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去来したものは、まさか、という驚愕。
〈さぁ、共に踊ろう〉によって全員を〈緊急離脱香〉の効果範囲内に収めて、自らは「自らのあらゆる成功を失敗させる」〈失敗の成功〉によってその効果から外れ、この場に残り、ワールドマスターと戦う。
そのつもりだった。
だが、その思惑は外れた。
このゾーンに存在するのは、自分とワールドマスター。そして、もう一人。
〈さぁ、共に踊ろう〉の効果時間は1秒。その効果は〈冒険者〉の身体を操る、というもの。その効果に例外はない。
なぜなら、それは一つのシステムであるからだ。〈冒険者〉であれば逃れることのできない法則。すなわち、この歪な世界にある絶対法則。死ねば大神殿で蘇生する。各種スキルが無ければ成功しない技術。視認可能な命の残量。
それと同等のシステム。それを利用した〈天界技〉こそが〈さぁ、共に踊ろう〉。
では。
では、だ。
このゾーンにいるもう一人はいったい何者なのか。
そんな事は問うまでもない。
アザゼルだ。
分かる。
理解できる。
アザゼルは〈さぁ、共に踊ろう〉の効果時間である1秒から逃れた。感覚的にはアザゼルの動きを制御できたのはコンマ2秒ほど。つまりアザゼルに対して〈さぁ、共に踊ろう〉は五分の一程度しか作用しなかったということになる。
それはどういうことか。
例えば〈付与術師〉の扱う〈アストラル・ヒュプノ〉という技がある。これは、投射対象に睡眠のバッドステータスを付与するものであるが、その効果時間は使用者の練度によって異なるのと同時に、投射対象のバッドステータス耐性によっても左右されるもの。
もし、〈さぁ、共に踊ろう〉が既存の特技であれば、パーティメンバー各員に応じて効果時間に差異が出るのは当然の事だ。
だが〈さぁ、共に踊ろう〉は違う。
これは〈天界技〉――つまり、アキバでいうところの〈口伝〉であり、未知の技。これに耐性を持っている存在など二つしか考えられない。
〈モンスター〉と〈大地人〉だ。
それが意味するところを即座に理解したギルファーは一つ、静かに息を飲む。
――もしかすると、〈大災害〉は始まったばかりなのかもしれません。
脳内に、ロデリックの言葉が蘇る。
そう、確か、ロデリックは可能性の一つとしてこう言葉を続けた。
(『〈冒険者〉の〈大地人〉化』と言っていたな……)
だが、ギルファーは首を横に振る。
思い出すのはシブヤでの出来事だ。
それから逆算出来るこの事象は、この現象は。
(――いや、〈冒険者〉と〈大地人〉の境界が曖昧になっている……?)
何を馬鹿な、と一笑に付す事はギルファーには出来ない。
なぜならば。
それこそ、自分がロデリックに伝えた事ではないか。
〈モンスター〉が〈冒険者〉化しているのかもしれない、と。
それはつまり、この歪な世界に生きる全ての命が均一化してきているという事。
少なくとも、ギルファーはその結論に至った。
では、何故アザゼルだけそれが顕著なのかという疑問が残る。
〈大災害〉後の戦闘経験ならば全員が同程度。
〈口伝〉の有無。いや、収得は全員が何かしらを済ませている。
――情報だ。
結局のところ、情報が不足しすぎている。
これでは外枠の無い、無地のジグソーパズルをしているようなもの。
一つ一つの情報を繋ぎ合わせる事は出来るのだが、最終の形が見えてこない。
「おい、ギル」
思考に埋没していたギルファーを現実に引き戻したのは他ならぬアザゼルが呼ぶ声。
「何したかは聞かねぇよ。けど、呆けてる時間はねぇ。こっからは二人で戦るんだろ?」
「……そう、だな。……まったく、観客が居るというのに自分を忘れるとは〈道化師〉失格だ」
気を取り直したギルファーはアザゼルの横に並ぶ。
「んで、何したかは聞かねぇが、理由は教えろ」
