第65章 ― 疑念の霧の下で
夕暮れがゆっくりとエヴァーヴァールの深い森に落ちていった。古の時代から立ち続けてきた巨大な樹々は、忘れられた神殿の柱のように空へと伸び、その梢は星空を覆っていた。
森の中の小さな空き地には焚き火が灯され、その暖かな光が、夜を共に過ごす二人の旅人の顔を照らしていた。
一人は十七歳ほどの若者。やや乱れた栗色の髪と、琥珀色の瞳が、彼の落ち着かぬ心を映し出していた。彼は膝に肘を置いて座り、炎をじっと見つめていた。まるでその中に隠された答えを探しているかのように。
もう一人は、より威厳ある男だった。雪のように白い髪、漆黒の装束、そして静かで澄んだ眼差し。彼は古代のルーンが刻まれた旅人のマントをまとい、腰には青く淡い光を放つ剣を携えていた。その動きは静かで確かなものであり、数えきれぬ旅路を越えてきた者のそれだった。
彼の名はエオン。西方の地では「忘れられた真実の守人」として知られる最後の師のひとりだった。
長い沈黙の後、若者がようやく口を開いた。
「……エオン師匠」
声は低く抑えられていたが、真剣さが滲んでいた。
「不吉な予感がします」
エオンはすぐには返事をしなかった。しばし焚き火の炎を見つめた後、ゆっくりと弟子の方へ顔を向けた。
「不吉な予感、か……?」
若者――リエル・タルミオンは頷いた。
「この任務、冒険者ギルドの傭兵や、熟練の騎士たちを送ってもよかったはずです。でも、そうしなかった。代わりに選ばれたのは、僕たちでした。つまり……何かがおかしいんです」
エオンは興味深そうに片眉を上げた。
「何がおかしいと、リエルは思う?」
「何か悪いことが起きているか、これから起きるということです。僕たちは、ただの先遣隊に過ぎない。きっと、これは外交なんかじゃない……戦の匂いがする」
風が木々の間をすり抜け、リエルの言葉に呼応するかのように葉を揺らした。
師はまた黙り込み、数秒後、静かに口を開いた。
「不安は、鍛えられていない剣の刃のようなものだ。身を守るどころか、自分自身を傷つけることにもなる。……だが、わかるぞ。お前の言葉にも一理ある」
「これは不安ではなく、直感です」
リエルは拳を握りしめた。
「無視するわけにはいきません」
エオンは弟子を見つめ、わずかに口元をほころばせた。
「ならば、自らの力を信じる時だな」
「……僕の力、ですか?」
「そうだ」
エオンは夜空を仰ぎ見ながら言った。
「お前の中には、まだ理解しきれていない炎がある。それは特別な力だ。決して忘れるな、リエル・タルミオン。その力こそが、お前の盾であり、槍でもある」
リエルはゆっくりとうなずいた。焚き火の光が彼の顔の輪郭を浮かび上がらせた。
「……眠る前に、もう一つだけ聞いてもいいですか、師匠」
「テオ王国は、本当に僕たちを助けてくれると思いますか?」
エオンは答えず、短く目を閉じ、まるで言葉を越えた領域で何かを感じ取ろうとしているようだった。
やがて彼は静かに言った。
「それは……行ってみなければ分からん。だが、ひとつだけ覚えておけ。テオへ行くのは助けを求めるためだけではない。自分たちが何者であるかを示すためでもあるのだ」
焚き火の火花が空中に舞い上がり、一瞬、空に小さな光を描いた。
リエルはその横で横になりながらも、すぐには目を閉じなかった。彼の心はテオに向かっていた。閉ざされた王国の噂、隣国で起こる奇妙な出来事、夜空に現れる光、そして忽然と消える村々……何かが動いている。確実に。
その傍らで、エオンはすでにゆっくりと呼吸をしていた。
眠っているように見えながらも、その魂は今なお警戒を緩めてはいなかった。
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