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「これより私たち〈S.D.F.〉はシブヤの街を害する虫の駆除を行うつもりです」
〈S.D.F.〉四番隊隊長、推定有罪はシブヤのメインゲートで言葉を発した。
その聴衆は彼のギルドメンバーやパーティメンバーではなく〈大地人〉である。
比較的良好な関係を結んでいるものの、彼と彼の背後にいる〈冒険者〉は警邏中に見せる軽装ではなく、各々が所有する最強の装備に身を包んでいるために一種の恐れの目で見られているのは仕方がない事だ。
「〈大地人〉の皆さんにも、協力をお願いしたい」
「協力と言われてもねぇ。僕たちに協力できることがあるのかい?」
二十人ほどの〈大地人〉の先頭に立ち、推定有罪の言葉に問い返したのはウェッジという名の〈大地人〉であり、シブヤの〈大地人〉勢力の中では五人しか存在しない(無論〈衛兵〉は除く)戦闘職である〈傭兵〉の女性だ。
もっとも、彼女もレベルで言えば三十四とレベル九十の〈冒険者〉の中に紛れて戦える訳ではない。レベル九十の〈冒険者〉が挑むハイエンドコンテンツに登場するNPCがレベル九十の〈古来種〉ならば、初心者・中堅者の〈冒険者〉が挑むコンテンツに登場するNPCとして設定されたが故である。
「はい。今回〈リライズ〉が手薄になったこの街を襲撃して混乱させようとするとの情報を得ています。もちろん、私たち〈S.D.F.〉だけで対応は可能です。――可能ですが、それだけでは意味がありません」
「意味がない? シブヤが守られればそれでいいだろう?」
ウェッジの言葉に〈大地人〉の中からもそうだそうだ、と声が上がる。シブヤに住む〈大地人〉はその殆どが〈大災害〉の混乱から身を守る為に〈冒険者〉に庇護を求め、〈冒険者〉もそれを受け入れたという経緯から何があっても〈冒険者〉が守ってくれる、と安心して生活している。
それは平和だ。
シブヤの街の中心部で生活しスラム地区へと足を踏み入れない限りは、安全に生活を営むことが出来る。
だが、それは正しき姿ではない。
推定有罪は、昨日ギルファーからそう教えられた。
「いいえ。〈リライズ〉に抵抗するのは私たちだけでは駄目なのです。襲われるのが〈S.D.F.〉ならば身に掛かる火の粉は自らで払いのけます。ですが、今回襲われるのはシブヤという街です。私たちと貴方たちとで〈大災害〉以後作り上げてきたこのシブヤという街です」
「――なるほどね。そういう事なら協力したいさ。けどね、僕たちは君たちと戦力については大きな差がある。〈衛兵〉の連中も出張ってはこないだろう? なら、僕たちは何をして協力すればいい? 他の皆の事は知らないが、生憎と身の丈に合わない戦いをする趣味は僕には無いよ」
これがウェッジでなければまた違った言葉も出たかもしれない。〈大地人〉の子供は一度は〈冒険者〉というものに憧れを抱く。その〈冒険者〉と肩を並べて戦おうというのならば、たとえ死ぬと分かっていても逸る気持ちを抑えられない者もいるだろう。
だが、彼女は違う。彼女の職業は〈傭兵〉であり、まさしく自分の力量を弁えている。熟練していない自分よりもレベルの低い〈冒険者〉相手でも彼らが持つ不死性の前には自分はほぼ赤子同前だ、と。
「何も私たちと同じ戦場に立って戦って貰おうとは思っていません。私たちが求めるのは、この街を守るのは〈冒険者〉ではなく〈シブヤの住人〉だという意思です。その意思の元で共に行動してほしいのです。ギルファーさんの言葉を借りるなら『そろそろ雛鳥は飛び方を覚える時期だ』と」
「ギルファー様も中々厳しいことを言ってくれるね」
「私もそう思います。ですが、このままでは貴方達が弱者の強さという嘘を得てしまう。その嘘では自分の身は守れない」
「……君達に甘えるな、委ねるなって事か。確かに、最近は――少なくとも僕は君達に甘え過ぎてたかな」
