第38章 狂乱の夜
黒が頬にキスされたかのように赤くなりながらも、そっと後ろに下がろうとしたクロ。その瞬間、胸の鼓動を抑えようとするリュウガの耳に、エネルギッシュで馴染み深い声が響いた。
―「おやおや、こんなところに“英雄”がいたとはな!」
艶やかな笑みを浮かべ、アルウェナが腕を組んで現れた。その表情は挑発的でありながら、どこかからか温かな光を感じさせるものだった。
リュウガは即座に振り返る。策士の制服から軽やかな改訂版に身を替えた彼女は、黒髪をゆるく後ろで留め、凛とした歩調で近づいてくる。包帯もなく、その姿は力強く整っていた。
―「アルウェナ……元気そうで何よりだ」
リュウガが軽く体を起こしながら言うと、
―「お前だって……思ったよりは元気じゃないな」
と彼女は肩を軽く叩き、からかうように続ける。
―「みんなの前で劇的にぶっ倒れることも、恋の戦略なのか?」
クロは思わず笑いを漏らしたが、リュウガは苦笑してすぐに言い訳した。
―「ストラテジストの前で、それは演技じゃないってば。体力が限界だったんだ」
―「ふん、なるほどな」
アルウェナは片眉を上げてから、少しだけ表情を柔らかくした。
―「でも、お前が無事で本当に良かった。王国は……俺たち皆だってお前のおかげだ。だからって偉くなりすぎるんじゃないぞ?」
リュウガは真顔で頷いた。
―「安心して。俺にそのつもりはないから……たまには感謝されてもいいと思うけどな」
―「……そうは思ってないくせに」
そう言ってアルウェナは肩越しに微笑んだ。空気が少し和らいだ頃、そこに少女の走る音が割り込んだ。
―「あっ! リュウガさまー!」
元気いっぱいの声が響いたあと、小さな少女が鉢植えにつまずいた。
リュウガはため息をつき、アルウェナも笑いをこらえ、クロは内心で笑いながらそっと離れていった。
―「あぁ……俺も大変だな」
そこへ、宴会場から飲み笑いの声がかすかに漏れてきた。
―「……セレステか?」
リュウガは顔をしかめ、声のする方へと駆ける。
場面は、王族のための酒宴が開かれているテントの中へ。そこにはきっと忘れられない光景が広がっていた。
ヴェルが頬を真っ赤にして、リィシアと抱き合いながら大声で笑っている。その横で、セレステが椅子の上に立ち、空の杯を振り回しながら劇的に話していた。
―「それで私はこう言ったのよ!『触手ごときで私をびびらせるなんて、二流のナメクジね!』って!」
と、ふらりと倒れかけるセレステを、隣のカグヤが支える。カグヤは顔を真っ赤にしつつも、なんとか体勢を保っていた。
―「やめてよ!それ、こぼれるってば」
カグヤは片手に“ジュース”を抱えて口ごもる。中身はどう見ても、酒。リュウガは震える声で──
―「な、なに?アルコール入りだったのか!?」
するとクロが、ほろ酔いの笑顔で返した。
―「…そうだったのかも」
リュウガは頭を抱え、周囲の五人の酔いどれ女子に囲まれた。
ヴェルは左腕をつかんで抱きつきながら──
―「リュウガぁ~!私たちの英雄さま~!」
セレステは右側で悔しそうに──
―「また君が全部もっていった……」
カグヤは優雅さを保とうとしつつ、誇り高く──
―「運命が決めたのよ」
そして──
―「リュウガが好きすぎる、すんごく好き!」
と叫んで花を投げつけるヴェル。女王冠が不器用に傾いていた。
ヴェルは照れ隠しに──
―「あなた、また飲まないの?プリンセスじゃないの?」
リュウガは優しく微笑み──
―「嫌いになった?」
ヴェルはぷんとすねつつ──
―「くそ、ヤツだと思ってたのに!」
セレステは嫉妬心を爆発させ──
―「先に告白したのは私よ!」
カグヤは倒れこむように寄り添いながら──
―「三回落ちたから、ロマンチックな誓いだよ!」
クロはテーブル上で片膝立て──
―「私は私の魂を歌うわ!」
と即興ソングを熱唱。ワイン片手に酔いしれる彼女を見て──
―「夢でも見てるのか?クロ、お前いつからそんな人だから?」
とリュウガが呟くと──
セレステは艶っぽく──
―「先生、私の心音測定お願いします……基準値オーバー中!」
と戯ける。
そこへアルウェナが花咲くドレス姿で登場し、杯を片手に近づいてきた。
―「こんな美女たちに囲まれる騎士ってどう?」
そして、リュウガの頬にそっと手をかけ──
―「戦場よりも熱い夜ね」
と言い残し、そっと耳元で囁いた。
―「もしかして火傷しちゃう?」
リュウガがニヤリと笑うと──
―「じゃあ、冷やしてあげるって?」
アルウェナはさらに近づいて、呟いた。
ヴェルはそれを見て──
―「あたしが先に好きになったんだよ!」
セレステは負けじと──
―「最初に世話をした私が!」
カグヤは倒れて──
―「朝三回落ちたんだから!」
クロは堂々と──
―「私は魂を剥き出しにして歌ったんだから!」
全員が顔を見合わせて──
――「──バカヤロー、このハーレム騒ぎ!」
とアルウェナが笑い出すと、全員が合せて──
――「アルウェナ、黙れ!」
次々と笑いと恥と愛のもつれが展開され、少女たちは少しずつ眠りこけていった。椅子やクッションの上に、寄り添うように。
リュウガは頭をかきながら──
―「どうやって寝ればいいんだよ…七美人に囲まれて」
一人ずつ抱きかかえて部屋へ運んだ。最初はヴェル──
―「おやすみなさい… dreams…」
クロはまだ歌詞を口ずさみ──
セレステはリュウガの首を抱きしめ──
カグヤは微笑みながら寝息を立て──
リィシアは眠りながら──
―「ありがとう…」
アルウェナはウインクしたまま──
――そうして、みんなを寝かせ終えたあとリュウガは静かにテラスへ戻った。そして、夜の初めに手にしていたグラスをそっと手に取る。
―「悪くないな……この混沌の中心ってのも」
月光が彼を優しく包み、夜風がグラスを揺らす。その中のワインの甘みは──彼女たちと今夜にぴったりだった。
そうして、英雄はゆっくりと目を閉じ──月に包まれて、その夜を終えた。