再会そして道行き
湖の湖畔に繁る菩提樹の下に腰を下ろし、オルフェウスは一心に竪琴を爪弾く。
自棄に音が響くことが気になったが、彼にはそれしかやることがなかった。
やがて、幻の肉体を伴った二つの魂は、懐かしい旋律に導かれて再会を果たした。
「オルフェウス!」
その竪琴の音色にも勝るとも劣らない甘い声を聞いたオルフェウスは、
竪琴を捨てて立ち上がった。
互いの姿を認め合った二人は、手を取り合い、菩提樹の下に腰を下ろした。
「もっとよく、お顔を見せてちょうだい。」
向かい合うとユリディースは、両手で彼の頬を軽く撫で、それから凛々しい眉や高い鼻梁、
涼しげな瞳を指先で確かめていく。
勿論、そんなことは、手を握った時から解っていたのだが、
彼女の指先は僅かの熱気も感じていない。
そのことには触れず、彼女はオルフェウスの手を取ると、自身の顔を触らせた。
「あの時と同じ、私は冷たいままよ。気が遠くなる程の間、
暖めてくれる貴方を待っていたわ。」
この時、初めてオルフェウスは、再び彼女を連れ戻しにやって来た
自らの役割に気付いた。
二人は寛衣を脱ぎ捨てると、一糸纏わぬ裸身を晒し、肌を重ねた。
竪琴は放り出されたままであったが、相も変わらず鳴り響いており、
ユリディースの発する熱い喘ぎ声の伴奏となっている。
このシーンを克明に映し出している蒼白く輝く水晶玉の向こう側でも、
その映像に見入りつつ、バーデースがペルセポネーを後ろから差し貫いていた。
互いの身体を如何に擦り合わせようとも、冥界の睦ごとは熱気を孕まなかった。
オルフェウスもユリディースもその事に以前とは違う違和感を覚えたが、
それを口に出した途端に二人の関係と言うより、この世界そのものが
消えて無くなるような気がして触れずにおいた。
地上にさえ連れ帰れば、全ては元に戻る筈だ。
オルフェウスは、そう信じていた。
二人は営みを終えると、寛衣を身に付け、手に手を取って歩き始めた。
小川に沿って続く小道を、山の中腹に建つ冥界の王の宮殿を目指した。
宮殿への道程は、平坦ではなく、迷路のように錯綜している。
鬱蒼とした光りの注さぬ森を行くと道が左右に分かれていたりするのだが、
どちらか一方を進むと視界が急に開け、断崖絶壁が目の前に現れる。
蒼空より降り注ぐ光りの洪水に目が眩み、一歩踏み出すと、
其処に待っているのは奈落の底だ。
一度体験した道行きとはいえ、オルフェウスとて、慎重に歩を運ばねばならない。
すでに此処の住人であるユリディースもまた、宮殿への道程の記憶は抹消されている。
分かれ道で迷っていると、右手の道にケルベロスが一頭現れ、此方に近づいてくる。
かつて、彼はこの三つの頭を持つ冥界の番犬を手懐けるのに散々、苦労した。
漸く、宮殿の門に辿り着いたオルフェウスを待っていたのが、二頭のケルベロスであり、
唸り声を上げ、鋭い牙を剥き出しにして威嚇してくる。
あの時は、その場に座り込み、竪琴で子守唄を奏でた。
二頭が地に顎をつけ、眠り込んだ隙を見つけて宮殿に潜入したのだった。
今、此方にやって来るケルベロスは竜の尻尾を愛想よく振りながら近づいてくる。
試しに三つの頭を撫でてやると、嬉しそうに首を振った。
そうして、オルフェウスの寛衣の袖をくわえると来た道を戻って行こうとする。
「道案内をしてくれるようね。」
ユリディースが、気づいた。二人は訝りながらも、ケルベロスに従って先を急いだ。
「此れでは道行きの物語が台無しだわ。」
水晶玉を覗き込んでいたペルセポネーが、そう呟いた。