力なく笑みを浮かべたウェッジは推定有罪の口にした弱者の強さの言葉を意味を正しく理解していた。彼女とて〈冒険者〉を含めれば弱者だが、〈大地人〉の中だけに限定すれば強者の部類だ。その弱者の強さにかつて辟易とした経験もある。
だから、今の自分がそこにいると言われれば立ち上がるしかない。
「どうだい、みんな。確かに推定有罪の言う通りさ。僕たち〈大地人〉は弱い。けど、それに胡坐をかいて座り続けているだけじゃもう僕たちは〈大地人〉ですらない。僕たちは〈大地人〉だ。この大地と共に生きるものだ。――なら、生きようじゃないか。飛ばない鳥は死んでいるも同然だ」
「……んだな。空を飛ぶのなら鳥でもドラゴンでも飛べるんだもんな。〈冒険者〉さん方がドラゴンだからって鳥が空を飛んじゃいけないって道理はねぇな」
ウェッジの言葉に呼応するように、瞳を輝かせた〈大地人〉が声を上げた。彼らの中には確かに、自立の意思が芽吹いている。
だが、これは推定有罪の、というか〈S.D.F.〉として想定の内だ。
なぜなら、この場に集まっている二十人ほどの〈大地人〉はもともとそういう性質を持つからだ。そういう〈大地人〉ばかりに声を掛け、この場に集めたのだ。
だが、実際問題としてやる気を出したからそれで解決するという訳ではない。芽吹いたのならば、それを成長させるためのものが必要となってくる。
今回のそれは自信と経験だ。自分たちは空を飛べるんだ、という自信。空を飛べたんだという経験。それをどうやって獲得させるのか。
その方法は〈S.D.F.〉内でも何度も議論に上がった事柄だ。一番手っ取り早いのは〈冒険者〉による〈大地人〉のレベリング。もちろん、ただ経験値だけを分け与えるのではなく、戦闘技術の教練も実施した上でのものだ。しかし、それはギルファーの「一人を育て上げるのに掛かる時間は莫大でシブヤの街の〈大地人〉に実施することはほぼ不可能だろう」という経験者の言葉によって却下とされた。
「一つ、案はあります」
そして、推定有罪は言葉を作る。
「――聞くよ、推定有罪。僕たちに何をして欲しいんだ?」
「簡単な事です。相手が混乱を持ち込むのが狙いならば、初めから混乱していればいいのです」
■
シブヤの街の方角から火の手が上がっている。
〈S.D.F.〉が動き出したのだろう。リカルドからの「そっちは任せたぜ、旦那」という言葉を最後に彼らとの〈念話〉が通じなくなっている事からそれは確かだ。
ギルファーはシブヤへと向けていた視線を一度切り、視線を正面へと戻した。
「……問答無用で襲いかかってこないとは、君たちも存外紳士だな。いや、悪役の礼儀を知っているというべきかなボス=リンクス君」
「ハッ、そりゃあテメェには謝罪させねぇといけねぇからな。土下座で謝るまで死なさねぇとこっちの気がすまねぇんだよ」
その視線の先には六人の男たちが武器を構えて立っている。
全員に見覚えがあった。
今では彼の大事な仲間、家族であるクリア=ノーティスを追い掛け回していた男たち。腐敗した魂たちだ。
彼らは現状アキバのブラックリストに組み込まれていて、解除したとの話をロデリックから受けていない以上、その主原因であるギルファーが彼らから恨まれているのは当然の帰結と言える。もっとも、それは逆恨みだろうと思わなくもないがそれが彼らにとって前へと進む活力になっているのならば意味のある事だ。
「なるほど。か弱い女性を追い回すよりは遥かに健全だな」
「あぁ、健全だよ。テメェを殺したいぐらいにはな。抜きやがれよキザ天使、テメェは百は殺す」
「それは一向に構わんよ。片翼とは言え私は天の御使いだった男だ。死とは私にとって身近なもの。百程度の死で私を殺すに足るかは君らの手で証明するといい」
そう口に開いたギルファーは彼らの敵意に呼応するように愛剣を鞘から抜く。
