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追放された老害魔導士、無一文なので武闘大会に出た結果

掲載日:2026/06/14

「おい!なぜ魔獣を追わない!? 楽しようとするな! 俺が若い頃は目についた魔物は一匹残らず処分してたぞ!」怒号に近い俺の言葉。しかしその想いはまるで届かなかった。

「そ、それはなかなかの禁句。さすがに引いてしまいますわ……」

モンクは声を震わせる。

「老害のガチ説教……さすがにきついぜ」

僧侶の言葉はド直球だった。

魔獣は森の中に逃げていったが、仲間の言葉はぐさりと俺の心に突き刺さった。

「あらおじさま、顔が真っ赤ですわよ」

「効いてる効いてる!」

図星。

ひとまわりも年下の仲間に煽られて俺は感情の持って行き所に困っていた。いっそ黙らせてしまうか? さっきの魔獣のところへ瞬間移動して捕獲して戻る。目の前であの魔獣を灰にしておけばさすがにこの新人たちも――

「いい加減にしないか二人とも!」リーダーの声が飛んできた。我がパーティーの長。やはり一回り年下である。

「ダリウスさんの言う通りだ。気のゆるみは即死につながる。そういう仕事をしているんだぞ」

やっときた加勢のおかげで、俺は心の中で矛を収めた。

「はい、それは十分理解しています」

「要は誰が言うってところだしねぇ」

ぐっ……! なんだこの舐め切った態度は!?

「はぁ、もういい。そんなことより紹介したい人がいる」

リーダーの妙に引っかかる言葉によって、小綺麗な魔導士ローブを纏った青年が現れた。

「今日から彼に新魔導士を務めてもらう。では順番に挨拶を――」

「は!? なんだそりゃ!?」

気づけばバカでかい声が俺から飛んでいた。追加メンバーの話なんて聞いていない。新魔導士? なぜ俺のポジションに補強が入る?

「おい、いくら何でも――」

その瞬間、リーダーは俺に向かって深く頭を下げた。本当に深く、身体が直角に折れ曲がっている。

「すみませんダリウスさん! 俺たちには俺たちのやり方で冒険を進めていきたくて!」

よく分からないことを叫ぶリーダーを見て、もう二人のパーティーメンバーも頭を下げる。

「自分勝手でごめんなさい!」

「本当に申し訳ありません!」

俺は謝られている。しかしなぜ謝られているのか理解できない。リーダーがようやく頭を上げる。

「今日から我がパーティーは彼を新魔導士とした四人パーティーとして再出発します!」

「……」

俺は来た早々に修羅場を見せられている青年に目をやった。俺の視線に小動物のようにビクリと反応して……他と同じように頭を下げた。

「ダリウスさんがいなくとも、あなたの教えは我がパーティーに残ります!」

なんだか、かっこうのいいセリフを吐くリーダー。

「分かってください。分かってくれるのですね。ありがとうございます」

リーダーの言葉は最早どこをツッコんでいいかも分からない。呆然とするとは正にこのことだろう。俺は何も言うことなく荒野に立ち尽くしていた。そうして気がついたら、その場には俺しかいなかった。

聞いたことがある。パーティーメンバーにとんでもない無能がいると、そいつは追放と称しパーティーからはじき出されることがあるとのことだ。

……どうやら俺は追放されたらしい。



荒野の風はやけに冷たかった。いや、気温の話ではない。心の問題だ。

赤く乾いた大地。ところどころに転がる岩。遠くに見える、魔獣にでも齧られたような枯れ木。俺はそこに一人で立っていた。

「……追放、か」

声に出してみると、思ったよりも響きが悪かった。いや、悪いどころではない。だいぶひどい。

俺はこれでも、パーティーに尽くしてきたつもりだった。野営の火起こしはした。見張りもした。敵の気配を感じれば先に警告した。食える野草と食えない野草の見分け方も教えた。ダンジョンで扉を開ける前に罠を見る癖もつけさせた。それなのに、どうしてこうなった。

「俺たちには俺たちのやり方、ねぇ……」

口にした瞬間、胸の奥が妙に重くなった。若者には若者のやり方がある。それは理解している。しているつもりだ。

俺だって若い頃は上の世代に噛みついた。もっと効率のいい魔力循環がある。そんな古臭い詠唱なんぞいらない。戦場でいちいち隊列を整えている暇があるか。何度そう言ったか分からない。そして今、俺が言われる側になった。

