07夢:亡国の小さき妖精姫
次の日の朝、俺は目が覚めて体を起こした。ふっかふかのベッドに、天蓋つき。まさに大金持ちの家みたいな感じだ。ていうか、おかしい。いつもなら、起きたら目の前にさや姉の柔らかい笑顔や、真夢のイラついた顔があるはずである。それなのに、周囲を見ても誰も居ない。その上、見たことの無い家具が多く置かれている。箪笥や鏡や机なども、俺の物とは違う。
「あ、……おはようございます、ユーマ様」
声をかけられそちらを向けば、そこには金髪に碧色の双眸をした少女の姿があった。見るからに高貴な雰囲気が漂っていて、その気品溢れる姿はお姫様というに相応しかった。
「生徒会長――じゃなくって、アンナ姫。おはようございます」
「ええ、おはようございます」
思わず俺は生徒会長と呼んでしまった。というのも、彼女リリアンナ・ビュー・サイーク・ウェスガティークル姫殿下は、俺の夢の中で出てくる登場人物なのだ。だが、その登場人物の大半は、俺のよく知った人物で、アンナ姫も現実では私立西園条学園の生徒会長をしている高等部三年生の西園条杏那として生活している。
「朝食の準備が出来ています。それから、イブシさんから連絡がありました。装備一式が準備出来たのでこちらの準備が整い次第、来てほしいと……」
「はい、了解です!」
元気よく返事をした俺は、キリッとした表情で敬礼をし、朝食へと向かった。
朝食を食べ終えた俺は、アンナ姫とグレゴリスと共にイブシさんの営業している鍛冶屋へとやってきた。
「おはようございます、イブシさん」
「ん? あぁ、よく来たな坊主。ほれ、お前さんの新しい装備一式だ!」
俺の挨拶に軽く返したイブシさんは、少し気怠るそうにしながら道具を置いた。とってもピカピカに磨き上げられたそれらは、まさに新品で、照明の光に反射してキラキラと光っていた。
「き、着てみていいですか?」
「ったりめぇだろ! そもそも、こいつは坊主のために作ったもんだ……お前さんが着なかったら元も子もありゃしねぇ。ほら、そっちで試着しろ!」
そう言うと、イブシさんは散らかっていた道具を適当に片付け始めた。
渡された防具を手に持つと、見掛けに寄らずそれらはそんなに重くなかった。だが、強度はしっかりしていそうだ。コンコンと叩いてみると、金属特有の音が周囲に木霊した。
とりあえず上の甲冑を着用し、次に下の甲冑、それから腕や足など関節付近にも甲冑をつけていった。最後に昨日見せてもらった軽い長剣を腰に提げて、着替え終了である。
その姿を見た姫様は、目をキラキラ輝かせて口を開いた。
「とってもカッコいいですよ、ユーマ様! 王国騎士団ウェスガルディアの復活です!!」
余程嬉しいのだろう、その場で軽くジャンプする姫様は、まるで幼い子供のようだった。
「姫、あまりはしゃがないでください。民に見つかる訳には行きません」
「わ、分かっています……」
グレゴリスの指摘に、少しシュンと気を落とすアンナ姫。確かに今国民の気は昂ぶっている状態だ。下手をすれば、姫様達も教われかねない。
とにもかくにも、今は一刻も早く仲間を見つけ出さないと!!
そう意気込んでいたその時である。
「きゃあああああああ! 誰か、誰か助けてぇ!!」
どこからともなく悲鳴が聞こえてきた。声からして恐らく女性だ。確か、話によれば女性の殆どは大魔帝国によって連れ去られたらしいが……まだ残っていたのか。もしかすると、それを知った帝国の敵が、また襲ってきたのかもしれない。早く助けなければッ!!
