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第二話『女性と女生徒』

 ──あたしは戸丸くんに恋をした。


   〇


 「んー」


 両手を組んで背伸びをする彼女。漏れ出る声は澄んでいて、どことなく上品さを感じる。それから美女は辺りを軽く見回した後、俺と目を合わせ微笑みかける。


 「おはようございます」

 それは、朝を美しく彩るような挨拶だった。


 「お、おはようございますぅ」

 腑抜けた挨拶を返す。


 そして、──沈黙。


 気まずさに目を逸らす。彼女からは絶えず視線を感じる。少し勇気を出して目を合わせてみるが、数秒も経たずに逸らしてしまう。

 おどおどとしていると、彼女の方から沈黙を破ってくれた。


 「ごめんなさい、急に。びっくりしたでしょう?」


 そりゃびっくりしますとも。と、内心で洋画風のリアクションを取ることで、平静を保とうとする。


 「は、はい」

 しかし口から出るのは弱弱しい返事。


 「あなたは学生さん?」

 「ち、中学生です」

 「少しお話したいのだけれど、時間はあるかな?」

 「あ、空いてます……!」


   〇


 「私、吸血鬼なの」


 "単刀直入に言うと"という前振りの直後に発せられた衝撃発言。今立っている場所が、夢か(うつつ)か曖昧になる感覚に襲われる。


 「名を『おキク』といいます。たくさん驚かせちゃって、ごめんね」


 言葉遣いには、丁寧な部分と砕けた部分があり、意図的かは分からないが、不思議と惹かれるリズムを生み出している。


 「それで、昨日の夜のことなんだけど……」


 微かに残る昨夜の記憶は、夢オチとして誤魔化せないらしい。思いつく返事もなく、ただ彼女が言葉を紡ぐのを待つ。


 「ご存知かもしれませんが、吸血鬼は蝙蝠に変身することが出来るんです。昨晩もそうやって、夜風や夜景を楽しんでいました」


 先程までこちらを見ていた顔を、少し俯かせて話は続ける。


 「ところが、今までに知らないくらい美味しそうな香りが、ふと漂ってきて」


 少し間を置いて、


 「辿った先にあなたがいて。自分でも怖いくらい『食欲』が抑えられなくって、それで……。あまりの美味しさに気を失って、ここで寝てしまいました」


 「今は、今はもう大丈夫なんですか?」


 それは、自分が食べ物として貪られることへの恐怖からくる質問だった。


 「はい。日中は人と変わらないので、血の匂いをを嗅ぎとる嗅覚も、血を吸うための歯もありません。最も、蝙蝠になることも出来ませんから、私が吸血鬼である証拠も、夜まで見せられないんですが」


 それから数秒の沈黙が流れた。その間、彼女は落ち着かない様子だった。


 目線をアチコチに散乱させ、細かな頻度で髪をつまみ、時々その美しい顔をこちらに向けたかと思えば、顔を少し赤らめてすぐそっぽを向く。


 俺も同様、落ち着かなくて目線が定まらない。ふと視界に入った掛け時計に注目すると、そろそろ支度を整えなければならない時間だ。


 「あ、あの」

 俺が言葉を切り出すと、俯き加減の彼女が視線だけをこちらに向ける。


 「そろそろ支度しなくちゃいけなくて、今日のところは、その」


 「あ、あぁ、ごめんなさい。……でも、その前に一つだけ聞いてくれる?」


 「え、えぇ」


 彼女は俯く顔を上げ、こちらを見据える。やはり、現実離れした美貌だ。


 「あなたに、お願いがあるの」

 彼女は生唾を飲み込む。

 「到底受け入れ難いかもしれないけれど」

 呼吸が荒くなる。

 「あなたの味が忘れられそうにないから」

 手が震えている。

 「私の身体を好きにしていいから」

 顔が紅潮する。


 「──私のオカズになって」


   〇


 今すぐにでも彼女の身体に飛びつきたい。性欲にエンジンが掛かり、アクセル全開。しかしその瞬間、春崎さんの笑顔が頭を過ぎる。よって俺は、ブレーキを踏みしめて、前のめりになりながらも事故を防ぐことができた。