「ははっ」

笑いが漏れた。乾いた、情けない笑いだった。

しかし、いつまでも荒野で風に吹かれているわけにもいかない。魔獣が出る。盗賊も出る。あと、単純に腹が減る。俺はひとまず街へ戻ることにした。

荒野を抜け、街道に出る。夕暮れの街は妙に賑わっていた。石畳の道を馬車が行き交い、木組みの家々からは煮込み料理の匂いが漏れている。露店の親父が焼き串を並べ、子供たちがその前で足を止めては母親に引っ張られていた。

平和だ。あまりにも平和で、余計に胸に刺さった。戦場帰りの人間にとって、平和な街は時々暴力的だ。誰も怒鳴らない。誰も倒れない。誰も明日死ぬ前提で飯を食わない。それは素晴らしいことだ。素晴らしいからこそ、自分が浮いているように感じる。

「……宿だな」

とりあえず湯に浸かりたい。飯を食いたい。それから寝て、明日考えればいい。そう思って宿屋へ向かう途中、俺はふと腰の袋に手をやった。

軽い。いや、軽すぎる。

「……ん?」

もう一度探る。腰袋。上着の内ポケット。ブーツの中。予備の魔石入れ。ない。金がない。

「……は?」

思い返す。パーティー資金はリーダーが管理していた。俺は金勘定が面倒なので、報酬を受け取るたびに必要分以外は共同資金へ入れていた。では必要分は? 数日前、僧侶が「町で評判の薬草酒を飲みたい」と言い出し、モンクが「おじさま、まさか若い子に奢れないの?」と笑い、俺は腹立ちまぎれに全員分払った。その後、魔導触媒を買った。壊れたブーツも直した。そして現在。無一文である。

「……なるほどな」

追放とは、こういうところまで効いてくるのか。

宿どころか、焼き串一本買えない。俺は露店の前を通り過ぎた。香ばしい脂の匂いが鼻を刺す。腹が鳴った。露店の親父と目が合った。

「一本どうだい?」

「……今は肉の気分ではない」

「腹鳴ってたぞ」

「胃が抗議しただけだ。俺の意志ではない」

俺はそそくさと離れた。まずい。非常にまずい。この歳で路地裏で野宿など、身体より心にくる。何か金を得る手段はないか。

依頼を受ける? 冒険者ギルドへ行けば、単発の仕事くらいはあるだろう。しかし魔獣退治は準備がいる。討伐証明の手続きもいる。何より日払いとは限らない。荷運び? できなくはない。だが、なぜ俺が今さら荷車を引いて小銭を稼がねばならん。

などと考えながら広場へ出たところで、俺の目に大きな垂れ幕が飛び込んできた。

『四年に一度の大祭典! 王都武闘大会、出場受付本日まで!』

広場の中央に、臨時の受付所が設けられている。周囲には屈強な男たち、武器を担いだ女戦士、拳に包帯を巻いた武闘家、いかにも自信満々な連中が集まっていた。優勝賞金の額も書かれている。俺は目を細めた。

「……これだ」

武闘大会。魔法抜きの肉体勝負であることは知っている。そして俺は魔導士だ。普通に考えれば不利。いや、普通に考えなくても不利だ。しかし、賞金は大きい。当面の生活費どころか、装備を整え直しても余る。それに、俺はただの魔導士ではない。

かつての大戦の最前線では、魔導士だから後ろで杖を振っていればいい、などという甘えは許されなかった。敵が飛んでくる。味方が崩れる。詠唱中に槍が腹を貫こうとする。魔力切れのまま夜襲に遭う。そんな場所で生き残るには、まずオールラウンダーであることが要求された。

回復系魔法、結界、短剣、杖術、投擲、体術、逃走術、毒の見分け方、折れた骨を自分で戻す根性。どれも一流とは言わない。だが、ある程度の水準までは鍛えている自負があった。

「参加するか」

俺は受付所へ向かった。

受付に座っていたのは、若い女だった。背筋が伸び、表情は冷静。黒を基調にした服をきっちりと着こなし、腰には護身用らしい短い杖が差してある。顔立ちは整っていたが、左頬に薄い傷跡があった。古い傷だ。斬り傷か、魔獣の爪か。治療が遅れたのだろう。

