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†ラグナロク†は茂みに潜み、状況を把握する。
獲物の鮮度は五。戦力評価は一で、警戒度は二。こちらの戦力は自分以外に部下が五人。全員のレベルが九十オーバーだ。
周囲の茂みに潜む自分の部下にハンドサインを送り、襲いかかるカウントダウンを始めさせる。
〈念話〉は便利だが、息を潜めて行う今回のような狩りでは使用者の声が漏れてしまう為に適さない。
その為に、自分たちは片手だけである程度の受け答えが出来る独自のハンドサインを作り修練を積んできた。
この狩りは成功する。
失敗する筈がない。
なにせ、獲物は九人でその主戦力は三十レベルの〈剣士〉職の〈大地人〉。六人の護衛を伴う行商人といったところか。この辺りのモンスターの平均レベルを考えれば戦力的には申し分がない。
申し分はないが、自分たちにとっては抵抗されたとしても蠅に集られる程度のものだ。邪魔ではあるが、気になるレベルではない。
(アイツらが来る前に終わらせたい所ね……)
腰に括り付けられた脇差を握る右手に力が籠る。
そうだ。
不安材料を挙げるとすれば、奴らの存在だ。シブヤの街近辺のゾーンを常に巡回している正義の味方気取りの奴らだ。もっともその巡回に穴が無い訳ではない。だが、巡回ルートは把握しているだけで各隊に十パターン有り、しかもどの隊がその日の巡回担当になるかも完全にランダム。穴があるのは明白だが、その穴を探すのが一苦労どころではないのだ。穴を見つけたら日付が変わる、なんてこともざらだ。
カウントダウンを告げるハンドサインが一を告げる。
頭を切り替える。
余計なことは考えない。
自分たちは、シブヤの『スラム街』に住む悪性。被虐と暴力をもってその存在を誇示する悪逆ギルド〈ACT〉だ。
ゼロを示すハンドサインと共に部下の〈付与術師〉が投射した〈ナイトメアスフィア〉が馬車を引く馬へと命中し、馬を微睡の世界へと誘う。
前触れもなく止まった相棒に驚いた表情を見せた御者が御者台から降り、馬の様子を見に向かったのを合図として茂みから飛出した†ラグナロク†は〈剣士〉へ向けて技を構える。
「――シッ!」
〈剣士〉に反応させるより速く、一振りで二人が納まるように瞬時に位置を取り、刀身を鞘から抜き放つ。
〈はやにえ〉。
対象の声帯を潰し魔法詠唱を阻害する効果を持つ特技だが、それに付随する効果として対象を沈黙状態にさせる効果を持つ。悲鳴、というのは思いの他遠くまで響くものだ。それを阻止するだけでも有用だが、同時に相手の声による連携を阻害する役割も持つ。
正直、〈武士〉の技の中では対人においてかなり有効な技だと†ラグナロク†は認識している。それほどまでに相手の声を奪うというのは大きなアドバンテージだ。
†ラグナロク†の〈はやにえ〉を防御や回避出来るまでもなくその身に受けた〈剣士〉たちは糸が切れた人形のように地面へと倒れこむ。
他の部下も次々と〈大地人〉の護衛たちを悲鳴を上げさせる事なく各々の方法で無力化していく。
「喚くな、騒ぐな。死にたくなければ抵抗はするな」
その中で部下の一人がそう口にしながら御者の首を掴み、持ち上げる。御者の〈大地人〉は中年のやや太めといった体型で体重は目算で八十ぐらいだろうか。それを軽々と片手で持ち上げるその姿は凶悪な顔と相まって脅しを掛けるには十分に過ぎる。
僅かに動く首を縦に振ることで首を解放された御者はそのまま落下して、尻餅を付く。恐怖をべったりと貼り付けられたその顔を見れば御者はもう抵抗を試みようとしないだろう。
