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リカルドが〈リライズ〉の五人を一方的に蹂躙していた頃。ギルファーはシブヤを挟んで反対側のゾーンで全く別の相手と対峙していた。
「止めておけ、ギルファー。お前じゃ俺には勝てん」
ギルファーは愛剣を手に取り、冷静に戦力分析をする。
シブヤの中でも最強の一角。リカルドを最強の盾とするならば、目の前にいる男は少なくともその盾を破壊しうる最強の矛。自分程度の実力で敵う筈がない。だが、退くわけにもいかない。
彼の背後には〈大地人〉の乗った馬車――商隊がいる。商隊の馬車に掲げられている紋章はシブヤ周辺で見るものではない。あの意匠は〈カシワザキ雷鳴街〉の物だとギルファーは記憶の引き出しを探り当てる。
この近辺のゾーンを通る商隊を〈ACT〉が襲うという〈S.D.F.〉に持ち込まれた情報から網を張っていたため彼らが直接襲われるのを防ぐ事はできたが、その情報が無ければ彼らはここで最悪死に至っていただろう。
そして、それはここでギルファーが殺されてしまえば結果としては変わらない。
「強い言葉は自らを弱く見せるぞ、アザゼル」
勝つことが出来ないという自分にとって当たり前の事実を確認したギルファーは、そう口にしながら自らの背中に〈ビラ配り〉によって文字を貼り付ける。
『逃げる用意を始める事。合図と共に私を見ずに南へ』
「俺を過小評価したいなら好きにしろ。もう一度言うぞ。邪魔をするな。お前じゃ俺には勝てない」
言葉尻から戦意を感じ取ったアザゼルは僅かに構えを取り、自らも言葉を紡ぐ。
それは傲りでもなく、動かしようの無い事実だと。
『三』
「勝てなくとも、戦わねばならぬ時もある。なに、彼らが逃げる時を稼ぐ程度はできるだろう」
時間を稼ぐ、と言葉にすれば簡単な事のように思えるが並大抵の難易度ではない。
ギルファーの勝利条件は二つだ。
『二』
「おいおい、ヒーローはお前の役柄じゃないだろ。道化は道化らしく踊っとけ」
一つは〈大地人〉の商隊に攻撃を与えさせないことであり、大前提だ。物資の確保が目的であろうアザゼルは馬車の破壊をしない筈だが、それを信じる訳にもいかない。信じない以上は馬車を一撃で破壊する彼の攻撃を止めなくてはいけない。
二つ目はその上でアザゼルを神殿送りにするか〈大地人〉をアザゼルが追えない距離まで逃がすか。つまりは〈大地人〉に安全を与える事だ。
アザゼルを神殿送りにする事など不可能に近い。彼が現在の強さを得てから神殿へ転送されたという話は聞かない。〈リライズ〉との悪行ギルド間で有った抗争でも一人で彼らをコテンパンに叩きのめしたとされるほどだ。
ならば後者。馬車を逃がす他の選択肢は無い。
「不可能を可能にし、可能を不可能にするのが〈道化師〉という存在だ。ならばこの不可能も可能としてみせよう」
『一』
しかし、幾ら馬車とは言っても空荷ならまだしも荷が満載の状態ならばその速度は格段に落ちる。〈大災害〉の影響はこういうところにも現れているのだ。かつて、馬車に与えられていたステータスは積載量と速度の二つだけで、その二つに比例関係は無かった。荷がどれだけ積まれていようと速度は『停止』か『歩行』か『駆足』の三択でしかなかった。それが、今では積荷の量によって速度が変わる。
『行け』
〈大地人〉の商隊が指示通りに動くのを察しながら愛剣を握る右手に力を込め、アザゼルへと駆ける一歩を踏み出す。
「チッ! 誰が逃げて良いと言ったッ!」
そして、その速度はレベル九十の〈冒険者〉、しかも身軽さを身上とする〈武闘家〉の瞬間的な速さに比べれば特段速いものでもない。アザゼルと馬車の距離は十メートル。それを埋める程度は朝飯前だ。
自らへと駆けようとするギルファーの一歩目が大地を蹴るよりも速く〈ファントムステップ〉を繰り出したアザゼルはそのファントムを体現するが如くギルファーの目の前に熱を帯びた幻影を残し、たった一歩で置き去りにする。そして二歩目で馬車の荷台に手が届く距離にまで接近した。
