第11話:秩序の崩壊、そして孤独の旅立ち
帝都グリムヴァルトの空は、勝利の歓声に染まることはなかった。
ヴァイスとの激闘を終え、一行が疲弊しながらもようやく安堵の息を漏らしたその瞬間、世界の静寂は破られた。
「…ヴァイスが、消えた?」
リオスが信じられないといった様子で呟くと、アデルは『真理の導器』を操作し、震える指先で目の前のデータを解析していた。彼の表情は、安堵から一転、絶望的な恐怖へと塗り替わっていく。
「ヴァイスが…自らをシステムから消したんだ!彼の存在が、この世界の秩序を保つ唯一の核だった…!奴がいなくなったことで、世界の歪みが全て、臨界点を突破した!」
アデルの叫びが、何の前触れもなく激しく揺れ始めた帝都の震動に掻き消される。足元が大きく揺らぎ、立っていられなくなるほどの衝撃が、リオスたちの身体を襲った。
空中に無数のノイズが走り、視界が乱れる。荘厳なデザインが施されていた居城の壁が、不自然なモザイク模様へとピクセル化して崩れ落ちていく。その光景は、まるで巨大なスクリーンに映し出された映像が、強制的にフリーズしたかのようだった。耳をつんざくような破壊音と、奇妙な電子音が鳴り響く。
「ひっ…いやだ…!」
ミオが震えながら、崩壊していく街を見つめる。
彼女の瞳に映るのは、瓦礫と化した帝都の無残な姿だけではない。地面に走った亀裂の奥から噴き出す、黒い靄のようなものが、見る見るうちに建物を侵食していく。それは「深淵の粒子」と酷似しており、その不気味な輝きは、まるで世界の命を吸い取っているかのようだった。人々は悲鳴を上げながら逃げ惑うが、その身体の一部が光の粒子となって霧散していく。
ヴァイスが語っていた「世界の崩壊」が、彼らの目の前で現実のものとなっていた。
「くそっ…!なぜだ…!俺たちはヴァイスを倒したんだぞ!なのに、どうして…!」
リオスが叫ぶ。
その脳裏に、ヴァイスの最後の言葉が蘇る。
───君たちの『絆』は、無駄な感情の集合体だ。秩序を乱すノイズに過ぎない…私がいなければ、世界は『無駄』という名のノイズで満たされる…
その言葉の意味を、今、リオスは身をもって知ることになった。自分の力が、仲間との絆が、ヴァイスという「秩序」を破壊した結果、世界の均衡を崩してしまったのではないか。勝利の喜びは、一瞬にして深い自責の念へと変わっていく。
「リオス!ぼんやりするな!ここはもう持たない、脱出するぞ!」
アデルが叫び、ミオの腕を掴む。だが、地面が大きく割れ、彼らの行く手を阻む。
ヴァイスの消滅によって生まれた、巨大なデータの奔流が、まるで津波のように彼らを襲った。それは、システムの自動修復プログラムが暴走し、世界全体を再構築しようとする力だった。
「アデル!ミオ!」
リオスが叫ぶが、二人の姿はデータの奔流の向こう側へと吸い込まれていく。ミオの腕を掴んだアデルが、崩壊する足場を必死に飛び越える。その瞬間、二人の姿は光の粒子となって霞み、リオスの視界から完全に失われた。
「そんな…!待ってくれ!」
リオスは、必死に手を伸ばす。その隣では、ソラが「リオスさん!」と叫びながら、彼の手を掴もうとしていた。彼女の『魂の共鳴』の力が、一瞬だけデータの奔流を鎮める。だが、暴走したシステムはそれを許さない。ソラの身体が、リオスの目の前で巨大なデータの渦に飲み込まれていく。リオスは必死に手を伸ばすが、彼女に触れることはできなかった。彼の伸ばした手は、空虚な空間を掴むだけだった。
「ソラァアアアアアアアア!」
リオスの悲痛な叫びが、崩壊する帝都の轟音に響き渡る。
彼は一人、強大なデータの奔流に巻き込まれ、意識を失った。彼の身体は光り輝き、まるでログアウトするかのように分解されていく。しかし、それは現実世界への帰還ではない。世界のデータが混在する、異質な空間への転送だった。
次にリオスが目を覚ました時、彼の全身は激しい痛みに襲われていた。見慣れない荒野に投げ出された彼は、呼吸するたびに肺が軋むような感覚を覚える。空には、無数のデータが星のように流れ、不気味な輝きを放つ。地面は砂ではなく、無数のデータが流れ続ける「データの海」だった。踏みしめるたびに、過去の音声や映像が断片的に再生され、彼の心をさらに掻き乱す。
「…俺は、いったい…どこに…」
絶望の淵に沈むリオスだが、脳裏にはソラの笑顔、ミオの明るい声、アデルの冷静な横顔が蘇る。彼らの温もりと、彼らと築いた「絆」こそが、唯一の現実であることを思い出す。彼は、失った仲間たちの存在が、決して無意味なノイズなどではないと、心の底から叫びたかった。
「違う。俺は、独りじゃない。みんなは、俺の中にいる…!」
リオスは、拳を強く握りしめ、自分に言い聞かせるように呟いた。彼が持つ「異晶」の力が、仲間たちとの絆に反応し、暴走気味に輝きを増していく。彼の心に渦巻く感情が、周囲のデータを無差別に破壊し始める。それは、まるで心の叫びそのものだった。
その時だった。
彼の能力が引き起こしたデータの破壊が、空間に亀裂を生み出し、その先にある「世界の真実」にまつわる重要なデータと共鳴した。
「…お前か。この空間を破壊しているのは」
静かで、しかし芯の通った声が聞こえた。
リオスが顔を上げると、そこに一人の少女が立っていた。半透明で淡く光る髪を持ち、神秘的な雰囲気を纏っている。彼女の瞳は、このデータ砂漠の空と同じく、どこか虚ろな光を宿していた。
「…誰だ?」
「私はルクス。このデータの海をさまよう『バグ』を排除する者だ」
ルクスはリオスを警戒しながらも、彼の持つ「異晶」の力を見て、その表情をわずかに変えた。
「だが…その力…もしかして、あなたも勇者ゼロが残した『希望』…?」
ルクスはリオスに剣を向けようとするが、彼の姿を見て一瞬ためらい、その表情には複雑な感情が浮かんでいる。彼女はリオスの中に、世界の真実へと繋がる、抗いがたい光を見出したのだ。
「もし、本当に守りたいものがあるなら…世界の真実を知る『鍵』を探すんだ。それが、この虚空の砂漠から抜け出す唯一の方法だ」
ルクスはリオスの持つ力が、世界の真実を映し出す鍵に繋がっていることを悟り、彼にそう告げる。彼女は、リオスの能力が引き起こした「破壊」の痕跡を追っていたのだ。
孤独な旅路は、二人の出会いによって始まった。リオスは、仲間との再会という個人的な目的を胸に、世界の真実を解き明かすという壮大な使命を帯びて、この見知らぬ世界へと足を踏み出していくのだった。