俺は鍛冶屋から飛び出すと、悲鳴の聞こえる方へ駆けた。
と、後方から声がかけられる。
「ユーマ・ライティリティ!! 貴様、戦えるのか!?」
それはグレゴリスだった。王国警備隊として、一国民を守るのは当たり前といえる。それに、騎士団がいない今、国民を守る事が出来るのは彼らだけだ。
「一応出来るだけの事はやるつもりです!!」
「ふッ、その意気だけは買ってやろう! まぁ、この俺が加勢するからには誰にも負けはせんがなッ!!」
そう言ってグレゴリスは背中に背負っていた大剣を抜き取ると、軽々しく片手で構え、俺より先に目的地へ向かった。俺も負けじとその後に続く。
目的地に着いた。場所は王国から少し外れた森の近く。どうやら、襲われた女性は、森で果物などを収穫していたらしい。その証拠に、彼女の近くにはバスケットが転がっていて、その中からリンゴなどの果物が零れていた。
「た、助けて!」
「待っていて下さい、今助けますからッ!!」
俺は、腰に提げていた剣を抜き取った。まだ試し切りも何もしていないが、恐らく切れるだろう。そう信じて、俺は剣を握る。
【グルルゥウウ!!】
大きな獣だ。醜悪そうな顔には、黄色く光る双眸があり、俺を激しく睨みつけている。今にも襲い掛かってきそうな雰囲気だが、隣には心強い味方であるグレゴリスがいる。
「いきますよ、グレゴリスさん!!」
「俺に命令するなぁッ!!」
俺達二人は、片足を強く踏み込んで前方へ進んだ。それから各々剣を振るった。
【ギャウゥウッ!!】
少し浅かったか……。だが、切れ味の程は確認出来た。確かにこの剣はとても軽くて、俺にも扱いやすい。しかし、その分剣のパワーが不足している気がする。
と、俺とグレゴリスが一撃をそれぞれ加えた直後に、またグレゴリスが一撃を加えた。
「ユーマ・ライティリティ!! まさか、先ほどの一撃でもう体力が尽きたなどとはほざくまいなッ!? 敵はなかなかに厄介だ。肉厚な分、心臓まで貫けんッ!!」
珍しくグレゴリスが少し弱腰なセリフを口にした。確かにあの贅肉は邪魔だな……あれをどうにか削ぎ落としたいが……それにはこの剣だけじゃ力不足だ。
ふと後ろを見やると、足を怪我して立てなくなっている女性が、恐怖で体を震わせながら俺達の勝利を切に願っていた。
この女性を助けたい。そのためには、ここで負ける訳には……いかないッ!!
そう強く願ったその時だった。何かが俺の体の内から出る感覚を感じた。
――な、何だ……この、感覚!? お、俺は……これを、知ってる?
震える両手を見て、俺はもう一度自分の装備品を確認した。そういえば、何かを忘れていないか? 仲間も大事だ。だが、それ以外に俺はよく使っていた武器があったはずだ……。
と、そこで俺は名前を思い出し、口にする。
「……ライティリング」
瞬間、空間が裂け、そこから一本の大剣が姿を現した。俺はそれを目にした瞬間、無意識に手が伸びるのを感じた。
「ッく!? ユーマ・ライティリティ!! な、何だそれは!?」
俺の周囲で起きている摩訶不思議な出来事に、動揺を隠せない様子のグレゴリス。そのせいか、少し苦戦しているようだった。これはすぐに加勢しなければならない。
だが――。
ズンッ!
「うッ……!?」
凄まじいまでの重量が、俺の片腕に負荷をかけた。あまりにも重過ぎて、俺はそれを振るうどころか持ち上げる事さえも敵わない状態だ。おかしい、確かこれはユーマが当たり前のように振るっていたはずだ。それが俺に持てないって……本人じゃないからか? 俺が夢の世界の住人じゃなくて、現実世界の住人だから?
とにかく、こんな状況では動くに動けない。どうする? 捨て置くか? でも、こいつはユーマ……俺の相棒の剣だ。捨てる訳には……いかない。
そこで俺は、さっきまで使っていた軽い長剣を鞘に納めると、両手で大剣の柄をギュッと握った。すると、大剣の鍔に埋め込まれていた蒼玉が光り輝き、鞘に納まっていた大剣が抜けた。
「おい、急げユーマ・ライティリティ!! こいつを一人では抑えきれんッ!!」
「分かってますッ!!」
俺は歯を食いしばって大剣を持ち上げた。同時、俺の両手から体全身に力が漲るのが伝わった。
――これなら、いけるッ!!
謎の確信を持った俺は、勢いよく剣を振るいながら叫んだ。
「グレゴリス、どけぇええええええええええええええええ!!」
叫びが聞こえたグレゴリスは、慌ててその場から退いた。
刹那――。
ビュゥゥンンッ!!
