第15話:『記憶の庭』と再会の糸口
賢者の塔のノイズが完全に鎮まった瞬間、レムナント大陸の空から、不気味なノイズの影が消え去った。塔の頂上から降りてきたリオスとルクスの目に映ったのは、村の中心で抱き合い、喜びの涙を流す人々の姿だった。
感情を失っていた人々は、互いの顔を見つめ、何が起きたのかを問いかけるように言葉を交わしている。そこには、これまで失われていた「人々の温もり」があった。
「旅の人! あなたが…本当に私たちを救ってくれたのね!」
一人の女性が、大粒の涙を流しながらリオスの手を取る。彼女の瞳には、かつて見た虚ろな光はなく、安堵と感謝の感情が満ち溢れていた。次々と村人たちがリオスに駆け寄り、手を取り、抱きしめ、感謝の言葉を繰り返す。
その光景を見て、リオスは胸が熱くなるのを感じた。ヴァイスを倒した時とは違う、静かで温かい達成感。この小さな絆を守れたことが、何よりも嬉しかった。
その輪の中から、一人の青年がリオスに向かって歩み出てきた。彼は、先ほどまで表情一つなかったはずの、ライオスだった。
「…旅の方、俺の名前はライオスです。あなたのお名前は?」
ライオスの瞳は、感情の光を取り戻し、まだ少し戸惑いながらも、リオスにまっすぐな視線を向けている。
リオスは、小さく頷いた。
「俺はリオス。そして…隣にいるのは、ルクスだ」
「俺も、大切な仲間と離れ離れになって、この世界を旅している」
ルクスは静かに言った。
「これで、村のシステムは正常に戻った。しかし、ライオスの奥深くに刻まれた歪みは、まだ残っているようね」
ライオスは、その言葉に頷いた。
「ノイズが晴れた後…頭の中に、すごく奇妙な夢を見たんです。消えかかった声と…景色が混じり合っていて…」
リオスは、その言葉に身を乗り出した。
「どんな声だった?」
「…『世界の法則が乱れている。この座標を…』って。すごく冷静で、でも、どこか焦っているような…」
それは、間違いなくアデルの声だった。リオスの胸に、再会への希望が沸き起こる。
ライオスは、続けて語った。
「その声と、俺が…ノイズに侵食される前に、愛する少女、エリスと交わした『約束の場所』の景色が、重なって見えたんです。長老から聞いた、古い伝承に出てくる『記憶の庭』の場所と…」
彼の言葉に、ルクスが小さく目を見開いた。
「やはり…繋がっていたのね」
ライオスは、震える声でリオスに懇願した。
「お願いです、リオスさん…! その『約束の場所』を、俺と一緒に見つけてくれませんか? ノイズがまだ強く残っていて…一人では、行けないんです」
リオスは、ライオスの目を見て、迷わず頷いた。
「ああ、行こう。俺たちの力なら、きっと大丈夫だ」
村から少し離れた、ノイズが澱んだ森の奥。
リオス、ルクス、そしてライオスは、奇妙なデータが飛び交う「約束の場所」へと足を踏み入れた。そこは、ライオスとエリスが、互いの未来を語り合った、思い出の丘だった。
しかし、その場所は、ライオスの「失われた記憶」が具現化した、醜悪な《ノイズ・アブソープション》に占拠されていた。それは、ライオスとエリスの幸せな記憶が、負の感情によって歪んだ、悲しい姿をしていた。
「あいつが…俺の、俺たちの、記憶の…!」
ライオスの心が揺れる。その絶望に、ノイズがさらに力を増していく。
「ライオス! 怯むな」
リオスは、大剣を構え、ルクスは『観測者の剣』を構える。二人の剣が、ノイズに突進していく。
破壊の力と、安定の力。二つの光が一つになり、歪んだノイズを切り裂いていく。
そして、ついに最後の《ノイズ・アブソープション》が消滅した瞬間、あたりを覆っていたノイズが晴れ、静寂が訪れた。
その場所には、半透明な光の粒子でできた、少女エリスのホログラムが浮かび上がった。
エリスのホログラム:
「ライオス…聞こえる?」
彼女の声は、途切れ途切れだが、そのメロディーは、ライオスだけが知っている、二人の愛の歌のようだった。
「私ね、怖かったの。ノイズが…私の心の中の、あなたの歌を…どんどん消していくのが…」
エリスは、悲しそうに微笑む。その笑顔は、ノイズに侵食されたはずの悲しみでさえも、包み込むような温かさを持っていた。
「でも、私…忘れてないよ。あなたがくれた『大好き』っていう気持ちも、あなたがくれた『優しい』っていう気持ちも…ノイズになんか、消せないんだって、分かったから…」
彼女は、静かに頷く。
「だから、私、ずっと歌い続けたの。この歌を…いつか、あなたが、また思い出してくれるようにって…」
エリスの姿は、徐々に光の粒子となって霞んでいく。
「お願い…ライオス。あなたの歌を、忘れないで。私との思い出を…あなたが、あなたの『歌』を、歌い続ける限り…私との絆は、ずっと…ずっと、生きているから…」
メッセージはそこで途切れ、光の粒子となって消えていく。
最後に残されたのは、エリスの最後の想いが具現化した、小さな光の欠片だった。
ライオスは、その光の欠片に触れ、今まで奪われていた感情が堰を切ったように溢れ出し、大粒の涙を流す。彼は、この涙こそが、エリスが最後まで守ろうとした「愛」そのものであると知った。そして、その愛を受け継ぎ、彼女の代わりに生きていくことを決意する。
その光景を目の当たりにしたリオスは、胸の奥で輝く仲間たちの絆の光を、改めて強く感じていた。
「俺は、負けない。どんなノイズにも、希望を…」
ルクスは、静かにリオスを見つめ、小さく頷く。彼女の瞳には、かつてないほど強い『希望』の光が、宿っていた。
ライオスから託された「感謝」の言葉を胸に、リオスとルクスは賢者の塔の最上階へと向かう。
「待っていたぞ…希望の光」
転送サークルの前で、ルクスはリオスに告げる。
「このサークルは、世界の深淵に眠る『記憶の庭』へ繋がっている。人々の記憶、そして真実のデータが眠る場所…だが、そこは同時に、ノイズが最も深く、最も危険な場所でもある」
リオスは、ルクスの言葉に、小さく微笑む。
「大丈夫だ。俺は、もう一人じゃない」
彼は、ルクスと顔を見合わせ、転送サークルに足を踏み入れた。
二人の姿が光の粒子となって消えていく。
新たな真実と、仲間たちとの再会を求めて、彼らの旅は、世界の深淵へと続いていくのだった。