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十二人は、一つの巨大な扉の前に立っていた。
その扉は、暗灰色の重厚な代物であり、これを常用していると考えればこの奥にいる存在の大きさは少なくとも高さが二十メートル程か。
見るからに、一目でこの得体の知れないダンジョンの最奥だと理解できる。
「……結局、ここまでなんも無しだったな」
リカルドの言葉通りに、何も無かったという訳ではない。小休止の後、気を引き締め直した彼らではあったが、それに反するように手応えというものが一切感じなかったのだ。
途中待ち構えていたフロアボスもランクが〈パーティ×2〉でレベルは七十。厄介ではあったものの手古摺るような相手ではなく、精々がHPとMPを三割消費した程度。
「というか、どっちかっていうとモンスターよりも道中のギミックのほうが面倒くさかったわ。落とし穴とか槍降ってきたりとか暗闇でお化けと戦ったり」
疲れた表情を浮かべるロシナンテがため息混じりでそう口にし、何人かはそれに同意するように首を縦に振る。
小休止を終えて、ここに至るまでに通過したゾーンは五つ。
一つ目は落とし穴や壁から槍が飛び出てくる、宝箱から毒ガスが噴き出すなどといった古典的とも言えるトラップ迷宮ゾーン。
二つ目は湖の上に人一人が乗れる程のサイズの蓮の葉が浮いていて、それを足場として進んでいくゾーン。
三つ目はフロアボスラッシュゾーン。
四つ目は光源魔法・アイテムが使用不可であり、幽霊系モンスターが蔓延る無明のゾーン。
五つ目は壁がすべて鏡面で構成されていて、床という床が傾斜となっている方向感覚を狂わすゾーン。
「……ここ、マイハマじゃねぇよなぁ」
「そう考えたくなる気持ちもわかるけど違うわよ。そもそもマイハマにはコーウェン家がいるじゃないの」
†ラグナロク†がそう考えたくなる、と口にしたのはつまりそういう事だ。
どうにも、このダンジョンはアトラクション染み過ぎている。強制ソロ・ペアゾーンが無ければ、どこぞの戦闘系ハーレムギルドがデートコースに組み込んでもおかしくない出来栄えですらある。
「それで、旦那に推定有罪。ここまでのダンジョンでテストサーバーっぽいのはあったか?」
「二個前のゾーンはテストサーバーで有ったね。確か、アメリカサーバーで実際に導入されてたね。クリア報酬は〈Ghost-Hunter〉と〈Old-Onse〉のサブ職に転職出来る〈証〉だったかな」
最早、ここまでの道中で全員がこのハーフレイドクエストはテストサーバーと何らかの繋がりを持っている、と確信していた。
そうでなくては、説明が付かない。
テストサーバーでしか存在できない筈のアイテムの数は既に五十種を超える。
一つや二つ程度ならば、ミスの可能性も否定できないが、ここまでとなると作為的なものを感じざるを得ない。
「フロアボスとして姿を見せた〈Hunting-Beast-017〉や〈Knight-of-Ghost-023〉も、魂の限界が今よりも手前に引かれていた時代に〈世界の揺り籠〉で見覚えがある。その後にレイドボスとして登場した〈狂奔する狼王〉や〈空虚なる騎士団〉として存在の起源、とでも言えばいいのかな」
「ふーむ。そうなるとやっぱ道中で出てきた見たことある初見のモンスターなんかはさぁ」
「新パッチによる新モンスターかと思ってたけど、デバック後だけど未実装だったモンスターと考えていいかもしんねぇな。 つーか、よくよく考えればソロで戦ったボスもそうだったのかもなぁ」
「でもよ、テストサーバーならテストサーバーでレベル90オーバーの敵も居るはずだろ? 少なくとも、今回のはレベルキャップ解放だ。そこら辺の調整用のがいたはずだ。それがなんで出てこないんだ?」
「ワールドマスターさんとやらがやってるのがMMORPGじゃなくて、RPG作成シミュレーションなら、そこら辺も意図的なんだろうなぁ、としか考えられないけど」
結局、突き詰めていくとそこなのだ。
ワールドマスターは、何を目的として、このダンジョンを作り上げたのか。