俺の振り下ろした大剣から伸びた重い衝撃波の一撃は、モンスターを一刀両断し、大地に裂け目を作ってしまう程の破壊力を見せた。
「はぁ……はぁ……んだよ、これ。一体、何なんだこの大剣……」
何だか分からないが、酷く疲れを感じた。でも、これなら他にもモンスターが出てきても大丈夫だろう。しかし、一つだけ俺は気がかりな事があった。それは、一撃放っただけで起きた酷い疲労感である。今までユーマでいる時にそんな感覚を感じた覚えは無い。
つまり、俺自身の時にこれが起きた。だが、逆にユーマの時にこれほどのパワーを見せた事はない。……この剣、一回見てもらった方がいいのかもな。
そう考えた俺は、剣を鞘に納めて空間に戻した。はっきり言って戻し方は見よう見まねだ。だが、成功したのだからこれで合っているのだろうと、適当に考えた俺は、気を失っている女性に駆け寄った。
「どうやら、死んではいないみたいです」
「当然だ、もしも殺してしまっていたら、我々は姫様に会わせる顔がない。貴様は、その方を担げ、俺はこの果実を回収する」
「わ、分かりました」
勝手に役割を割り当てられた俺は、言われた通り、女性をおぶった。
グレゴリスの方を見やれば、既に果物を回収し終わって肩に担いでいる状態だった。
「よし、準備は整ったな。戻るぞ……」
「はい」
大量の泡を発生させながら消えていくモンスターを一瞥し、俺はグレゴリスの後に続いた。
「ありがとうございました……」
モンスターから命を救った俺とグレゴリスは、女性とその夫と思われる男性にお礼を言われていた。
「あ、いえ……。ですが、今後は果物の回収には気をつけてください」
「はい、ありがごうとざいます」
俺の忠告に再び頭を下げた両者は、この場を後にした。これが、先日俺に絡んできた国民と同じ国に住む国民とは思えない。
だが、もしもあの場で助けられていなかったら、この場にいる男性の態度は180度ガラリと変わっているだろう。きっと、俺に殴りかかってくることだろう。
……やはり、どうしても信じられない。あのミサキさんが、こんな国民が苦しむ姿を見たがる様には思えない。この真偽を確認するためにも、早く騎士団メンバーを全員見つけて大魔帝国を倒し、ミサキさんとどんなかかわりがあるのかを問い詰めなくては!!
今一度決心した俺は、拳を握って空を見上げた。
「ユーマ様、ついに行かれるのですね?」
アンナ姫が少し名残惜しそうな顔をして問う。
「はい!」
「気をつけろよ、坊主」
イブシさんが鼻の下を人差し指でこすりながら言う。
「あ、イブシさん。一つ見てもらい物があるんですけど、いいですか?」
「ん?」
そこで俺は先ほどの一件を思い出した。その事にグレゴリスも気づいたのだろう。
「そうだ! あの時の一撃……あんな剣を持っていたなど、知らなかったぞ、ユーマ・ライティリティ!!」
「いや……俺も少し忘れてて」
「剣だぁ? 一体、何を……ッ!?」
と、言うが早いかイブシさんが目を見開いて俺の両肩をガシッと掴んだ。
「……坊主、お前さん……どこで、そいつを手に入れた!?」
「え? えと確か……」
俺は残っている記憶を振り返ってみた。確か、この大剣――ライティリングはキムさんから貰ったものだ。元々誰かに送り届けるものだったそうだが、その相手がいなくなったから持て余してたとか……。
それをイブシさんに説明すると、彼は信じられないというように目を泳がせ、片方の手で頭を押さえて言った。
「ユーマ、もしかすっと……お前さんはとんでもない物を手に入れちまったかもしんねぇぞ」
そう言うイブシさんの顔は、畏れを抱きつつも笑っていた。末恐ろしい人だ。畏れさえも楽しく感じれるのか……この人は。
しかし、イブシさんの話を聞いた俺はというと、凄くこの剣を手放したい気持ちになっていた。緊張で喉が渇き、唾液を飲み下してそれを湿らす。
「俺、死ぬんですか?」
「いいや、死にゃしねぇだろうが、襲われはすっかもな……まぁ、そいつがあれば楽に勝てると思うぜ?」
少し消極的になっている俺に対し、やけに自信満々なイブシさん。それほどこの剣は凄いのだろうか? 確かに、なかなかのパワーを誇っていた……それは認める。だが、果たして俺に使いこなせるだろうか?
