06
シブヤからアキバへと続く街道を五頭の馬と二台の馬車が軽快に進んでいく。
出立してからおよそ二時間。道程としては半分を過ぎたあたり。
二つの街の距離は現実の尺度だとしても歩いておよそ二時間。そのため、ハーフガイアプロジェクトにより二分の一サイズとなったこの世界では単純に歩いて一時間、というわけにはならない。ほぼ完全に近い形で舗装されていた道路とは違い、長い年月を掛けて大地と樹根の蹂躙を受けたその道を変わらない時間で踏破するのは屈強な〈冒険者〉の足でも中々難しい。
もとより、ゾーンによる区分がなされているために最短距離が最短距離ではない。
現在、シブヤからアキバへの最短距離は四つのゾーンを跨ぐルートになるが、それには危険が伴う。〈S.D.F.〉の二番隊のような90レベルの〈冒険者〉ならば苦もなく踏破できるだろうが、今回の彼らに課せられた任務は〈大地人の商人〉とその荷の護衛。ともあれば悪戯に危険を上乗せする必要もなく、多少回り道になったとしても危険の少ない安全に安全を重ねたルートこそが正解となる。
「隊長ー、この先の街道に異常はありません」
その石橋を叩いて渡るためのハンマー――進行する先を偵察してきた〈冒険者〉が戻ってくる。
「そうか、分かった。この辺りのモンスターは私達にとっては取るに足らないレベルだが、〈商人〉殿達にとっては充分に脅威だ。今一度、気を引き締めろ」
先頭の女性〈冒険者〉は油断無く神経を尖らせ周囲を警戒する。
今までは街道が寸断されるなどということはイベントやクエストが発動していない限りはありえなかった。だが、様々なオブジェクトを自由に動かせるようになった今では落石や倒木による街道の寸断、川の増水による橋の崩落など様々な障害が日常的に起こりうる。
もっとも〈冒険者〉達だけならば容易く突破できる障害に変わりないのだが〈大地人〉しかも馬車付きとなると話は変わってくる。
その為に、斥候による索敵は非常に有意なものとなるのだ。
「……隊長、なんか気合入りまくってね?」
「そりゃそうよ」
一方で最後尾で馬車の背後を守る〈冒険者〉二人、アキヨシと海里は声を潜めて囁きあう。
二番隊隊長を務める女傑リグレット。彼女への信用性はギルドマスターであるリカルドを遥かに凌ぐ。〈盗剣士〉としての実力も然ることながらレアなサブ職業〈戦乙女〉を持つ事でそれなりに名の知れた〈冒険者〉だ。
普段から仕事に忠実なキャリアウーマン、といった空気を醸し出しているが、今日の様子はいつも以上に気合が入っているように見える。いや、実際に気合が入っている。
「だって出立前にギルさんに声掛けられてたじゃん、隊長。あれで張り切らない乙女はいないでしょ?」
「……あーなんというか」
「ギルさんにベタ惚れ状態だからねー。本人は周囲に気づかれてないと思ってるみたいだけど。見てて微笑ましくなっちゃうくらいだよ。アキヨシも見てたでしょ、あのときの隊長」
「まぁ、あれは確かに――」
話はニ時間前の午前六時に遡る。
シブヤの街への入り口に当たるゾーンに〈大地人〉の商人が四人と〈冒険者〉が六人集まっていた。
その手には出来立てで焼きあがったばかりの食パンにベーコンとレタス、それに特製ソースを挟んだサンドウィッチと淹れたての紅茶。
出立前の腹ごしらえといったところである。
「あの、しかし皆さん。大した対価は払えねぇんだけどもいいのかい? こんなモノまでご馳走になっちまってるのに」
サンドウィッチを頬張りながら、商人の中ではリーダー格であろう中年の男性が食を共にする〈冒険者〉へと声をかけた。
「気にしなくていいですよ。他の〈冒険者〉が貴方達とどう接しているのかは分かりませんけど私達にとってはこれが普通でいつものことですから。対価というのなら、今の私達に必要なのは賃金ではなくて経験なんです。それに、このベーコンレタスサンドは私達の知り合いの〈料理人〉の試作ですから味の感想を教えていただければそれがお代の代わりですし」
「そうかい? しかし、あれだ。俺らの村じゃ〈冒険者〉は畏怖の存在だったが話してみるとそうでもないんだな」
