07
〈円卓会議〉設立と共にもたらされた新たなアイテムの作成法が公表されてからというもの、このギルドの灯りが完全に消えた日はない。〈円卓会議〉の一つにして三大生産ギルドの一角を担う〈ロデリック商会〉のギルドタワーはこの日も深夜を半ばまで過ぎたというのに約四分の一の部屋に灯りが点っている。
「夜遅くまで大変だな、ロデリック。あと一刻程で日が昇るぞ?」
その中の一室、ギルドマスターであるロデリックの部屋(様々な試薬や書類、素材アイテムが散乱するまるで研究室といった風情だが、隅の方に申し訳程度にベッドや家具が置かれているのでここを私室としても兼用しているのだろう)を一人の男が訪ねていた。
「……え? 先程夕飯を食べたばかりなんですが」
何個も並べられたフラスコに液体を垂らし、さながら実験を行なっている白衣の男こそがロデリックである。ロデリックは顔だけをあげて、男の言葉にそんな馬鹿な、といった声を上げた。
「その時間を置き去りにする集中力は君の長所に違いないが如何せん穿ちすぎだと思うぞ?」
男はやれやれ、とため息を一つ入れ窓の外を指差す。窓はカーテンに遮られているものの空は白み始めているのが見て取れる。
所在無げに頭を掻くロデリックを尻目に男は〈魔法の鞄〉から大小二つの袋を取り出した。
「頼まれていた品〈灼熱蝶の焔燐粉〉だ。倉庫を調べたら六十ほどあったので全部持ってきたがどうする?」
大きい方の袋から取り出したのはさらに小さな袋で、それを紐解くと煌々と周囲を紅く染め上げた。その光景にロデリックは思わず感嘆の声をあげる。
それもその筈で〈灼熱蝶の焔燐粉〉は今のアキバでは入手が困難になってしまったモンスターから得ることの出来るドロップアイテムの一つなのだ。その大きな理由に〈灼熱蝶〉とエンカウントするゾーンが85レベルからの高レベル帯であるということと、〈灼熱蝶〉がその名を示すとおりに蝶を模した外観を有していることに由来する。
〈灼熱蝶〉のサイズはおよそ六十センチから一メートルと実に巨大である。そして、インセクト系モンスター共通の事例として群れを成して現れるのだ。
想像してほしい。
六十センチの蝶が群れを成して襲い掛かってくるのを。
昆虫はとても同じ地球上の生き物とは思えない、とは誰の台詞か。
それは現実化した〈エルダー・テイル〉の世界ではちょっとしたホラーなのだ。いや、かなりの|エイリアンでありプレデター《ホラー》だ。実力的には難なく倒せる〈冒険者〉であってもその異形に精神的・生理的嫌悪感を抱かずにはいられない。
また、倒した後に飛び散る体液もまたそれを助長させる一つだ。
その為にインセクト系モンスターひいてはそのドロップアイテムは結果的に倒されるのを避けられ、その価値をはるかに高めているのだ。
余談になるがかつて鈍く黒い輝きを放つ外皮を持つ〈魔王蜚蠊〉という名の全長五メートルに及ぶゴキブリをモチーフとしたレイドボスを倒すという期間限定タイアップイベントが存在した事がある。それが今のタイミングで無くて良かったとはおそらく全ての〈冒険者〉の総意に違いないだろう。
「ありがたいですね。質も上等なものばかりなようですし、出来れば全て譲っていただきたいところですが」
数個の検品を終えたロデリックはその眼鏡に適ったらしくさっそくマーケット相場の1.2倍の金額を提示する。
「ロデリック、なにも私は金に困っているわけではない。有効活用してもらえることが目に見えている君に対してならば無料で譲ってもいいぐらいだ」
「ありがたい言葉ですが、さすがにそれでは私の顔が立たないんですよ」
ロデリックからすればそれは非常にありがたい申し出であるのだが、三大生産ギルドの長ともなるとそれを受けるわけにもいかない現状がある。どこぞのギルドに便宜を図ったとして噂されれば自分はまだしもギルドの仲間に迷惑が及ぶ。ギルドマスターとして、それだけは絶対に避けるべき事柄なのだ。
「それもそうか。ならばマーケットの相場で構わない。君の方こそ研究には金がかかるだろう?」
「まぁ、確かに研究にはいろいろと入用ですが……それはそうとそちらの袋はなにが入ってるんですか? 私が頼んだのは〈灼熱蝶の焔燐粉〉だけだったと記憶してますが」
「その記憶は正しいな、ロデリック」
小さな袋から取り出されたのは蒸篭。それを開けるといい匂いが立ち込める。
「これは、小籠包……ですか?」
「うちのギルドの〈料理人〉の試作だ」
夕飯を食べたばかりだ、と頭では認識していても体はしっかりとその夕飯を消化している。食欲をそそるその匂いは体が空腹を訴えるには十分過ぎてつい腹の音がなる。
「……食べても?」
「そんな意地悪をして私に何の利があるのだ、ロデリック。まぁ、代金は世間話といったところでどうだ?」
「ふむ、買いましょう」
ではさっそく、とロデリックは小籠包に箸を伸ばしほお張る。