そんな不安が俺を飲み込む。
と、その時、だった。
「ユーマ様、朗報ですよ」
アンナ姫が明るい笑顔で俺に微笑みかけてくれた。その笑顔に、少しだけ俺の不安は拭われた気がした。
姫様は続ける。
「何でも、この森の近辺に盗賊団が出るそうです」
「いや、それ朗報じゃなくて悲報じゃないですか」
やけに嬉しそうなので、どんないい情報なのだろうと期待していれば、話されたのはただの危ない情報だった。
俺が半眼でそう言うと、姫様は少し不服そうにこう言った。
「もう、ユーマ様? 人の話は最後まで聞くように! ……ですよ?」
そう言われて、俺は目を見開きハッとなった。今の言い方は、生徒会長の言い方にそっくりだ。そう思うと、何だか少し懐かしく思えて、俺はジ~ンとなってしまった。
「……っく」
「そ、そんな泣く様な事ではないですよ! わ、私はただ注意をしただけで」
「す、すみません……少し、昔の事を思い出して」
「そ、そうですか……」
俺は人差し指で涙を拭い、すぐに気持ちを切り替えた。
「それで、朗報というのは?」
「はい、その盗賊団の一人にこんな情報があるんです」
アンナ姫がその一人の説明をくれた。その人物は、俺と大差ない年齢で、二本の短剣を用いて戦うらしい。しかも能力者で、身体能力の中でも速度系らしい。これらを聞いて、俺は一人の身近な人物が想像出来た。
「……ま、まさか……ゆ、ユウヤ?」
恐る恐る俺が該当する人物の名前を口にすると、アンナ姫が口元を緩ませてこう言った。
「やはり、ユーマ様も思いますか? この盗賊団に所属している方の特徴は、明らかにユウヤ・ポローニィアと合致しています。十中八九、同一人物で間違いないでしょう」
「では、俺はユウヤを……この盗賊団を探せばいいんですね?」
「はい! ……それと、もう一つお願いが……」
少々申し訳なさそうにしながら、姫様が上目遣いに俺を見てくる。何だろう、嫌な予感がする。ていうか、つい最近にも似たような体験をした気が……。
そう思っていると。
「この盗賊団を全員捕まえてほしいんです」
――やっぱり生徒会長だぁあああああああああああああああああ!!!!
やはり現実世界と夢の世界に出てくる人物は性格は違えど、全てが違うという訳ではないらしい。
でも、ユウヤを仲間に引き戻すついでと考えれば、丁度いいかもしれない。
「わ、分かりました……なるだけ、頑張ってみます」
「あ、ありがとうございます、ユーマ様!! 馬は用意してありますし、寝床が無い場合の屋外用寝具も用意してありますし、僅かばかりではありますが、金貨もご用意していますので、機会があればお使いください! 王国内には、まだユーマ様をよく思っていない方もいらっしゃいますが、飲み屋『グビグビ・パラダイス』と宿屋『イチャイチャ・グッスリー』……後、料理屋『モグモグ・グルーメ』の三軒は味方ですので、お使いください」
……うん、ネーミングセンスなさすぎな店名はともかくとして、とりあえず寝床や栄養補給などが出来る場所があるのは助かる。でも、それはあくまで王国内にいる場合のみだ。
王国外に行く場合は、自分で調達するしかないな。後は、用意して行くか……。
「食料も一応、用意してはありますがそんなにたくさんはございません。大魔帝国に襲撃されて、作物の殆どはなくなってしまいましたので……」
「いえ、これだけしてもらえただけでもありがたいです。ありがとうございます、アンナ姫」
頭をかきながら、俺はペコリ姫様にお辞儀をする。
と、アンナ姫の隣に立っていたイブシさんが、パイプを噴かし口から紫煙を吐き出しながら言った。
「ユーマ、剣や防具の整備なら俺に任せとけ! 後、騎士団の連中が、もしも防具なんかを失くしちまってた場合も来な! 一日で作ってやっからよ!!」
「あ、ありがとうございます、イブシさん!!」
本当に優しい人達だ。彼らのためにも、俺は期待に応えて騎士団を復活させたい。
そろそろ、旅立つか……。
そう意気込んでいると、俺が先日国民に襲われそうになっていた所を助けてくれたナティリスが、馬を連れてきてくれた。それも、二頭も!
「二頭もいいんですか?」
「はい! この二頭は双子なんですよ? それも、ミサキ様の使っていた馬の子供です」
「――ッ!?」
さらりと口にする姫様の言葉に、俺は驚愕した。この馬がミサキさんの乗っていた馬の子供!? し、しかも双子とか!! ……何か、その内真夢が出てきそうな雰囲気だな。
頬をかきながらそんな事を思う俺。
「お気をつけ下さい、ユーマ殿!」
「はい、ナティリスさんもお元気で」
「か、感激であります!!」
「それじゃあ、アンナ姫! 皆も、必ず騎士団の皆を連れて帰ってきます!!」
そう言い切ると、俺は馬の手綱を引いた。ヒヒ~ンッ! と、馬が大きく嘯いて上半身をあげ、前足二本を激しく動かす。
それから前足二本を地につけるや否や、猛スピードで城下町を駆け抜けた。
後ろをふと見やれば、もう一頭の馬も負けじと追いかけてきている。さらに後方を見ると、アンナ姫が大きく手を振って俺を見送ってくれている姿があった。
しばらく馬を走らせた頃だろうか。俺は一つの噂を耳にしてある場所へ向かっていた。
噂の内容はこうだ。
ウェスガティークル王国領土内の近隣の荒地で、奴隷市場が開かれている。そこには何体もの奴隷がいるらしく、中には物凄くレアな奴隷もいるとのこと。もしかすると、ケモッフル共和国の子もいるかもしれない。
そんな話を聞かされれば、行かない訳にはいかない。奴隷なんてそもそも許しておけないし、何よりもケモッフル共和国では何やかんやでお世話になった恩がある。
俺は、猛スピードで馬を走らせ、目的地近くの川で二頭の馬を休ませた。
「これでよし」
手綱を木に括りつけた俺は、しっかりと取れない事を確認してから奴隷市場へ向かった。
奴隷市場には、顔や体を隠してでないと入れないらしい。恐らく、訪れた客の素性が割れるとマズイ事があるのだろう。中には、お偉い方とかも訪れるかもしれないしな。
俺は、行きがけに使っていたローブを使う事にした。これならば素顔もフードをしている事で見えないし、大丈夫だろう。
と、ようやく入り口へやってきた。
「いらっしゃいませ、お客様。本日はどのような奴隷をお求めに?」
やけに明るい店員だな。いや、そもそもこういう場所の場合って店員っていうのかな?
