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IFの話は誰にでも出来る。
それは未来への指標の事かもしれない。
それは過去への墓標の事かもしれない。
ただ、少なくともそこに見るのは願いの物語だ。こうなるだろうという希望。こうなっていたかもしれないという希望。
ではその分岐点はどこにあるのか。
オフラインゲームではそのIFを文言こそ違えど『はい』『いいえ』で分岐させる。勿論、近年では複雑な内部計算で分岐を発生させる物もあるが、少なくとも明確な分岐点。運命の三叉路は存在していた。
ではMMO-RPGである〈エルダー・テイル〉にも分岐点は存在するのか。答えは存在する。例えばパーティーの結成。ギルドの結成。クエストの成否。しかし、そこに明確な『ここが分岐点です』という代物は少ない。その殆どが過去を思い出して気付くものだ。『あぁ、ここが分岐点だったんだな』と。
だが、明確な分岐点が今ここに存在していた。
〈リライズ〉がシブヤを襲い、返り討ちに合ってから半日以上が経過している。
アキバとシブヤのちょうど中間地点程の森の中。不自然に開けた広場がある。片翼の天使ギルファーと〈S.D.F.〉一番隊のメンバーが見守る中、月夜の下で〈妖精の輪〉がきらめきを発する。それは一人の〈冒険者〉を飲み込んだ光だ。
飲み込まれた〈冒険者〉が命乞いともとれる叫びを発するが、言い終わる事無い。
この世から音が消えたかのような不自然な静寂が訪れる。
何故か。
それは〈妖精の輪〉の利用者がほぼいないという事だ。
名ばかりのフレンドリストに目を落としていたM・Dはその名前が白から灰色に染まるのを確認して、静寂を壊さぬように事務的に口を開く。
「リボ、フレンドリストからロスト。日本サーバ外への転移を確認」
〈妖精の輪〉は一種の転移装置である。それも全世界的な代物。ハーフガイアによって世界が小さくなっているとはいえ、それでもなお広い世界のどこかにノータイムで転移できるとなれば〈都市間ゲート〉が使用不可となっている現状では非常に便利な代物、という訳ではない。一日単位の月齢と一時間単位の日の巡りでその行先を決定させる〈妖精の輪〉を現状把握出来ている人物など存在しない。
それを解明しようとしているのが〈円卓会議〉の調査団なのである。彼らの調査も順調という訳ではない。全ての行先を把握するには月齢である二十八日が必要となる。いや、確認をしなければ確証を得られない。つまり、一つの〈妖精の輪〉につき最低限の保障として五十六日が必要なのだ。
勿論、バックアップ体制のしっかりした〈円卓会議〉としてもその程度の進捗なのだから〈S.D.F.〉が〈妖精の輪〉を把握出来ている訳がない。それでも今日の周期でいえば十四時間分のサイクルは把握できた。
それを可能としているのが〈リライズ〉のメンバーと共に転移している〈火食い石竜子〉であり、〈幻獣憑依〉を用いる〈召喚術師〉の存在。
その〈召喚術師〉である〈S.D.F.〉一番隊の六人目オール・D・レイクが言葉を続ける。
「〈緊急離脱香〉の発動も確認。場所は〈セブンヒル〉……いや、さすがに疲れてきたんだがどうにかならない?」
〈幻獣憑依〉は〈再使用規制時間〉もそれほど大きくないスキルではあるものの、自分以外の視点や身体感覚での行動を余儀なくされる代物であり、スキルの習熟度以外に『慣れ』のような言葉に表せない『適正』が必要となってくる事が判明している。
乗り物酔いのようなもの、と考えてもいいのかもしれない。
もっとも、乗り物と言っても自家用車でアウトな人間。荒波を行き交う漁船でアウトな人間。飛行機がアウトな人間。と、モンスターの種類によって各々に得手不得手が存在するという訳だ。
その中でオール・D・レイクはと言うと有名どころの〈ウンディーネ〉や〈サラマンダー〉に加えて〈黒き鼠の王〉といった期間限定のレアネタ召喚生物、〈鬼神一刀斎・八重桜〉〈砂棺の護獣〉〈石櫃の巨兵〉〈黒き幸運の骸兵〉などの強力な召喚生物。果ては〈銀鎧百足〉〈樹海喰蝗〉といった虫系召喚生物も含めて彼の所有するその全てに〈幻獣憑依〉の適正を持つ。
「君しか頼れる〈召喚術師〉がいなくてな。なに、あと一人で終わるのだ。辛抱してくれたまえ」
〈セブンヒル〉という単語を〈ビラ配り〉を用いてメモしているギルファーが申し訳なさを出さず涼しい顔でそう口にする。
「まぁ、あんたらが何をしてても俺には関係ないからいいけどよ。俺のアキバでの居心地を悪くするなよ?」
「〈詐欺師〉で身分を偽って〈幻獣憑依〉でアキバやシブヤをくまなくピーピングしている男の居心地がどうなろうと自業自得だと思うが」
「それ言われるとなんも言えねぇな」
オール・D・レイクは一つの趣味として〈黒き鼠の王〉と〈幻獣憑依〉を用いた独自の情報網を持っている。それは、〈黒き鼠の王〉とその元に集う鼠による情報網だ。シブヤとアキバに生息している鼠たちを配下として主要ギルドのギルドハウスに忍び込ませ、あらゆる情報を集めているのだ。元来が警察無線などの傍受を趣味としていた彼にとっては自らの娯楽も兼ねた公私混同である。
