第7章 光の外で君と
朝、目が覚めた瞬間、胸の奥が温かかった。昨夜の水族館の跡地、遼の確かな手、透明だけど確かにそこにあった笑顔。全部が頭の中に鮮やかに残ってる。ゴボッ、ゴボッって水の音はもう聞こえない。代わりに、遼の声が耳の奥で響いてる。「君が呼んでくれたから」。枕を触ると、昨日までみたいに濡れてない。鼻の奥に、かすかに塩水の匂いが残ってるけど、なんか違う。軽いんだ。まるで、俺の心が水の底から浮かび上がったみたいに。
「遼、ちゃんとそこにいるよな?」
呟いた声は、静かな部屋に響く。時計は朝の6時。外は薄明るい。いつもならまだ寝ぼけてる時間だけど、今日は体が軽い。制服に着替えて、顔を洗う。水道の水が手のひらを滑る感触が、遼の手を思い出させる。冷たくて、でも確かにそこにあった。鏡に映る俺の顔、目が赤いけど、なんか昨日までと違う。笑ってるみたいだ。
学校に行く途中、空気がさわやかだった。雨は止んで、朝日が水たまりにキラキラ映ってる。制服の袖、昨日までみたいに濡れてない。まるで、遼の存在が俺の体から水を抜いてくれたみたいだ。道端の雑草が風に揺れてる。なんか、生きてるって感じがする。
教室に入ると、いつもと違うざわめき。クラスメイトの声が、なんか明るい。窓際の席に座って、炭酸水のペットボトルを開ける。プシュッという音が、いつものように心を落ち着けてくれる。スマホの待ち受け、兄貴と俺の写真をチラッと見る。笑ってる兄貴の顔が、今日はなんか優しく見える。あの事故の日、俺は何もできなかった。でも、遼には届いた。俺の声、ちゃんと届いたんだ。
「三崎、なんか今日、顔明るいな。なんかいいことあった?」
隣の席の奴が、ニヤニヤしながら話しかけてきた。名前、思い出せねえ。まあ、いいや。
「別に。ちょっと気分いいだけ」
そう言って、窓の外に目をやる。海が遠くに見える。この町、静かだけど、今日はなんか温かい。まるで、時間が動き始めたみたいだ。
昼休み、担任が教室に入ってきた。なんか、いつもと違う雰囲気。黒板にチョークでガリガリ書く音が響く。
「みんな、ちょっと聞いてくれ。今日、転入生が来るんだ」
転入生? クラスメイトがざわつく。俺の心臓が、ドクンと跳ねる。まさか。いや、ありえないだろ。そしたら、ドアが開いて、白い制服の少年が入ってきた。濡れたみたいに光る黒髪、透明な瞳。遼だ。
「志月遼、よろしく」
遼の声が、静かに教室に響く。クラスメイトが、なんか不思議そうに遼を見てる。でも、誰も「あいつ、知ってる」なんて言わない。まるで、遼が初めてここに来たみたいに。担任が続ける。
「志月くん、ちょっと事情があってしばらく休んでたけど、今日から復帰だ。みんな、仲良くしてやってくれ」
事情? 事故のことか? でも、誰も何も言わない。遼の存在が、まるでこの世界に新しく書き込まれたみたいだ。俺は遼を見つめた。遼はチラッと俺を見て、かすかに微笑んだ。その笑顔に、胸の奥が熱くなる。
昼休み、俺は遼を屋上に連れ出した。炭酸水を一本渡す。遼はペットボトルを手に持って、ちょっと戸惑ったみたいに笑った。
「これ、好きなんだっけ?」
「そうだよ。俺の定番」
遼はクスッと笑って、ペットボトルを開けた。プシュッって音が、屋上に響く。俺たちはフェンスにもたれて、並んで炭酸水を飲む。なんか、初めて会った日のことを思い出す。あの時も、こんな風に話したっけ。
「なあ、遼。俺たち、昔から知り合いだったっけ?」
遼の質問に、俺は一瞬言葉に詰まった。どう答えるべきだ? あの水族館のことは、夢だったのか? でも、俺は覚えてる。遼の声、冷たい手、クラゲの光。全部、確かにそこにあった。
「初めて会った。でも、前から知ってる気がする」
俺の言葉に、遼は小さく笑った。
「そっか。なんか、君、変なこと言うね」
「変なのはお前だろ。いきなり転入してくるなんて」
俺たちは笑い合った。なんか、普通の会話なのに、めっちゃ楽しい。遼の笑顔が、めっちゃくちゃ眩しくて、俺は思わず目を逸らした。胸の奥が、ドクドクしてる。