良い仕事だ。
正直、一番厄介なのが御者と馬だった。馬に鞭を打ち逃げられる可能性が残っていたからだ。
可能性、という言葉は麻薬だ。
そんなものがあるから人はそれに溺れる。
「荷台の中の連中も同じだ」
静かに、だがドスの効いた声で荷台へと言葉を投げつけた部下はズカズカと馬車の荷台へと向かう。
(それにしてもノリノリねぇ、アザゼルの奴)
と、そんなことを思いながら足元に転がる〈剣士〉を蹴り飛ばしてしまわないように気を付けながら†ラグナロク†はアザゼルが切り裂いた幌の隙間から荷を検める。
荷台には食材が詰まった木箱が十七に、に鉱石の木箱が九。〈手作業品〉と思しき細工品の木箱が一つ。そして、荷台の隅で怯えながらもこちらを睨んでいる〈大地人〉の商人親子が二人。
「ラチェット、ビター、雪ん子は鞄に。アザゼルとロシナンテは周辺警戒。奴らが来たら手筈通りに」
想定通りの積荷に満足の頷きを一つし、部下に指示を出す。
馬車に積まれているのはまさに満載ともいえるほどの物量であり、通常ならいかに〈冒険者〉といえども持ち出すのは一苦労の量なのではあるが、部下たちが持つ鞄は〈ダザネッグの魔法の鞄〉の二十倍の容量を持つ〈クルルストの禁忌の鞄〉だ。レベル九十のレイドクエストで入手することができるアイテムであり〈マリョーナの鞍鞄〉のように移動速度低下といった制限ではなく所持者とそのパーティの被ダメージを一割増加させ、パーティ内に複数人が持っていれば効果は累積されるという効果を持っている。その為、有用でありながらもレイドやフルレイドなどには持って行きづらく(稀に自主縛りとして持ち込んでのレイド攻略動画がネットに上げられたりもしたが)、安全な素材収集の時などに主に用いられた代物だ。
そして、安全な素材収集とは今のまさにこれがそうだ。
「了解。――あぁ? なにガンくれてんだテメェ。死なすぞ?」
「ラチェット。遊んでないで急ぎなさい。アイツらがまだ気付いてないとは言っても遊んでる暇はないわよ」
「わーってるって姐さん」
そう答えたラチェットは時折〈大地人〉をからかいながらも屈託の無い笑顔で荷を鞄に詰め込んでいく。
どれ程の量があろうとも、どれ程の大きさであろうとも馬車の荷台の量程度ならば軽々と収納していくあの鞄は〈大地人〉にとっては悪夢以外の何物でもないだろう。
「姐御、うちは完了や」
「こっちもっすぜー」
「オッケィ、姐さん。完了完了」
部下三人の言葉に荷台が見事なまでにすっからかんになった事を確認する。
未だに自分たちを睨みつける〈大地人〉の子供に対してにっこりと笑みを浮かべた†ラグナロク†は腰の鞄に手を突っ込む。
「これで表の連中回復してあげなさい」
表で転がっている護衛の〈大地人〉の数だけのポーションを荷台の〈大地人〉へ向けて放り投げる。
「安心なさい。表の連中、死んでないから」
〈峰打ち〉。
〈武士〉の持つスキルの一つであり、発動中は如何なる攻撃であっても対象のHPを必ず一だけ残すというものだ。クエストでモンスターなどを生け捕りしなくてはいけない際に重宝した特技はその色合いを大きく変え、全力を振っても相手を殺さないという特技へと変貌しているのだ。
だが、殺さなかったから彼女たちは悪くない。なんてことはない。単純に†ラグナロク†たちが〈大地人〉を殺さなかったのは彼らがただの荷運び屋だからだ。荷運び屋がいなくなれば襲う馬車がなくなる。それは困る。だから〈大地人〉は殺さない。
少なくとも自分たちのギルド〈ACT〉は。
「……お、お前らなんか」