「考えるのは後だ。扉が開くぞ」
ギィ、と錆び付いた蝶番の音を響かせ、最奥のゾーンがその顔を覗かせた。
緊張感が十二人を包む。
扉が完全に開くと、最奥のゾーンから冷たい風が流れてくる。
無音。
開け放たれた扉の奥は暗闇よりもなお深い黒。
その中で、紅き双眸のみが恒星の如くに輝きを放ち、深淵の底に鎮座している。
瞬間、その不気味さに気圧され、息を飲む。
足が止まる。
言葉が止まる。
敵を眼前にして、本来ならば致命的ともいえる数秒間の沈黙を、彼らは得た――筈だった。
沈黙を破ったのは二人の矛盾。
「うお、こりゃあ、中々のプレッシャーじゃね? いやー、こうなってから初めてのレイドボスだけどこれ中々怖いな」
「その割には楽しそうだぞ、お前。ま、俺も滾るけどな」
両腕に大盾を構えたリカルドはそう楽しそうに口にして一歩前へ。
それに続くように十二人の中で唯一の〈幻想級〉装備を有するアザゼルもその相棒〈日輪紡ぐ革紐〉を起動状態へと移行させ、同様に口元に笑みを浮かべ、リカルドの隣に。
このメンバーの中では最強の盾と矛。
威圧感など暖簾に風と、いつもと変わらぬ口調で両者は競うように最前線へと立つ。
「……ほんと、男ってバトル馬鹿よね」
「貴女も似たようなものでしょう。ま、メイン垢で来てれば私ももう少し楽しめたんですけどねぇ」
†ラグナロク†はやや呆れながら、推定有罪はやや残念そうに、だが、両者もまたやはり楽しそうに笑いながら、彼らの後に続いた。
ロシナンテが、ぱぷりかが、雪ん子が、ライサンダーが、M・Dが、ラチェットが、ビターが、それに続くように各々の得物を構えて陣形を整える。
そして、待つ。
ただ一人の号令を。
「――では、このハーフレイドのエンドロールでも見に行こう」
■
床と壁、天井の境目が解らぬほどの漆黒に染められた部屋の中へ陣形を保ち、周囲を警戒しながら一歩ずつ足を踏み入れてゆく。
足を踏み入れる度に減少していく重圧に首を傾げながら、十五歩ほど歩いた時だろうか。
突如、スポットライトのように白き極光が紅き双眸の主を照らし、その姿が晒される。
その成形は人のそれで、スレンダーな女性といったところだろうか。少なくとも一見する限りではモンスターのそれではない。
大きさは170センチと言ったところ。
ただ、不可思議な点は、その身体にはノイズが走るように10センチ四方のブランクが所々に現れている。まるで、現在進行形で身体を作り上げているようにすら見える。
しかし、その中で視線の定まらぬ紅き双眸だけが純然たる意志をもってそこに君臨していた。
「よ、、よう、、こそ、、、、。わ、た、し、、が、、にわ、、、へ」
ギギギ、と鈍い音と共に声が響く。
紛れも無く紅き双眸の主の口と思しきものからの発声。
だが、それに驚くような事は無い。
〈大災害〉以前から、人語を話すレイドボスやモンスターは数多く存在したからだ。
「け、け、けれ、、ど、、、。ま、だ、、たり、、ない、、、」
ぎこちない言葉。まるで、覚えたての言語を話しているようだとギルファーは感じた。始めて言語を話す、ではなく、常用言語以外の言語を話す。例えば、日本人が英語の授業で話しているような。そんな、拙い言語だ。
「だ、から、、、。まだ、、わ、、、、たし、、は、、、ふか、、んぜ、、ん、、、、」
ただ、一方的に話しかけてくる。
レイドボスにはこういうパターンも無い訳ではない。持論を展開した後、襲い掛かってくる、というものだ。
その一環。
戦闘が始まるまでの僅かながらの猶予期間。
だが、おかしい。
少なくとも、ギルファーはそれを感じ取っていた。
確かに、目の前の相手はこのゾーンの主たる存在――ワールドマスターだろう。
「……なぁ、推定有罪。あれ、見覚えは?」
「ある訳ねぇだろ」
傍らのリカルドの問いに、推定有罪は即答する。
そうだよな、とリカルドは返ってきた答えに安堵のため息を漏らす。
もしかしたら、レイドボスもテストサーバーにいたボスかもしれない。それは想定していた事だ。
しかし、