俺に気さくに話しかけてきたのは、一人の少女。長い黒髪を背中辺りまで伸ばし、顔には仮面舞踏会のような仮面を装着している。格好はまるで女王様のような黒光りしているレオタードに網タイツ。
「え、ああ……えと、と、とりあえずどんな子がいるのかな~って」
「なるほど、それではごゆっくりご見学ください……」
「あ、ありがとう」
そう言って少女は俺を通してくれた。ふぅ、とりあえずの第一関門は突破かな?
と、俺が案外簡単だなと油断していると。
「お待ちください、お客様!」
――ギクッ、気づかれた!?
俺が冷や汗を流しながらその場に立ち止まると、先ほどの少女が俺の前にやってきて、上半身を倒して顔を覗きこんできた。
それから少女はニッコリ笑んで一言。
「仮面をお持ちでいないようですから、こちら……よろしければどうぞ?」
渡されたのは、少女が着けている仮面に似た物だった。
「いいの?」
「ふふっ、だって……お客様、かわいいんだもん……結構、私好みかも♪」
ペロッと舌なめずりし、俺の顎に人差し指を添えてくる少女。
「は、はぁ……」
「実はね? 私も一応……購入できるんですよ? よろしければ……いかがです?」
そう言って人差し指で頬を押し、ウィンクする少女。
「は、はは……か、考えておくよ」
俺は少女のアピールに慣れておらず、乾いた笑みを浮かべて曖昧な返事をしておいた。
「うふ、よろしくねぇ~」
だが、少女はそれでも乗り気のようで、俺に手を振りながら愛想を振りまき続けた。
とにかく、中には入れた。仮面も手に入れたし、素性は一層分かりにくくなったはずだ。
さて、問題は入ったけどどこに行こうかな?
しばらく近辺を見渡す俺。すると、より一層人通りが多い場所を見つけた。結構な人だかりが出来ているそこへ向かうと、買い手達の興奮気味の声が聞こえてきた。
「素晴らしいッ!! 見ろ、あれは殺戮傭兵部隊で有名なヴァーミティ一族だ!! あの綺麗な緋色の髪の毛……間違いないッ!!」
「確かに、あの殺気に満ちた表情もたまりませんなぁ!」
「さっすが、殺戮傭兵部隊なだけあるわね! きっと、あの髪の毛も血に染まっているのかもしれないわ!! きゃはははは!」
何とも虫唾が走る人間達だ。同じ人間でありながら、人間を人間として扱っていない。捕らえられているヴァーミティの女の子も、すっかり衰弱しているようで血行が良さそうではない。服もまともな物を着せてもらえておらず、髪の毛もボサボサだ。
四肢には重々しい拘束具が取り付けられて、自由に動く事もままならないように思える。
と、買い手の人々は、手に羽箒などを持って少女の無防備な脇腹や太腿を撫でた。
「ひぅんっ!?」
少女は小さな悲鳴をあげて体を震わせた。恐らく、くすぐったいのであろう。だが、逃げ惑う事は敵わない。何故なら、両腕が拘束具で吊り上げられているからだ。あれでは無防備な脇腹を防御する事は出来ない。
あまりにも理不尽だ。
「……はぁ、……はぁ」
なんとももどかしい苦痛を与えられる事数分、少女は大量の汗をかき、呼吸を乱していた。あれは地味な拷問だ、俺ならすぐにでもこの苦痛から逃れようと自害するかもしれない。だが、もしかすると奴隷商人にそれを許さぬように施しがされている可能性もある。
彼女を助けてやりたいのはもちろんなのだが、あの人数相手に一人というのは、いくらなんでも無茶だ。俺は歯がゆい気持ちになった。
「おいおい、あまり私の娘に手をあげないでくれ……」
自分の子供でもないクセに、丸々と太った男はわが子を守るように言って手を叩いた。
瞬間、周囲の気温が急激に下がった気がした。
思わず身震いして何事かと周囲を見渡せば、どこからともなく一人の女性が姿を現した。
「何か御用で?」
何とも冷たい態度だ。凍てつくようなその口調はもちろん、彼女のその真っ白な肌は、まるで雪国育ちであるかのようだ。
「相変わらずお美しいですなぁ~レイ殿。全く、出来ればあなたを買いたいくらいですよ、ヒョホホホ」
「またご冗談を。いくらなんでも……殺しますよ?」
