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糸を見る。
リカルド達から立ち上る陽炎――〈魂の輝き〉を飲み込む深淵から下に落ちる十二本の糸。
それが、鈍色の人型へと繋がっているのは簡単に理解できた。
あれは繰糸にして動力を伝達する管。その先で人を模して成型されたものが鈍色の人型。
ならば、鈍色の人型を倒したところでその管が存在する限り、新しく生み出されるのも道理だ。
自らの敵対者の感情を揺り動かし、その溢れた感情を糧とし、鈍色の人型を生み出し、強化し、そしてそれによって更に感情を発露させる。
上手く出来た仕組みだ。
戦いの場において、感情を持たない事など不可能。
しかも、相乗効果だ。
感情は仲間内で伝播する。
誰かが悲しみを得れば、それに同情する。または、それを励ます。
誰かが怒りを得れば、それに同調する。または、それを宥める。
一つの感情に、返ってくる感情は共にある仲間の数だけあり、その感情にもまた感情は返ってくる。
「――拙いな、これは」
ギルファーはその口から小さく呟きを漏らす。
こちらのリソースはゆっくりと、だが確実に減少していくのに対し、相手はこちらの減少以上にリソースを獲得していく。
何か、手は無いか。
このままでは敗北は必定だろう。
死ぬのは怖くない。と、言えば嘘になるだろう。
だが、それ以上に、この場で死ぬのは。
ワールドマスターに殺されるのは拙い。
ワールドマスターは明らかに異常な存在だ。
死ねば、僅かながら記憶を失って蘇生する。
いや、記憶を失う、という表現は間違いだ。正確には、記憶を捧げている。
誰に?
誰かに、だ。
だが、記憶を対価に捧げる事で蘇生を果たす、という仮説をロデリックから聞いた時に、すんなりと腑に落ちた。少なくとも、ギルファーはそれが真実ではないかと感じている。
ならば、死亡した際に捧げる記憶が、捧げる対象に届く前に奪われたとしたらどうなるのだろうか。
捧げる記憶は、その殆どが意味記憶やエピソード記憶と呼ばれる代物だ。そして、それは、感情と直結するもの。
目の前のワールドマスターは、感情を喰らう悪魔。
それから先を、考えたくはない。試す訳にはいかない。
それは即ち、本当の意味で死を意味するのかもしれない。
このままでは、いずれ、負ける。
負けるとは、つまり、死だ。蘇生の保証がない、正しい意味での死。
今、自分達がしているのは、そこに至る迄の延命処置に過ぎない。
詰みだ。
万事、打つ手が無い。
このメンバーでは、ワールドマスターと鈍色の人型相手に勝てない。
勝てない、が――。
「……なんで私たちは誰一人として死んでいない?」
そこで、新たな疑問が湧き上がる。
相手は不死の軍団。
無限の行軍。
ならば、自らを省みずに特攻し、こちらを一人ずつ確殺していけばいい筈だ。まだこちらの方が戦力は上だとしても、一人を集中攻撃されれば落ちるのが道理だ。そもそも、普通のレイドクエストで一人も死なないでクリアする事などほぼ不可能だ。勿論、回復職には蘇生魔法があるので、死んだところでその場での蘇生が可能ではあるが、自分たちは――ぱぷりかは一度も蘇生魔法を使用していない。
鈍色の人型が自分たちの思考ですら模倣するというのならば、真っ先にぱぷりかを倒しに来なくては辻褄が合わないではないか。
ならば。
ワールドマスターの行動は、感情を発露させる為のもので、そこに大きな意味は無い。
仮説だ。
だが、それ以外に説明はつかない。
そうすると、更にまた一つ疑問だ。
それは、殺される瞬間こそが最も感情が発露されるのではないだろうか、と。
なぜ、それをしない。
なぜ、ワールドマスターは自分たちを本気で殺しに来ない?
つまり、それの答えは一つだ。
自分たちを殺すことが第一目標ではないのだ。
戦闘が始まる前に『集めて』『完全に』『寄越せ』とワールドマスターは口にしていた。〈共■子〉とやらがそれを差すのならば、それを十分に補うまでこれを続けようというのか。
確かに、ワールドマスターが自分たちの上位存在ならば、自分たちは家畜も同然の搾取される側となってもおかしくは無い。
――撤退した方が良い。
それが、最適解だ。
だが、どうやって?
〈帰還呪文〉は封じられている。
ゾーンの入口であった扉は消え失せている。
脱出手段は――無い、訳ではない、か。
ギルファーはアイテムリストを想起させ、一つのアイテムを取り出す。
〈緊急離脱香〉。
強制的に、直前の神殿まで転移するアイテム。しかも、都合がいい事に、一人が使用すれば発生した煙を吸った全員の転移が可能となる。そして、このアイテムは〈帰還呪文〉が封じられているゾーンでも使用を可能とするまさしく〈緊急離脱〉のアイテムだ。
しかし、それを使用する事が出来るか。
いや、ここで逃げていいのか。
逃げねばならない。
逃げてはならない。
アレを、野放しにしてはならない。
奥歯が砕ける音がする。
知らず、力が入っていた。
何か、無いか。
目を凝らす。
――逆転の一手が無いかと目を凝らす。
■
「――――ふぅ」
意気の沈んだ仲間を尻目に、一人の男は息を整えていた。
アザゼルだ。
いや、その男の名は辰川群青と言うべきだろうか。
もともとがプロボクサー。
心が折れた程度で歩みを止めるほど繊細で軟弱な心など持ち合わせていない。その程度で足踏みしていたら、プロではない。
むしろ、強敵との対峙、という事実で心が踊る。試合の後遺症で視力が低下し、引退を余儀なくされた辰川はずっと燻っていた。戦う意志はあるのに、戦える身体がない。
〈大災害〉以後、そんな日々から脱却したのだ。
最初は、自らの意識と冒険者の身体の間にある不整合さに四苦八苦した。身体のサイズが違う。身体の反応速度が違う。少しの動作で勝手にアシストモーションが入ってしまう。数え始めればきりがない。
それを。
それを、彼は愚直なまでの鍛練で克服したのだ。
アザゼルという冒険者が今現在シブヤにて単体最強戦力と呼ばれているのは、何も中身が元プロボクサーだからではない。
強さの基準がステータスとして明示される中で、ステータスに反映される事の無い鍛練をただひたすらに続けることが出来るからだ。
彼からすれば、自らの弱さを嘆く〈冒険者〉や他人の強さを羨み妬む〈冒険者〉――〈腐敗した魂〉は唾棄すべき存在だ。向こうでならまだしも〈エルダー・テイル〉ではスタートは平等だっただろう。
強くなろうと努力したのか?
