第87章 – 修復できぬものの残響(しゅうふくできぬもののざんきょう)
ミラージュ・サンクタムの静かな回廊を、仲間たちはゆっくりと散っていった。
だが、リュウガはその場を離れなかった。彼のそばには、未だにひざまずいたままのクリスタルがいた。爆発で片腕を失ったまま、壊れかけの姿で。
「来いよ」
リュウガは穏やかな声で言った。命令でも、脅しでもなく、ただの誘いだった。
クリスタルは横目で彼を見る。瞳にはまだ傷ついた誇りの光が宿っていた。
拒絶しようとしたが、何かに導かれるように、言葉もなく彼の後をついていった。
リュウガは彼女を、聖域の奥にあるメンテナンス室へと連れて行った。
淡い青光が照らす室内には、高度な工具や浮遊パネル、再充電カプセルが整然と並んでいた。
クリスタルは無言のまま、修理用ベッドに腰を下ろした。
「腕、直せるよ。…完璧にはできないかもしれないけどな」
リュウガはケーブルを繋ぎながら、ホログラムパネルを起動させた。
「チッ。別に助けなんていらない」
クリスタルは顔をそむける。
「そうか。でも拒否はしてないよな」
リュウガは小さく笑いながら、丁寧に手を動かした。
数分の沈黙が流れた。
クリスタルは、彼の指の動きと表情を盗み見る。真剣で、無駄のない所作。何より…彼は自分を“機械”としてではなく、一人の存在として扱っていた。
「……なんで、そこまでしてくれるの?」
彼女はふと、少しだけ柔らかい声で訊いた。
「さっきの私の行動、忘れたの?」
リュウガは手を止め、静かに答えた。
「大切な人を失った気持ち、わかるからさ」
その言葉に、クリスタルの視線が揺れる。
「誰か…失ったのか?」
「……ああ。イリアスってやつだった」
リュウガの声が低くなる。
「親友だった。でも、彼の記憶は――偽物だった。作られた記憶、植え付けられた過去。本人は…最後までそれに気づかなかった」
クリスタルの目が見開かれた。
「どうして……?」
「彼は、俺たちを守るために命を捧げた。自分が“本物”かどうかなんて、考える時間もなかったんだ」
リュウガは、慎重に腕の接続部に導電液を塗りながら続けた。
「でも…記憶が作られたものであっても、あいつとの時間は、本物だった」
しばらくして、クリスタルがつぶやく。
「それって……悪夢みたいだね」
「そうだな。でもあいつは、俺の友達だった。
――それは、真実だったよ」
静かな駆動音と共に、クリスタルの新しい腕がゆっくりと起動する。
彼女はそれを見つめながら、かすかに笑った。
「……理屈が通じないわね、あなたって」
「そっちこそ、思ったより感情豊かだよ、クリスタル」
「勘違いしないで。あんたのことが好きなわけじゃない。
ただ……前ほど嫌いじゃなくなっただけ」
「進歩だな」
リュウガは肩をすくめる。
クリスタルの腕が完全に起動し、光が安定した。
「これでよし。完璧とは言えないけど、戦えるはずだ」
リュウガは手を引いて言った。
「……心も交換してほしいなら、別の工具持ってくるけど?」
一瞬、彼女は目を見開き…そして、ふっと視線を逸らした。
「……まだ動いてる。
壊れてない。
でも、時々……痛むの」
「それでいいさ。感じられるってことは、生きてるってことだ」
クリスタルは長い髪を顔にかけるようにして、うつむいた。
「……ありがとう、リュウガ」
リュウガは、黙って微笑んだ。
二人の間に、言葉にならない静けさが流れた。
それは、過去の痛みを分かち合うような静寂だった。
そしてその夜――
二つの心が、静かに修復されはじめた。