15
深夜。
ホーホーホッホー、という鳥の鳴き声のサウンドエフェクトが何処からともなく聞こえてくる森の中。少年の姿をした一人の〈冒険者〉が目玉の意匠を持つ的を目掛けて矢を射っていた。
日中は仲間と共に狩りをする事で経験値を稼ぐ事が出来るが、この時間はそういう訳にはいかない。
屈強な〈冒険者〉の身体と言えども睡眠欲は容赦なく襲い掛かってくるためだ。
シブヤの街では殆どの店が午前七時頃の開店で閉店は屋台を除いて午後十時頃まで。稀に宴と称して日を跨ぐ時間まで営業している場合もあるが、基本として午後十一時から午前五時ぐらいまでは静寂に包まれる。
その為、夜型生活の〈冒険者〉はアキバやミナミといった他のプレイヤータウンよりも割合で言えば少ない方だ。それは〈S.D.F.〉が深夜のフィールド探索を極力避けるように、とお触れを出している影響もあるだろう。
だから、少年は他の誰も伴わずに一人で矢を射る。
〈冒険者〉としてレベルを上げるには適正レベルのモンスターを倒すかクエストを攻略する事で得ることが出来る経験値を一定数貯める他は無い。
では、この行為は無駄なのかと言えばそうではない。
少年のサブ職業は〈狩人〉であり、矢を射るという行為そのものが僅かだが〈狩人〉の経験値取得になる。メイン職業の経験値を稼ぐ事が出来なくても、サブ職業の経験値を稼ぐ事は出来るのだ。しかも〈狩人〉は戦闘時にも恩恵を得るタイプのサブ職業であるためにその恩恵は戦闘へと直結する。
各サーバの裁量である程度は自由に設定できるサブ職業の数は膨大であり、日本サーバで就く事の出来るサブ職業をそらで全部言える人物などおそらく、開発側の人間でもいないだろう。その中で〈狩人〉というサブ職業はメジャーな部類である。しかも弓ビルド〈暗殺者〉のサブ〈狩人〉などテンプレートの中のテンプレートと言ってもいい。イメージ的に合致するというのもあるし、なにせ〈シルバーソード〉のギルドマスター“ミスリルアイズ”ウィリアム=マサチューセッツというお手本がいるというのも大きい。
それに、矢を射るという行為を身体に馴染ませるという事にも意味がある。モーションアシストの力を借りて射るよりも気持ち命中精度が上がっている気がするからだ。
「……あれ」
次の矢を番えようと矢筒へと運んだ手が空を切る。少年はそこで矢筒が空になった事に気が付き、それと同時に集中力が切れた少年は自分へと向けられている視線を感じ取る。腰に括り付けてある短刀へと手を運びその方角を振り向いた。
「その集中力は褒める所だが、周囲の索敵と矢の残数は常に確認出来るようにしておいた方が良いぞ」
「……ギル兄、いつから見てたのさ」
がさり、と茂みを掻き分けて姿を現したのは闇夜に映える白亜の衣装を身に纏う男は少年が所属するギルドののギルドマスターだ。
片翼の天使ギルファーは顎に手を添えて考える素振りを僅かに見せた後、口を開く。
「そうだな、君が〈天使の家〉の勝手口から外に出た辺りからだと思うが」
「最初も最初からかよ……」
少年、チェスターはギルドマスターの返事に大きくため息を吐く。
深夜に隠れて修行していたとはいえ、このギルドマスター相手に最後まで隠し通せるとは思っていなかったが、ギルドハウスを出る所から見つかっていたというのはさすがに少し間抜けにもほどがある。
もしや、ギルドのメンバー全員にばれているのではないか、と思い視線を向けるとギルファーはそれを首を横に振ることで否定した。
「安心するといい、チェスター。ギルド内で気付いたのは私だけだ」
「……なら、まぁいいけど」
「なに、マユはまだ夢の中だろうさ」
クツクツと楽しそうに笑みを浮かべるギルファーのその表情は、チェスターの知る限りでは自分とリカルドの前でしか見せないソレだ。
つまり、恋愛毎で他人をからかう時の表情だ。
「……なんでそこでマユが出てくるのさ」
「それは、君がマユの事を心から好いているからだろう」
憮然とした表情で言葉を返したチェスターをバッサリとギルファーは切り捨てる。
「惚れた女性の前で情けない姿は見せたくないという気持ちは男ならば至極当然の想いだ。なんだ、チェスターその表情は。……まさか気付かれていないと思っていたのか? 少なくとも私と刹那は生暖かく二人を見守る体勢だぞ。クリアが気付いているかは分からないが……まぁ、彼女は彼女で他人との距離感の掴み方がまだ不得手だからな。そういった辺りの機微には疎いのかもしれん」
「あー、いや……」
