第39章 新たな航路?
朝食会場には、ほんのりと焼きたてのパンとフルーツティーの香りが漂い、窓外では小鳥がさえずり、ステンドグラス越しに金色の陽光が差し込んでいた。長いテーブルの上には穏やかすぎるほどの静けさが広がっていた――少なくとも最初だけは。
リュウガは中央に腰かけ、片手にティーカップをもちながら、順番に席につく顔を、少し歪んだ笑みで見やっていた。赤面しながら…。
ヴェルは軽いマントを肩にかけ、リュウガの目を直接見ることもできずにいる。
セレステはフォークを短剣のように握っているが、まだ牙をむかない。
カグヤは腕に顔をうずめて、何かをつぶやいている。
クロは恐る恐る顔を上げようとしている。
リィシアは震えながらジュースを注いでいた。
アルウェナだけは妙に落ち着いており、口笛を吹きながら果物を盛っている。
そして、アンとアイオだけは、太陽のようにキラキラと笑っていた。
「ねぇねぇ、リュウガおにい〜」
アンがパンを手にして隣に滑り込むように座り、挑発する。
「ねー、ねー、リュウガお姉さま、昨日の子たちって…変だったよね?」
アイオも隣に座って、フルーツをかじりながら大声で続けた。
「クロお姉さまがテーブルの上で歌ったの!」「カグヤさんが“守衛の制服、セクシーすぎる”って!」「アルウェナが…首を噛もうとしたの!!」
二人は楽しそうに告げる。
クロはテーブルに顔をうずめ、「覚えてないってば!」とつぶやく。
カグヤはもごもご、「…‘セクシー’って私…?ちが、ちがう…!」
セレステは真っ赤になってリュウガをにらみつけ、「あなたも悪いのよ!止めなかったんだから!」と非難。
「どうやってワインの嵐とドレスと告白を止めるんだよ?」
リュウガは笑いながら肩をすくめた。
そのとき、食堂の扉が大きく開く。
「おはようございます」
重厚な足音とともに国王が入室した。
「お邪魔してはいけなかったかな?」
王妃も優雅に続く。皆の顔は次々に緊張で紅潮した。
国王が眉を上げた。
「おはよう、皆。今日は特別な朝食のようだな」
王妃は意味ありげに微笑んだ。
「少しの混乱も、心には栄養よ。隠れた想い、見つかるかもしれないしね」
皆が凍りついた。汗が額を伝う。
国王は手を上げた。
「でもそれだけが理由じゃない。リュウガ君、皆も、聞いてくれ。今朝、特別な会合を招集した」
「会合…ですか…?」
リュウガはカップを置き、一同はより小さな会議室へと移動した。そこは陽光を遮った重厚な室内で、香炉と机上の地図が、今日の目的を示していた。護衛ではなく、王と王妃、ヴェル、リィシア、昨夜のメンバーがいるだけだった。
王が席に座った。
「王国の復興は始まっている。そして君たちの働きによって、クラヴァックの脅威は止まった。だが、完全には消えていない」
リュウガは眉をひそめた。
「牢獄の記録のことですか?」
王は頷き、巻物を机に滑らせた。
「クラヴァックは囚人だけではない。数えきれない犯罪の罪により、有罪とされた。彼の牢にアクセスできたのは限られた者だけだった。つまり…何者かが彼を解き放ったのだ」
沈黙が部屋を満たす。
王妃が続ける。
「他の囚人の収容区も空っぽになっています。これが前兆なのです」
ヴェルが毅然と口を開いた。
「父上。必要なら、私も国境での警備に加わります」
国王は優しく制した。
「一人で行くのではない。私が許さん」
リュウガは一歩前へ進んだ。
「陛下、私も見ているだけではいられません。できることは何でもします。あなた方のためにも、国民のためにも、そして仲間のためにも」
王はしばらく見据え、真剣なうなずきを見せた。
「それを期待していた。国王としてではなく、父として」
ヴェルはリュウガに視線を投げ、頬を赤らめながら小さく頷く。