皮から肉汁が溢れ、口の中いっぱいに広がる。
「これは……。アキバで一稼ぎできるほどの腕ですね。どうです? カラシンさん達が企画している天秤祭に出展してみては」
今現在、アキバの町は全世界のプレイヤータウンの中でも最も食が進んでいる町のひとつである。それは〈円卓会議〉の設立に由来するのも大きな理由の一つではあるが単純に人が多いというものもある。やはり、文化の発展には人の多さがものをいうところが少なからずあるのは紛れもない事実だ。
「生憎とうちの〈料理人〉はそういったつもりは無いようでな。それにうちのギルドには子供達がいる。あの子らの面倒を見るだけで手一杯だよ」
「勿体無いですね。ですが、まぁ無理強いしても始まりませんか」
ロデリックは小籠包をいたく気に入ったようで残念そうに頭を振る。
「彼女がやりたいと口にすれば私は全力を持って支援するがな。もしそうなった場合は君の名も使わせてもらうさ」
「えぇ、そのときは材料の仕入れは任せてください」
蒸篭の中の小籠包を綺麗に平らげたロデリックはさて、と軽く伸びをして体を解す。それは世間話を始める合図となる。
「――最近のアキバの治安はどうだ?」
「まぁ、概ね良好といったところですか。〈黒剣騎士団〉や〈D.D.D〉、〈西風の旅団〉といった戦闘系ギルドの方々が警邏していますからね。やはり小さないざこざはありますが、そればっかりはどうしようもありませんからね。シブヤの方はどうですか」
「良好、とは言い難い。シブヤ周辺のモンスター達が最近活発というのもあるが〈冒険者〉の行いで目に余るものの方が多いな。無法を好みながらもならず者の町まで赴いて我を成そうとするような傑物はどうやらいないようで、それでも猿山の大将になりたくて仕様の無い輩がシブヤなら組み易しとアキバから流れてきているらしい」
シブヤを取り巻く状況はギルファーの言うとおりに平和とは言い難いのが現状だ。
〈円卓会議〉はアキバの町周辺のゾーンでのPKの禁止を明言している。その〈円卓会議〉の言葉の裏を返せばそれ以外のゾーンではPKは推奨しないが禁止はしていないのだ。シブヤの町周辺はそれ以外のゾーンに入っている。その為にPKを好むプレイヤーはわざわざアキバからシブヤまで出てきてPKを行なっている始末である。それらを撃退しているのが〈S.D.F.〉の面々であったりギルファー本人だったりする。
「ふむ……憂慮すべき事態ですかね?」
「いや、特に酷い輩については私は君に、リカルドはクラスティ殿に念話で報告している。まだ〈円卓会議〉が動くほどではないさ」
「そうですか」
「実際問題として低レベルの者達へのPKは減ってきているからな。その代わりに私個人へのお礼参りは増えているが」
「……それはそれで大丈夫なんですか? 彼らのレベルのほとんどは90でしょう?」
「なに、そう動いた時点で私の舞台の上だ。ならば幕が上がれば道化の舞台で道化師に敵うべくも無い」
ギルファーが低レベルプレイヤーをPKの手から助けて歩いているのはそれが最大の理由である。PKに介入し、その敵意や嗜虐心を自らへと向ける。その為に気障ったらしい如何にもな台詞や態度で挑発に挑発を重ねているのだ。
彼の実力ならば例え90レベルの〈冒険者〉6人と相対したとしてもその戦闘を切り抜けることは容易いのだ。
勝つことはどうあっても不可能。
負けることも何があっても許されない。
戦いそのものを有耶無耶にする事に長けた〈冒険者〉。
それがサブ職業〈道化師〉を極めたといっていいレベルにある片翼の天使ギルファーというプレイヤーなのだ。
「まぁ、それだけならば良かったのだがな」
「……他にも何かあるのですか、シブヤには」
「ミナミからの〈冒険者〉を最近よく目にする。それも〈Plant Hwyaden〉に所属したままの、だ。アキバへの移住を目的としてその途中に立ち寄った〈冒険者〉ならばギルドタグは空白のはずだ。わざわざ〈Plant Hwyaden〉のギルドタグを付けてまでする事とはいったいなんだと思う?」
「どうでしょう、単純に地理の把握という可能性も有るかと思いますが」
「確かに、その可能性も否定は出来ない。だがな、私は一つの可能性に懸念を抱いている」
ギルファーはあくまで推測の一つでしかないが、と前置きをして言葉を続ける。
「タウンゲートの起動だ」
「タウンゲートの起動?」
そして、静かに発せられた想定外のワードにロデリックは何の芸も無く鸚鵡返しをしてしまう。
「あぁ、タウンゲートは現在では完全に沈黙している。それを解こうとしているのかもしれない」
「その根拠……というかその推測の元になる事柄でも?」
