20
ボス=リンクスは自分以外の心が折れているのを自覚した。
それは彼らがたった一人の男に完全に敗北した事を意味する。
ほかの四人はまだ大丈夫かもしれないが、少なくともトライはもう再起不能。
それほどまでに、今の光景は異常だった。
「――、あ、あ――。ふむ、やはり発声に支障はあるな。――まぁいい」
そして、勝者は喉元のナイフを引き抜き、言葉を発する。
〈冒険者〉の身体は高性能である。
だからと言って痛みを感じない訳ではない。痛みを減じて感じるだけだ。
ボス=リンクスはそれなりの非道を行ってきた自負がある。少なくとも、対人戦闘《PK》の経験値は群を抜いている自負がある。その為、どの程度の傷がどの程度の痛みに変換されるのかを理解している。
それ故に、目の前の男が得ている痛みを理解できてしまう。
その痛みに耐える事の出来る異常を理解できてしまう。
「まだ続けたいなら付き合わないでもないが、どうする? 私としては観客がいないのはあまり好きではないのだが」
「ふざけやがって……」
しかし、ボス=リンクスは言葉を絞り出す。
これでは、自分が弱者ではないか、と。今まで己が痛ぶってきた弱者と同じではないか、と。
そうではない。
自分は違うのだ。
この世界では全てが自由なのだから、自由に生きるのだ、と。
だからこそ、理不尽な相手に膝を屈する訳にはいかない。自分が、そんな弱者である筈が無い。
それはあまりにも自分勝手が過ぎる考えだが、少なくとも、ボス=リンクスが〈大災害〉から今まで抱えてきた一つだ。
自分は違うのだ、とひび割れた心で自らを鼓舞するように言葉を絞り出す。
「その通りだ、ボス=リンクス君。よく私を理解しているじゃないか。〈道化師〉とはそこに在るだけで場を道化の丸盆へと変容させる舞台装置」
〈道化師〉が言い終わると同時に周囲の森から〈エルダー・テイル〉のメインBGMが響き出す。
そのあまりにも懐かしい曲に、何故このタイミングで、という気持ちは吹き飛ばされる。
常識的に考えれば目の前で引き抜いたナイフを指揮棒の如く空へと振るう〈道化師〉の仕業だという事は理解できるが、それ以上にひび割れた心の隙間に聞きなれた曲調が沁み渡る。
〈大災害〉以前、ただのMMORPGとしてディスプレイを前にしていた頃を思い出す。
ごく普通のプレイヤーだった自分を。
PKなどした事がなかった頃の自分を。
猫田泰長という人間を思い出す。
「ならばこそ。ならばこそだよボス=リンクス君。〈道化師〉たるこの私が。道化の丸盆に存在する以上は如何なる状況でも正負の揺らぎはあろうが、ふざけなくては私の存在が嘘だろう」
「だったら、テメェは嘘でいいだろうが!」
だが、吠える。
そんな昔を思い出してどうなる。
この身体は猫田泰長ではなく、ボス=リンクスという〈冒険者〉だ。
今更、猫田泰長などという高校中退引き籠りニート暦十年の負け組に戻れる訳がない。
だから、ボス=リンクスという自己を保つために。
弱者に戻りたくないが故に。
自らに自らで嘘を吐く。
「まったく、呆れるほどに君は私たちの本質を理解しているな。シブヤは、アキバほど清廉な街ではない。清濁併せ持つ、というほど寛容な街ですらない。清も濁を生み出しているのが今現在のシブヤだ。それこそがこの街で行われている演目なのだ」
「? なにを言ってやがる……」
「つまり、だ。〈S.D.F.〉という正義の味方も、〈ACT〉という悪の組織も。すべてはそう定められた役柄に過ぎないということ。その演者は極上の嘘吐きでなくては話になるまい。観客《シブヤの住人》を欺かなくては一流の演者とは言えんだろう?」
「それじゃあ、テメェらは、」
〈道化師〉は高らかに宣言する。
「私と彼らは既に〈冒険者〉などではなく、言うなれば一つの〈NPC〉なのだ。〈冒険者〉と〈大地人〉を導く為の。物語を望んだ方向へと導く為の、な」
「それが、なんで俺らの邪魔をするっ! 俺らは、自由だろうが! 何をするにしても、テメェらの筋書き通りにする必要は――」