セレステ、カグヤ、クロもそれぞれ強い意志を胸に、彼のそばに立った。
王は立ち上がった。
「今夜、小さな感謝の祭典を国民のために開く。皆さんにはその場で、臣下や貴族の様子を観察してほしい。彼らの動向を」
カグヤがため息をついた。
「またワインだけは…」
そこに入ってきたアルウェナは柔らかく笑い、口を開いた。
「約束はできませんが……今回は、歌いません。いや、歌わないようにします」
ざわめきの収まる中、リュウガはジャケットから一枚の紙切れを取り出してテーブルにそっと置いた。
「陛下…昨夜見つけたものです」
王は興味深げに目を細めた。
「何だ?」
「手紙です。舞踏でヴェル姫に近づこうとした騎士が落としたものです」
ヴェルが頭を上げ、驚きの息を漏らす。リィシアも唇を噛み締めた。
「彼を制したんです。隠しダガーを持って近づいてきて…でも騒ぎにはしたくなかったので、その場で制圧しました」
王妃は手紙に近づいた。
「で、それは…?」
リュウガは首を振った。
「読めなかったんです。真っ白で…でも普通の紙ではない気がします」
国王はそれをひとつまみ取り、読み込むように細かく眺めた。
「これは…魔術的な素材で作られている。肉眼では読めない。大魔法師に見せよう。特定の条件で文字が浮かぶかも…あるいは呪いの約束と関連しているかもしれん」
セレステが眉をひそめて言った。
「ということは…その舞踏の場に、黒幕がいたってこと?」
リュウガは頷いた。
「それだけじゃない。あの騎士は手紙のために雇われていた。単独ではない」
クロが拳を握りしめた。
「なら裏に潜む影は…もっと多いってことだわね」
王は引き締めた表情で立ち上がった。
「そこで――二つ目の発表だ」
全員が再び息を呑んだ。
「今夜の祭典の後、貴族たちを集めた機密会合を開く。最近妙に静かな者もいれば不安げな者もいる。彼らの顔色を直に確かめたい。君たちも全員来てほしい」
ヴェルが飛び上がるように立ち上がった。
「私も…ですか?」
「もちろんだ、娘よ」
王妃も頷いた。
「リィシアも。ここは王国。そして君たちの未来でもある。力を見せてもらう」
リュウガは仲間たちを見渡し、ひとりひとりが静かに決意したように頷いた。
「行きます」
セレステは低く答え、
「二度と不意打ちは許しません」
カグヤも毅然と誓った。
クロはつぶやいた。
「ここを壊すなら…生かしちゃおかもっと」
王は優しく微笑んだ。
「この国に君たちの存在があること……それが民への約束になるだろう」
午後、リュウガは訓練庭の中心に立ち、剣を構える。木々のざわめきと鉄の擦れる音が静かに響いていた。
「まだ…まだ理想の自分には遠い」
彼は刃先を見つめつつつぶやいた。あの激戦が、それを痛感させた。
白い装甲に包まれたセレステが腕を伸ばし、集中している。
「なら動かすんだ。もう独り言はいいから、前に見せてくれた横突き――」
カグヤが腕を組んでからかった。
「滑るなって言ったのにね」
クロは黙って両目で観察している。
そこへ、赤い戦闘服のヴェルが元気に走り寄ってきた。
「私も混ぜてよ!」
そのすぐ後ろには、エメラルドランスを構えるリィシア。
「彼女がどうしてもって…仕方なく」
リュウガは笑って頷いた。
「全員で鍛えるのが一番だ。俺も成長しないとね」
遠くから、長剣を背負った王子が現れた。
「冒険者が宮廷剣士と訓練するのも悪くないだろう」
ヴェルの姉も、訓練服をまとっていた。意を決したように言う。
「“恋の競争”ばかりじゃ…私は認めざるを得ない。あなたの実力を」
彼女は仲間に向かって笑いながら警告する。
「誰か、彼が目線逸らしたら、私は蹴るから!」
セレステがむっとする。
「えっ、私は?私はそんな…」
カグヤがからかう。
「口が達者だもんね」