「ん?」
ポーションを両手で何とか受け取った〈大地人〉の子供が再びこちらを睨む。
「お前らみたいな悪い奴は、ギルファー様が倒してくれるんだっ!」
発せられた言葉につい、笑みがこぼれる。
面白い。本当に面白い、と。
本当に正義の味方としてあの男はいるのだ、と。
少なくともこのシブヤ近辺の〈大地人〉にまで浸透するほどになっているとは。
部下に向けて撤収のハンドサインを示す。次々と〈帰還呪文〉の詠唱が響き、シブヤへと転移していく。
「えぇ、そうね。そうなったら良かったわね。じゃあね、ボク。――〈帰還呪文〉」
■
〈バンブーストリート〉。
シブヤの一角を占める治安の悪いエリア。
〈大地人〉は寄り付かず、〈S.D.F.〉などのギルドも極力近づこうとしない無法者のエリア。
いつしか『スラム街』などと呼ばれるようになったその場所は現在、三つのギルドによって支配されている。
〈ブレーメン〉に〈リライズ〉、そして〈ACT〉だ。
「それで、急な呼び出しの要件はなんなのよ。次の会合はまだ先じゃなかった?」
†ラグナロク†はその『スラム街』のとあるゾーンのに用意された椅子に座るなり、面倒臭いという感情を隠す事なく同じく椅子に座っている二人に話しかけた。
「〈S.D.F.〉の連中がアキバの〈円卓会議〉どもと協力体制を取りつつあるんだよ」
「このままじゃ、あいつ等にデカい顔されっぱなしだぜ、†ラグナロク†」
悪態を吐く二人はともに〈ブレーメン〉と〈リライズ〉のギルドマスターである。これは『三席会合』と呼ばれる『スラム街』で定期的に開かれている話し合いの席だ。
無法者たちのエリア、と言われているが法が何も無い訳ではない。たとえば『三席会合』の三ギルド間では争いごとを禁じているし、入手方法はどうあれ不足しがちな物資の融通などを行うなど、半ば『スラム街』の自治機構としての役割を持っているのだ。簡単に言えば法律を守らない暴走族などにも彼らなりの規則があるのと同じようなものだ。
『三席会合』の出席者は三ギルドのギルドマスターに各々の側近が数名。〈リライズ〉側にどちらのギルドでも見たことがない男が立っているが『三席』以外のギルドの人間だろうか。そう考え、義務的に男の名前を見る。ギルドタグが〈リライズ〉となっている事から〈リライズ〉の新入りだ。どうせどこかのプレイヤータウンから流れてきた敗残者だろう、と†ラグナロク†は判断する。
「ふぅん。呼び出しかけたってことはなんか良いアイデアでもみっかったの?」
「天秤祭だ」
「天秤? ……あぁ、アキバでやるだか言う?」
聞き覚えのある単語に記憶を辿った†ラグナロク†は部下の雪ん子が話をしていたのを思い出す。なんでも〈第八商店街〉が音頭を取る新商品即売会だとかなんだとか、と。おそらくアキバに続く街道や周辺ゾーンでは〈円卓会議〉の戦闘系ギルドが警備をするだろう、という推測付きで。
「その祭にリカルドの野郎は残るらしいが、あそこの五部隊とガキどもが行くらしい。その間はこの街の警備は手薄だ」
「アキバに行っちまえば〈帰還呪文〉を使っても帰るのはアキバだ。今まで数では負けてたから手が出せなかったが、数で上回っちまえばこっちのもんってなもんよ」
呆れた。
†ラグナロク†はただ呆れた。
そして目の前の二人に気付かれないようにため息を一つ吐く。数で上回れば〈S.D.F.〉に勝てると思っている時点でどうしようもない。二人の背後を見れば彼らの側近もすっかりその気だ。自分の側近として背後に控えるアザゼルに視線を向けるとその目が「どうしようもねーな、こいつら」と語るのが見て取れた。