と、僅かに。
ほんの僅かにリィン、と天使の羽を模った刀身が音を発する。
最近、この愛剣の調子が偶におかしくなる。攻撃力が下がるでもなく上がるでもなく、耐久度が下がるでもない。ただ、剣を抜くとそれを咎めるかのように小さく、弱く、鳴くのだ。ゲームだったころはこの剣はそんな機能を持ち得ていなかった。ただの装飾に重きを置いた剣だったはずだ。だからこそ、自らの愛剣だったのだ。
この剣の鳴き声に思い当たる節が無い訳ではない。〈天使の落涙〉の持つフレーバーテキストが実体化したというのならばこれもそうなのだろう。
愛剣〈エンジェルウィング〉の来歴曰く、この剣は『羽ばたきによって人が救えぬ罪を赦す赦罪の剣』なのだという。
ならば、彼らの罪は〈エンジェルウィング〉の羽ばたくレベルではないという事。
人が救える罪だという事。
軽く目を閉じ、剣を構えた後にギルファーは鞘へと戻す。
「ハッ、抵抗するのは諦めたか?」
「土下座して靴でも舐めれば許してやってもいいぜ?」
自らの勝利を確信したような言葉を口々に発する彼らだが、ギルファーにとってこの場を切り抜ける方法が無い訳ではない。〈喝采はその身に〉と〈ビラ配り〉があれば十分に逃げ切る事は可能だ。
だが、それでは駄目なのだ。
クリア=ノーティスから自らに耳目を集めたのだから、それを終えるのも自分であり、彼らを救うのも自分でなくてはいけない。
「――さぁ。存分に一人ずつ私を殺すがいい」
そう口にし、ギルファーは彼らを受け入れるように両手を横に広げた。
〈冒険者〉の身体には五感が確かに存在している。実際、人には二十を超える感覚があるが五感と言えば人の持つすべての感覚を指すのが通念である。もっとも、魔力なんてものを感じ取れる以上はこの世界においては超能的に扱われる第六感が確実に存在すると言ってもいいのだろう。
その中には体性感覚という物がある。大きな区分で言うと皮膚や粘膜などの身体の表層組織や筋や腱などの深部組織で知覚される感覚である。もっと簡単に言うと五感の中の触覚が司るものだ。
〈冒険者〉の身体は高性能である。レベル九十にもなれば馬に蹴られても「あぁ、痛ぇ」程度で済むのだからすごいものがある。
「おいおい、なんだァ? 命乞いもしねぇのか?」
そのギルファーの行動に、完全に絶対的優位に立ったとボス=リンクスは口端を歪める。
気障ったらしいクソ天使が、自分たち相手に抵抗を諦める。
「したところで、救いはしないのだろう? ならば、一人ずつ念入りに私を殺してくれたまえ。さぁ、誰から私を殺すのだ?」
「ハッ、殺して、蘇生させて、殺して、気が狂うまで処刑してやる……ッ! トライッ! テメェから行け!」
「オーケィ、ボス。ふん、格好つける相手がいなければそんなもんなんだろう、テメェはよぉ」
ボスによって促された男はクリアを救う時に腕を斬った相手だ。恐らくこの六人の中で最もギルファーに恨みを抱いていると言っていいだろう。
双剣を抜き、一歩、また一歩とギルファーへと近づいてくるトライ。その瞳は既に血走っていて、もはや人のそれではない。
並大抵の人間ならば、そのトライの瞳に宿る憎悪を直視する事は難しいだろう。
しかし、それでもギルファーは態度を変えず、なお悠然と言葉を口にする。
「口上は良いからさっさと殺したらどうだ? もっとも、君に私を殺せるとは思えないが」
「――死ね」
その瞬間、トライの双剣が一閃する。
両肩から×の字に振り下ろされたソレはギルファーのHPを一気に四割ほど削りとる。
レベルが同じ程度の〈冒険者〉同士で即死級の攻撃、というのは実はそう存在しない。即死足りえるの代表例が〈暗殺者〉の持つ〈アサシネイト〉だ。武器攻撃職の持つ瞬間最大ダメージを叩きだす特技が代表例に挙げられるほどには存在しないのだ。あと無理に上げるとすれば首を狙った攻撃程度の物だろう。頭と胴体が離れると、それはバッドステータスの〈欠損〉に留まらず即死扱いとなる例がままあるらしい。