「なあ、遼。あの水族館のこと、覚えてる?」
俺の質問に、遼は一瞬目を伏せた。そしたら、ぽつりと呟いた。
「なんか、夢みたいな場所だったよね。クラゲの光、きれいだった」
その言葉に、俺の心臓がギュッと締め付けられる。夢? いや、夢じゃなかった。あの場所で、俺たちは確かに会った。遼の声、ちゃんと届いたんだ。俺は深呼吸して、笑ってみせた。
「まあ、夢でもいいや。俺たちは今、ここにいる」
遼は小さく頷いて、炭酸水を一口飲んだ。その横顔が、なんか儚くて、でも確かにそこにある。俺はそっと、遼の肩に手を置いた。遼は驚いたみたいに俺を見たけど、すぐに笑った。
「君、ほんと変な人だね」
「変なのはお前だろ。こんな笑顔、反則だ」
俺たちはまた笑い合った。屋上の風が、俺たちの髪を揺らす。海の匂いが、鼻の奥に広がる。なんか、生きてるって感じがする。
放課後、俺と遼は水族館の跡地に行った。もう何もない。ただの更地。雑草が風に揺れてるだけ。でも、俺たちはそこに立って、笑い合った。クラゲの水槽があった場所を指差して、遼が言った。
「ここ、なんか懐かしいね」
「だろ? 俺もそう思う」
俺たちは並んで、雑草の上に座った。遼がポケットから小さなスケッチブックを取り出して、クラゲの絵を描き始めた。細かい線で、ふわふわ漂うクラゲを丁寧に描いてる。なんか、遼らしいな。
「なあ、遼。その絵、俺にくれよ」
遼は一瞬驚いたみたいに目を見開いて、それから笑った。
「いいよ。君が欲しいなら」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。遼の絵、透明で、でも確かにそこにある。まるで、俺たちの関係みたいだ。俺は遼の肩にそっと手を置いた。
「なあ、遼。ちゃんと話したいこと、あるんだ」
遼はスケッチブックを閉じて、俺を見た。透明な瞳が、俺をまっすぐ見つめる。俺は深呼吸して、口を開いた。
「俺、昔、兄貴を失った。水の事故で。俺、なんにもできなかった。ただ、見てただけ」
遼の目が、揺れる。俺は続ける。
「遼、お前も同じだったろ? あの事故の日、声を出したのに、届かなかった。俺、知ってる。お前の声、ちゃんと聞こえた」
遼の目が、涙で光る。そしたら、遼がぽつりと呟いた。
「今の君が好きだよ」
その言葉に、俺の心臓がドクンと跳ねる。好き? なんだよ、それ。顔が熱くなるのを感じて、俺は慌てて目を逸らした。でも、遼の手が、俺の手をそっと握る。冷たいけど、確かにそこにある。
「陽翔、ありがとう」
遼の声が、胸の奥に染み込む。俺は遼の手を強く握り返した。
「お前がそこにいるなら、俺もいる」
その言葉に、遼は小さく笑った。涙が、クラゲの光みたいに光る。俺たちは並んで、雑草の上に座って、夕日を見つめた。海の匂いが、鼻の奥に広がる。なんか、生きてるって感じがする。
次の日、遼は少しずつクラスに馴染み始めた。クラスメイトと話す姿、なんか新鮮だ。遼の笑顔が、教室を明るくする。俺は窓際の席で、炭酸水を飲みながら、遼を見つめた。なんか、普通の日常なのに、めっちゃ大事な気がする。
放課後、俺と遼は校舎の屋上で話した。海の話、未来の話。遼が言った。
「ちゃんとした海、行きたいね」
「いいね。行こうぜ。俺たちの海」
俺たちは笑い合った。屋上の風が、俺たちの髪を揺らす。そしたら、遼がそっと俺の手を握ってきた。誰もいない屋上、夕日が水面に反射するみたいに光ってる。遼の手、冷たいけど、確かにそこにある。
「陽翔、君の声、忘れないよ」
遼の言葉に、俺の胸が熱くなる。俺は遼の手を強く握り返した。
「俺も、お前の声を絶対忘れない」
教室に戻ると、誰もいない。机越しに、遼が微笑む。その笑顔が、めっちゃくちゃ眩しくて、俺は思わず目を逸らした。胸の奥が、ドクドクしてる。
「行こうぜ。俺たちの海へ」
遼は小さく頷いて、俺の隣に並んだ。校門を出る時、夕日が俺たちを包む。まるで、クラゲの光みたいに。俺は知ってる。遼はここにいる。俺が信じてる限り、絶対に。




