第93章 ― 秩序の影にて
テオ王国の空は、完璧に近い灰色で覆われていた。
嵐雲もなければ、自由に吹く風もなかった。
空気そのものが封じられているかのようで、呼吸でさえも精密に管理されているかのようだった。
一見すると、すべては整っていた。
通りは金属のように光を放ち、センチネル・オートマタたちが数式のような精度で巡回していた。
その足音には一切の誤差がなく、頭部は同時に動き、住民のすべての仕草、囁き、瞬きに至るまで記録していた。
広場では、市民たちが整列して歩いていた。
声は抑えられ、小さく、表情は乏しい。
まるで魂から自発性という火種が抜き取られたように。
子どもは遊ばず、老人は物語を語らず、家族は笑わない。
ただ――従うのみ。
茶色の髪をした若者が、つまずいた老婆を助けようと手を伸ばした瞬間、赤い光が彼の身体を包み、即座にオートマタが接近した。
「未許可の接触を検出。直ちに物理的接触を中止せよ。」
若者は青ざめた顔で手を引き、目を合わせることもなく謝罪を繰り返した。
老婆は医療オートマタにより無言でスキャンされ、窓のない車両に運び込まれていった。
すべてが“秩序”のもとにあった。
だが、それは「平和」ではなかった。
それは――従順に包まれた、純粋な緊張だった。
王国の中心、**中枢塔**の最上階から、その王はすべてを見下ろしていた。
仮面をつけたその男は、手を組み、ホログラムに映し出された最新の報告を静かに見つめていた。
街路は塵ひとつなく、石畳はまるで“完璧な脅迫観念”によって設計されたかのように整然と敷かれていた。
建物は無装飾の直線、窓はすべて閉じられ、扉は一分の狂いもなく一直線に並んでいた。
しかし、空気は…異様だった。
子どもの笑い声も、音楽も、風の囁きも――存在しなかった。
響くのは、パトロール中のオートマタの機械音のみ。
それさえも、静寂を強調するための“演出”に思えるほどだった。
市民たちは、まるで誰かに聞こえない音楽を強制的に聞かされているかのように、同じ速度で歩いていた。
表情は中立。眼差しは空虚。そこには“思考”がなかった。
ある少女が道端で転び、隣を歩く母親は表情一つ変えずに言った。
「…転んだ。」
「はい。」
少女は虚ろな目で応えた。
「立ちなさい。」
「命令に従います。」
そして少女は立ち上がった。
別の場所では、家の前を掃除していた男が、笑顔のまま繰り返していた。
「今日は生産的な一日。私は幸福です。秩序は安定。秩序こそ平和。」
隣の住民も、寸分違わぬ調子で同じ台詞を口にする。
「今日は生産的な一日。私は幸福です。秩序は安定。秩序こそ平和。」
全員が同じ言葉を、同じように思い、同じように話していた。
そして、塔の頂で、その王――仮面の支配者は、
巨大な浮遊球体から流れる情報を黙って観察していた。
側にいたアンドロイド型の補佐官が、感情のない声で告げた。
「追跡ユニットが西部セクターより未帰還。反乱勢力の進行は予想より早く、自由思考の異常拡大が続いています。」
別の補佐機体も報告を続けた。
「南部領域にてシステム異常を検知。前衛部隊は二周期前より報告なし。」
その時、支配者の身体に微かな震えが走った。
恐怖ではない。
それは――待望の瞬間への“期待”だった。
「…準備を整えよ。狩りの始まりだ。」
その命令と共に、塔の地下では数多のカメラが起動した。
封印された収容室、密閉された部屋、無数のカプセル。
中には人間が接続されていた――あるいは、その“名残”が。
一部はかすかに呼吸していた。
別の者は、もう生気がなかった。
さらに数人は、夢を見るように名前や記憶を呟いていた。
それは、現実に存在したのかすらわからない“誰か”の名前だった。
中央監視室にいた機械技術士の一人が、あるモニターを凝視した。
「対象031、神経魔導共鳴がウェンディ個体に類似。記録中。提案:評議会の承認待機。」
すると、システムから音声が鳴った。
「承認却下。部分的記憶消去を実行せよ。」
「了解。」
そして…その対象の囁きは、途切れた。
全ては、“秩序”のままだった。
だが、その秩序の陰で、システムは恐れていた。
ある名が繰り返されていたからだ。
彼らが追跡できない“異常”の名。
完全なる支配網の外から響く“例外”。
リュウガ。
彼の存在が、
真の――**混沌**を連れてくることを。
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