仮面を着けていて顔はうかがえないが、あの全くあがらない口角を見る限り、彼女は余程ポーカーフェイスなのだろう。しかも、サラッと口にする恐ろしい言葉。
「おやおや、これは恐ろしい。それでは、早く買い物を済ませましょう。このヴァーミティの子をいただけますかな?」
「……毎度。他には?」
抑揚の無い一言。男は、少し彼女との温度差に動揺しつつ、「これだけで」と言うと、指を鳴らした。すると、彼の隣にもう一人スラリとした男性が姿を現した。丸々太った男とは対照的に、物凄くやせ細った体格をしている男性。
と、彼は懐から何かを取り出した。
「こちら、金貨一万枚になります」
そう言って男性が麻の袋に入ったお金を渡す。それを受け取った女性は、お付の少女にそれを手渡す。すると、両手でお金を受け取った少女の両腕が、いとも簡単に取れたではないか! まるで、人形のように!!
『――ッ!?』
それを目撃した俺を含めた面々は、一斉に声を詰まらせた。本当はあの少女は人形なのではないか? 動いていたが、実は自動人形の類なのかもしれない……。
そう、思いたかった。だが、俺達の願いは虚しく少女の肩口からは、真っ赤な鮮血が迸った。しかし、当人は悲鳴一つあげない。まるで既に死んでいるかのようだった。
「……くす、どうやら一万枚あるみたい。こちらの奴隷は、お客様に差し上げます。どうぞ、こちらが鍵です」
今までずっと無表情だった女性は、お付の少女の哀れな姿を嘲笑うかのように小さく笑い、男性に黒い鉄の鍵を渡した。
「そ、その子は?」
「ああ……こちらで始末しておきますので、お気になさらず。さぁ、彼女を解き放ってあげて下さい」
本当に冷酷な人だ。用済みとなれば、すぐに廃棄処分……これが奴隷商人のやり方なのだろうか?
俺はどうにも納得がいかなかった。
「ニョホホホ、これでまた一人私のコレクションが増えますねぇ~。さぁ、おいで~私の愛しい娘よ――」
ズブンッ!!
まさに一瞬であった。丸々太った男性がヴァーミティの少女を解放した途端、少女が待ってましたとばかりに拘束具付きの腕の片方を、男の心臓部に突き刺したのである。普通ならば、ありえない。だが、まるで少女の腕が凶器であるかのように男性の心臓部をくりぬいている。
ブシャアアアア! と、真っ赤な鮮血が周囲を血の海に変える。
「きゃあああああああああ!!」
「き、貴様……よくも旦那様をッ!!」
金貨を支払った男性が、少女を捕らえようと肉薄した刹那である。
「私に……近づくなっ!!」
小さくではあるが、ハッキリとした物言い。その少女の言葉の後、男性の体が大爆発を起こし、少女を捕らえていた牢屋の檻が破損した。そして、その折れた檻が鋭利な棒状の凶器となり、周囲の男女を襲った。
「ぎゃあああああああ!!」
「ぐわぁああああああああああ!!」
「いやぁああああああああああああああ!!」
凄惨な地獄絵図と化す奴隷市場。だが、俺は何故だかスカッとした気持ちになっていた。人を人と思わない、クズな人間だ。確かに、だからといって死んでいい理由にはならないだろうが、これで少しは少女の報いを知っただろう。
だが、同じく近場にいた女性は全くの無傷だった。何故なら、彼女の周囲に氷の防壁が形成されていたからである。
「……くす、お痛が過ぎたね、あなたはもう少し調教が必要みたい」
そう言うと、女性が指を鳴らした。瞬間、二、三人の少女が姿を現す。しかも、全員首輪をしており、目隠しを巻いている。
「……さぁ、レイの部屋へ運んで」
その命令に、少女達は口を開くこともなくただ頷いた。逆に、捕らえられたヴァーミティの少女は顔面蒼白であがいた。
「や、やだ! 行きたくない!! あんなトコへは!! いや、いやぁあああああ!!」
「……くす、凍てつくような拷問を味わわせてあげる」
小さく笑った女性は、これから行う事を想像して楽しそうにしながらこの場から姿を消した。
「ふぅ……行ったか」
壁に体を密着させ、誰も居ない事を確認した俺は、再び歩き出した。にしても、他の奴隷はどこにいるんだろう?