「いや、私の勘だ。ミナミは〈Plant Hwyaden〉の独裁。ならば、欲の肥大に歯止めを掛ける者もいまい。いや、居て精々カズ彦殿位の者だろうな。彼の魂の輝きもまた格別だ。だが、例え黄金だとしても金塊一つでは大河を塞き止める事などできはしまい。〈Plant Hwyaden〉ではなく〈神聖皇国ウェストランデ〉が〈自由都市同盟イースタル〉の領土を欲したとしてそれにミナミが力を貸さないとも言い切れん。そうなった場合、シブヤはタウンゲートさえ起動してしまえばプレイヤータウンへの攻略拠点としては最適を補って余りある」
「なるほど……。無くは、無さそうですね」
「まぁ、まだ私の推測の域を出ない事案だ。君の胸にまだ秘めておいてくれ。確度が上がれば〈円卓会議〉の出番になるだろうからな」
「分かりました。進展がありましたら連絡をお願いします」
ロデリックは厄介なことになりそうだ、と立ち込める暗雲を確かに感じため息をついた。
「しかし……」
「どうした?」
「先ほどの小籠包を食べたおかげでよりお腹が空いてきましたよ。どうです、世間話でもしながら朝食でもいかがですか?」
「ふっ、構わんよ」
世間話を切り上げて外へ出ようとドアノブへと手を伸ばす。すると、ちょうど良いタイミングで扉が独りでに開いた。いや、外側から誰かが扉を開けただけに過ぎないのだが、その誰かは二人の予想外の人物だった。
「客が多い日ですね。どうしました、にゃん太さん」
「おはようですにゃー。朝早くに目が覚めてしまったので散歩してたのですにゃ。そうしたらここに明かりが灯ってたので顔を出してみただけなのですにゃん」
スマートな体躯に猫の顔を持つ彼の名はにゃん太といい、彼もロデリックと同じく〈円卓会議〉に名を連ねるギルド〈記録の地平線〉の一員である。また、新たなアイテム作成法をもたらした人物として情報通の間ではかなりの有名人であり、一部の〈冒険者〉からは崇拝視されていたりもする人物である。
ロデリックとの間柄は友人兼〈記録の地平線〉のギルドマスター、シロエからのメッセンジャーといったところであり、
「久しぶりだな、にゃん太殿。相変わらず素晴らしい魂の輝きだ」
「おや、懐かしい顔ですにゃー。ギルっちも噂どおりなら相変わらず元気そうで何よりですにゃ」
一方でギルファーとにゃん太の間柄は旧知の仲で、こちらもまた友人と呼ぶに変わりないものである。とある〈守護戦士〉が他の〈守護戦士〉はどういった装備、スキルでゲームをプレイしているかをネットで調べたりするように、ロールプレイヤーも他のロールプレイヤーはどんな風にゲームをプレイしているかを調べていたりするものだ。
日本サーバのロールプレイヤー達の中ではギルファーとにゃん太は互いにかなり有名人物だった。
ギルファーは言わずもがななJRPGの主人公然としたキャラクターのぶれなさ。
比較的ロールプレイヤーの多い猫人族の中でもかなり高い実力と紳士然としたキャラクターのぶれなさ。
ロールプレイにおいて最も重要なものは何か。それは人それぞれ違う答えがあって当然だが、ギルファーにとってそれはキャラクターのぶれなさ、だ。
そんな二人が知り合い、友人になるのは自然なことだった。そもそも実年齢が近いということもその理由の一つではある。
「ここへはよく来ているのか?」
「だいたいがシロエちのメッセンジャーとしてですけどにゃー」
猫人族特有の髭を指先で軽くいじりながら朗らかに言葉を返す。
「その後に私が食事に誘うぐらいですか。今日は既にギルファーさんを誘った後ですが、にゃん太さんもご一緒にどうですか?」
「仕方ないにゃあ。店はどこにするにゃ?」
「ふむ、私はこの町のことは不慣れだ。ロデリック、適した店はあるか?」
「この時間からやっている店となると……〈一膳屋〉などどうでしょう? 和食メインの店ですが」
ロデリックはちらりとギルファーの反応を伺う。
ギルファーの出で立ちはJRPGの主人公だ。それはつまり、西洋系の顔立ちにファッションということであり、キャラクターを演じることを前提とするロールプレイヤーにとってイメージを崩すような行いは忌避すべきものだからだ。
実は、ギルファーについては面白い事実がある。
〈冒険者〉の外見はゲーム時代のものが踏襲されているが、顔はどうやら現実のものをある程度フィードバックしているようである。ある程度、とは少なからず美化されているということだ。
だが、いくら美化されようともアジア系の顔は西洋系の顔立ちには変化しない。
つまり、ギルファーはもともと西洋系の顔をしている、という事に他ならない。
「ふむ、フォークとナイフが出てくるのならば私は構わんよ」
「ならば、決まりですね。うちからだと歩いて十分ほどですか」
「ギルっちも相変わらずですにゃー」
「相変わらずといわれてもな。|天界〈ヘブンス・ゲート〉に居た頃は食事という概念は無かったのだ。フォークとナイフを使えるようになったのも最近のことだ」
三人は連れ立って〈ロデリック商会〉を後にする。
まるで、十年来の友人のような空気を残して。