第298章 ―「眠れる脳の残響」
「目覚めさせてはならぬ思考がある。
エルタスは、その一つを夢に見ていた。」
ヴィオラのスキャナーが歪み始めた。
これまで一定だった鼓動が、突如として不規則に。
そのたびに空気が震え、見えない波が意識を揺さぶる。
―違う…これはただの心臓じゃない…
アズが震える声で言う。
―これは、“意識”だわ。
ヴィオラがセンサーを再調整しようとした瞬間、システムが完全に沈黙。
黒くなった画面。白いノイズ。そして通信チャンネルに入り込んだ、非人間的な囁き。
『……誰が……我を目覚めさせるのか……』
フローラが耳を塞ぎ、ナヤは目を虚ろにしたまま動かない。
―頭の中に…入り込んでる……!
直後、大地が割れた。
紫色の液体に包まれた細長い怪物が出現する。
その体から伸びた触手は蛇のように動き、
目は白く輝く無限の井戸のようだった。
だがその口は、一度も開かない。
『……新たなる餌……新鮮な思考……』
ヴィオラが即座にプリズム・シールドを展開。
屋根の石を溶かすほどの精神波を受け流す。
リーフティが封印領域を展開しようとするが、怪物は一瞬で彼女の背後に現れる。
触手がヘルメットをかすめた瞬間、リーフティの視界が乱れた。
火災、崩壊、イアト皇帝の顔、そして…王冠を戴く“影”。
―切断を!
フローラが叫び、マナ煙幕を投下する。
怪物はゆっくりと振り向き、舌打ちするような音を立てる。
『……無意味……一度味わえば……それは我のもの……』
アズが激怒し、プラズマ魔弾を投げつけた。
一瞬怯んだが、すぐに目が輝き、周囲の現実が歪む。
深淵の別地点で、リュウガが突然、視界を奪われる。
彼の頭に流れ込むイメージ:
内側から腐敗する黄金の都市、開かれた頭蓋の人々、
そして千の言語で呼ばれる自身の名。
セレステが異常を感知。
―リュウガ! 何が見えてるの!?
―……巨大な精神……俺たちを見ている。
アンとアイオは耳を塞ぎ、うずくまる。
カグヤは精神封印符で守ろうとするが、術式が砕ける。
クロは震えながら言う。
―誰かが……頭の中で呼吸してる……
ミユキが泣きながら祈りを捧げる。
―魂の光よ、影に物語を奪わせないで……
祈りの力が鐘のように広がり、一時的に精神干渉を遮断。
しかし、怪物はそれを感じ取った。
『……その声……その信仰……それもまた、味わおう……』
ヴィオラのシステムが「複数接触」を感知。
怪物は精神空間に自身の“分身”を送り出し、各地で同時に攻撃を開始。
リュウガの前に現れたのは、影で構成された分身体。
形は本体と同じ、しかし肉体ではなく、純粋な精神の具現。
セレステは「共鳴体・ジェイド」に変化し、スキャンを開始。
―これは物質じゃない…次元をまたいだ精神体よ!
―じゃあ、魂に直接、殴ってやる…
リュウガの手が青く光り、「核炎の拳」を発動。
それは自身の生命力を代償にする術式だった。
一撃で影を貫いたが、反動は脳を切り裂くような痛み。
ウェンディが飛び込み、医療モジュールを展開。
―バカッ、それじゃ死ぬわよ!
―それでも…誇りを持って死ぬ。
本体の怪物はリーフティを拘束し、触手を額に当てる。
ぬるりとした音とともに、記憶が引き裂かれていく。
ヴィオラのネットワークを通じ、全メンバーの意識に声が響いた。
『……お前たちの記憶……実に……甘美だ……』
ヴィオラが叫び、最終プロトコルを起動。
「プリズム・ファイナル」。
多色の光柱がトンネルを貫き、怪物の身体と触手を焼き払う。
だが――
煙の中で、その脳だけが、浮かんでいた。
精神の波動に包まれ、再構成を始める。
『……死が……我を止められると……思ったか……』
その瞬間、リュウガの端末にヴィオラから座標データが届く。
―核の中心で再生中。今がチャンス。
リュウガが叫ぶ。
―全員、移動する!
セレステは「多層プリズム体」へと変身。
カグヤは分身を召喚し、精神封印の護符を展開。
アンとアイオは力を合わせ、「タイム・ラビット」と「現実改変フィールド」を同時発動。
全員の“魂”が核座標に転移した。
そこに、見た。
数十の脳が周囲に浮かび、それぞれが魂のように叫んでいる。
そして中心に、心臓を食らう本体――“記憶喰らい(デスエラメント)”。
『……お前たちは……彼女が残した“夢”…』
『……我は、その目覚め……』
世界が崩れ、真っ白になった。
全員が幻覚に囚われる。
リュウガは日本での過去に戻り、
セレステは両親を失った日、
クロは奴隷として首輪をつけられ、
アンとアイオは意志のない人形へと変えられる。
ただ一人、ミユキだけが立っていた。
涙を流しながら、祈りを続ける。
―魂の光よ…彼らの物語を奪わせないで……
祈りの力が、次々と幻想を破壊していく。
やがて、全員が目覚めた時――
リュウガはすでに怪物の前に立っていた。
その体は青い魂の炎に包まれていた。
―お前は“思考を喰らう”
―俺は、“思考を解き放つ”
その拳が、怪物の胸へと叩き込まれる。
魂の炎が全ての脳を焼き尽くし、
断末魔の精神悲鳴をあげながら、怪物は崩壊した。
そこに残ったのは、一片の黒い結晶。
螺旋の印が刻まれていた。
深淵の光が、ゆっくりと静まる。
エルタスの心臓は、再び鼓動し始めていた。
今度は、まるで人間のように、穏やかに。
リュウガは膝をつき、息を整える。
ミユキが彼を支え、涙をぬぐう。
セレステは黒結晶を見つめながら、呟く。
―これは…ただの怪物じゃなかったわ。
―違う…
リュウガは、静かに言った。
―“種”だ。
―アビスの――種。
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