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誰もいない水族館で溺れる夢  作者: 言諮 アイ


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第4章 声の届かない夜に

目が覚めた瞬間、胸の奥がキリッと締め付けられた。昨夜の水族館、遼の消えそうな姿、あの冷たい手の感触。全部が頭の中にこびりついてる。ゴボッ、ゴボッって水の音が、耳の奥でまだ響いてる気がする。ベッドの上で寝汗に濡れたシャツを握りしめながら、俺は天井を見つめた。


「遼、ちゃんとそこにいるんだよな?」


呟いた声は、静かな部屋に吸い込まれる。時計は朝の6時。いつもならまだ寝ぼけてる時間なのに、今日は体が勝手に動く。制服に着替えて、顔を洗う。水道の水が手のひらを滑る感触が、昨夜の遼の手を思い出させる。鏡に映る俺の顔、なんか目が赤い。寝不足か? まあ、仕方ない。あいつのことが頭から離れないんだから。


学校に行く途中、雨上がりの空気が湿っぽく肌にまとわりつく。道端の水たまりに映る空が、まるで水槽の底みたいだ。制服の袖、昨日と同じくびっしょり濡れてる。なんでだ? 雨、降ってなかったはずなのに。指で触ると、冷たい感触がリアルすぎて、ゾクッとする。まるで、遼の存在が俺の体に染み込んでるみたいだ。


教室に入ると、いつものざわめき。クラスメイトの声が、遠くで響く波の音みたいに聞こえる。窓際の席に座って、炭酸水のペットボトルを開ける。プシュッという音が、ちょっとだけ心を落ち着けてくれる。スマホの待ち受け、兄貴と俺の写真をチラッと見る。笑ってる兄貴の顔が、胸を締め付ける。あの時、俺は何もできなかった。あの事故の日、ただ立ち尽くしてただけ。


「三崎、なんかマジでやつれてね? 大丈夫?」


隣の席の奴が、ニヤニヤしながら話しかけてきた。名前、思い出せねえ。まあ、いいや。


「別に。ちょっと考え事」


そう言って、窓の外に目をやる。海が遠くに見える。この町、ほんと静かだ。まるで時間が止まってるみたい。いや、止まってるのは俺の心か? 遼のあの言葉、「もう長くはいられない」。あいつ、ほんとに消えるのか? そんなの、許せるわけないだろ。


昼休み、俺は一人で屋上に上がった。炭酸水を飲みながら、兄貴の写真を見つめる。兄貴、いつも言ってたよな。「陽翔、人のことちゃんと見てるお前が好きだ」って。あの時、俺はちゃんと見てなかった。兄貴が溺れてくのを、ただ見てただけ。助けられなかった。


「もう、あんな後悔はしない」


拳を握りしめて、俺は呟いた。遼を、絶対に放さない。消えるなんて、させない。俺から動くんだ。


放課後、俺は担任に直行した。


「志月遼って、どんな奴だったんですか?」


担任は一瞬、首をかしげた。


「志月くん? うーん、ちょっと事情があって学校に来てないんだ。詳しいことは……まあ、プライバシーもあるしね」


「事情って何ですか? 事故と関係あるんですか?」


「事故? 何の話だ?」


担任の顔が、なんか変だった。知らないって顔じゃない。隠してる。絶対に何かある。俺は食い下がった。


「アクア・シェルターの事故ですよ。2年前、プールで子供が溺れたって」


「そんな話、聞いたことないな。陽翔くん、なんか変な噂に惑わされない方がいいよ」


担任の声は、どこか硬かった。嘘だろ? あの記事、確かに見たのに。モヤモヤが胸に広がる。遼の存在が、まるで水面に浮かぶ泡みたいに掴めない。


図書室に行って、昨日見た生徒会誌を探した。でも、どこにもない。あの『志月遼、クラゲの観察記録』ってノート、なくなってる。いや、あったはずだ。絶対に。司書の先生に聞いてみたけど、「そんなノート、知らないよ」って。なんだよ、これ。俺の頭がおかしいのか?