 「何言ってるか分かんないので、その話は今晩にでもゆっくりしましょう!」


   〇


 我が母『戸丸 温子(あつこ)』は時々、勝手に俺の部屋の掃除をしていることがある。もちろん感謝はしているが、年頃だからあまり干渉しないでほしい。

 このことから、家族(主に母)との接触を防ぐべくおキクさんを連れ出さなければならない。

 ということを伝え、俺が登校すべく家を出るのと同時に素早く外に出てもらう。この作戦でいくことにした。


   ◯


 身支度を終え、いざ出陣。

 彼女と並んで、自室のある二階から一階へ降りる。


 母は優しいから、玄関扉の開く音、または玄関へ向かう足音を聞きつけると、見送りをしようとリビングからわざわざ出てきてくれる。


 けど今回は気づかれるわけにはいかない。

 抜き足差し足で廊下を進む。このまま真っ直ぐ行くと玄関だ。道中には扉一枚を隔ててリビングがあり、母はここにいる。


 怯えつつも歩を進める。

 新築の廊下だから軋むような音は無い。

 靴下を履いている俺だけならば、さらにスピードを出しても足音を立てずに行けただろう。


 しかし問題は靴下を履いていない彼女の足音だ。足裏と床がぺたぺたとくっついて音が出てしまう。


 これは俺の采配ミスだ。


 扉の防音性を信じて多少の足音は妥協し、それでも慎重に進んでようやく玄関まで来た。


 しかし安堵する間も無く、突如リビングの扉が開く。咄嗟の判断で、砂粒が残る土間を裸足で駆け、扉を開き、彼女を外に押し出して閉める。


 振り返ると、母が怪訝そうにこちらを見ていた。

 「何してんの?」


 「危なかった。忘れ物しちゃって。気づけて良かった」

 苦し紛れの嘘に、プッと笑って母は言う。

 「何もそんなに焦ることないやろうに」

 「だって忘れたの、靴だもん」

 「はあぁ? ってホントや。昨日ちゃんと寝た?」


 テンパって嘘に説得力を持たせようとしたが、かえって母をドン引きさせてしまった。母は深く溜息を吐いて「行ってらっしゃい。気をつけるんで!」


 「はい! 行ってきます!」


   〇


 玄関を出てすぐ、緊張が解かれてドッと溜息がでる。彼女は何か言いたげに、こちらをジッと見つめていた。


 「力づくですみません」

 念の為小声で話す。

 「じゃあ……僕はこっちなので」


 そう言って、彼女から目を背けて進行方向を向こうとした時だった。


 「あのっ」

 呼び止められて、彼女の方を見つめ直さざるを得なかった。

 「約束通り、今晩も伺います。窓を開けて待っていてくださいね」


 そう言うと、彼女は俺の進行方向とは逆に歩いて行った。


   〇

 