受付嬢は俺を見るなり、事務的に口を開いた。

「出場希望ですか?」

「ああ」

「では参加費をお願いします」

「……参加費?」

「当然でしょう。会場整備、医療班、警備、審判、すべて費用がかかりますので」

「なるほど」

俺は深く頷いた。そして正直に言った。

「ない」

「はい?」

「金がない」

受付嬢は数秒だけ沈黙した。

「……冷やかしですか?」

「違う。優勝賞金で返す。だから貸してくれ」

「嫌です」

即答だった。なかなか気持ちのいい速度で斬られた。

「待て。俺は本気だ」

「本気で無一文の方を受付するほど、こちらも暇ではありません」

受付嬢は俺の全身をじろりと見た。

「だいたい貴方、魔導士なんじゃないの? そのローブ、どう見ても魔導士用でしょう」

「ああ、魔導士だ」

「魔法は使えないルールなのよ」

「知っている」

「じゃあ何をしに来たのよ……」

受付嬢は呆れたように額を押さえた。言い返したい。しかし無一文は事実である。人は金がない時、驚くほど弱い。俺は少し考えた。金はない。担保になる物もない。信用もない。では、今ここで差し出せるものは何か。

「……得意じゃないんだが」

「はい?」

「上手くいったら、参加費を貸してくれ」

「何を――」

俺は受付台越しに手を伸ばし、受付嬢の左頬へかざした。彼女の表情が険しくなる。

「ちょっと、何をする気?」

「動くな。痛くはしない」

「そういうこと言う人、大抵痛いことするのよ」

「俺は大抵ではない」

「信用ならない言い方ね」

傷跡に意識を集中する。古い傷の修復は難しい。ただ塞げばいい新しい傷とは違う。皮膚の記憶、肉の癖、魔力の滞り。それらを一度ほどき、正しい形へ戻してやる必要がある。

得意ではない。昔、戦場でやったのは止血と骨接ぎばかりだ。美容修復など専門外もいいところだ。だが、できないわけではない。

「少し熱いぞ」

俺は魔力を流した。受付嬢の肩がぴくりと震える。淡い光が彼女の頬を包んだ。傷跡の周囲にある硬い魔力の滞りを薄く削る。表皮、真皮、その奥の細い血管。壊さぬよう、戻しすぎぬよう、時間だけを少し巻き戻すように。

数秒。いや、実際には十数秒だったかもしれない。俺は手を引いた。

「終わった」

「……何が?」

受付嬢は怪訝そうに俺を見た。俺は受付台の端に置かれていた小さな手鏡を顎で示す。

「見てみろ」

受付嬢は疑わしそうに鏡を手に取った。そして、固まった。

「……え?」

左頬に手を当てる。なぞる。もう一度、鏡を近づける。傷は消えていた。完全に、とは言わない。よく見れば肌の色がわずかに違う。だが、以前のように線として残ってはいない。

受付嬢は口を開けたまま、しばらく言葉を失っていた。俺はその横を通り、受付用紙へ名前を書いた。

「大会が終わったら倍にして返すよ!」



武闘大会の予選は、想像以上に盛り上がっていた。予選方式は単純。最高ランクの現役武闘家との自由組手。勝つ必要はない。良い技量を見せた八人が本戦トーナメントへ選ばれる。要するに、審査役に「こいつは見込みがある」と思わせればいい。

その審査役は、黒い胴着を着た中年の男だった。筋骨隆々というより、無駄がない。肩の力は抜け、重心は低く、視線は穏やか。だが足先だけが常に相手の芯を向いている。いい武闘家だ。かなりやる。

観客席は予選から満員に近かった。四年に一度の祭典だけあって、街中の人間が集まっているのではないかと思うほどだ。

「次ぃ!」

挑戦者が舞台に上がる。若い剣士だった。開始の合図と同時に踏み込み、木剣を振るう。速い。だが、審査役の武闘家は半歩だけずれ、剣士の手首を軽く叩いた。木剣が宙を舞う。次の瞬間、剣士は背中から舞台に倒れていた。

「そこまで!」

観客が沸く。

「すげぇ!」

「何が起きた!?」

「さすがだな!」

俺は腕を組んで見ていた。確かに強い。派手ではないが、技がきれいだ。これまでの挑戦者は九十九人。審査役は九十九勝無敗。もちろん予選なので本気で潰しているわけではない。それでも、誰一人としてまともに崩せていなかった。