なるべく死体から目を逸らしつつ、俺は歩を進める。
と、どこからか声が聞こえてきた。
『助けて……』
可愛らしい、女の子の声だった。どこか声が掠れているのは、体力的に限界が近いからという事だろうか?
そう思って声がする方へ歩いていく。しかし、どこにも人は見当たらない。と、屋内へ続く建物にやってきた。この中にいるのだろうか?
「ご、ごめんくださ~い……」
恐る恐る小さな声で挨拶をした俺は、扉をゆっくり閉めて奥へ。
ここにも何人もの奴隷がいた。しかし、皆ぐっすりと眠っている。何か薬か何かで眠らされているのか?
足元を見ると、展示されている奴隷の子の詳細が書かれてあった。
それを見て俺は納得した。ここには特に凶暴な性格の奴隷が入っているらしい。調教中以外には眠らせておかないと、体力の続く限り暴れるそうだ。なので、買い手もそうそうおらず、売り手もなかなかの安値で売るみたいだ。現に、値札は金貨百枚くらいだ。ちなみに、金貨だが、俺もアンナ姫に渡されている。金貨一枚は、現実世界で百円相当。つまり、金貨百枚となると現実世界で一万くらいになるのである。
『お願い、早く……来て』
少女は酷く疲労しているようだ。これは早くしないと!!
俺は眠っている子達を起こさないよう、抜き足差し足忍び足で奥へと向かう。と、ここで階段を見つけた。それをあがっていき、黒いカーテンをどかしてさらに奥へ進み、ようやく……声の主と思われる少女を見つけた。
今までの誰よりも厳重に拘束されており、口にはマスク、目も目隠しをされ、頭部にはいくつもの電極、両腕両足には拘束具、首にも首輪がされていた。おまけに、この少女はカプセルの中に閉じ込められていて、口のマスクにチューブがされている事で息が出来ている状態だった。
「た、助けに来たぞ!! お前だよな、俺を呼んだのは!!」
『……来て、くれたの?』
カプセル内の反応はないが、声は確かにした。これって、もしかして……俗に言うテレパシーみたいなやつか?
と、そこで俺は彼女の耳元を見てハッとなる。
「その耳……お前、人間じゃないのか?」
『う、うん……わたし、フェアーリ族とピクシリア族のハーフで妖精なの。今は亡き小国の姫君だったんだけど、滅びちゃって……路頭に迷っている所を襲われて』
「それで、奴隷になっちまったのか……」
フェアーリ族とピクシリア族のハーフで、亡国の姫君か。国を失った上に奴隷とか、可哀想すぎる!
ついつい同情してしまった俺は、一刻も早くこの子を助けてあげたい気持ちになった。だが、どうすればいい? いっその事、この子を買ってしまえばいいんじゃないか? ありがたい事に、お金ならある。問題は彼女がいくらするかだ。
俺は、ふと彼女の値札を探した。そして、見つけた。しかし、暗がりのためか少し見辛い。
と、俺が値札を見るのに苦労していたその時。
「彼女は金貨百六十五万枚でお売りいたしますよ? 侵入者さん」
突如周囲の気温が下がる。同時、俺の背筋にゾクゾクと戦慄が走る。
「……あ、あなたはさっきの」
恐る恐る背後を見やると、そこには先刻目撃した凍てつくような抑揚の無い口調が特徴の女性が立っていた。隣にはお付の少女が立っており、奴隷市場の入り口で俺に仮面を渡してくれた少女もいた。
「やっだ~、お客様ったら結構可愛い顔してヒッドイ事するんだね。ちょっとショック~。でも、目の付け所はすごくいいと思うよ? だって、彼女この奴隷市場の中で一番高い子だもん。看板娘みたいなものだね」
「……くす、お喋りな子」
ベラベラと俺にいろんな情報をくれる少女。水色の髪の毛を持つ女性は、そんな彼女を見下ろすと口元に笑みを浮かべて中指をクイッと曲げた。
瞬間、少女が艶っぽい声をあげてその場にペタンと座り込んだ。
「あっはぁん!!」
「……大人しくしてて」
「はぁ~い、女王様ぁ~♪」
口の端から涎を垂らしながら、少女がだらしない表情で返事をする。
すると、女王と呼ばれた女性が俺の元に近づいてきた。さらに俺の体温が下がる感覚を感じた。
「あなたは……一体?」
「……わたし? わたしは『レイ・サイバル・レパイラム』……奴隷商人。あなたは侵入者? それともお客様? それによって対応は変わるけど」
表情一つ変える事なく、淡々と言葉を述べるレイと名乗った奴隷商人。
「か、彼女を解放してください、レイさん!!」
「図々しい……彼女を助けたければ、わたしにお金を払って。そうすれば、あげるよ?」
平然と、さらりとそう口にするレイさん。やはり商売人だ。俺がお客様という立場である限りは、迂闊に手は出さないらしい。
だが、これで俺が敵と判明した場合が恐ろしいな。さっきも、隣にいた少女を中指を曲げただけでヘナヘナにしてしまった。あのカラクリもまだ解明出来てないし、そう簡単に倒せるような相手ではない事だけは確かだ。
ここはやはり、お金を払うべきだろうか……しかし。
俺は一つ不安な事があった。百六十五万枚も、金貨があったかである。事前に幾らお金をもらえたのかアンナ姫に訊いてもよかったのだが、それだと貰う立場として少し気が引けたので結局訊かずにここまで来たのだ。
「少しくらい、まけてもらえませんか?」
「ムリ」
――即答!?