「よもや自分の気持ちに気付いていないと言うつもりか? ふとしたタイミングでマユを目で追っているだろう、君は。先日の〈S.D.F.〉〈グッドファイス〉との合同修練でも他パーティの彼女を気に掛けているのがありありと見て取れたぞ。まったく、君たち二人はもう両想いの相思相愛なのだからさっさと契ってしまえ。なんなら夜這いの手伝いぐらいは任せてもらっても構わんぞ」
ギルファーに言われるまでも無く自分がマユに好意を抱いているのは自覚している。
だが、そうおいそれとそれを公言できるほどの年齢ではない。ないのだ。
なにせ、チェスターはまだ十八歳。高校三年生。大学受験を控えた思春期真っ盛りで青春真っ只中だ。
そしてこう言うのもなんだがその思春期真っ盛りの時分をエルダー・テイルに注ぎ込む人種に異性との接点がそうある筈も無い。自慢じゃないが、スマホのアドレスに登録されている異性は母親と妹二人に従姉の四人だけだ。
〈天使の家〉で生活できているのはマユや刹那、クリアに対して半ば妹として接しているからだ。妹と異性は全くの別物だ。マユを意識しているのをそうやってごまかしている。そんな異性との経験値が申し訳程度も存在しないチェスターにとって契ってみろだの夜這いだのという直接的過ぎる言葉は毒を超えて呆れるしかない。そんな度胸があればとっくにそうしている。
「未成年にそういう事言うのやめない?」
「まだまだ青いな、チェスター。性欲は人の三大欲求の一つであると同時に、愛はこの世で最も強い力だ。それに、その為に人は人の限界を超えることができる。愛が在るからこそ時に人は魔を穿ち、人は神すら超えるのだ」
「……恥ずかしくないの、そんなの口にして」
「事実を口をする事に恥ずかしさなどあるわけが無いだろう。愛とは人が持ちうる究極の力だ」
そう断言されては、チェスターにそれを否定することは出来ない。なにせ、人生の経験値でギルファーはチェスターを圧倒している。少なくともその言葉が演技である事が確定していたとしても、それを否定できるだけのカードを自分自身で獲得していない。
「どうする?」
だが、否定できないからといって無抵抗でその言葉を受け続けていられるほどチェスターは子供ではないし大人でもない。
「……ギル兄はどうするのさ」
「そうだな。まずは私の権限でマユの部屋への入室を君たち二人に限定し、中に入った時点でゾーンを完全に隔離。そしてそうだな……男と女が二人で密室ならば流石に三日もあれば十分だと思うが」
「そーじゃない。そーじゃなくて、リグレットさんとか宵々月下さんとか秋茜さんとか、あとは謝肉祭さんもかな。とにかくそっちの方だよ!」
そうなのだ。目の前のギルドマスターは他人の恋愛毎にちょっかいを出せる立場ではないのだ。
少なくともチェスターが上げた四人はシブヤの住人で、ギルファーに対して明確過ぎる好意を抱いている〈冒険者〉の女性陣だ。
「……ギル兄が答え出したんなら俺も答えを出すよ」
「……そうだな、チェスター。この話は水に流そう。それが二人にとって一番良い」
能面のように表情を変えずに明らかな棒読みでそう口にする。
「人の事言えないじゃんか、ギル兄」
「言うな。そんな事は重々承知だ」
■
話を無理やり切り捨てたギルファーは地面に腰を下ろしたチェスターに水筒を渡し、矢の突き刺さった直径三十センチほどの球形の的を見る。
「それで、スコアは何点だった?」
「……13,000ちょっと。別に高スコア狙ってた訳じゃないし」
〈フライハイ・ターゲット〉と呼ばれるそれは使用すると半径五メートル以内を無音で飛び回るミニゲームアイテムで、攻撃を外すか一定時間攻撃を命中させないと終了となり、それまでに当てた攻撃の威力や間隙の有無、特技の有無などで算出されるスコアを競うものだ。物を言うのは完全に動体視力とポインタの操作能力。平均スコアは十万ほどであり、ヤマトの最高スコアは〈大災害〉以前では〈チームセスタス〉のギルドマスター、“百万超え”のアザゼルが記録していた1,023,507だった筈だ。
だが、現在の〈フライハイ・ターゲット〉の最高スコアは四万ちょっと。平均で一万そこそこと言われている。それはまさに画面を見ながらの戦闘と身体を動かす戦闘の違い。その難しさを物語っている。
「そういう事にしておこう。――しかし、どうした心境の変化だ。集団修練には参加していたが個人修練、特に一人で隠れて修練などしていなかっただろう?」
水筒の中身を口に含んだチェスターはゆっくりと飲み下し、一息を付く。
「……やっぱりさ。強くないよりは、強い方がいいから」
「――今日の仔細は聞いているが」
