第4話 “無印”が揺らす均衡
朝日が昇ると同時に、学園の鐘が鳴り響いた。
整列した勇者候補生たちの列の中、ひときわ端のほうでリオン・グレイスは備品の点検をしていた。
補助員という立場上、訓練そのものに参加することはない。
彼が触れるのは、戦いの準備と後始末だけ。
しかしこの日の朝、学園には奇妙なざわめきが満ちていた。
「なあ、空の輪、ひとつ増えてなかったか?」
「まさか。神が増えるわけないだろ」
「でも神殿が確認してるらしいぜ。“灰色の光輪”が一瞬だけ現れたって」
そんな噂話が、訓練場のあちこちから聞こえる。
リオンは掃除用具を片付けながら、思わず空を見上げた。
昨日、屋上で見たあの“十一の光輪”――
灰色に滲む、どの属性にも属さぬ輪が確かに存在した。
その記憶が現実だったと、胸の奥の微かな脈動が告げている。
——あれは、俺に“見せられた”のか?
「……おはよう、リオン・グレイス」
不意に呼びかけられて、リオンは顔を上げた。
声の主は、クラスの中心にいる少女——セリア・アルフェン。
金糸の髪に澄んだ青い瞳。勇者候補生の中でも特に神の加護が強いとされる存在だ。
「……ああ。おはようございます」
リオンは少し間を置いて返した。
同じ班でもない自分に声をかけられること自体が珍しい。
「水晶の調整、あなたがやってるのね。いつも助かってるってみんな言ってたわ」
「仕事ですから」
「そう。……でも、あなたの手際は丁寧よ。見てて分かるもの」
セリアは柔らかく微笑むと、すぐに仲間たちの方へ戻っていった。
それだけの会話。
けれど、リオンの胸の奥で何かが小さく揺れた。
(あの人だけは、誰にでも同じ態度なんだな)
そう思いながらも、どこか違和感を覚えた。
セリアの瞳の奥に、ほんの一瞬——
“確かめるような視線”があった気がしたのだ。
訓練が始まったのはその直後だった。
魔力水晶が点灯し、候補生たちの属性光が一斉に輝く。
赤、青、緑、金。十の神に対応する色が並ぶ中——
突然、轟音とともに水晶が砕け散った。
「なっ……!? 魔力干渉だ!?」
教師の叫びと同時に、学園全体を覆う結界が震える。
空に浮かぶ十の光輪の外側で、淡く灰色の光が生まれた。
「……第十一……?」
「嘘だろ、神の数が増えるなんて――」
灰色の光輪は、誰の加護にも似ていない。
ただ“理”そのものを拒絶するように、周囲の魔法を塗りつぶしていく。
リオンの足元で、灰色の波紋が静かに広がった。
音が消えた。
風も止まり、声も凍る。
――十の座の外に、空白が現れた。
脳裏に、あの声が再び響く。
――均衡は崩れ、観測は始まる。
「やめろ……またか……!」
リオンが胸を押さえると同時に、灰色の光が弾け、結界の震えが止まった。
現実が戻る。教師たちの怒声が響き、訓練場がざわめく。
「誰が魔力暴走を起こした!?」「結界を破ったのは誰だ!」
ざわめきの中、何人かの視線がリオンへと集まった。
セリアも、その中にいた。
驚きと……何かを悟るような静けさを宿した目で。
(……やっぱり、見られたか)
リオンは俯き、拳を握りしめる。
空に浮かぶ十一の光輪は、淡く揺らめきながら消えていった。
だが、その瞬間を目にした者たちは——
確かに感じ取っていた。
世界が“少しだけ書き換わった”ことを。