「あぁ、ルグリウスで通じるかな? ワールドマスターは、ルグリウスの雛形さ。アレを原型としてルグリウスは形作られた」
静かに宙に座すワールドマスターを見据える。
その下には十二体の鈍色の人型。
しかし、余裕然としていたその表情は苦悶を浮かべ、埋められた身体のブランクがまた発露してきている。更に配下である十二体の鈍色は次第に色褪せ、一体、また一体と塵となって崩れていた。
「あー、なるほど。ルグリウスは相手のパーティ人数でその能力を増す……だったっけ? 俺はそのレイドやってねぇから解らねぇけど俺らのコピーが消えてってるのも、それが解除されたからでいいのか?」
「――かもしれん。が、おそらく、アレを維持するための燃料を私が除外したからだろうな」
そう。
十二人の感情を糧として生み出された鈍色の人型が、二人にまで減った感情で維持できるはずがない。
推測では感情――〈共■子〉は、ワールドマスターの活動に必要なものであると同時にHPとMPのようなものだのだろう。
今まではアレらの生産に要する消費量を、供給量が上回っていたに過ぎない。
だが、今の供給量は少なくとも六分の一。
「勢いよく出ている水を止めるには時間が掛かる。――そら、早く止めないと自らの命すら失うぞ。大事なのだろう? 〈魂の輝き〉は」
■
十の灯が消える。
燭台ごと消えて失くなる。
枯れる。
涸れる。
渇れる。
残す二つに灯を点ける。
否。
自らの像を喪失する。
押し留める。
圧縮する。
象る。
私は。
相反する外と内。
僕は。
共に喰い合う内と外。
俺は。
暴れ出す外。
余は。
割かれる内。
我は。
掻き集める。
武装する。
何をしている。
こんなところで。
あぁ、失敗した。
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した。
また、失敗した。
機能が停止する。
〈採取者〉として不適の烙印を押される。
――だから、とりあえず。
目の前の灯を喰らおう。
■
十二対十三という数が二対一となったからといって戦況が瞬く間に有利に働く訳ではない。
なにせ、その一は得体の知れない存在、ワールドマスター。
顔に浮かべた苦悶をそのままに、その身体の実像をチラつかせながら、猛攻を開始していた。
「これ、あれか? 厄介な新パターン入ったんじゃねぇの?」
その猛攻の全てを一定の距離を保ちながら避け続けるアザゼルはそう愚痴を口にする。
一言で表すならば、千変万化。
この時を持ってワールドマスターはギルファー達十二人だった。
即ち、今のワールドマスターは鈍色の人型の集合体に近い。
自分たち、このハーフレイドに挑んだメンバーが使用した動きを使用してくる状態という事だ。
挑戦者が多いほど、相手の戦力、戦略の幅が広がる。
多勢が不利になる、という特殊能力はなるほど確かにルグリウスのコンセプトに通じるものがあると思えなくもない。
「なに、クラスの違う特技を単一の存在が扱うなど脅威と言えば脅威だが、私たちにとっては見慣れた光景だろう?」
剣で致命となりうる攻撃を受け、いなしながらギルファーは返答する。
「ん? あぁ、推定有罪か。ま、言われてみりゃ確かになぁ」
「それに、繋ぎ方はまだまだ甘い。君と違いHPに余裕の無い私としては連携を学習する前に決めたい所だ」
回避によってダメージを受けていないアザゼルのHPは徐々に回復している。これは回避型壁職でもある〈武闘家〉に許された特技の一つだ。一方で、ギルファーのHP回復にはポーション等のアイテム類の仕様が必要であり、自らの技量ではこの状況下で使用する事は出来ない。
「そら確かに回復職いない現状なら長引くほど不利だわな。……結構無茶なことに変わりねぇけど。そんで? 勝ちの目はどれぐらいよ?」
「5パーセント、といったところかな」
それは冷静な分析。
まず、そもそもがハーフレイドのボスを二人で倒そうとしている事自体が荒唐無稽である。そんな事を考えるのはどこぞの台風ぐらいで十分な話。
