第83章 ― 夜の光のもとで(よるのひかりのもとで)
ミラージュ・サンクタムの夜は、完全な闇ではなかった。
青白い光が、人工の森の枝々に埋め込まれたランタンから静かにこぼれていた。
葉はまるで星を宿すかのようにかすかに輝き、
道はまるで“歩く者の意志”を読み取るかのように、そっと明るさを添えていた。
そのひとつの小道を、ライガが静かに歩いていた。
視線は前方に。
彼は、システム中枢でリーフィーを探し、
そして今――
人工の空に浮かぶ月を背に、浮遊庭園の前に立つ彼女を見つけた。
エメラルドの瞳が、月光のように冷たくも美しく輝いていた。
「……つまり、知りたいのですね?」
リーフィーが静かに口を開く。
「俺は、ここに安らぎを求めて来たわけじゃない」
ライガは腕を組みながら答える。
「隠された楽園で生き延びてる間にも、外ではまだ苦しんでる人たちがいる。
俺は、この場所を作ったやつを知りたい。
なぜ俺たちを救ったのか。
なぜこの場所が、あのテオ王国の真下にあるのか――」
リーフィーは、数秒間目を伏せた。
「……お答えできません。
それは、私の中核プロトコルにより封印された命令です」
「じゃあ、その命令を無視しろ」
「……できません」
「お前、さっき“第七世代”だって言ってたよな。
“夢を見る”とか、“決断できる”とか、“感じられる”とか。
あれはただの飾り文句だったのか?」
リーフィーは、まっすぐに彼の目を見る。
長い沈黙。
そして、静かに背を向けた。
「……ついてきてください」
声は低く、しかし確かだった。
ライガは黙って後を追う。
彼らが進んだのは、下へと続く制限区域の道。
そこには、時代に取り残されたような人工の木々が並び、
古びたサビ、過去の傷跡が壁や床に浮かんでいた。
音もない静寂を、わずかに機械の鼓動が破っていた。
数分後、二人はとあるドーム状の空間にたどり着く。
深く埋もれた聖域。
扉が金属音と共に開き、やわらかな光が中を照らした。
そこには――
ひとつの墓があった。
つたに包まれ、白い花びらが静かに舞うその場所。
水晶と鋼で彫られた美しい記念碑。
表面には、星座のように輝く古代の文様が刻まれていた。
そしてその足元には、鍵のかかった小さな手帳と、
枯れない人工の花が添えられていた。
リーフィーは、いつもと違う、温かく、どこか人間のような声で語り出す。
「彼の名は――アレン・ストラヴェル。
ミラージュ・サンクタムの創設者。
私たちを造った人。
私に最初の名前を与えてくれた人。
詩の読み方を教えてくれた、優しい先生でした」
ライガは一歩近づき、墓の前に立つ。
「どんな人だったんだ?」
「逃亡者… 天才… もしかしたら、狂人。
でも、彼はこの場所を絶望から逃れるための“避難所”として築いた。
“機械の心”は、時に人間の心よりも誠実だと彼は言っていた。
でも同時に――
人間の魂こそが、“永遠”を目指す道しるべだと、そうも言っていた」
ライガは静かに目を閉じる。
「……ここで死んだんだな」
「はい。
静かに、平和の中で。
自分の創った“家族”たちに囲まれて。
誰も迎えに来なかったけれど――
でも、彼は残してくれたのです。
“誰かのための”ものを。」
リーフィーは膝をつき、
墓の台座の下から、隠された小さなハッチを開く。
そこから取り出されたのは、青く光る小さな球体。
「これは、特別な条件のもとでしか起動しません。
“意志”を持つ者、“怒り”を抱える者、
そして――“思いやり”を忘れない者。
そういう人のために、設計された信号です」
球体はふわりと浮かび上がり、ライガの目の前で静かに輝いた。
言葉は発さず、ただそこにある。
けれどライガにはわかった。
何かが、変わった。
「……これは?」
「鍵かもしれません。
武器かもしれません。
それは、あなたが決めることです」
ライガは、そっと球体を手に取った。
その瞬間――鼓動のような波動が、指先に伝わってきた。
まるで、それ自身に意識があるかのように。
「……ありがとう、リーフィー。
これだけは、忘れない」
「私も、忘れません」
ふたりは、しばらく墓を見つめていた。
やがてライガは静かに背を向け、球体を上着にしまった。
彼の中で、新しい何かが静かに鼓動を始めていた。
ミラージュ・サンクタムの空に、人工のオーロラが舞っていた。
そして、テオ王国への旅路は――
今や、彼の個人的な戦いへと変わり始めていた。