二歩で十メートルの距離を詰めるアザゼルの加速力は尋常ならざるものだが、逆にその圧力が馬を狂奔させる。〈大災害〉の影響はここにも出ている。馬車を引く馬の能力で馬車の速度も変化する。
アザゼルが二歩進む間に、馬車は一歩分の距離を稼いだ。
だが、それでも一歩。次の二歩でさらに一歩分距離を取られても追いつく距離。
口元を歪めながら荷台へと手を伸ばし最後の一歩を踏み出そうとしたアザゼルだが、突如として耳を突き刺すほどに沸き起こった喝采でその足が止まる。
そして、足が止まればあと一歩の距離だった馬車の荷台はグングンと遠ざかっていく。
「――誰が追って良いと言った」
ギルファーの発した声に振り向いたアザゼルは彼が自分の残した幻影を横に両断した格好で静止しているのを見る。
「油断したぜ、ギル」
「気持ちの良いものだろう? 喝采に包まれる感想は」
〈喝采はその身に〉。
〈道化師〉の誇る意味の解らない特技の一つだ。
それは使用者の特技が発動終了したタイミングで喝采のサウンドエフェクトを自身を中心とした二十メートル圏内の相手に鳴り響かせるという代物だ。ただ、それだけの賑やかし特技。追加効果を発動するわけでもなく、ただただ喝采のサウンドエフェクトが鳴り響く特技。ゲーム時代はウザさの真骨頂とまで言われた特技の一つ。
では、なぜそれでアザゼルの足が止まったのか。
それはサウンドエフェクトが発生する場所だ。
ゲーム時代、それはスピーカーまたはイヤフォンから生まれた。バックグラウンドミュージックやサウンドエフェクト、キャラクターボイスやボイスチャットもそうだ。
もちろん〈念話〉も。
つまり、アザゼルの耳元で喝采が鳴り響いた。
その大音響は三半規管を揺さぶり、僅かにアザゼルの平衡感覚を狂わす。
彼の実力が並み程度ならばその狂わされた感覚に気付く事無く馬車の荷台を掴むことが出来ただろう。だが、アザゼルは自らの身体に起こった僅かな違和を感じ取ることができてしまう強者だった。
「……チッ、知れば知るほどに凶悪なサブだな〈道化師〉は」
「君の〈必殺の一撃〉ほどではないと思うが」
「なら、喰らってみるか? 俺の〈必殺の一撃〉」
拳に巻きつけられた幻想級装備〈日輪紡ぐ革紐〉を握りしめたアザゼルは改めてファイティングポーズを取る。所有者の意気に呼応するかのように起動状態に移行した〈日輪紡ぐ革紐〉は灼熱を孕んだ光を放ち、アザゼルの周囲の空気が灼熱の余波で歪んでいく。
「遠慮したいな。太陽に近づいた偽物は羽を焼かれて地に落ちるのが道理。〈天界〉にいた頃の私ならまだしも、今の私が太陽に到達できると思い上がれる訳もない。それに〈大地人〉が君の前から逃げ遂せた以上は君と刃を交える意味も失った。……が、君の憂さ晴らしに付き合わないつもりはない」
臨戦態勢のアザゼルに応えるように愛剣〈エンジェルウィング〉を一度構えたギルファーは、しかし、直ぐにその構えを解き、鞘に納める。
「もっとも、それも時間切れだが」
そう言葉にし、茂みへと視線を向けるとそれに応えるように茂みが一度揺れ、一人の少女が姿を現す。
「その通りやでアザやん、撤収や」
狐耳に狐の尾。自称似非関西弁使いで〈ACT〉所属の〈暗殺者〉雪ん子だ。
「……おい、姐御の見積じゃあまだ時間必要だって話だったろ」
「姐御の方は終わっとるで。〈リライズ〉がこけたんや。まぁ、リカルドが出張ってきたみたいやからしゃーないわ。そんでもこんじょー足りひんのは事実やけどな。それにや、アザやん。ギーやんとの戦闘行為は禁止やで?」
「……わかった。わかってる、わかってるって」
大きくため息を吐いたアザゼルは〈日輪紡ぐ革紐〉の起動状態を解除する。
「囮が沈んだ以上、俺らは〈S.D.F.〉がこっちに駆けつける前にフケるけど、ギルはどうするんだ?」
「言った筈だ、アザゼル。君と刃を交える意味はもはや失っていると。だが、一つ問おう」
「手短に、答えられる範囲ならな」
「雪ん子。ミナミの〈大地人〉はどうしたのだ?」
「全部お見通しやんか……。ほんま敵わんわ」