「なら、聞かなくても分かってんでしょ。〈リライズ〉に負けたのがさ、悔しいんだよ。……俺、向こうじゃなんてーのかな。イジメの現場見てても自分に火の粉が飛んでこないように知らん顔してるような奴だったからさ。でもさ、こっちでまでそんなの見たくないじゃんか。向こうと違ってって言うと変だけどさ。ほら、俺がレベル九十いってたらさ、あそこまで一方的にボコボコにされなかっただろうしさ。……マユ達も心配させずに済んだだろうしさ。向こうみたいにさ、強くなる方法が曖昧じゃないんだ、ここは。どうすれば強くなれるかも分かってるんだ。……だったらさ、そこに手を伸ばさないとって改めて思ったんだ。ギル兄や〈S.D.F.〉の皆の背中を見るのは止めようって。弱いままでいる事に甘えてるだけじゃ駄目だって」
それはチェスターという少年の決意表明だ。心の裡を曝け出し、前へと踏み出すための宣誓だ。
「だから、強くなるためなら何でもするって決めたんだ」
「そうか。舞台に上がると言うならば手を貸そう。それにロデリックから預かった品の試験にも都合がいい」
「ロデリックさんの……?」
ギルファーの言葉に、チェスターは僅かに身を構える。
〈円卓会議〉の成立以降、彼らは様々な有用なアイテムを開発してきた。
言わずもがなの〈外観再決定ポーション・量産型〉。
最近でのヒットの一つは植物の成長を促進させる〈クレスケントポーション・超希釈液〉だろう。一滴だけ種を植えた鉢植えに振りかけると一晩で実を為すまでに成長させるソレは各ギルドの食糧事情を大きく改善させた。
だが、それらは幾多もの試行錯誤よって積み重ねられた結果だ。
そして、試行錯誤の手伝いをしているのがギルファーである。
ロデリックが言うには「えぇ、ほとんどは私たちのギルドで行えるのですが、外部からの意見というのも重要なのです。ですが外部とはいえ〈海洋機構〉も〈第8商店街〉も商売敵ですからね。そういうのもあり〈円卓会議〉参加ギルドにはお願いしにくいものがあります。そうなってくるとギルファーさんの〈天使の家〉の存在は非常にありがたいのです。シブヤでは、ギルファーさんがなにかしても、ギルファーさんだからなんかやったんだろうと思われるだけで済みますから」との事らしい。
そして、なにも発明途中の試作品も有用なものであるなどということはあり得ない。
最近では〈焼滅の斧・甲・試作五型〉という炎属性が付与された汎用投擲アイテムでは危うくギルドハウスが燃えかけたほどだ。
その為、チェスターにとってロデリック印の発明品はかなり腰の引けるびっくり箱だ。できれば完成品のみを扱うエンドユーザーでありたかった。
そんなチェスターの様子を見て僅かに苦笑を洩らしながらギルファーは〈魔法の鞄〉から一つの瓶を取り出す。
「そう身構えるなチェスター。これは〈EXPポット・量産試作七式〉という代物だ。一応、取得経験値を1.5倍にする事が出来る。もっとも、経験値取得帯は変わらず持続時間も一時間ほどだ」
「げ、それすげぇ大発明じゃんか」
〈EXPポット〉はレベル30以下の〈冒険者〉に一日一本支給されるアイテムである。〈大災害〉の混乱で〈ハーメルン〉という初心者救済を謳ったギルドが初心者から巻き上げて大手戦闘系ギルドに売りさばいていた事は記憶に新しい。もっとも、今現在では〈ハーメルン〉は解散し初心者が〈EXPポット〉を巻き上げられる事もなくなった。そして、初心者強化合宿の実施や初心者が増える可能性が無いに等しい現在では日に日にその絶対数が減っていくある種の超レアアイテムである。
それを、完全再現とはいかなくても試作したというのならば大発明以外の何物でもない。
「問題点があるとすればそうだな、言葉に出来ないほどに不味いという事だ」
「そ、そんなに不味いの?」
「そうだ。飲んでみればわかるが、私の語彙力ではこの味を表現する事は出来ない。良薬口に苦し、とはよく言ったものだがこれは度が過ぎている。〈ロデリック商会〉では〈EXPポット・量産試作八式〉の開発に取り掛かっているが、これは味の改善を目的としているとの事だ……が、まぁまだまだ時間は掛かるだろうさ。――飲むか?」
「の、飲むさ! 強くなるためなら何でもするって言ったろ!」
表現する事ができない不味さという言葉に僅かに尻込みしながらもチェスターはそれを受け取ろうと手を差し出す。
ギルファーもそれに応えるように〈EXPポット・量産試作七式〉を差し出し、そこで手を止めてく言葉を発する。
「一つ問うぞ。〈暗殺者〉にして〈狩人〉チェスター。君は――どちらを目指すのだ」
「そんなのもちろん、片翼の天使だよ」
「その道は眺めるよりも、思うよりも困難という事は理解しているな?」
「当たり前でしょ。ギルの背中を一番見てたのは他ならない俺だよ?」