そして、その集めた情報で〈S.D.F.〉と〈ACT〉が何をしているかを突き止めた人物でもある。それ故に一番隊の六番目を務める男だ。
勿論、彼自身も決して誉められる行為ではないと自覚している辺りはまだ良識が残っているのだろう。
溜め息を一つ吐いたオール・D・レイクは残された最後の一人に言葉を投げた。
「そんで、死刑執行を待つ気分はどうよ。後学の為に教えてほしいんだけど」
「……」
ギルドマスターの伐人、ではない。彼は真っ先に〈妖精の輪〉で〈ビッグアップル〉へと送られた。ある意味で伐人は最後まで立派だったと言える。〈妖精の輪〉に飲み込まれている最中ですら推定有罪への罵詈雑言を尽くしたのだから。もっとも、その推定有罪は終始冷めた視線を注いでいたが。
「……なんで」
ボソリ、とその男が口を開く。
「……俺達が何をした? こんな、こんな仕打ちが許されるのかよ」
「異な事を口にするのだな、地獄の使者ディーム君」
「だってそうじゃねぇか! 俺達は何も出来なかったじゃねぇか。未遂だ。未遂だってのにこの仕打ちは!」
何も出来なかった、と言うのは結果論に過ぎない。確かに〈リライズ〉の企みは阻止されたが、それは〈S.D.F.〉が〈大地人〉が動いたからだ。流石にそれは反論にすらなっていないあまりにも身勝手な主張である。
だが、それにギルファーは言葉を返す。
「この世界には罪を裁く法が無ければそれを的確に定める天秤も無い。成る程、確かに今回の君達への対処に不満が有ると言うのならば真摯に受け止めるとしよう」
そして、その言葉を受け継いだのはリカルドだ。
「けどな、罪ってのは裁かなきゃ駄目だ。正直者が馬鹿を見る、真っ当に生きてる奴が損をするってのが俺は嫌いだ。だから、俺は一つの法を決めた。別に難しい話じゃない。うちのギルドにゃ小難しい法学だのやってる奴なんていないからな。誰でも分かるものさ。お前も聞いた事ぐらいはある筈だぜ。『撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ』ってやつ。お前らはシブヤという『世界』を壊そうとした。ならよ、お前らの『世界』が壊されても文句を言うのはまぁ百歩譲って許すけど、それを受け入れろ」
「……じゃあ、なんで俺が最後の一人なんだ。あいつらはなんで当てはまらない!」
ゲノムが睨んだ先ではその視線から逃れるように身を縮めるボス=リンクス達の姿がある。彼の言う通りに彼ら六人は〈妖精の輪〉送りになっていない。その理由は反省したから、ではない。
それに答えたのはギルファーだ。
「簡単なことだ。彼らがいつシブヤに牙を向けた? 彼らが牙を向けたのは私と言う個人だ。今まで君たちが〈S.D.F.〉に牙を向けていたのと何ら変わりはない。故に、彼らの罪は私で完結する」
つまりはそういう事だ。
ボス=リンクスら元〈クロスノート〉の六人は今回の企てに参加しているが彼らの目的は片翼の天使ギルファーという男であって、シブヤという街ではない。
現状のシブヤという街のシステムを疎んじていた〈リライズ〉と、片翼の天使ギルファーという存在を疎んじていた〈クロスノート〉。
その違いが、今の結果である。
「そ、それじゃあ〈ブレーメン〉に〈ACT〉はどうなんだ? アイツらも俺達みたいに〈妖精の輪〉で外国鯖に放り込むのかよ」
「そいつらもシブヤの街を攻撃すればするかもな。他の方法を使うかもしれねぇぞ? それに『三席連合』の連中に限った話じゃねぇさ。ミナミだろうがアキバだろうがススキノだろうがナカスだろうが〈冒険者〉だろうが〈大地人〉だろうがイースタルだろうがウェストランデだろうがモンスターだろうが。この街を害そうって連中は全員だ。俺らの幕引きは俺らで決める。他の誰にも譲ってやるかよ」
それは、ある意味でミナミを覆う独裁とは違う独裁ですらある。
つまり、リカルドはこう言ったのだ。
シブヤの敵対者は徹底的に叩き潰す、と。それも、シブヤは〈円卓会議〉という決定機関を有するものではない。〈S.D.F.〉の独断でそれを決定する。そこに他者の意見は認めない。それが〈S.D.F.〉の世界だ、と。
ぐ、と呻く声はディームの口から洩れる。
何を言っても〈妖精の輪〉へと放り込まれるのは避けられないと知ったからだ。
「腐敗した魂よ。君たちのシブヤでの物語はバッドエンドだ。しかし、考えてもみたまえ。レベル九十一の魂を持つ者よ。開墾されしはこの地のみ。異国の地は未だに開墾すらされていない。堕ちたとは言え天使たる私が口にするのはどうかとも思うが、あえて言おう。蜘蛛の糸を登れ、腐敗した魂よ。彼の地ならば、君たちの腐敗も浄化されよう。もっとも、君たちの心持ち次第ではあるが、ね」
そのやり取りを眺めていたM・Dが再度口を開く。
「……そうやって決めてる最中悪いけどな。次までまだ五十分以上あるからな」