第二話『女性と』
──あたしは戸丸くんに恋をした。
〇
「んー」
深呼吸をしながら両手を組んで背伸びをする彼女。漏れ出る声は澄んでいて、どことなく上品さを感じる。それから美女は辺りを軽く見回した後、俺と目を合わせ微笑みかける。
「──おはようございます。」
ただの挨拶。されど朝を美しく彩るような挨拶だった。
声質か、抑揚の付け方か、もしくはそのどちらともが磨き上げられている為か、今まで聞いた挨拶で一番心地よかった。一生忘れないだろう。
「お、おはようございますぅ」
対する俺は腑抜けた挨拶を返す。
──沈黙。
気まずくて目を逸らす。ジッとこちらを見つめる視線。少し勇気を出して目を合わせてみるが、二秒も経たずに逸らしてしまう。そうして目線も定まらずたじろいでいると、彼女の方から沈黙を破ってくれた。
「──ごめんなさい、急に。びっくりしたでしょう?」
そりゃびっくりしますとも。と緊張を和らげようと、洋画みたいにコミカルなリアクションをとる。口に出す勇気はないから心の中でね。実際は……
「は、はい」
弱々しい返事。
「──あなた、学生さん?」
見ての通り。と両腕を左右に広げてアピールする妄想。実際は……
「あ、はい」
弱々しい。
「──少しお話したいんだけど、時間はあるかしら。」
喜んで!
「あ、空いてますぅ……」
〇
「──私、吸血鬼なの。」
"単刀直入に言うと"という前振りの直後に発せられた衝撃発言。大変困ったことに、今見ているものが夢か現かを確かめる必要がでてきた。
「──昨日は満月だったから、月見がてらにご近所を散歩していたの。そうしたら、ふとこれまでにないくらい美味しい香りがして……香りを辿って行った先にあなたがいたの。内側から『食欲』が溢れて、我慢できなくて……それで。」
「ん?」じゃあ昨日のは──夢だと思っていたものは現実だったらしい。となればこれも現実?
意識がはっきりしていることから、これが夢でないことは頭の片隅にあった。けれど到底受け入れるには、夢成分が濃すぎるし現実味が薄すぎる。
「──私ったらあなたのが美味しくって気を失っちゃってたみたい。はしたなくてごめんなさい。」
澄んだ声で、時々笑い声を混じらせながら彼女は話す。けれど、途端彼女からその余裕がなくなる。
数秒の沈黙が流れた。その間、彼女はまるで俺のような挙動だった。目線をアチコチに散乱させ、細かな頻度で髪をつまみ、時々その美しい顔をこちらに向けたかと思えば、顔を少し赤らめてすぐそっぽを向く。
彼女のアタフタ具合を見た俺はというと、なんだか彼女が普通の女性と変わらないような気がして、ほんの少し落ち着いた。
とはいえ目は泳ぐ。ふと視界に入った掛け時計に注目すると、支度を整えなければならない時間だ。
「あ、あの」
俺が言葉を切り出すと、俯き加減の彼女が視線だけをこちらに向ける。
「そろそろ支度しなくちゃいけなくて、今日のところは、その」
「──あ、あぁ。ごめんなさい。最後に、言いたいことがあるんだけれど、いいかな?」
「え、えぇ」
彼女は俯く顔を上げ、こちらを見据える。やはり、現実離れした美貌だ。
「──ひとつ、あなたにお願いがあるの。」
彼女は生唾を飲み込む。
「──到底受け入れ難いかもしれないけれど。」
呼吸が荒くなる。
「──あなたの味が忘れられそうにないから。」
手が震える。
「──私の身体を好きにするのを条件に。」
顔が紅潮する。
「──私のオカズになって。」