そんな無茶を可能にする反則じみた手札はギルファーには一枚だけ存在する。その手札をどのタイミングで山札から引き当て、最善のタイミングで場に出せるか、という数字だ。
それは、アザゼルがいた所で変わりはない。
勿論、ギルファーとてアザゼルの持ちうる全てを知っている訳ではない。
それでも、もし、自分の他にワールドマスターを単騎で倒しうる可能性があるとすれば十二人の中ではリカルドかアザゼルだろう。だからこそ、この二人はこの場から逃がしたかった。
「ほぉ、案外あるな。いよぉし、とりあえず、攻撃当てねぇと勝てねぇよな?」
「……手繰り寄せる為にワールドマスターの隙を作る必要性は有るが、この攻撃、直撃すると恐らく3000ほど持っていかれるぞ?」
その3000という数字は破格だ。レベル90の〈冒険者〉であっても10000ちょっとが精々である事を考えれば、4回攻撃が直撃すれば沈むレベルの代物。しかも、おそらくこれは通常攻撃の部類だ。なにせ、自分たちの動きを模倣しておきながら、鈍色の人型達が行っていた特技の模倣にまで至っていない。
鈍色の人型が霧散した際に、そのデータを取り込めなかったという事も考えられるが、そのようなポジティブ思考は戦闘において無駄な事柄。
あくまで、最悪の想定のその一歩先の想定で動きべきだ。
〈冒険者〉が特技を使えば、その特技にはおおよその倍率が存在する。通常攻撃によるダメージが1000前後ならば、この特技は1500前後、こっちの特技は2000前後、などと言ったように。
つまり、ワールドマスターが特技を使用し出したのならば、3000ダメージを軽く上回る一撃が乱れ撃たれて然るべきであり、それが、ギルファーが一歩を踏み出す事を躊躇する一つになっている。
それを理解しているはずのアザゼルは、しかし、にやりと口角を上げて笑った。
「問題ねぇよ。……ギルは俺の〈天界技〉は二つしか知らねぇんだっけか」
「正確に効果まで把握できているのは〈必殺の一撃〉だけさ」
「そりゃ、あれは誰にでも出来るやつだぞ?」
それは、言ってしまえばただの渾身の力を込めた右ストレートである。もっとも、その一連の動作すべてがモーションアシストを介さない代物。なぜ、それが〈口伝〉と呼ばれるのかと言えば、システムに設定された理想の形を完璧になぞっているからだ。今現在、全ての前衛型〈冒険者〉は、モーションアシストによる特技を使用していると言っていい。
例えば〈盗剣士〉の〈ウルブス・ファング〉は飛び上がりながら発動する、前方に進みながら発動する、飛び降りながら発動する、の3種に分類され、更に各々に右袈裟斬りから、左袈裟斬りから、など7種に再分類される。
〈冒険者〉はその中で初動の7割程のモーションに該当する事でアシストが発生し、残りの3割程を補正、矯正し、特技が発生する――とはアザゼルの談だ。
そして、補正、矯正が発生するのならば、もともとの力は散逸している。
正しい力の伝わり方をしていないのならば、特技の威力が低下していて当然だ。
それは、格闘技やスポーツをしてきた人間にとっては当然の思考。その考えのもとに、アザゼルはモーションアシストによる補正、矯正を加えられない〈ライトニングストレート〉を習得した。
その結果が、〈必殺の一撃〉と呼ばれるまでに至った一撃。
勿論、その考え上、誰にでも出来る可能性を秘めている。
だが――
「何をふざけた事を。アレは誰にでも到達できる代物ではないだろう。理想の動きと寸分違わぬ同じ動きをするなど、高々半年ほどの修練で身に付くようなものか」
「中にゃいるぜ? いわゆる天才って奴ら。――まぁ見てろって、ギル」
アザゼルは両腕の〈幻想級〉装備を最大出力で展開しながら笑う。
「〈道化師〉のリング以外にも面白れぇリングってのを見せてやる」
そして、猛攻の中心へと駆けた。