あまりにも厳しい一言。少しは思案してくれてもいいのに、あっさりきっぱりと、レイさんは俺の頼みを拒否した。
「金貨がなければ、殺す。金貨があれば、あげる。さぁ、早く決めて」
なんという二択だ……金がなかったら、俺死んじゃうのかよ。そんな理不尽、あってたまるかと訴えたいものの、そんな事をしてる暇は生憎とない。
「分かった、金貨百六十五万……渡すッ!!」
俺は、神に祈るように持ち合わせのお金が全額入った袋を投げた。それを、レイさんはあたふたとしながら受け取ろうとするが。
ボフッ!
上手く受け止められなかったようで、顔面に当たってしまった。
「あ――」
思わず口に手をやってしまう俺。これは怒らせてしまっただろうか?
お金の入った袋はレイさんの顔面から滑り落ち、地面にボスッと落ちた。同時、チャリンと金貨がぶつかり合う音がこだます。
「……確かに、受け取った」
「じゃあ、もらえるんですね?」
「ああ、お客様……こちらが鍵です」
ところどころ敬語が抜けている気がするが、そこは気にしない事にする。とにもかくにも、お金全額の代わりに亡国のお姫様を助ける事が出来たんだ、いい事だよな。
と、俺が喜んでいた直後、俺の真横を何かが通り過ぎて壁に何かが突き刺さった。
見やれば、それは氷の槍だ。
「ちょ……あ、あのこれってどういう?」
投擲した人物の大方の予測はつく。……レイさんだ。問題は投げた理由である。
それを尋ねたところ、レイさんは俯かせていた顔をあげた。
同時、彼女が顔に着けていた仮面に亀裂が入り、壊れてしまった。
「なッ!?」
思わぬ事態に、俺は声をあげる。
原因は先ほどの金貨の投擲だろうが、まさか仮面が壊れたから怒っている訳じゃないよな?
「……納得がいかない。あの重さ、顔面に当たった金貨の重量から考えて、百六十五万枚……ない」
――ギクッ!?
信じられない金貨枚数の確認法に、俺は度肝を抜かれると同時に冷や汗をかく。
というのも、事実その通りだからである。実際、あの金貨が何枚入っているかなんて数えた事がないため、枚数が足りなくてもおかしくないのである。
でも、やっぱり信じがたいな……自分自身で数えない事には! いやでも、百六十五万枚も金貨を数えるのは骨が折れる……。どうすればいい?
しばし頭を抱えて思案していると、レイさんが先に声をあげた。
「じゃあこうしよう……わたしとあなたが戦う。わたしが勝てば金貨とあなたの命は貰う。あなたが勝てば、金貨とその子をあげるよ」
――何その美味しい条件!! いや、負けたら殺されるとか絶対に嫌だけど……逆に勝ったらお金もお姫様ももらえるんだろ?
俺は悩みに悩んだ。悩んで悩んで悩んだ末、導き出された結論は……。
「いいでしょう! レイさん、勝負ですッ!!」
そう言って俺は、腰に提げていた長剣を抜刀した。だが、この後俺は酷く後悔する事になる。安易に交換条件を呑み、勝負を引き受けるべきではないと……。
ということで、頑張って連続投稿しました! 後もう少しで十万文字を超えるので、頑張ろうと思います! それではまた次回。