第295章 ―「沈黙の天使たち」
エルタスの禁断区域――そこは、石と霧の墓場だった。
空気は金属のような匂いを漂わせ、地面そのものが足元で呼吸しているように脈打っていた。
裂けた山々の間を、一つの影のような隊列が無音で進んでいた。
その先頭を行くのは――天風イツキ。
闇を切り裂くように輝く神聖な槍。
風もないのに揺れる蒼いマント。
彼の歩みは、まるでこの世界の鼓動そのものであった。
―レイナ。アイリス。サリア。
彼の声は、鎧に刻まれた魔導印により金属的に反響しながら響いた。
三人の影が即座に整列し、背後にぴたりと並ぶ。
その前方――霧が割れ、地に穿たれた巨大な裂け目が現れる。
深紅の光を孕む闇の深淵。
風の囁きは、かつてこの地に挑み、帰らなかった冒険者たちの断末魔のようだった。
―エーテル感知…高濃度反応。
鞭剣を手にしたレイナが冷静に地形を分析する。
―S級の異形体が巣食ってるわね。浄化には申し分ないわ。
イツキが頷く。
―ならば、道を清めよ。
―喜んで。
レイナが武器をひと振りする。
その刃から光の奔流があふれ、無数の鞭状の光が空を裂いた。
深淵から這い出た歯だらけの黒い怪物たちは、声を上げる間もなく光に切り裂かれ、塵となって消える。
アイリスは目を閉じ、金のプリズムを空中に浮かべた。
瞳がデジタルに変化し、不可視の魔力構造が彼女の視界に広がる。
―マナ流動:異常。座標接続中。
―敵性存在:残り14体。自動排除プロトコル、実行。
それは感情ではない。
宣告だった。
目に見えぬ波動が空を震わせる。
異形たちは震え…そして内側から爆散した。
誰も動かずして、戦いは終わった。
―相変わらず機械みたいね、とサリアが笑う。
紫のドレスが煙のようにほどけ、無数の人面影の影が群れをなす。
―ちょっとだけ…新技を試すわ。
指を伸ばすと、その影は一つに融合し、巨大な「影の天使」となった。
その咆哮は大地を震わせ、空間そのものが揺らぐ。
そして――深淵は再び沈黙を取り戻す。
イツキは破壊し尽くされた光景を見渡す。
溶けた岩、灰と化した怪物、そして静寂。
その空気は清められたようでもあり…呪われたようでもあった。
―完璧だ。
―これで、エルタス第一円環の浄化が完了した。
レイナが汗をぬぐい、誇らしげに笑う。
―女神様もお喜びでしょう。
だがイツキは静かに訂正する。
―女神は喜ばない、レイナ。ただ――見ているだけだ。
彼は遠くに目を向けた。霧が赤みを帯び、心臓の鼓動のような光が脈打っている。
―あれが第二円環だ。そして――誰かが近づいている。
アイリスが首を傾ける。
―確認。複数の人間生命反応。
―ランク:高。
―距離:1キロメートル。
サリアが舌なめずりをしながら微笑む。
―ようやく、“他の候補者”たちがお出ましってわけね。
イツキは無言で頷き、槍を地面に突き立てた。
空気が神聖な力で震える。
その声は、まるで天界からの勅命のようだった。
―ならば、この深淵に決めさせよう。
誰が女神の恩寵に値するかを――。
カメラはゆっくりと引いていく。
光と影に包まれたヴァースが、無言で深淵の前に立つ。
そして、彼方から一人の男が黒いマントを揺らしながら近づいてくる。
リュウガ。
その背に、仲間たちの影。
異なる道。
同じ闇。
そして――運命は、次なる悲劇を静かに綴り始めていた。
裂け目は、生きた傷口のように開かれていた。
その縁からは、古代のエネルギーが底を走る蒼い輝きが見えた。
各グループは慎重に整列し、互いに疑いの目を向けながらも、最初の一歩を踏み出す瞬間を待っていた。
リュウガは深く息を吸い、マントを整える。
隣では、セレステがプリズム端末でガレオンのパラメーターを確認していた。
カグヤはすでに“鮫忍”の姿となり、魔力のロープを使って崖を下り始めている。
その背後には、仲間たちが沈黙の中で指示を待っていた。
―作戦開始だ。
―任務が完了するまで、帰還はない。
リュウガの声が深淵に反響する。
そして――
ひとり、またひとりと、各チームが奈落へと降りていった。
裂け目は、生きた傷のように開いていた。
その底からは、古の蒼いエネルギーが脈打つように輝き、地を這っていた。
各グループは睨み合いながら並び立ち、第一歩を踏み出す瞬間を待っていた。
グループ・ガンマ ― 指揮官:ガーン・アーゼン
西の回廊に最初に足を踏み入れたのは、グループ・ガンマだった。
重苦しい空気。岩の壁を震わせるような低音の唸り。
歴戦のオーク、ガーンは険しい顔で周囲を見渡した。
―ここは罠の匂いがする。
と、彼が唸る。
白髪の魔導士が神経質に笑った。
―ただの風ですよ、隊長。
だがその時、地面の色が変わった。
濃密な霧が立ち込め、空気を喰らうように広がっていく。
魔導士は膝をつき、皮膚が灰色に変色していった。
―後退しろッ!