「ボス=リンクス。君は、トライ君を見てこう思ったな? ――『PKはもう出来ないだろう』と。何を勘違いしている? そんな事を思う時点で、君たちは既にただの敵だ。死んでも死なないのだから殺してもかまわない? ふざけるな。調子に乗るな。そんな結果に甘えるな。――君たちはただの人殺しだ。殺してやる、と思う事はいい。殺してやる、と口にする事もいい。――だが、殺してしまったらそこで終わりだろう。考えて見ろ。私たちは何時までここにいるのだ? 不死のこの身体が朽ち果てるまでか? 馬鹿げた事を言うな。甘えた事を言うな。始まりが唐突だったのだから終わりもまた唐突に訪れたとしてもなんら不思議ではない。PKに抵抗が無くなった腐敗した魂を〈天界〉へと導くことなどどうして見過ごせようか。少なくとも、君たちはその事実に耐えられるほど強くはあるまい。――人が、人を殺すと言う事はそういう事だ」
「ふざ」
けるな、と。言葉は続かなかった。
カラン、と足元から音がする。
視線を落とすと、それは、自分が持っていたはずの武器だ。
何故、とは思えなかった。
「――それにな。ガキがやらかした悪さを怒るのが大人ってもんだろ」
それは、今まで聞いた事の無い声色。
ギルファーの口調では無いが故に、ギルファー自身の言葉。
そして、そんな言葉は猫田泰長でも聞いたことがなかった。
だから、ただ単純に。
自分はもう武器を持つことが出来ないのだと知った。
そんな人間ではなかったと、思い出してしまったから。
■
「伐人」
そして、シブヤの街外れでは一つの戦いが始まろうとし、終わろうとしていた。
「推定有罪ッ!」
「君のお仲間は全員拘束されたよ。勿論、門の前のゲノムや、ギルを狙ってたボス……だっけ? まぁ、彼もだ」
推定有罪は今回の大捕り物についての管制を任されている。
それ故に、全ての情報は〈念話〉を介して彼の元に集まる手はずになっている。
「――全部お前らの手の平だったって事か」
「いや、それは違うかな。予定では貴方もウェッジさん達〈大地人〉部隊に捕らえられている筈でしたから」
筋書き通り上手くはいかないものだ、と思う。
シブヤの街中での攻撃は基本的には不可能である。なぜなら攻撃を察知した〈衛兵〉が現れるためだ。
しかし、それは〈冒険者〉にのみ適用されるルールだ。
〈大地人〉にはそのルールが適用されることはない。
なぜなら彼らは元々は『街』を構成するオブジェクトの一つだからだ。意思を持ったからといってそれが変わることは無い。
〈大地人〉は〈冒険者〉よりも弱い。
それは揺ぎ無い事実だ。だからこそ〈大地人〉が〈冒険者〉に牙を剥く事は無い。少なくとも、それが暗黙の了解となっていた決まりだ。
だが〈大地人〉は決して弱いわけではない。
これを理解できていない〈大地人〉や〈冒険者〉は多い。
推定有罪の個人的な考えでは、一対一の戦闘訓練なら勝つことは出来る。しかし、一対一の命の奪い合いとなったときに勝てるかといわれれば、勝てない。
何故なら〈冒険者〉は本当の意味で命を賭けたことが無いから。
今回は、それを最大限に利用したものだった。
〈リライズ〉の〈冒険者〉にとって〈大地人〉は歯向かいこそすれ、武器を手に向かってくる相手ではなかった。
〈大地人〉にとって〈リライズ〉の〈冒険者〉は歯向かいこそすれ、武器を手に持って抵抗するほどではなかった。
勇気と無謀は違う。
他ならぬ〈大地人〉がそれを理解していたから。
だから、武器を与えた。
それも、仮初とはいえ命を奪えるほどの武器を。無謀を勇気と呼ぶことができる武器を。
しかし、武器を得た〈大地人〉は〈リライズ〉の〈冒険者〉を殺しはしなかった。拘束して、終わらせた。
それが〈大地人〉としての矜持なんだ、とウェッジから作戦成功の報告とともに〈念話〉を受けた。
「それで、貴方はその分だけ私の手の平から転げ落ちた。おかげでこっちはやるつもりのなかった労働しないとってかんじですよ」
腰から〈万象の儀礼剣〉を引き抜き、逆手に構える。
それだけで、こちらの意図は通じるだろう。
仲間を見捨てて、その場を逃げ出した伐人に追いついたのはシブヤの街外れ。
シブヤでありながら、〈大災害〉の後に拡張された〈スラム街〉。すなわち〈衛兵〉の監視の目の届かないゾーン。
「ハッ、〈法儀族〉の〈付与術師〉が俺とタイマンだ?」