それをしないで何をふざけた事を言ってやがる。
異世界転生したから無条件でチート性能?
何を馬鹿な。
努力無き上に成り立つ力なんて所詮頭打ちだ。
努力する事で、人は自らの限界を超えていくのだ。
だから。
努力だ。
強くなるために鍛練に鍛練を重ねたのだ。
〈大災害〉後、ずっとだ。ずっと、鍛練を重ねてきたのだ。
強くて当たり前だ。
シブヤで初めての〈天界技〉――〈口伝〉を会得したのだって、その延長に過ぎない。
〈必殺の一撃〉。
〈10カウント〉。
〈真・拳闘〉。
そして、目の前にはそれをぶつけても問題の無い相手。
口端が歪む。
意気は顕揚。
ここまで戦意が昂ったのはいつ以来だろうか。
〈大災害〉後では引き抜きに来たミナミの使者達を叩き潰した時か。――いや、〈大災害〉前のタイトルマッチ以来だろう。
だから。
「――恨み言は後で聞こう」
身体の自由が奪われたことに、一瞬だけ対応が遅れた。
■
そして、気付く。
ワールドマスターの名前に、一つの変化が現れている事を。
この戦闘が始まった時の名前は〈「・ェ・鬣ェ・鮃マ、ィ〉だった。
だが、今は。
〈■■の典■_Grudge-of-Hero-001〉。
前半は解らないが、後半のそれは見覚えのある名前だ。
テストサーバーに実装された際は猛威を振るった、強敵。
各国の勇士たちをボロ屑のように屠ったボスエネミーの名。
もちろん、日本のサーバーでもそれを雛形としたクエストボスが実装され、その攻略には数多のギルドが挑戦していった。
ヤマトにおける、その名は。
「――〈ルグリウス〉、か」
実装されたルグリウスに与えられたのは正確な数値は覚えていないが、一定ゾーンの中にいる冒険者の数に応じてステータスを大幅に上昇させるという能力と吹雪の発生能力。
無論、雛形である〈Grudge-of-Hero-001〉にもそれに近しい能力が与えられており、しかもナンバリングが001である以上、一番最初の試作エネミー。何よりそれが厄介だ。
アルタヴァ社のボスエネミーの試作パターンとして、まず最初にスペック過剰とも言える性能を盛り込む。そこから、〈冒険者〉が倒せるだけの性能に落とし込んでいく。そして、最終的には最低でも010程度になっていた筈だ。
つまり、001とは当時の有志達でも倒せなかった正真正銘のチートボスエネミーであるということ。
ギルファーの記憶にある〈Grudge-of-Hero-001〉の特殊能力は「敵対人数に比例しての各種ステータスの上昇」「敵対冒険者の装備グレードに比例して各種ステータスの上昇」「一定時間毎に弱点と耐性の属性の変更」「戦闘ゾーン内でMPを消費した攻撃を受けた際にその攻撃に消費したMPの三割を吸収する」「配下エネミーの召喚能力」「残HPが五割を下回ると各種ステータスの大幅上昇」だ。確か、まだこの他に二つ三つはあった筈であり、もし、ワールドマスターがその通りの能力を有しているとすれば到底勝ち得るものではない。
――だが、戦い方次第で勝ち得ないものでもない。
――だが、死ねば、どうなるか、解らない。
覚悟を決める。
ギルファーは口を開く。
「――恨み言は後で聞こう」
一度、ワールドマスターを見据えた後、大きく後方へと跳躍する。
すると、その動きと全く同じ速さで、全く同じ動きで、残りの十一人全員が、顔に驚愕を貼り付けたまま後方へと跳躍する。
ギルファーの扱う五つの〈天界技〉の一つ。
その名も〈さぁ、共に踊ろう〉。
周囲の〈冒険者〉に〈道化師〉の固有モーションを与える、というスキルを昇華させた同一ゾーン内の冒険者に自らの動作を強制的に追随させるという軽やかな名前とは裏腹に対冒険者においては凶悪無比な〈天界技〉。
それを用いて強制的にワールドマスターから距離を離す。
そしてそのまま〈緊急離脱香〉を地面へと叩き付ける。距離を離したのは、ワールドマスターが煙を吸わないようにする為だ。本来、〈緊急離脱香〉はモンスターに効果は無い。しかし、アレにも効果が無いかまでは現状の情報では解らない。ならば、最善を。
この場から逃げる為、ではない。
――この場から、逃がす為に。