「――その言葉は喜ばしいものだな」
「だな。そう思われてんなら万々歳だわ」
「あら、おはようございます、司令。そ、それに片翼の天使ギルファー様もご一緒でしたか」
「ん、おはよー」
「あぁ、おはよう。相変わらずの美貌だな、リグレットさん」
声のした方向からはお気楽な感じで手を振る自らのギルドマスターと朝も早くからいつもの格好をしているV系な男が並んでこちらへと歩いてきていた。
「お、お世辞を言ってもこのベーコンレタスサンドはもう品切れですよ?」
「世辞ではないな、リグレットさん。今の言葉は私の嘘偽りのない本心だ。美しいものを美しいと言葉にすることが世辞となってしまうのならばあまりにもこの世界は悲しすぎる。そうは思わないか?」
「そういう言葉は好きな人に送る言葉だと、思います……けど」
「リグレットさん、まさか君は私が君の事を好きではないとでも思っているのか? 私は君に好感を抱いているが?」
「な、なにを言ってるんですかっ!」
そのギルファーとリグレットのいつものやり取りを見た〈S.D.F.〉二番隊の面々は「ギルさんはよくもまぁあんな台詞を吐けるよなぁ」「すげぇよナチュラルに口説いてやがる……」「あの不自然さがナチュラルとかギルの旦那いろいろとおかしいよな」「俺達に出来ない事を平然と、を地で行くよねー」「あー、うちの隊長張り切っちゃうなぁ今回の任務……」などと小声で呟きあう。
呆気にとられているのは〈大地人〉の商人四人ぐらいのものだ。だが、次第にその四人の口からも「あぁ、この方がギルファー様か」「うわ、本物だよ」「まさか、本人に会えるなんて思いませんでした」「ねぇ、お父さん。握手とかしてもらってもいいのかな……」とギルファーを認識してぼそぼそと呟きが漏れる。そしてギルファーへと向けられる視線は明らかな憧憬。これはギルファーの人助けの話が〈大地人〉の村々へと広まっていることに他ならない。
片やリグレットはというとギルファーから視線をはずして、深呼吸をする。
比較的緩いところのある〈S.D.F.〉内において引き締める立場として常に冷静であろうと心がけているリグレットだが、ギルファーに面と向かうとどうにも感情の制御が儘ならない。
確かにギルファーに対して好意に似たものを持っていることは自覚しているが、今までの自分の恋愛感から鑑みても少々どころか多いに腑に落ちない。自分らしくないとまで言い切れる。
思考を切り替えて赤くなり掛けた顔を必死に押さえ込もうと深呼吸を再度し、表情と言葉をなんとか繕う。
もっとも、その行為の意味は面々から見ればバレバレもいいところではある。
「そ、それでギルファー様は何の用事で?」
「決まっているだろう。〈S.D.F.〉二番隊の任務の成功と彼らの旅路と商いに祝福を、と思ってな」
胸元から一つのペンダントを取り出し、空へと掲げる。そのペンダントはティアドロップを模った質素なものだが、その中心に淡く光を湛えている。
秘法級アイテム〈天使の落涙〉。天使の落とした涙が結晶化した、とテキストされるそれはギルファーが常用する唯一の秘法級アイテムだ。
「彼らの旅路と商いに幸有らん事を――」
「! こ、これは……」
〈天使の落涙〉。装備するとヒットポイントの回復量が微増するペンダントであるが、真の価値はアイテムとして使用した場合にあり、その際の効果は「使用者のMPを10%消費することで周囲10メートル以内の全ての状態異常を回復する」というものだった。だが、実際は少し異なる。ゲームだった頃は確かにその効果だったのだが今では「〈天使の落涙〉:慈愛に満ちた天使の零した涙が結晶化した宝珠。天へと掲げると所有者とその周囲の命を清め、その心身を健康・健全な状態へと回復させる」というフレーバーテキストが反映されているのだ。
その効果を具現するように言葉と共にペンダントから放たれた優しい柔らかな光はその場にいた全員を包み込む。
だが、ギルファーはそんな効果よりも使用時に光が放たれるというエフェクトの方を気に入ってるというのは言うまでもない。