今、この時。なにが起きていたのか。
常識的に考えれば〈ACT〉がこのゾーンで〈大地人〉を襲うなどという情報がそう簡単に〈S.D.F.〉にもたらされる訳がない。ならば、誰がその情報を持ち込んだのか。『三席会合』では狩場が重複しないようにという不可侵の情報交換も行われる場だ。つまりは〈リライズ〉か〈ブレーメン〉のどちらかが〈ACT〉を囮に仕立てて〈S.D.F.〉らの耳目を集めさせ、自らの狩りを行いやすくすることを画策したのだろう。
しかし〈ACT〉の方が上手だ。
自分たちの情報が垂れ込まれた事を彼らは彼らの情報網で知っている。その上でアザゼルという無視できない最大戦力を撒き餌として放ち、〈S.D.F.〉に情報を垂れ込んだ犯人――〈リライズ〉という囮を釣り上げた。そして、その始末は〈S.D.F.〉に任せて、その裏で残りの五人で狩りを行ったのだ。
「天秤祭まで待ったなしやからね。何が目的なんかは知らんけど丁重にお帰り頂いたで? ええもん仰山持ってたからお財布潤いっぱなしでうはうはや。殺しはしてへんけど、怒るんか、ギーやん」
「いや、確認だけだ。ならば、カシワザキの他にミナミにも君たちの悪名は轟く事になるのだろうな」
「はっ、うちのギルマスの考えは知ってんだろ、ギル」
憂いを帯びた顔で呟いたギルファーに余計な心配だ、と笑いながらアザゼルが答える。
〈ACT〉。
女傑†ラグナロク†が率いる悪逆ギルド。
構成員は僅かに六名。
彼らの理念は至極単純なものだ。
〈エルダー・テイル〉という世界に自らの足跡を刻む。
この不確かな異世界で自分たちの足場を確かなものへとする為に。
例え、刻み込まれた名前が悪名だとしても。
「……そうだったな」
「あぁ、あとな? リカルドが出張ってくるまでの間〈リライズ〉と戦ってたんはギーやんとこのチェスター君らしいで? ボコボコにされたみたいやけど」
「知っている。刹那から連絡はあった。が、彼が自らで選んだ行為に対して私が口出しする事は何もない。それは彼の行為を踏みにじる愚だからな。……ふむ。こちらに向かって来るパーティが一つある。恐らく〈S.D.F.〉だろう。彼らに見つかる前に立ち去るといいだろう」
「せっかちやなぁ。最初に引き留めたのギーやんやんか」
「まったくだ。またな、ギル」
言葉を残し、アザゼルと雪ん子は茂みの奥へと消えていく。
「……さて」
それを見送ったギルファーはカシワザキの商隊の馬車が向かった方角を睨む。
ここから五つ先のゾーンで〈S.D.F.〉の五番隊と六番隊に保護された彼らは六番隊を護衛にしてシブヤへと向かったのを認識した。
「少々、私たちだけでは手に負えなくなってきたか……」
元々、シブヤ周辺の行商〈大地人〉らには事前にどのルートが一番安全かという事を周知しているし、事前に連絡があればシブヤの有志が往復路の護衛を引き受けることもある。彼らも自らの命を危険に晒してまでそれから外れる愚は犯さないのが実情だった。
しかし、それ以上の広域の〈大地人〉にはそこまで伝えることが出来ていない。アキバやシブヤといった自由都市同盟イースタルの中に現れたプレイヤータウンという市場の魅力は道中の危険性が伝わるよりも速く強く大きく伝聞されてしまうからだ。
さらに、それに輪を掛けるのがアキバの〈円卓会議〉だ。
ギルファーからすれば彼らはまだ、自分たちの価値を測りきれていないのだろうと認識している。〈DDD〉のクラスティが行っているゴブリン王討伐計画や〈天秤祭〉についてもそうだ。
計画を立案・推考する能力は高くても、それを実行するだけの経験が圧倒的に足りていない。
だが、それは仕方がないとも認識している。齢で三十四歳のギルファーからすれば〈円卓会議〉のギルドマスター達は如何せん子供だ。経験が不足していて当然だし、それを補うのが大人の仕事だ。
「ロデリックとにゃん太殿にでもそれとなく話をしてみるとするか……」
胸元から〈天馬〉の召喚笛を取り出したギルファーは高らかに吹き鳴らす。
「とりあえずシブヤの街でカシワザキの行商を出迎えるとしようか。」