「まぁ、〈S.D.F.〉が手薄になるのは解ったわ。じゃあ、気障な天使さんの動向はどうなの? あっちの方がリカルドなんかより厄介でしょ。あんたらだって何度煮え湯飲まされてんのよ」
「それについては考えがある」
〈リライズ〉のギルドマスターがチラリとその見知らぬ男に視線を流し、その男が完全な敵意を秘めた目で頷く。
心の中のため息が増えたのを†ラグナロク†は感じた。
「あっそ……。アンタたちの引いた図面は解ったわ。素晴らしい計画ね。だから、勝手にやればいいんじゃないの?」
「なに?」
「〈ACT〉、テメェらはやらねぇのか? アイツらに一泡吹かすチャンスなんだぞ?」
やはり彼らの考えた計画に自分たちも最初から組み込まれていたようだとため息がまた増える。取らぬ狸の皮算用もいいところだ。
言おうかどうしようか一瞬迷ったが、言っておいた方がいいだろうと判断し†ラグナロク†は口を開く。
「……勘違いしてもらったら困るから言うけどね。私たちは別にアンタらと仲良しこよしでお手て繋ぎたい訳じゃないし、その為に『三席』にいる訳じゃないの。アンタらと変な揉め事を起こすよりは起こさない方が面倒事が少ないと考えてるからここにいるの。揉め事を起こした方が面倒事が少ないと判断したら速攻で叩き潰すわよ、アンタら」
その挑発的な物言いに〈ブレーメン〉が顔を険しくする。
『三席』のギルドの構成人数で言えば〈ブレーメン〉と〈リライズ〉が十数名でほぼ同数。〈ACT〉は僅か六人。数では大いに負けている。しかし、実際に争いごとになったら〈ACT〉の勝利で終わる。
構成員六人全員が九十の壁を超えているというのもあるがギルドマスター†ラグナロク†の存在よりもその背後に控えているアザゼルの存在が大きい。
〈武闘家〉アザゼル。レベルは九十二でサブ〈拳術師〉。〈料理人〉が本人の料理の腕前によってスキル判定があるようにプロのボクサーライセンスを持つ彼の〈拳術師〉としての実力はレベルなどという目に見えるものを遥かに逸脱しているのだ。彼らの中にはアザゼルの手によって神殿送りにされた者も少なくはない。
〈ブレーメン〉の連中がその強い言葉に怯む中で〈リライズ〉のギルドマスターが――いや彼だけに限らず〈リライズ〉は不敵に笑っている。
「協力しないならそれもいいが……そうやって強気に出ていられるのも今の内だけだ†ラグナロク†。お前らのギルドが強いのは知ってる。けどな、うちのギルドには九十が四人に九十超え二人が新しく増えた。力で来るならこっちもやり返すだけだ」
「へぇ……たかだか六人増えただけで言うわね、伐人。十二人で私たちに喧嘩を売ったはいいものの後ろのアザゼル一人に返り討ちにされて土下座して泣いて謝ったのは誰だったかしらね? 知らない? 伐・人・く・ん?」
「†ラグナロク†ッ! テメェッ!」
その挑発の言葉で伐人が瞬時に怒りを露わにし、大きな声が部屋に響く。
†ラグナロク†からしてみれば、この程度の挑発で逆上しなければ。笑って流せるほどの度量を伐人が得ていれば少しは手を貸しても良かった。しかし、これでは駄目だ。
表舞台に上がろうとしているのにも関わらず、役者が自分の感情を制御できないようでは自滅するのがオチだ。
「むやみやたらに吠えるのはやめなさいよ、伐人。そんなの『自分は負け犬です』って認めてるようなものじゃないの。――話がこれだけなら私は帰るわよ」
そう言い残し突き刺さる敵意の視線を物ともせず席を立った†ラグナロク†は振り返ることなく『三席会合』を後にした。