しかし、それはつまり逆に言えばHPが満タンの状態であるなばら身体になら殆どの攻撃を食らっても即死はしない、という事であり、
「――人を殺すとは、そうではない」
高性能の〈冒険者〉の身体ならばすぐさまの反撃が可能だという事だ。
「てめ……ッ!」
ギルファーはその両手でトライの両手の親指を掴み、手の平側へと捻り上げる。
人体の構造上、そうされると物を掴み続ける事は難しい。結果、トライは両手の剣を落下させる。
その動きに、ギルファーの処刑を見るような面持ちだった残りの五人が武器を手に動こうとし、
「私を殺すのに、そんな大仰な武器は必要無いのだ」
静かで、だが迫力のある声によって遮られた。
左手でトライの右手を保持したままギルファーは腰から刃渡り十センチほどのナイフを取り出し、トライの右手に握らせる。
「な――ん、」
そして、トライの右手に握らせたナイフの切っ先を自らの喉元へと当てる。
「さぁ、人を殺すと口にした君に人を殺す感触を与えよう」
優しく、諭すように笑みを浮かべたギルファーの喉へ、ずぶり、と切っ先が一センチほど押し込まれる。
「ひ――ひぃっ!」
トライは自らの右手に伝わる感触に恐怖した。
それは、明らかに人の肉を貫く感触なのだ、と理解させられたからだ。
〈冒険者〉の身体は高性能である。
各メイン職業の特技を使った武器攻撃は一瞬だ。瞬きの間に数回攻撃をする事だって可能だ。だから相手を攻撃する感触だって一瞬である。
ずぶり、と三センチほど進む。
〈冒険者〉の身体は高性能である。
こと戦う事においてはそれこそ、バトル系漫画のような身体能力を発揮する。
〈冒険者〉の心は今まで通りである。
そもそも戦闘をしない生産職よりの〈冒険者〉が増えたり、戦闘を行う〈冒険者〉の中でも虫系のモンスターやアンデット系モンスターとの戦闘を忌避する者が多いように、その心までは〈冒険者〉として高性能化していない。
トライの手を掴むギルファーの手は止まる事無く、ゆっくりと確実に自らの喉を貫いていく。
「や、やめ――」
異常。
その一言に尽きる。
ずぶり、と五センチほど進む。
ずぶり、と七センチほど進む。
ずぶり、と鍔元でナイフが進むのが止まる。
「あ……あ……」
ギルファーが両手を離すと、どさり、と腰から崩れ落ちたトライは歯をカタカタと鳴らし、まるで悪魔でも見るような怯えを浮かべる。
先ほどまで彼が抱いていた憎悪など見る影もない。
それほどまでに、彼の手に与えられた人の喉元を貫く感触が強烈過ぎた。
ギルファーのHPは残り二割ほど。
トライが得た人を殺すという感触は粘り気を持って伝播する。知らず、残りの五人の足が一歩下がる。
あと一回の攻撃でも与えられれば死んでしまう程度のモノしか残っていない。しかし、それでも彼らは誰一人として動くことが出来ない。
その様子を不思議そうにギルファーが見つめ、再び両手を広げる。
「――、―――」
喉にナイフが刺さったままのギルファーの口が動く。
だが、言葉は出ない。ひゅーひゅー、と音が聞こえるだけだ。声を出す、という機能が失われている。
「―――、――? ―――、―――――」
声ならぬ声が、その恐れを増強させる。
一度、呑まれてしまえばそれに抗う術はない。
一歩。
ギルファーはボス=リンクスへと歩みを進める。
一歩。
ボス=リンクスはギルファーから後退する。
「――――、――?」
ギルファーは他の四人に視線を向ける。彼らは腰を抜かして座り込み、恐怖を顔に貼り付けている。
「――――、――――――。―――、―――――。――――――――、――――? ――――、―――――――――。――、――――、―――?」
無声の言葉。
だが、彼らにはギルファーが何を言おうとしているのかが理解できる。
『次に、私を殺したいのは誰だ?』