 「お〜はよ! 戸丸くん!」


 外靴をスリッパに履き替えていると、春崎さんが挨拶と同時に顔を覗き込んできた。


 「あっ、おはよう」

 「あれ、なんだか元気なさげだけど大丈夫?」

 「ははっ、全然大丈夫。気にしないで」

 「ほんとに〜?」


 朝から精神を削ったことや、血を吸われた影響で軽く頭痛がすることなど、とてもテンションが上がるような気分ではない。

 けれど、春崎さんが親しげに話しかけてくれたことや、その可愛さを前に、心は自然と踊り出していた。


 靴箱を出て、二人で並んで教室に歩き出す。


 ふいにおでこにピトッと手の平が触れる。柔らかくて人肌の温かい手の平。


 「ひゃんっ!」

 心臓が跳ねた反動で、情けない声が漏れ出る。


 「あっ、ごめん! 熱があったら大変だなーって思って」

 「ありがとう」

 苦笑いで返事をする。


 心臓に悪いから、予め一言欲しかった。

 気恥しさと可愛さで、顔が火照って熱っぽくなった。


   〇


 「そういえば、戸丸くんってインスタとかしてる?」


 授業の合間の十分休憩。突如にして、彼女が俺のインスタを聞いてきた。


 「う、うん、やってるよ! あんまり使ってないけど」

 「なら交換しよ!」

 「う、うん!」


 すると、彼女は机の中からiPadを取り出した。学校から支給されたものだ。


 「エアドロするね〜」


 それから写真アプリを開いて、インスタのQRコード画面が撮影された写真を表示した。俺も自身のiPadを開いて、エアドロップを受け付けるようにした。


 「はい、ど〜ぞ」


 俺は、彼女と直接会わずとも会話できるパスポートを得た。


 「ありがとう」

 「うん! 沢山お話しよーね!」


   〇


 好きだ。


 どの角度から見ても可愛い彼女。誰にでも朗らかな彼女。俺みたいなやつとは縁遠いと思っていた存在が、間近に。


 いつも通りなのに、いつもより楽しい帰り道。


 今日あった嬉しいことを思い出し、またこれから起こるかもしれない楽しいことを妄想しながら歩を進める。


 そこで、思い過ごせないことがチラつく。

 自身を吸血鬼という、あの美女のことだ。


 まだ疑いがあるものの、彼女が人間離れした存在であることは、昨日の出会い方からして納得せざるを得ない。


 そして今晩、再び彼女と出会う約束をした。楽しみなような、怖いような。


 気づけば家に着いていた。そのくらい色濃くて、思い出すと目の前に集中できなくなるような日中であった。


   〇


 夕飯と風呂を終え、今日はもう寝るだけ……とはいかない。


 自室の窓を開け、彼女を待つ。

 月光が仄かに部屋を照らし、夜風がカーテンを揺らす。


 瞬間、黒く小さい飛行体が顔の横を通って部屋に侵入した。振り返ると、おキクさんがいた。


 顔を赤らめ、肩で息をしている。

 「だ、大丈夫、ですか?」

 「お腹が、うずうずして、ちゃんとお話、できそうに、ない……ですっ」


 俺はどうすればいい。

 悩む間もなく、今度はスマホから着信音が鳴る。画面には『かなめ』と書いてある。


 「ちょ、ちょっと待っててください!」


 心の準備などさせてもらえず電話に出る。


 『あ、もしもし戸丸くん!』

 「こ、こんばんは!」

 『うん、こんばんは! 突然でごめんね』

 「いや、全然大丈夫!」


 背後からキクさんが息を荒らげながら近づいてくる。


 『それでね、その、電話した理由なんだけど……』

 「う、うん、どうしたの?」

 ダメだ、全然集中できない。


 『戸丸くんの、声が聞きたくなったんだ』


 首元を、おキクさんの熱い息が掠める。彼女の白く華奢な腕が俺を抱擁し、柔らかな胸の感触が背中を敏感にさせる。


 「今は、だめ……!」

 『……? どうしたの戸丸くん』

 「いや、なんでも! ……っ、あぁ///」


 首筋に噛みつかれ、ちぅちぅと音をたてながら吸血される。ぞくぞくと全身が快楽を感じ、さらに敏感になった首筋を舌で舐められて気を失いそうになる。


 『戸丸くん? 大丈夫!?』


 けれど、春崎さんが呼びかけてくれるおかげで、首の皮一枚のところで気を保つ。


 「だいじょうぶっ。すこし体調が良くないから、もう切るね。ごめん。また、明日」

 『戸丸く』


 電話を切り、あとはされるがままだった。

 快楽に溺れて、互いに気を失う寸前──男と女の汗に蒸された部屋に吹き込む夜風が、やけに心地よかった。


   〇


 ──あたし、"春崎 叶芽"は戸丸くんに恋をした。

 

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