ヴェルは頬を赤らめ微笑んだ。
クロが冷静に一言。
「確かに見てた」
「私まで責めるの?」
ヴェルは困り顔で訊く。
突如笑いが起き、場の緊張が和らぐ。
リュウガは剣を掲げた。
「訓練を始めるぞ。今夜は貴族の前での戦いが待っている。仲間だろうが、裏切る相手だろうが、容赦しない覚悟がいる」
王子と剣を交えるリュウガ。
精緻な技と貴族の気高さを相手にする真剣勝負だ。
姫とセレステは連携魔法を使いながら舞うように斬り合う。
光と剣が混ざる美しい戦闘。
ヴェルが転びながらも笑い、リュウガに助けられて立ち上がる。
「笑ってる場合じゃ…でも、その笑顔がいい」
リィシアがエネルギー矢を放ち、クロが斬り返す。
速く、正確な連携。
カグヤは木陰を跳びながら器用に技を決める。
忍の素質が光る。
その練習場には、ただ訓練の音と若い決意が満ちていた。
王家の紋章と花咲く蔦で飾られたテラスの上。
長女の王女は一人、首にタオルをかけたまま、訓練着にうっすらと埃をまとい、静かに佇んでいた。
額の汗はすでに乾いていたが、その瞳の中の熱は冷めていない。
両手を石の欄干に添えて、ひとつ息をつく。
そこからは市民の姿が見えた。
屋台を掃除する商人たち、道を駆ける子供たち、街を見回る兵士たち。
その中には、冒険者たちの姿もあった。彼らは市民の手伝いをしており、リュウガもその中にいた。
彼は少女たちと笑いながら、箒を槍のように構える真似を教えていた。
「信じられないわね…」
彼女は小さくつぶやく。
「たった一人で、彼は…私たちが何年もできなかったことをやってのけた……」
指がぎゅっと欄干を掴む。
「……それとも、私が…ただ足りなかっただけなの?」
「訓練場で俺をバテさせたばかりの人が言うには、ずいぶん弱気だな」
背後から聞こえてきたのは、よく知る声。
王女が振り返ると、そこには兄である王子がいた。
彼もまた訓練後のラフな姿で、水の入ったボトルを手にしている。
「お世辞を聞く気分じゃないわ」
彼女はそっぽを向く。
「お世辞じゃない。文句だよ。左肩がまだ痛いんだ」
彼は冗談混じりに言いながら、隣に歩み寄った。
彼女の口元がわずかに緩む。
「父上は…私のこと、まだ信じていないのかしら」
王子はしばらく沈黙し、やがて隣の欄干に肘をついて答える。
「父上は義務の目で世界を見る王だ。感情で動く人じゃない。
でも君は……君は“炎”なんだ。美しさ、知性、戦略、野心。どれも悪いものじゃない。ただ……“違う”だけだ」
「違う…か」
王女は静かに繰り返す。
「時々ね…完璧じゃなきゃ、私はもう“役に立たない”って気がしてしまうの」
「君は“役に立つ”んじゃない。君は“必要不可欠”だ」
王子は真剣なまなざしで彼女を見る。
「君にはカリスマがある。存在感がある。指導力もある。たとえプライドが高くても、それに飲まれてはいない。
父と比べる必要はない。君は君のやり方で、きっと――“より良い”女王になれるさ」
王女は目を閉じ、夕風を深く吸い込む。
「……ヴェルも、いい女王になれると思う?」
「なるさ」
彼は即答した。
「だけど君は、ヴェルの最高の参謀にも、剣にも、王冠にもなれる。
それは義務じゃない。君自身が“どうありたいか”を選ぶだけだ」
「……リュウガは?」
彼女は唐突に問うた。目を合わせることなく。
王子は微笑む。
「リュウガは…彼自身が決めたものになるだろうさ。
でも、もし今日の訓練を見て言えることがあるなら――
“後ろへ下がらずに、俺たちと肩を並べられる唯一の男”かもしれないな」
二人はしばし無言で王国を見渡す。
夕暮れの空に灯がともり始める。街のあちこちに、小さな焔がぽつぽつと光を放つ。
王女は目を閉じ、深く息を吸った。
「……じゃあ、夜の始まりね。
