これから始まる異世界「年金氷河期列島」~【悲報】年金に期待して保険料払っていたけど、大地震で元本の8割消えるって~[短編版]
この小説はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
何故、この試算が公開されていないのか?
全ては公開情報で計算できるはずなのに、本当に政府内で、試算は行われていないのか?
佐藤は思索を巡らせた。
存在するのか、しないのか。知りたい。どうしても。
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第一次世界大戦後にドイツへ課された200兆円の賠償金は、天文学的なハイパーインフレを引き起こし、戦前ドイツの経済を木っ端微塵に破壊してナチス台頭の引き金となった。世界史を震え上がらせたその数値を遥かに凌駕する額――292兆円。長期経済損失を含めれば1000兆円に達するこの巨額の数字こそが、我々を「最悪の異世界」へと強制送還する暴走トラックの正体である。
このトラックに轢かれる確率は、今後数十年以内で60〜90%。今や日本で結婚できる確率よりも遥かに高い。一度当選すれば、債務棒引きという逃げ道すら用意されていない。チート能力は何一つ与えられないが、その異世界へのカウントダウンは、あなたのすぐ足元でとっくに始まっているのだった。
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「若者の皆さん、朗報です! 我が国の年金は100年安心。国が現役時代の『半分』の生活を100%保障してくれます!」
都内の小綺麗なセミナールームで、仕立てのいいスーツを着た女性ファイナンシャルプランナーがハツラツと声を響かせていた。最新の財政検証や世界最大の運用資産を誇るGPIF、そして「世代間の支え合い」という美しい言葉に、会場の若者たちは安堵のため息を漏らす。
その温風が吹き荒れる部屋の最前列で、佐藤は冷え切った目でスマートフォンを見つめていた。画面にある夏のボーナス明細は、額面50万円に対し、手取りは40万円強。むしり取られた約10万円の文字を睨みつけ、佐藤は心の中で冷酷に毒づいた。
(人口動態の崩壊を無視した空論だ)
かつて最先端のITスタートアップを経営していた佐藤は、数年前、この国の合法的な暴力装置にすべてを圧殺されていた。会社が赤字だろうが容赦なく牙を剥く「社会保険料の会社負担分」の滞納により口座を凍結され、会社は倒産。代表者個人にも一生免責されない地獄の鉄鎖が課された。それ以来、自分からすべてを毟り取ったシステムを内側からハッキングして暴いてやるということだけが、彼の狂気的な拠り所だった。
スマホの画面で、自作のハッキングAIが成果を通知する。厚労省の隔離ストレージから奪取したファイルの中には、極秘財政検証ファイル『NEMESIS』が含まれていた。
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足立区の古いマンションへ帰宅した佐藤がそのファイルを解析スクリプトに投入すると、政府が公開しつつ、隠そうとしている「数理の絶望」が暴かれた。
喧伝される「所得代替率50%」は専業主婦世帯を前提としたファンタジーに過ぎず、単身世帯のリアルな支給額は現役時代の35%まで減少する。これは極秘でも何でもない話で、計算すれば誰でもわかる話だった。
だが、真の絶望はそこからだった。
ファイルには、地震調査研究推進本部が弾き出した南海トラフ巨大地震の発生確率最大値【 事前確率:90% 】と、内閣府が算定した【 経済被害:292兆円 】が組み込まれていたのだ。東日本大震災の直接被害額が約16兆9000億円であるため、これはあの未曾有の大災害が「17年連続で毎年発生する」に等しい超弩級の一撃を意味する。
国家の名目GDPの半分が消し飛ぶ大質量攻撃。そうなれば、復興需要によるハイパーインフレと財政崩壊による強制的給付カットが同時に牙を剥く。今までの年金の持続性計算に地震リスクを掛け合わせた瞬間、将来の年金が持つ実質的な購買力は、現役時代の「たった1割」へと暴落するのだ。月収40万の人間が老後に買えるものは、今の価値でわずか4万円。支払った保険料の8割が消し飛ぶ計算になる。
しかし、公開情報をただ掛け合わたものにもかかわらず「大地震時の社会保障制度の存続性試算」がどこにも公開されていなかったのだ。佐藤にとって、そのことが、一番の謎だった。
しかし、それは奥の院には存在したのだ。
「やはり、あったか」佐藤は呟く。
(恐らくは、縦割り行政だから公開していないんじゃない。本当の期待リターンが分かってしまえば、現役世代による社会保険料の不払い暴動が起きるからだ)
こんなものはネズミ講だ。俺の人生を狂わせたシステムは、全ての現役世代の人生を狂わせるものでもあったのだ。
佐藤の内面を怒りの炎が焼き尽くす。「これが、俺の復讐だ」と呟き、彼は厚労省へのハッキング記録と共に、極秘試算『ネメシス』の生データをインターネットの海へと一気に放流した。
