしていた。
この小説をここまで読んできた読者ならわかるだろうが、念のためにもう一度説明しておくと、彼はいくら食べても太らない体質の持ち主である。したがって、彼は太る心配がない。恐らくそこらへんが彼が女子から怨みを買っている理由のひとつなのだろう。
彼が美味しそうに最後の肉まんのひとかけらを口へ放り込んだ時、フラフラとした足取りで向こうから誰かがやってくる。好奇心旺盛なヨハネスは、いつも携帯している虫眼鏡を取り出して走ってその人物に接近していく。
黒い軍服に憂いを帯びた悲しげな顔、立派な口ひげを生やした中年男性――彼こそ、戦隊番組でヒーローと幾度も死闘を繰り広げた名悪役ジュバルツ=ブラックロー将軍だったのだが、普段テレビを見ないヨハネスが知るはずもなく、空腹でフラフラしている人と勘違いし、取りあえずスーパーから一番近い住宅で、彼の親友であるアップルのリンゴの形をした可愛らしい家に、四苦八苦しながらも彼を運び込んだ。
「ここは……どこだ?」
薄らと目を開けたジュバルツ=ブラックロー将軍が見たもの、それはふたりの可愛らしい少年であった。
「おじさんは空腹で倒れていたんですよ。ここは、彼の家です」
ヨハネスがアップルを紹介し、彼がどのようにしてここまでやって来たのかをかいつまんで説明した。それを聞いた将軍は、立ち上がり、九十度の見事な角度の深々とした礼をして、
「きみたちに感謝申し上げる」
「そ、そんなにかしこまらなくてもいいですよ。僕たち子どもですし」
ヨハネスが微笑んで言うと彼はフローリングの床に腰を下ろして胡坐をかいて、
「ウム、それもそうだな」
「おじさんは、なんてお名前なんですか。名前が知らないと色々とコミュニケーションが大変なので」
すると、今まで無言だったアップルが彼を指さして目を見開いた。
「あっ、もしかしておじさんは、僕の好きな番組の前にやっている戦隊の敵役ジュバルツ=ブラックロー将軍だね!」
「妙に傷ついたが、その通りだ」
彼が頷くとアップルは瞳を輝かせ、彼の手をガッチリと握る。今まで子どもたちから嫌われた事しかなく、好かれた事がなかった将軍は嬉しさのあまり号泣してしまった。
「ありがとう少年よ、今この瞬間、私の苦労が報われた気がする」
「将軍が喜んでくれて、僕も嬉しいな。ところでお腹空いているでしょ、何が食べたい?」
彼の問いに将軍は渋い声で答えた。
「肉まん」
将軍はヨハネスの買ってきた肉まんをがつがつと貪り食べ、大きなげっぷをひとつすると、
「実に美味であった。感謝するぞ、ヨハネスにアップルとやら」
「それにしても、将軍さんは、どうしてこんな田舎の住宅街なんかにやって来たんですか?」
彼が訊ねたので、彼はどうして自分がここに来たのかをありのままに打ち明けた。それを聞いたアップルは大粒の涙を流して号泣する。頬を伝って落ちた涙が今度はクリスタルではなく、アクアマリンになった。
「僕の涙は感動や悲しみの度合いによって変化する宝石の色が変わるんだよ」
「そうなんだ……」
ヨハネスは冷や汗を流し答えるが、アップルの起こした奇跡を初めて目の当たりにした将軍は驚きを隠せなかった。彼は大きなアクアマリンを拾い上げ、それをしげしげと見つめ、
「信じられん。これは本物だ。まさかこの世に宝石の涙を流す事ができる人間がいたとは……やはり、事実は小説より奇なりという諺は間違ってはいないようだ」
感心したような表情の将軍を見たヨハネスは彼に口を開く。
「このことは誰にも話さないでくださいね。彼を狙う人が出てきたら困りますので」
ヨハネスが念を押すと、彼は真剣な瞳で頷き、
「きみたちには助けられた恩がある。私は悪役を演じ続けて長い事になるが、約束を破る外道になった覚えはない。きみたちが困ると言うのであれば、このことは一切口外しないでおこう」
彼の悪役とは思えぬ威厳と貫禄、そして誇りに満ちた態度に、どんな番組かを知らないヨハネスも、少なからず彼に対して敬意を払わなければならないと感じた。