ひとつだけ、確かに言えることがある。
それは……どんな貴族が相手でも、私たちが築いたものを壊させはしないってことよ」
王子は水のボトルを高く掲げた。
「俺も同感だ、姉さん」
リュウガと王女ヴェルの婚約発表が大広間に響き渡ったあとも、その余韻はまだ場を包み込んでいた。
祝福の拍手、さざめく声――しかし、その中に、静かに燃え広がる緊張の火種があった。
そんな時、リュウガのすぐ隣に立っていたセレステが一歩、前に出た。
「ちょっと待ってください」
その一言に、場の空気が変わる。
視線が彼女に集中する中、セレステは王に向かって一礼しながらも、リュウガから目を逸らさなかった。
「申し訳ありません、陛下…でも、私も言いたいことがあります」
リュウガは目を見開いた。
「セレステ……?」
彼女は静かに息を吸い、白銀の髪を背に流しながら、エメラルドの瞳をまっすぐリュウガに向けた。
「リュウガ……私の過去は、闇と戦いと鋼に満ちていた。
でも、あなたと出会って――私の中の何かが変わった」
拳をぎゅっと握る。
「強さって、ただ守ることじゃない。
心を開くことでもあるんだって……あなたが教えてくれた。
だから、私の心は――」
一瞬、言葉を止めて、強く言い切った。
「あなたのものよ」
息をのむような沈黙が広間に満ちる。
その静けさを破ったのは、カグヤだった。
彼女は無言でセレステの横に立つと、腕を組んだまま視線をリュウガへ。
「……あーもう、みんな言いたい放題だな」
紫の瞳にかすかな揺らぎが宿る。
唇を噛みしめながら、強がるように言葉を続けた。
「私は……こういうの、得意じゃない。上手く言えない。
でも、あんたに助けられて……側にいさせてもらって……過ちをしても、信じてくれて……」
顔を赤くして視線を逸らしながら、
「……くそ、あたしもあんたのこと……好きなんだよ、リュウガ」
再び、空気が張り詰める。
その中でアンが小さくつぶやいた。
「これ……戦争だよ……」
「違うよ、愛のトーナメントだよ!」
アイオの目はキラキラと輝いていた。
リュウガは何も言えずに固まっていたが、その時、王妃が王を振り返り、何かを耳打ちする。
王は困惑気味に眉をひそめたが――王妃はふっと、いたずらっぽく微笑む。
「あなた、わかってる? この子が王城に何をもたらしたか」
「……どういう意味だ、我が妃よ?」
王妃は一歩前に出て、広間中に響く声で言った。
「ここにいる若き女性たちは、勇敢で、高潔で、自らの意志でこの青年を愛している。
そして彼もまた、彼女たちを大切に思っているのなら……
私は王妃として、彼女たちが“未来”の一部であることに、異論はありません」
空気が凍る。
誰もが、王の言葉を待っていた。
しばしの沈黙の後――
王は咳払いし、重々しく口を開いた。
「……我が妃が認めるのならば、私もまた支持しよう。
今ここに宣言する。
“ダイヤモンドの腕”セレステ、“永遠の影”カグヤ、
この両名もまた、リュウガの正妃候補として認める」
広間は爆発するような歓声に包まれた。
ヴェルは、セレステとカグヤを見つめた。
その表情には、誇り高い王女としての葛藤があったが、やがて微笑む。
「じゃあ……これからは、彼の心を巡って競い合う“同盟者”ってことね?」
「簡単には譲らないわよ」
セレステがニヤリと笑う。
「夢でも見てろ、姫さま」
カグヤが肩を軽く叩いた。
リュウガはただうろたえて口をぱくぱくと動かすばかりだった。
「な、なんだこれ……!? どうなってんだ……!?」
「ハーレムルート、正式突入だね」
アイオがささやき、アンが神妙な顔でうなずいた。
王妃は涼やかな微笑みを浮かべたまま、そっと王を見やりささやいた。
「言ったでしょう? この子が来たら、この城はきっと“物語”になるって」