放課後、俺は町を歩き回った。アクア・シェルターのことを知ってる奴、誰かいるはずだ。古本屋の爺さんに聞いてみた。店の奥で埃っぽい本を整理してた爺さんが、目を細めて答えた。


「ああ、アクア・シェルターね。昔は賑わってたよ。あの事故があってから、客が減ったけどな」


「事故って、どんな?」


「プールで子供が溺れたんだ。詳しいことは知らんが、なんか変な噂があった。あの水族館、幽霊が出るってな」


爺さんの言葉に、俺の心臓がドクンと跳ねる。幽霊? 遼のことか? いや、まさか。あいつ、ちゃんとそこにいた。冷たい手、確かに触れたんだ。


「その事故、誰か名前知ってます?」


「さあな。町の人間も、あんまり話したがらないよ。あの子、優しい目をしてたのに、って誰かが言ってた気がするけど」


優しい目。遼のあの透明な瞳が、頭に浮かぶ。胸がギュッと締め付けられる。遼、なんでお前はそんな目に囚われてるんだ?


その夜、俺はまた水族館に行った。門は、いつも通り開いてる。でも、今日はなんか違う。照明が全部落ちてて、非常灯の緑が弱々しく点滅してる。閉館準備、進んでるんだ。看板にデカデカと書いてあった。「アクア・シェルター、閉館のお知らせ」。明日で終わりだって。


「くそっ、遼! どこだよ!」


クラゲの展示エリアに駆け込む。水槽の光、いつもより暗い。遼はいない。誰もいない。ゴボッ、ゴボッ。水の音だけが響く。俺は水槽の前に立ち尽くして、叫んだ。


「遼! 出てこいよ! 約束しただろ!」


返事はない。静寂が、耳を圧迫する。胸の奥が、締め付けられるように痛い。あいつ、ほんとに消えたのか? そんなの、ありえないだろ。俺は拳を握りしめて、水槽を睨んだ。


「遼、お前がどこにいたって、俺は見つけるから」


家に帰ると、兄貴の遺影が目に入った。リビングの棚に、笑顔の写真。あの事故の日、俺は何もできなかった。ただ、兄貴が水に沈んでくのを見てた。助けられなかった。遼も、同じだったのか? 声を出したのに、届かなかったのか?


「もう、待たない。俺から行く」


拳を握りしめて、俺は呟いた。遼を、絶対に見つける。消えるなんて、させない。


次の日、学校でクラスメイトの会話を耳にした。昼休み、屋上で炭酸水を飲みながら、ぼんやり聞いてた。


「アクア・シェルター、明日で終わりだってよ。なんか、跡地にコンビニ建つらしい」


「え、マジ? あの水族館、前から更地じゃなかった?」


心臓がギュッと締め付けられる。更地? 何だそれ。遼の場所が、なくなってしまうのか? いや、絶対にそんなことさせない。俺は屋上のフェンスを握りしめて、叫んだ。


「遼、いなくなるなら、今しかないだろ!」


その夜、俺はまた水族館に向かった。雨が降り始めて、傘もささず走った。濡れた制服が肌に張り付く。門は、いつも通り開いてる。薄暗い通路、クラゲの水槽。遼はいなかった。でも、水の音がやけに大きい。ゴボッ、ゴボッ。まるで、水族館全体が水に沈んでるみたいだ。


「遼! どこだよ!」


叫びながら、俺は水槽の前をうろつく。そしたら、夢の中で見た光景が頭に浮かんだ。遼が、クラゲの水槽の中で「助けて」って口を動かしてた。あの声、届かなかったんだ。誰にも。


「遼、お前の声、俺には届いてる!」


叫んだ瞬間、水槽の光が揺れた。まるで、水が俺に応えるみたいに。俺は水槽に手を伸ばした。冷たいガラスに触れると、指先が震える。そこに、遼の姿が映った。透明で、でも確かにそこにいる。


「陽翔……来てくれたんだ」


遼の声が、かすかに聞こえた。俺は水槽に額を押し付けて、叫んだ。


「当たり前だろ! 俺、お前を絶対に放さない!」


水槽の光が、俺と遼を包む。まるで、俺たちが水の底にいるみたいに。遼の目が、俺を見つめる。悲しそうで、でもどこか温かい。


「君の声、あったかいね」


その言葉に、胸の奥が熱くなる。俺は遼の手を握ろうとした。指先が、冷たいけど確かにそこにある感触をつかむ。遼は小さく笑って、俺の手を握り返した。


「陽翔、ありがとう」


その瞬間、水族館が静止した。水の音が止まり、クラゲの動きが止まる。俺と遼だけが、そこにいる。俺は知ってる。遼はここにいる。俺が信じてる限り、絶対に。

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