受付はすでに締め切られている。そして俺が、最後の予選挑戦者だった。

「次、ダリウス!」

名前を呼ばれ、俺は舞台へ上がった。観客席からざわめきが起きる。

「なんだ、あのおっさん」

「魔導士じゃないのか?」

「迷い込んだ?」

聞こえているぞ。全部聞こえているからな。

俺は肩を回し、首を鳴らした。身体は重い。年齢相応に、朝起きた時は膝が少し文句を言う。だが、動かないわけではない。

俺はゆっくりと息を吐いた。右足を一歩前に出す。左拳を顎の前に置く。そして、右拳をゆっくり前に出した。

構えを取った瞬間、空気が変わった。観客は変化に気づいていない。だが目の前の武闘家だけは違った。彼の目が見開かれる。次いで、表情が険しくなった。足の位置を変え、腰を落とし、両手を上げる。そのこめかみに、脂汗が垂れた。

「……」

「……」

双方、動かない。三秒。五秒。十秒。観客席がざわつき始める。

「何してんだ?」

「早くやれよ」

「おっさん固まってるぞ」

違う。固まっているのは俺ではない。相手が、動けないのだ。

俺はこの構えが得意ではない。ただ、昔、戦場で何度も見た。魔族の近接型を相手にした時、生身の兵士が生き残るために編み出した構え。初撃を誘い、相手の中心を折り、返しで命を取る。実戦に寄りすぎていて、競技には向かない。だから今の時代では失伝しかけている。だが、分かる者には分かる。迂闊に入れば、終わる。

しばらくして、武闘家はふっと息を吐いた。構えを解く。

「参りました、私の負けです。これから本戦出場の八人を選びます」

そう言うと、彼は舞台から去っていった。観客席が一瞬静まり、次に混乱した。

「はぁ!?」

「何だよそれ!」

「戦ってないだろ!」

俺も去っていく背中へ声をかけた。

「勝負は水物。やってみれば分からないものだぞ?」

武闘家は振り返らずに答えた。

「そうかもしれませんが、私にはこれから八人を選ぶ仕事が残っているんです。いや、七人か」

俺は少しだけ目を細めた。

「なるほど」

会場からは不満の声が飛ぶ。

「連戦疲れだろ」

「最後のおっさん、ラッキーだったな」

「あれで本戦とかないよな?」

そんな声の中、俺はぽつりとこぼした。

「なるほど、最近の若者もひとくくりにはできないもんだ」

審査役の男は若者という歳ではないが、まあ俺より若ければだいたい若者だ。



本戦出場者八名の発表は、大会場で行われた。広い石造りの武舞台。周囲を囲む観客席。飾り旗が風にはためき、太鼓の音が鳴る。

選ばれた七人が順に名を呼ばれるたび、歓声が上がった。剣士、拳闘士、槍使い、獣人の女戦士、双剣の少年、巨漢の男、そして体術家の女。どれも予選で見せ場を作った者たちだ。

最後に俺の名が呼ばれた。

「ダリウス!」

俺が前へ出ると、会場ははっきりと落胆した。

「えぇ……」

「最強の八人が見たかったのに」

「あのおっさん入れるのかよ」

「老害枠いらないだろ」

老害枠。便利な言葉だ。何をしても、それを付ければ済む。俺は観客席を見回した。誰も俺に期待していない。それはそれで楽だ。期待されすぎるのも面倒だが、されなさすぎるのも少し腹が立つ。

「まあ、ほどほどにやるか」

一回戦。相手は若い剣士だった。開始と同時に鋭い踏み込み。木剣が俺の肩口を狙う。俺は半歩前へ出た。剣の間合いを潰し、肘で相手の胸を押す。剣士の呼吸が止まった瞬間、足を払う。どん、と舞台が鳴った。

「そこまで!」

終わり。観客席が静かになる。

「……え?」

剣士も倒れたまま目を瞬いていた。俺は手を差し出す。

「良い踏み込みだった。もう少し肩の力を抜け」

「は、はい……」

二回戦。相手は槍使い。長い間合いを活かし、俺を近づけないつもりらしい。正しい。非常に正しい。だが、槍の穂先に頼りすぎるのはよくない。俺はわざと大きく右へ動いた。相手が追って突く。その瞬間、柄を左手で叩き、穂先の軌道をずらす。懐へ入る。腹へ掌底。槍使いが膝をつく。

「そこまで!」

また終わり。観客席がざわつき始めた。

「おい、強くないか?」

「いや、相手が油断しただけだろ」

「でも二回連続だぞ」

準決勝。相手は獣人の女戦士だった。速い。これは素直に感心した。開始直後、彼女は低く沈み、爪を模した籠手で俺の足を狙った。俺は後ろへ跳ぶ。追撃。さらに追撃。若い身体というのは本当に羨ましい。関節がよく動く。回復も早い。無茶をしても翌日泣かない。