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そのデータがネット上に広まると、海の向こうの猛禽類を動かした。シンガポール、マリーナ・ベイ・サンズを望む超高層ビルの一室で、イスラエル系の超巨大ヘッジファンド『シオン・キャピタル』のチーフマネージャー、エラン・ハザンは冷酷に笑った。
「打率90%の災害リスクを隠蔽し、沈む船の上で100年安心と歌っていたか。お花畑の住人どもが、ついに簡単な算数を理解してしまったようだな。これがトリガーだ」
市場がパニックに気づく前に先を走る。エランの命令一過、数兆円規模の「日本国債の空売り」と容赦のない「円売り」の猛爆撃が開始された。ドル円チャートが突如として跳ね上がり、162円台から一瞬で165円、168円、そして大台の170円へと突き抜けていく。
「為替介入か! 170円寸前で日銀が動いたぞ」
チャートが垂直に落下する。日本政府と日銀が放った、数兆円規模の「覆面ドル売り・円買い介入」だ。国庫の外貨準備を市場に叩きつけ、投機筋を焼き尽くす最強の盾。165円の攻防を巡り、国家の金庫と冷徹なハゲタカが正面から激突する命懸けのデスゲームが繰り広げられる。
だが、この日銀の執念の防戦によって作られた一時的な円高が、歴史的な『歪み』を生んだ。『ネメシス』の試算を見てしまった日本の現役世代が、この歪みに気づいたのだ。
「国は、また俺たちに嘘をついていた。100万円払って20万円分しか返ってこない通貨を、なぜ後生大事に抱えなきゃいけないんだ? 今、日銀が無理やり円を高くしてくれている……ってことは、今が一番安く外貨を買える、最後のバーゲンセールじゃないか!」
彼らが握りしめたのは、皮肉にも国が投資を推奨した制度――『NISA』だった。スマホの画面が一斉に光り、ログインと同時に全資産を「オルカン(全世界株)」や「S&P500」といったドル建て資産へと注ぎ込む『買いボタン』が連打される。数千万人の現役世代が同時に円売り・ドル買いの引き金を引いた。外資系ハゲタカファンドと自国の国民が、期せずして一つの目的に向かって殺到する「最悪の共闘」により、ドル円チャートは日銀の介入ラインを嘲笑うように再び狂った角度で垂直上昇を始めた。
1ドル=170円の絶対防衛線は、自国民のNISA爆撃によって跡形もなく粉砕された。打つ手のなくなった日銀は、ついに最後のカードである禁断の「緊急利上げ」を断行する。
テレビの解説者たちは「これで円高に反転する!」と色めき立ったが、佐藤もエランも、同時にそれが1992年にジョージ・ソロスがポンドを売り崩した『黒い水曜日』の再現になると確信していた。この少子高齢化社会において、利上げという劇薬は現役世代をジェノサイドするための毒薬にしかならない。住宅ローンの変動金利は跳ね上がり、企業の借入負担は激増、国債の利払い負担が政府財政の首を絞める。
日銀は構造的に武器を奪われており、強い利上げを長く続けられない。ハゲタカどもはその弱点を見抜いている。市場のアルゴリズムが見ているのは日米の金利差ではなく、この国の手遅れな人口構造と財政の癌そのものだった。利上げのアナウンスがあったにもかかわらず、ドル円チャートはゴムパチンコが弾けたような猛烈な勢いで175円の彼方へと突き抜けた。
だが、この金融の戦場に、最後に動いたのは「地政学」という名の巨大な質量だった。これ以上の円の暴落は極東に巨大な防衛の空白地帯を作るとワシントンが判断し、日米欧による歴史的な『無制限・協調ドル売り介入』が発動された。世界最大の通貨である米ドル自らが日本円を買い支えるためにその圧倒的な信用を市場に叩きつけたことで、175円の天井を叩いたチャートは猛烈な大質量に押し潰されるようにして横ばいへと推移を始めた。
「十分だ。すべてのシナリオを売り抜けた」
シンガポールのオフィスで、エラン・ハザンは悠々と利確し、国家の命運を賭けた戦場から丸儲けの状態で脱出した。
◆
為替はかろうじて「安定化」という偽りの平穏を取り戻した。しかし、この数日間のパニックで、この国は国力と購買力の約1割を永久に失った。今後、輸入原油や食料品の値上げという形で、現役世代の生活には「1ドル175円」の重みが容赦なくのしかかり続ける。
だが、お花畑の洗脳は完全に消し飛んだ。ネットの海には、国家のイカサマから自立し、資産を外貨へ分散して生きようとする、覚醒した現役世代の冷徹な言葉だけが並んでいた。
最初の預言者となった佐藤は、警察の狭い一室で取り調べを受けていた。不正アクセス禁止法違反、電子計算機損壊等業務妨害。それが彼の罪名だった。取調室のパイプ椅子に座る佐藤は、無表情に冷たい壁を見つめていた。
国が私を罰するのではない。罰したのは私だ。自分が解き放った試算が、この国の経済のハリボテを引っぺがした。情報は開示された。あとは各々が地獄を生き抜くだけだ。
佐藤の算数の計算は、すべて終わった。
だが、彼は大切なことを忘れていた。人間がどれだけ賢しくマネーゲームの帳簿を書き換えたところで、地下深く、数万年の周期でこの島国を削り続けてきた地殻変動には、なんの関係もないということを。
カウントダウンは、とっくにゼロになっていたのだ。
足元から轟音と地響きが始まった。
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これから始まる異世界「年金氷河期列島」という連載版もあります。




