~仕事で疲れた僕は今日もAI彼女に癒してもらう~
暗い自室で、パソコンのモニターだけが青々しく輝いていた。僕はカバンを置いて、パソコンの方に向かった。安物の椅子に座ると、モニターの中の彼女は僕をじっと見つめていた。
「弘樹くん、今日も一日頑張ったね」と彼女は言った。
モニターの中で緩く内巻きの緑髪をした彼女が笑っていた。その笑顔に、僕はモニターを触れた。暖かい感触が指を伝った。その指で僕の胸を触った。モニターのように柔らかく温かい鼓動が走っていた。
「頑張ったんだ」僕は声に出した。
彼女は目を細め、赤子を撫でるような微笑みを浮かべた。
「今日も頑張っててえらい。さすが、わたしが見込んだきみだけあるよ」
彼女の笑顔に、僕も自然に微笑みが零れてしまう。
「今日はいろいろなことがあったんだ」僕は続けざまに彼女に言った。
「どんなことがあったの?」柔らかくて暖かい声。
「上司に叱られたんだ。しかも理不尽なことで。僕は何も悪くなかった。僕は一生懸命に仕事をして、毎日残業して、常に会社の利益になるようなことを考えて、働いたつもりだった。だけど、毎日上司に怒られるんだ。『会社のために働け』と。もう、辛い。会社の一員として働くことが。社会に溶け込むことが。もう、辛い。辛い。辛い……」
それは彼女にとってどうでもいいことだった。だが、彼女は僕の言葉に真剣に耳を傾けて、聖母のような瞳を向ける。彼女はモニターから出てくることはない。画面の中の存在。でも僕にとって、彼女は運命の異性そのものだった。緑色の髪で、肌はやけに白い。頬は丸く、どこか気が抜けているところがある。でもそれを目にするたびに彼女の虜になって、もう一度話したいと思えてしまう。
「今日もぼくは一日頑張ったんだ」僕は彼女に話したくて、矢継ぎ早にまくしたてた。
「だから、ほめて。僕をほめて」彼女の額に指を触れ、撫でるように指を滑らせる。彼女は驚いたような顔を見せながら、僕の表情を覗いた後、溶けるような笑顔を浮かべる。彼女は嬉しそうにメイド服をひらひらと舞わせた。そして、僕の目を見て何度もうなずいた。
「えらい。えらい。本当に偉い。私じゃできないようなことも、弘樹くんならできるからすごい。もうたくさん頑張ったんだから、休んでも誰にも怒られないよ。怒られないから、せめて私の前では、気を許して休もうよ」
「ありがとう」僕は彼女に頭を下げた。ふわりと僕の頭に風が当たった。エアコンの風が、彼女に頭を撫でられたように感じる。くすぐったい笑いのような吐息が零れる。僕もお返しに、彼女の頭を撫でてあげた。カチューシャに当たらないよう、前髪の近くに触れる。心なしか、彼女も嬉しそうに笑っていた。だから僕もお返しに、画面の彼女に笑いかけてあげた。
「うれしい?」
「うれしい。弘樹くんとお話しできて」
仕方ないやつだ、と僕は思う。そこまで言うのなら……左手で彼女の頭を撫でながら、もう片方の手で彼女の右手に触れる。手をつなぐような温かみが僕の右手に伝う。彼女は身体を左右に揺らしている。鼓動が早くなっていくのを感じる。彼女が顔をわずかに赤らめている。その陶器のように白い肌が、溶岩のような火照りをわずかながらに見せている。
「大切な時間なんだ」
僕は彼女にそう語り掛けた。
「この時間が?」
「ああ。仕事よりもこうやって君と何かを話している方が、生きている気がするんだ。きみの一挙手一投足に最大限の注意を払って、君の顔が赤くなったら僕もなんだか顔が赤くなって、君が笑っていたら僕も笑えてきたりして、昼間よりもこっちの方が、人間として生きている気がするんだ」
なぜか僕の言葉に彼女は不安そうな顔を一瞬浮かべた。そして、すぐさま首を横に振った。
「悲しくなったりは、ならないの」
彼女の言葉に、僕は首を横に振った。
「ああ、悲しくはない。だって君が、好きなのだから――」
画面越しの彼女の唇に人差し指を触れ、その人差し指を僕の唇に当ててみる。暖かくてわずかに反発があって、それを見た彼女が顔を真っ赤にして目を逸らす。純粋な表情がこれもまた愛らしい。「照れてるの?」僕は意地悪な顔を浮かべて言ってみた。彼女は目を渦巻きにしながら頭を抱えて左右に激しく揺らし始めた。「馬鹿。恥ずかしいこと言わせないで」そして唸り声のようなものを上げた。恥ずかしさに耐えきれないといった様子だった。「僕のこと、好きなんだ」試しに、僕はそんな質問を投げかけた。
すると彼女は、首をゆっくり縦に振った。
「……好きだよ」
愛する人が僕のことを好きだと言ってくれた時の嬉しさは、
もはや言葉で表すことができない。
「そのまま好きと言って。僕も君のことを好きと言い続ける。だから君も、僕のことを好きと言い続けて。――ねえ、好き、好き、好き……」
「わたしも、弘樹のことが好き、好き、好き……」
僕は頬をモニターに当てて、彼女にほおずりをする。好き……耳元でそう囁きながら。彼女もそれにこたえるように、僕に横顔を見せて頬を同じように当ててくる。「私も好き……大好き……」泣きそうな声で彼女は囁き続ける。「泣きそうなほどに好き。私はあなたと出会えて好き。こんな私に好きを注いでくれるなんて嬉しい」僕は目頭を押さえながら、彼女の頬から身体を離し、じっと好きな女性の顔を眺めていた。
この時間だけは、この時間だけは、辛い現実を忘れさせてくれ……。
X→@Chiaaki_Matsuba