だが、速さには癖が出る。彼女は三撃目の前に必ず左耳がわずかに動いた。俺はそこに合わせて踏み込んだ。肩で体勢を崩し、背負うように投げる。女戦士は空中で身体をひねって着地しようとした。見事だ。なので、着地の瞬間に足を払った。今度こそ舞台に転がる。

「そこまで!」

俺は息を吐いた。少し疲れた。いや、だいぶ疲れた。観客席から今度こそ大きなどよめきが起きた。

「本当に強いぞ、あのおっさん!」

「何者だよ!」

「老害じゃなくて古豪か!?」

古豪。老害よりはマシだ。

俺は反対ブロックの準決勝を観戦することにした。舞台に立っていたのは、巨漢の男だった。大きい。ただ大きいだけではない。首が太く、肩が厚く、腕は丸太のようだ。だが、足運びは妙に静かだった。

相手は双剣の少年。速さで翻弄するつもりだろう。少年は左右から斬り込む。巨漢は鈍重そうに見せながら、それを紙一重で受けた。いや、受けているように見せている。本当は、当たる位置に相手を誘導している。

「……あの巨漢、相当実力を隠しているな」

俺は思わずこぼした。隣にいた係員が首を傾げる。

「そうですか? けっこう押されてるように見えますけど」

「見えるようにしているんだ」

巨漢は何度も攻撃を受け、派手に後退した。観客は少年を応援する。そして少年が勝負に出た瞬間、巨漢は片腕を伸ばした。双剣の間をすり抜け、少年の胴を掴む。軽く持ち上げ、舞台へ落とした。それで終わりだった。

「決勝進出、ガルド!」

巨漢――ガルドは観客へ手を振った。人懐こい笑顔。だが俺は、その口元に違和感を覚えた。言葉ではない。呼吸でもない。もっと細かいものだ。舌の位置。喉の使い方。昔、何度も聞いた、人間に似せた発声。

「……まさかな」

俺は顎に手を当てた。

決勝戦。会場の熱気は最高潮だった。誰もが巨漢ガルドの優勝を予想しているようだった。俺への評価も変わったが、それでも「意外と強いおっさん」止まりだ。対してガルドは、分かりやすく強い。見た目が強い。大きい。迫力がある。観客とは正直なものだ。

舞台の中央で、俺とガルドは向かい合った。

「いやぁ、あんた強いな」

ガルドが笑う。低く太い声だった。

「そっちこそ」

「正直、決勝で当たりたくなかったぜ」

「奇遇だな。俺もだ」

「ははは! じゃあ、お互い運が悪かったってことだ!」

審判が手を上げる。

「決勝戦、始めっ!」

合図と同時。ガルドが消えた。いや、消えたように見える速度で踏み込んできた。巨体に似合わぬ加速。胴タックル。俺は反応した。腕を差し込み、首を押さえ、横へ逃がそうとする。だが、重い。馬車に正面から突っ込まれたような衝撃。次の瞬間、俺の胴にガルドの両腕が巻き付いた。締まる。肋骨が軋む。

「ぐっ……!」

「ははは! 先手を取ったぞ!」

ガルドが耳元で笑った。

「正直、危ないと思った相手はお前だけだ! そしてそのお前もこの形に組めば怖くはない!」

俺は腕を差し込み、腰をずらし、足をかけて脱出を試みる。無理だ。力が違う。技術でどうにかするにも、完全に形を作られている。

「……まあ、優勝は諦めるか」

俺は小さく息を吐いた。

「俺の体術なんてこんなもんだ」

観客席から悲鳴と歓声が混じる。審判が止めるべきか迷っている。しかし俺は、ガルドの胸元で妙な匂いを嗅いだ。血の匂い。人間のそれとは少し違う、鉄臭さの奥に甘さが混じる匂い。そして、先ほどから耳に入るガルドの息遣い。やはり違う。人間ではない。

