第3話 氷の女王の“感度”調整
国立出雲神機工科高校、本校舎最上階。
そこは、選ばれし「騎士科」の中でも、さらに選び抜かれた特権階級のみが入室を許される聖域だ。
床には深紅の絨毯が敷き詰められ、壁一面のガラス窓からは、夕日に輝く宍道湖と、その向こうに鎮座する『天の御柱(出雲大社)』の威容が一望できる。
地下の工匠科教室とは、文字通り「天と地」の差だ。
「――遅い」
重厚なマホガニーの扉を開けた瞬間、氷点下の声が飛んできた。
部屋の中央、玉座のような執務椅子に足を組んで座っているのは、この学園の支配者。
生徒会長、八雲セシリアだ。
銀の髪が夕日を受けて煌めき、陶器のように白い肌が、黒いハイソックスと絶対領域のコントラストを際立たせている。
美しい。だが、その瞳は俺を射殺さんばかりに鋭い。
「呼び出しから15分も遅刻よ。……まさか、あの乳牛とまだイチャついていたわけじゃないでしょうね?」
「人聞きが悪いな。移動に手間取っただけだ。ここに来るまでの検問で、3回もIDチェックされたんでね」
俺は肩をすくめて部屋に入った。
嘘ではない。作業着姿の俺が最上階を歩いているだけで、警備ドローンや風紀委員が「不審者だ」と群がってきたのだ。
「ふん……まあいいわ。そこにお座りなさい」
セシリアが顎で示したのは、彼女の執務机の目の前にあるソファ……ではなく、机のすぐ脇の床だった。
「……床にか?」
「ええ。そこからじゃ届かないでしょう? 私のデバイスの調整が」
セシリアはふわりと髪をかき上げ、白く華奢なうなじを俺に晒した。
彼女の首筋には、チョーカー型の神経接続端子が装着されている。
脳波を神機へ伝達するための、最も重要かつ繊細なインターフェースだ。
「昨日の調整……あれ以来、機体の調子はいいのだけれど、私の感覚が鋭敏になりすぎてしまったの。微細なノイズでも頭痛がするわ。……責任を取って、再調整しなさい」
命令口調だが、その耳は少し赤い。
俺はため息を一つつき、彼女の背後に回り込んだ。
「やれやれ。俺の時給は高いぞ」
「八雲家の資産で払えない額なんてないわ」
俺は作業着の袖をまくり、鍛え上げた指先を彼女のうなじへ伸ばした。
冷んやりとした金属端子の感触。そして、その下にある人肌の温もり。
俺の指が触れた瞬間、セシリアの肩がビクリと跳ねた。
「っ……!」
「動くな。神経に触れるぞ」
俺は『管理者権限』を発動。
視界に彼女の生体バイオリズムと、デバイスの信号パルスが投影される。
昨日の俺の調整が完璧すぎたせいで、彼女の生身の脳が、機体の情報量に追いつこうとして過敏になっている状態だ。
「少し、感度を絞るぞ」
「え、ええ……やって……」
俺は端子の微細な回路に指を滑らせ、魔術師のような手つきで信号を撫でていく。
物理的な接触は最小限だ。だが、神経直結の端子を弄られる感覚は、脳髄を直接愛撫されるに等しい。
「んっ……ぁ……!」
セシリアの口から、甘い吐息が漏れた。
彼女は机の縁を強く握りしめ、足をガクガクと震わせている。
普段の氷の女王としての威厳はどこへやら。今はただ、俺の指先のテクニックに翻弄される一人の少女だ。
「く、っ……そこ、深い……響く……っ!」
「力を抜け。拒絶反応が出ると痛むぞ」
「だ、だって……あなたが……うぅっ♡」
……マズいな。
俺としては真面目に整備しているだけなのだが、絵面が完全に事案だ。
もし誰かが入ってきたら、俺は社会的に抹殺されるだろう。
「――よし、完了だ」
俺が指を離すと、セシリアは力尽きたように机に突っ伏した。
肩で息をし、瞳は潤み、頬は桃色に染まっている。
「ど、どうだ……?」
「……ふぅ、ん……。嘘みたいに……体が軽い……」
セシリアは夢見心地で自分の首筋に触れ、それからハッとして俺を睨みつけた。
「か、勘違いしないでよね! これはただの整備よ! 変な気をおこしたら凍らせるから!」
「はいはい。じゃあ俺はこれで」
これ以上ここにいると、別の意味で食われそうだ。
俺はそそくさと退散することにした。
「待ちなさい! ……報酬の話がまだよ」
セシリアは整った呼吸を取り戻し、以前の女王の顔で告げた。
「黒鉄クロウ。あなたを生徒会役員に任命するわ。……私の側にいれば、工匠科への差別なんてさせない。悪い話じゃないでしょう?」
「断る」
「は?」
俺は即答した。
セシリアが信じられないという顔をする。
「権力にも金にも興味はない。俺はただの整備士として、静かに暮らしたいだけだ」
「なっ……あなた、八雲家の誘いを蹴るつもり!?」
「また何か壊れたら呼んでくれ。気が向いたら直しに来る」
俺はひらひらと手を振り、今度こそ生徒会室を出た。
背後で「キーッ!」というヒステリックな声と、何かが凍りつく音が聞こえたが、聞かなかったことにする。
* * *
廊下に出ると、日はすでに落ちかけ、校舎は茜色に染まっていた。
長い廊下の向こうから、一人の男が歩いてくる。
「おや、奇遇だね。黒鉄くん」
白衣を着た長身の男。
工匠科の主任教官、大国ヌシだ。
柔和な笑顔と、生徒思いの性格で人望が厚い教師だが……俺は、この男が苦手だった。
「先生。お疲れ様です」
「生徒会室からの帰りかい? あの一科生の牙城に呼ばれるなんて、君も隅に置けないな」
大国先生は親しげに俺の肩を叩いた。
その瞬間。
俺の鼻腔を、微かな刺激臭がくすぐった。
(……ガンオイルの匂い?)
いや、それだけじゃない。
俺の耳が、先生の身体の奥から響く、極小の駆動音を捉えた。
心臓の鼓動とは違う。もっと無機質で、冷たい音。
「どうしたんだい? 怖い顔をして」
「いえ……なんでもありません」
「そうか。……ああ、そうだ。最近、学園のセキュリティシステムが不安定でね。君のように優秀な工匠科の生徒には、協力してもらうかもしれないよ」
先生は意味深に微笑むと、俺の横を通り過ぎていった。
その背中を見送りながら、俺は目を細める。
今のモーター音。
そして、あの笑顔の奥に潜む、ドス黒い何か。
俺の「傭兵としての勘」が警鐘を鳴らしている。
「……きな臭くなってきたな」
平穏な日常を望む俺の願いとは裏腹に、出雲の地に、争いの火種は確実に燻り始めていた。