名 前:〈「・ェ・鬣ェ・鮃マ、ィ〉。
レベル:〈‐‐〉。
ランク:〈ィ・鬣ン×1A〉。
目の前の紅き双眸の女性から読み取れるステータスは、なんだ。
名前欄はどう考えても文字化けだろう。
レベルが無いとはどういう事だ。
そして、あのランクは一体なんだ。
テストサーバーですらあんなものは見た記憶がない。
あれは、やはり異質なのだ。
「、、、〈共■子〉、を、、、あつ、、、、、め、て、、、、、かん、、、ぜ、、、ん、」
紅き双眸が爛々と輝きを放ち、その視線がこちらを見定める。
「に。に? に。に! にににに、ににににににににににににににににににににににににににににに!!!!!!!!!!」
それは既に言葉では無い音の羅列。
そして、その音の羅列と共に身体のブランクが鈍色に埋まっていく。
「〈共■子〉、〈共■子〉。〈共■子〉を、よこ、、せ、」
牙を剥く。
〈共■子〉とやらが何かは聞き取れない。
だが、自分たちに向けられて発せられた言葉だという事は理解できる。
そして、気付く。目の前の存在は、狂っているように見えて、その実、狂ってなどいないのだ、と。
足りないのだ。
産まれたばかり赤子が泣いているのと同じ。
それ故に、それは拙い言語ではなく、明確な意思の発露。
「……んなっ!?」
驚愕の声は誰からか。
いや、全員からか。
ブランクを埋めた鈍色が膨れ上がり、そこから人型が零れ落ちる。
部下となるモンスターの召喚能力持ち。
厄介だ。
目の前のワールドマスターは得体が知れない。少なくとも、正常ではない。そんな相手が召喚するモンスターがまともである筈は無い。
アキバの〈円卓会議〉ならば、目の前の存在について何か知っているかもしれないが〈念話〉機能が使用不可の現状ではそれを聞くことは不可能だ。それは、この場では諦める。
零れ落ちる人型の数は十二。
それは、両腕に身の丈ほどの大盾を構えた人型。
それは、馬頭の杖を構えた人型
それは、紅蓮のセーターに白の外套を纏う人型。
それは、特撮ヒーローじみたスーツに身を包む人型。
それは、鋲が付いた黒い革製のジャケットに身を包む人型。
それは、両腕に陽炎を纏う人型。
それは、黒金のエプロンを身に纏う人型
それは、藍と白で刺繍された和装を纏う人型。
それは、柄の付いた大樽を得物とする人型。
それは、着崩した艶やかな着物を纏う人型。
それは、左腕に黄金に輝く腕輪を付けた人型
それは、白亜の儀礼服に身を包んだ人型。
それは。
「自分の敵は自分、ってやつか?」
ワールドマスターは鈍色の人型を産み落とす事で役目を終えたのか、紅き双眸を閉じ、直立のまま動いていない。
そして、それを守るように迅速に陣形を取る十二の鈍色の人型。
「偶然……って訳じゃなさそうね」
「だろうな」
✝ラグナロク✝の呟きに頷きと共に言葉を返す。
鈍色の人型たちが陣形を取る際に、自分を模した人型がハンドサインを使用していた。
そして、それは自分たちにも意味が通じる。
その陣形は、紛れも無く自分たちが〈右手に剣を、左手に盾を〉と呼ぶ基本形。
リカルドとギルファーを中心に据えて、その周囲にぱぷりか、ライサンダー、推定有罪、ビター、ロシナンテ、ラチェットで六角形を構成。両翼にはそれぞれ機動力の高い雪ん子とM・D。最前線にはメインアタッカーとなるアザゼル。最後尾には✝ラグナロク✝を配置することで全周からの敵襲に対応可能な陣形。
それを、鈍色の人型は成したのだ。
どこでそれを、と考えたギルファーだったが、簡単に答えを導き出す。
誰かに見られている、と感じたのは他ならぬ自分。
その誰か、とはつまり、どういう能力かまでは解らないがワールドマスターだったのだろう。
ならば、ずっと自分たちを見ていたのだから、それを再現できるのも頷ける。トレースするだけならば、誰にでもできる。それこそ、この他に十一ある陣形のどれを使ってきても不思議ではない。
そこに思考が至って、ギルファーは戦慄した。
ハンドサインを出した鈍色の自分を睨む。
「確かに、私でもこの状況ならば初手は〈右手に剣を、左手に盾を〉だろうさ」