「ほんと、勘弁してほしいよ。お前はもう少し、仲間思いだったと思ったけど」
現在、こうなっているのは推定有罪が見誤ったからだ。
伐人という〈冒険者〉を。
「知ったような口を……」
「知ってるからだよ、伐人。忘れたのか? 敵前逃亡は厳罰、ただし――仲間を見捨てたらギルド除名だ、ってさ」
「……なんで、それをテメェが口にする」
伐人は双剣を抜き、戦闘体勢へと移行しながら不機嫌そうに口にする。
それは〈大災害〉の後に解散した戦闘系ギルド〈戸塚の剣〉で掲げられたルール。
デスペナを恐れて仲間を見捨てるような奴には背中を任せることは出来ない。背中を預けられない奴は仲間ではない。それ故に定められた絶対ルール。
「テメェは〈戸塚の剣〉の面子じゃねぇだろ」
「確かに、〈戸塚の剣〉は解散しちゃってるからねぇ」
「そうじゃねぇ。俺は〈戸塚の剣〉の幹部だったが、推定有罪だなんてふざけた名前の奴はいなかったぜ」
「そりゃそーだ。推定有罪はそのギルドにはいなかったもんなぁ」
口調が自然と変わるのを自覚する。
片翼の天使ギルファーほどではないが、もともと推定有罪というキャラクターは作られたものだ。
サブアカウントを使用するプレイヤーにはいくつかの種類がある。
例えばテストサーバーに常駐させるために。
例えばメインが戦闘系だから、サブは生産系を極めるために。
例えばメインでロールプレイを楽しみ、サブではまた別のロールプレイを楽しむ為に。
推定有罪は、その中では環境を変えるためだ。
いくら楽しいゲームでも、やり続けていれば飽きが出てくる。
少なくとも自分はそういう人間だ、と知っていた。
だから、気分転換の為にサブアカウント『推定有罪』を作り上げた。もっとも、気分転換を〈エルダーテイル〉内に求める辺り、どうしようもない位にゲームを楽しんでる訳だが。
そして推定有罪は、というか彼自身はやるからには徹底的に、という性格だった。
メインアカウントとサブアカウントは全く別の個体。繋がりなんか無い。関連付けられるような事はあってはならない。それでは、気分転換にならない。
だから〈大災害〉後の今でも推定有罪がサブアカウントだ、と知っていても彼のメインアカウントを知っている人物はいない。
「まだわからねぇのか、伐人。ほら、俺の名前を言ってみろよ」
「ギ、ギル、マス……?」
伐人の口から言葉が漏れる。
ギルマス、と。
それはこの場では〈リライズ〉のギルマスである伐人以外に当てはまる人物はいない。だが、伐人にとってのギルマスは一人しかいないのだろう。それは推定有罪にとって、少し誇れる事だ。だからこそ、推定有罪は伐人を罰しなければいけない。それがギルマスとしての責務だ。少なくとも推定有罪はそう考えている。
「よく見りゃ、その顔……。な、なんで、アンタがここにいるんだよ……。アンタ、ログインしてなかっただろ! なんで、今になって出てくるんだ! なんであのときに出てこなかったんだよ! 何か言えよ、ロード・スノウ!」
「ログインはしてたさ。お前が気付かなかっただけでな。顔上げて世界を見てりゃ色々と違うもんも見れただろうさ」
実際、推定有罪と伐人は〈大災害〉後に何度も顔を合わせている。何度も言葉を交わしている。
〈冒険者〉の顔は〈猫人族〉以外はリアル世界の顔の面影を残す。そして、〈戸塚の剣〉というギルドは月例オフ会というものが存在していた。
だから、推定有罪=ロード・スノウという図式は浮かび上がってもおかしくはないはずなのだ。
「俺が居なかったからそんな事をしてるとか、そんな泣き言言うんじゃねぇぞ? その道を選んだのはテメェ自身だ。桶屋が儲かったのは風の所為じゃねぇんだからよ」
〈万象の儀礼剣〉に魔力を込める。
バチバチと光を弾けさせる雷球が推定有罪にまとわり付く。
〈エレクトリカル・ファズ〉を自らに放ったのだ。
唯の自傷行為。
だが、ロード・スノウを知る人物にとってはその意味が大きく異なる。あらゆる攻撃に雷系攻撃エフェクトを追加する〈迅雷太鼓〉を背負い刀を振るう戦い方。そのロード・スノウの姿を幻視する。
「抵抗するなとは言わねぇよ。ただ、覚悟はしろよ?」