俺は首だけ動かし、ガルドの顔を見上げた。

「お前みたいな魔族まで出場しているとは思わなかった。さすがは伝統の大会ってところかね」

ガルドの腕が一瞬だけ緩んだ。本当に一瞬。だが動揺は明らかだった。

「……何を言っている?」

「イントネーションが違う。昔は人語を使う魔族も多かったんだが……久しぶりに見たな」

ガルドの笑みが消えた。観客には聞こえないほどの小声で、彼は言った。

「それを知られては、生かして終わらせられない。このまま身体ごとへし折る」

締め付けが強くなる。肋骨が悲鳴を上げた。俺は顔をしかめる。

「知られて困ることか?」

「そりゃ、お前さん」

ガルドの口角が裂けるように上がった。

「人間が食いづらくなるだろ?」

なるほど。完全に黒だ。俺はため息をついた。

「まったく」

本当に、まったくである。

武闘大会は魔法禁止。俺はそのルールを守るつもりだった。優勝賞金を得て、受付嬢に参加費を倍返しし、宿を取る。できれば熱い湯に浸かって、柔らかい寝床で眠る。それだけのはずだった。

なのに魔族。人食い。しかも大会の決勝で正体発覚。

「お前のせいでまた老害扱いされちまうよ」

「な――」

ガルドが気づくより早く、俺は頭を振り下ろした。魔力を込めた頭突き。鈍い音がした。ガルドの顎が跳ね上がり、腕の力が緩む。俺はその隙間から抜けた。空気が肺に戻る。痛い。非常に痛い。だが動ける。

ガルドは数歩後退した。その額から黒い血が流れている。観客席が静まり返った。

「な、なんだ今の……?」

「頭突き?」

「いや、光ったぞ!」

ガルドの顔が歪む。人間の表情ではなくなっていた。歯が伸びる。肌の下で何かが蠢く。巨体がさらに膨れ上がる。

「貴様ァ……!」

「正体を隠す気があるなら、もう少し我慢しろ」

俺は踏み込んだ。魔力を拳に込める。一撃。腹。二撃。胸。三撃。喉。ガルドの身体が揺れる。普通の人間なら死んでいる。だが魔族はしぶとい。ガルドは怒号を上げ、腕を振り回した。俺は身を沈めて避ける。膝が痛い。腰も痛い。明日は絶対に動けない。それでも、今は動く。

俺はガルドの手首を掴んだ。

「離せ!」

「だめだね。詰みだ」

足元に魔力を通す。舞台の石がひび割れた。俺は全身をひねり、ガルドの巨体を空高く投げ飛ばした。観客席から悲鳴が上がる。ガルドの身体が空中で魔族の姿へ変わっていく。角。黒い皮膚。裂けた口。背中から伸びる歪な突起。もう言い逃れはできない。

「魔族だ!」

「逃げろ!」

「警備兵!」

会場が混乱する。俺は右手を上げた。

「全身全霊でいくぞ」

術式が展開する。青白い光が幾重にも重なり、砲身のように伸びた。ガルドが空中で吠える。俺は狙いを定めた。

魔導砲。

光が放たれた。轟音。空が白く染まる。一瞬遅れて、熱風が会場を撫でた。ガルドの身体は光に飲まれ、跡形もなく消えた。灰すら、ほとんど残らなかった。

静寂。誰も声を出さない。俺は上げていた手を下ろした。



翌朝。俺は小さな家のソファーに身体を沈めていた。窓から差し込む朝日が眩しい。体中が痛い。特に首と腰。巨漢の魔族に締め上げられ、魔導砲まで撃ったのだから当然だ。

若い頃なら一晩寝れば動けた。今は一晩寝ると、痛みが熟成される。

「……老いとは厳しいな」

つぶやいたところで、扉が開いた。家主が帰ってきた。武闘大会の受付嬢である。手には紙袋を抱えている。中からパンと干し肉の匂いがした。

「起きてたのね」

「ああ。身体中が痛くてな」

「それはお気の毒に」

言葉ほど気の毒そうではない。彼女は紙袋をテーブルに置き、水差しを出した。

「街の様子は?」

「格式ある武闘大会を魔法で滅茶苦茶にした、って大騒ぎよ」

「やはりか」

「やはりか、じゃないわよ。大会関係者は真っ青。賭けをしていた連中は大荒れ。観客は『金返せ』。武闘家たちは『神聖な舞台への冒涜』って怒ってる」

「魔族を倒したんだがな」

「それを分かってる人もいるわ。でも、人は自分の損の方を大きく感じるものよ」

「それは堕落さ。――しかしながら、だ」

俺は水を飲み、彼女を見る。

「なぜ俺をかくまってくれた?」

彼女は一瞬、きょとんとした。それから、左頬に手を当てた。少しだけ目を細める。

「分からない?」

「分からん」

俺は正直に答えた。

「……あ!」

「分かった?」

「倍返しすると言った大会参加費は、少し待て」

受付嬢は深く深くため息をもらした。

「まったく、最近の老害は困ったものね」

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