「――ありがとうございます、ギルファー様」
リグレットは何とか取り戻した二番隊隊長としての顔で礼を口にした。
その光景を思い出したアキヨシはため息を一つ吐く。
「――確かに気合も入るか」
そのまま自らの隊長に視線を移す。
何処からどう見ても恋する乙女を。
「進展も何もなさそうだけど、隊長が張り切ってるなら俺らもそれなりに頑張りますか」
■
そこは戦場だった。
それは戦争だった。
居間に置かれた三人掛けのソファの上に倒れているクリアはまるで燃え尽きたかのようにぐったりとしていた。
「……子供は風の子、ってよく聞くけど」
自分の子供の頃――は、インドアで引き込みりがちだったからそんな言葉とは無縁だったけどごく一般的な話としての通説を思い浮かべる。
だが、彼女らは風なんていう可愛いものではなく嵐であり台風だ。
問答無用で周囲を巻き込み、幸いと〈冒険者〉の肉体は高性能なために肉体的疲労はたいしたことではないが自らの精神を根こそぎ奪っていく。
「てやーっ!」
耳に響くのは木剣同士が打ち合う剣戟の音色。
台風の中でも一際勢力の強かった少年、アインが振るうそれだ。
先ほど、あれだけ全力で走り回っていたのにあの元気。
つい子供には何かしらの隠しステータス……少なくともヒットポイント回復速度上昇の類が発動しているに違いないと勘繰らずにはいられないほどだ。
「とぉーーっ!!」
「っと、まだまだ甘いなぁ、アイン」
首だけを動かし、その光景を眺めてみるとアインと打ち合っているのはいつの間にか帰ってきていたギルファーだった。素の口調であることから中庭も〈天使の家〉内に含まれているらしい。
とても剣術と呼べるような出来ではない闇雲に振るわれる2本の木剣をギルファーは1本の木剣で丁寧に裁きながらもところどころでアインのバランスを崩すように木剣を振るう。
それでも、決定的に体勢を崩さずに、寸での所で踏み止まり攻撃の手を休めない所を見ると意外とアインの体幹はしっかりしていることが分かる。
「よぅし、技いくぞー……〈ウルブズ・ファング〉っ!」
「うぇ!?」
その様子に満足しているのかギルファーは上段の袈裟切りから始動する一つの技を放つ。斜め上から斬り付け、下から斬り返す二連斬。
レベル90の〈盗剣士〉の技をレベル15の〈大地人〉――しかも10歳に満たない子供が防ぎきれる訳も無く、防御の為に交差させた木剣を一撃目で弾き落とされ、間髪入れずに続く二撃目で上空3メートルの高さまで打ち上げられる。もちろんその後は地面へと落下するだけだ。
「ちょ……っ!」
常識的に考えれば、死。
そもそも〈冒険者〉が本気で戦えばそこら辺にいる兵士職の〈大地人〉ですら相手にならない。互角に戦える〈大地人〉といえば〈動力甲冑〉を装着した衛士か〈古来種〉程度のものだろう。
だが、地面に叩きつけられたアインは多少涙目ではあるものの何事も無かったかのように起き上がる。
「アイン、今のは防御じゃなくて回避だったな」
「あんなのよけれるわけないじゃん……」
「おいおい、大分手加減してるんだぜ? けどまぁ、咄嗟にでも防御できたのは良かった。それに体幹もずいぶんと良くなってる。褒めてやろう」
クリアの目から見ても先ほどの〈ウルブズ・ファング〉を避けるのは中々の無茶に近い。そんな無茶を〈大地人〉の子供に課すのは酷というかなんかもういろいろと酷い話である。
「うー……。でも、ぼうぎょできなかったらいみないじゃん」
「いや、そうでもないぞ? 『防御を崩す』で、一動作の時間を奪ったから一回しか攻撃食らわなかったろ? もし防御体勢に入らなかったら二発食らってたんだらな」
「むぅ……。そういうもんなの?」
「おうともさ。でもな、咄嗟に身体が動くように鍛えるのはいい事だけどそれだけに頼っちゃ駄目だ。特にアインは攻撃するときは何も考えてないだろ? それじゃまずい。戦いにおける直感動作と思考動作は俺的には2:8ぐらいが理想だからな」
「??? 言ってることがむずかしいよ、ギル……」
