アップルが起こす奇跡
海からホテルに帰ってきた博士は、帰り支度を始めた。この観光旅行は二泊三日であり、つまるところ、今日が最終日である。彼らはそこまで荷物を多く持っているわけではなかったので、ホテルを出るのにそれほど時間はかからなかった。旅は道連れとばかりに、アップルとフレンチも楽しかったらしく、予定を変更しホテルをチェックアウトして、彼らに同行することになった。
モノレールに乗って那覇空港へと向かう中、やはり美形揃いだけあって、乗客たちの視線を奪ってしまい、中には彼らに見惚れるあまり降りる駅を間違えた人までいたほどだ。ヨハネスとハニーはともかく、フレンチと博士は田舎暮らしなので、電車に乗ると言う経験があまりなく、ましてやそれがモノレール初体験ともなれば、上空から眺める景色がいかに彼らの胸を打つほど感動したかがわかるだろう。
空港についた彼らは小腹が空いたので、空港にある沖縄料理専門の食堂へ入った。
中へ入ると、自分たち以外客がいない事に気づいたヨハネスがポツリと言った。
「どうして毎回僕たちが来るお店はお客さんが少ないんでしょう」
「それは多分、お客さんが多いと食べる音や話し声で騒がしくなり、全く会話ができない事を心配した作者の思いやりだと思う」
「なるほど、これで昨日から考えていた謎が解けました」
「昨日から考えていたの!?」
驚愕するハニーとフレンチに、ヨハネスはコクリと頷いた。
『昨日から頭を悩ませる事なんだろうか……』
そんな疑問が彼らの頭を掠めるが、彼らはそれ以上気にしない事にした。
「ところで、何食べようか?」
博士の言葉にアップル以外は皆頭を悩ませる。
「沖縄で最後の食事ですからねぇ。最後の締めはやっぱり沖縄そばでしょうか」
「三枚肉入っているけど、大丈夫?」
沖縄そばを食べるというフレンチにヨハネスが心配そうに念を押すと、彼はハッとして、
「そうだった!はうぅ……食べたいのに」
彼が涙目になったのを見て、博士が三枚肉を食べると言い、フレンチは沖縄そばを注文する事にした。
「ヨハネス君は何を食べるのかな?」
「僕は全メニューです」
「「全メニュー!?」」
「どうせ食べるなら全メニュー味わいたいですから」
ニコッ微笑むヨハネスの発言に、アップル以外は彼の胃袋に戦慄を覚えた。
「ヨハネス君、全メニューはさすがに多いと思うんだけど……」
博士が彼の注文をやめさせようと説得を試みると、彼は顎に手を当てて思案し、
「それじゃあ、沖縄料理二十品にします」
「うん、それがいいね」
博士は少し冷や汗を流して答えた。さすがにあの食べっぷりを何度も見ては食欲が落ちてしまうと思っていたのだ。ハニーはフレンチと同じ沖縄そばを注文する事に決め、博士はソーメンチャンプルーが食べたいと言った。まだメニューが決まっていないのは、店に入ってから一言も口を聞いていないアップルだけになった。
「アップル君、きみは何が食べたいの?」
ヨハネスが訊ねると、彼はメニュー表を見て眉を八の字にして考え込んでいるようだった。
「ゆっくり時間をかけていいからね。時間はたっぷりあるから」
飛行機は午後五時に出発するため、まだ十分すぎるほどの時間があった。彼は暫く、悩んでいるようだったが、ついにメニューが決まったらしく、口を開いた。
「僕、これが食べたいな」
彼が選んだ料理はアグー豚を使ったトンカツ定食だった。
彼の選んだメニューにフレンチは青ざめていたが、何はともあれ全員が注文するメニューを決めたので、博士は早速従業員を呼んでメニューを注文した。
そして料理が運ばれてきて、みんな美味しそうに食べ始めたが、なぜだかアップルだけが料理に口をつけようとしない。
一体何があったのかとヨハネスが彼の顔を覗き込むと、彼は思わず息を飲んだ。
なぜなら、アップルの瞳から一筋の涙が流れ落ちたからだ。
その涙は彼の頬を伝い、テーブルに落ちる瞬間になんと、美しく光り輝くクリスタルに変化した。
「アップル君、どうして泣いてるの?」
真っ先に口を開いたのはハニーだった。彼女にとっては彼の涙がクリスタルに変化した事などどうでもよく、ただ泣いている彼が可哀想で仕方がなかった。
彼はリンゴの刺繍のついたハンカチを取り出して目元を拭い、自分の周りに落ちたクリスタルを拾い上げ、右隣に座っているフレンチの掌に渡した。
「コレ、食事代だよ。僕はクリスタルパールの涙を流す事ができるんだ。だから、これで食事の料金を払ってもらおうかなと思って、泣いてたんだよ」
「そのために泣いてたの!? と言うよりきみ、ほんとに人間?」
フレンチの問いに、彼はいつものようにコクリと頷く。
フレンチが彼を半信半疑の瞳で見つめると、アップルはその澄み切った美しい瞳で彼を優しく見つめて口を開く。
「フレンチ君、実は昨日、ヨハネス君から聞いたんだけど、豚肉が嫌いってホント?」
「う、うん。そうですけど……」