ガーンはマナグレネードを投げつけ、爆発の衝撃で霧を一時的に散らす。
そこに現れたのは、以前この場に入った冒険者たちの残骸――
恐怖の表情のまま、石化した彼らだった。
ガーンは目を閉じ、低く呟いた。
―生きて戻れたら…魂くれてやる。冷えたビールと引き換えにな。
別の通路 ― ヴィオラたちの発見
離れたトンネルでは、ヴィオラ、リーフティ、ナヤ、アズ、そしてフローラが、文字で覆われた壁を分析していた。
―この言語…
アズの青い髪が魔力に淡く光りながらささやく。
―どの既知の文明にも属してないわ。
リーフティが壁に手を当て、スキャナーを起動。
―エネルギーの鼓動を検出…何かが下で「脈打ってる」みたい。
フローラが眉をひそめる。
―鼓動? まるで…心臓?
その瞬間、地面が震えた。
壁の隙間を通してマナの流れが走り、まるで血管のように光り始める。
ヴィオラが一歩退き、目を細めた。
―つまり…噂は本当だったのね。
―何の噂? ―ナヤが尋ねる。
―この“エルタス”は遺跡じゃない。
―「眠れる身体」なのよ。
グループ・ヴァース ― 女神の使徒たち
さらに下層。神聖な光に照らされながら進むイツキ・アマカゼとその仲間たち。
前方には、冒険者の死体が静かに横たわっていた。
流血も絶叫もない、完璧すぎる死。
―レイナ。
イツキが静かに言うと、彼女はすぐに前へ出て剣を振る。
白光が死体を浄化し、痕跡ごと消し去る。
―穢れを残すわけにはいかないわ。
サリアが小さく笑った。
―アイリス、敵は何人?
―前方に14体の生命反応。
―人間。ガンマの生き残りと推測。
イツキは一瞬も迷わず言った。
―排除せよ。女神を疑う者に、居場所はない。
その命令は、完璧に遂行された。
レイナは聖光に包まれて進み、アイリスの放つ波動が敵を一瞬で爆散させる。
叫ぶ暇すら与えず、静寂が残る。
―哀れね。彼らも救いを求めていたのに。
サリアが囁く。
―いや、違う。
イツキの声は感情を欠いていた。
―彼らは…ただ、それを「真似て」いただけだ。
リュウガたち ― 第一安全圏に到達
各所で爆発音と悲鳴がこだまする中、リュウガの一行は第一安全地帯に到達した。
カグヤが忍術で防御結界を展開し、ウェンディは這い寄ってきた傷だらけの探索者を治療していた。
―何があった?
ウェンディの問いに、男は震えながら答える。
―奴ら…女神の名を…叫んでた…でも…
咳き込んで血を吐く。
―あれは……人間じゃ、ない……。
そのまま、息絶えた。
リュウガが拳を強く握る。
―ヴァースは…他のチームを殺してる。
セレステが眉をひそめた。
―これは試験じゃない…「粛清」よ。
エルタスの“鼓動”
別区域では、ヴィオラとアンドロイドたちが中央スキャナーを起動。
地面下から、強烈な脈動が感知された。
―魔力放射レベル:計測不能 ―ナヤが報告。
―これが結晶なら…今まで見た中で最大よ ―フローラが続ける。
ヴィオラは一瞬、静かに立ち尽くす。
―これは…結晶なんかじゃない。
―これは「生きてる」。
アズが目を見開く。
―まさか……。
―そう ―ヴィオラが金属のような冷静さで言う。
―エルタスの心臓は…まだ動いてる。
真実の片鱗
その情報は、断片的にリュウガたちにも届いた。
ヴィオラのスキャンが中継され、深く有機的な「心音」が通信機に響く。
セレステがすぐに分析。
―これは魔力振動じゃない…生体反応よ。
リュウガが深淵を見つめながら言う。
―つまり俺たちは……「生きてる存在の中」を歩いてるってことか。
その言葉の後、場に重苦しい沈黙が落ちた。
クロがぽつりと呟く。
―もし、そいつを…「起こしちまったら」?
リュウガは――答えなかった。
読んでくれてありがとう!
気に入ってくれたら、コメント・ブックマーク・スタンプなど、なんでも大歓迎です
応援が励みになります