「ん、簡単に言うと戦いながら常に考え続けろってことだ。相手は次にどんな行動を取るのか。必殺の一撃を決めるためには今自分はどう動けばいいのかってことさ」
ギルファーはアインの頭を軽く撫でながら言葉を続ける。
「ま、今のお前に難しいって事は分かるけど。でも、強くなりたいから戦い方を教えてくれって言ったのはお前だからな、アイン。馬鹿じゃ強くなんてなれない。馬鹿の癖に強いなんてのはただのチートに許された特権だからな」
「……チートってのはよくわからないけど、わかった」
「分かったならグッドだ、アイン。そんじゃ、今俺が使った〈ウルブズ・ファング〉を教えてやる」
「! ホント!?」
「おう。まぁ、覚えれるかどうかはアインの才能しだいだけどな」
アインの職業欄には〈子供〉というものしか記されていない。それは〈大地人〉固有のものであるが、寿命の概念がある〈大地人〉にとっていつまでも〈子供〉であるはずが無い。もっとも一般的に〈料理人〉の子供は〈料理人〉というように世襲制が強いのが〈大地人〉のコミュニティである。
その中において〈冒険者〉に育てられた〈大地人〉は何になるのか、というとはっきり言って分からない。〈大地人〉はあくまで〈大地人〉であるために根本から違う存在である〈冒険者〉になることは不可能だ。
ならば剣や戦い方を学んでいる以上〈騎士〉や〈傭兵〉への道が拓かれるのか。それとも〈大地人〉の血脈に潜む〈古来種〉への道が拓かれるのか。
その先の話は不明瞭ではあるが9歳に満たない少年であるアインのレベルが15であるという時点で何らかの戦闘に対する適正が高いことが伺える。
「まず、この技は俺みたいに単剣使いか双剣使いかで挙動が変わるんだがアインは双剣で鍛えてるからな。えーっと、確か左手を逆手に持ってだな、こう鋏のようにズバッと行くんだ」
「んー……っと、こ、こう?」
「そうそう、そんな感じだな。あとは身体にそれを馴染ませる感じで素振りを千回ぐらいやろうか」
「うん!」
アインは疲れの見えない顔で中庭の隅っこに鎮座する巻き藁を仮想敵に見立てて素振りを始める。
「いーち、にーぃ、さーん」
「アイーン、いつも言ってるけど素振りは常に全力だぞ! 全力が出せなくなったらそこで終わりだからなー」
「うんっ!」
元気よく返事を返したアインに満足したギルファーは室内の方へと目を向けクリアへと声をかける。
「さて、そこでぐったりしてるクリアちゃんも稽古するか? 〈失敗の成功〉は使用しないけど」
「……〈失敗の成功〉ですか?」
「まぁ〈道化師〉の固有スキルの一つだよ。失敗を成功させる。つまり、発動しながら攻撃を行なうとそれが何であれ必ずダメージを0にする何のためにあるのか分からないスキルの一種だな」
「……〈道化師〉って変なスキルが多いんですね」
あの時の〈ビラ配り〉しかり、今の〈失敗の成功〉しかり。マユやチェスターから聞いた話だとその他にも戦闘の足手まといにしかならないスキルが各種目白押しなのだという。
「変なっていうな。〈喝采はその身に〉とか〈悲喜交々〉とかすっげぇ無駄だけどその分すげぇ楽しいんだぞ?」
「やっぱり無駄なんですか?」
「有益なスキルを〈道化師〉に期待する方がおかしいだろ? こういうのは楽しんで何ぼのサブ職業だしね。〈裸族〉しかり〈ちんどん屋〉しかりな」
確かにサブ職業には称号系、生産系、ロール系の区分がありそのほとんどが戦闘に影響を及ぼさない
範囲の代物だ。
「そんで、どうする?」
「稽古なら、つけてもらえるのならつけてもらいたいですけど……今は無理です」
「はっはっは、朝からガキどもの相手してればそうなるわな。――それで、どうする?」
ギルファーは静かに右手を差し出す。
「〈天使の家〉に入るかい?」
――その言葉に。
「――い、いいんです……か?」
「いいもなにも、マユなんかはクリアちゃんのこと勘定に入れて昼飯作ってるし、チェスターも足りない分の食器も買ってくるって出かけてるし、刹那はクリアちゃん用の部屋を片付けてるぞ?」
「あ、」
「――ようこそ、〈天使の家〉へ」
そして三日後、正式に〈天使の家〉はそのメンバーの数を五人とした。