「フレンチ君は、どうして豚肉が嫌いなの?」
「豚肉アレルギーですからね。豚を見るだけでゾッとして、嫌な気持ちになるんです」
「……それはすごく辛いだろうね。僕もチーズアレルギーだから、気持ちはよく分かるよ。そうだ、いい機会だから、ちょっと豚肉くんにきみの事をどう思っているのか聞いてみようかな」
彼はニコニコと微笑み、既に調理された存在であるトンカツに話しかけた。
「ねぇ豚肉くん、きみはフレンチ君の事をいつもどう思っているの?」
『彼、トンカツなんかに話しかけて、バカなんじゃないの?』
フレンチが心の中で毒を吐いたその刹那、信じられないほどの“奇跡”が起きた。
「そうだな、敢えて言わせてもらうなら、弱虫野郎だな」
トンカツが載っている皿にデフォルメされた手足が生えてきて、そんな事を口走ったのだから、博士たちは全員三十センチほど飛び上がって驚いた。
「鶏肉が大好きなだけに弱虫野郎ですって!?」
フレンチは擬人化したトンカツの言った言葉に激高し、彼渾身のギャグで返したが、トンカツはウンともスンとも言わなくなってしまった。
何が起きたんだろうと見てみると、アップルが起こした奇跡の効果は消えており、今はただのトンカツになっていた。
するとアップルがすまなそうな顔で、
「ごめんね。本当はもっと豚肉くんの本音を聞いてみたかったんだけど、僕お腹空いちゃって……食べてもいいかな?」
「いいよ。だってきみの注文した料理だもの」
左隣にいたヨハネスが口添えすると、彼は嬉しそうにトンカツを食べ始めた。
「豚肉くんだって、元は生きていたんだよ。彼の捧げてくれた命を僕たちは食べて生きているんだ。感謝するのは当たり前だよね」
「いいこと言うね、アップル君」
博士が彼を誉めると、彼は首を振って、
「僕は当たり前の事を言っただけです」
そう言いつつも、彼は少し頬を赤らめて照れていた。その様子をフレンチは隣で少し不満げと言った表情で眺めていた。
『そういえば、博士は最近僕の事を褒めてくれないような気がする。ハニーさんやヨハネス君やアップル君は褒めてくれるのに、どうして僕だけ褒めてくれないんだろう』
彼は少し憂いを帯びた表情で博士を見つめた。すると博士は彼の気持ちに気づいたのか、口を開いた。
「フレンチ君、最近寝不足かね。なんだか眠たそうな表情しているけど」
「あなたは、僕が言いたい事を見抜けないんですか」
「ハハハハハハハ!何を言い出すかと思えば、そんなことかね。そんなのはとっくの昔に見抜いているよ。きみが瞳を通して私に伝えたい感情、それは……『私の事を愛してる』だろう?それ以外の事をきみが考えているとは思えないからね」
彼はいつものように瞳に冷酷な光を宿し、天使の微笑みを浮かべ、思いっきり博士の頬を張った。
「全く、あなたはどれだけ変態だったら気が済むんですか!」
「すみません……」
☆
アホ毛、それは頭部から一本まるで触角のように飛び出した髪の毛の事である。
そして、ここにもアホ毛を持つ少年がいた。彼の名は、アップル=ガブリエル。
彼は金髪の長く見事にカールしたアホ毛を生やしていた。このアホ毛と言う毛は、漫画などでは時に凶器としても使用される事があるという摩訶不思議な髪の毛である。ちなみに、この小説に登場している人物の中でアホ毛を生やしているのは現在彼ひとりであるため、とてもよく目立つ。
彼のアホ毛は一体どのような用途で使われているのだろうか、博士をひっぱたいた後、フレンチにとって、それが気がかりで仕方がなかった。
『アホ毛が生えていると言う事は、彼はもしかするとアホの子なのかも知れませんね』
そんな仮説をたて、彼がフレンチの苦手としているトンカツを食べ終わるまで待つことにした。アップルが食べ終わったのを確認すると、フレンチは早速アホ毛について訊ねて見た。
「きみのアホ毛って何か意味があるの?」
この質問に、彼はおかしかったのだろうか、愛くるしい顔でクスクスと微笑む。
「引っ張ってみれば分かるよ」
彼がそう言ったのでフレンチは立ちあがり、彼のアホ毛を引っ張ってみた。
すると次の瞬間、彼の両の瞳から金色の光線が放たれ、食べかけのヨハネスの皿の料理に直撃した。しかしながら見た目にはなんの変化もない。どうやらこの光線には殺傷能力はない事が判明した。
フレンチが驚いてアホ毛から手を離すと、彼の瞳から金色の光が消え、綺麗なコバルトブルーの色の瞳に戻る。そしてアップルはヨハネスに言った。
「食べてみてごらん」
ヨハネスはその言葉に何のためらいもなく食べてみる。すると、
「おいし~い!」
彼は瞳を輝かせ柔らかいもち肌を両手で押さえて歓喜の声を上げた。
その様子を見た彼は、
「僕の瞳から発射される光線には、食べ物の美味しさを最大限に引き出す効果があるんだよ」
『一種の調味料みたいなもんですね』
フレンチは破壊光線でも放たれたかと思いヒヤヒヤしていたので、ホッと胸をなで下ろし再び席に着いた。