第267章 ――「露わになった傷痕」
戦場は、深い静寂に包まれていた。
遥か彼方には、蝕の焦げた残骸が煙を上げて横たわり、
ダイヤモンドの塔はアイオとアンの奇跡によって立ち続けてはいたが――
誰も、勝利を口にしようとはしなかった。
リュウガは、消耗した生命力でなお弱った身体を岩にもたれさせ、
その周囲では、セレステとカグヤが警戒を続け、
ヴォルテルの英雄たちは再び隊列を整え始めていた。
一瞬だけ、
まるで“停戦”が成立したかのようにさえ思えた――
「……生き残れただけでも、よかった」
ヴォルテルの騎士の一人が、安堵のため息をつく。
だが――
その空気を、黒い炎のような声が切り裂いた。
「“生き残れた”……?
あんたたちのおかげで……?」
前に出たのは、黒髪に蒼き瞳の少女――クロだった。
その身体はよろけながらも、目には抑えきれぬ怒りが燃えていた。
「……ふざけるなッ!!」
彼女は叫び、剣を地に突き立てる。
一瞬で全員の視線が彼女に集まる。
ヴェルが心配そうに近づこうとしたが、
クロは手を上げて制した。
そして――指を向けた。
真っすぐに、ヴォルテルの英雄たちへ。
「……あんたたちの“国”から来たんでしょ?
あの忌まわしい王国……奴隷の首輪を作り、売りさばいていた場所から!」
言葉が、場の空気を凍らせる。
「……え?」
ミユキが目を見開き、声を失う。
クロは震える指で、肩の鎧を外し、肌を露わにした。
そこには、深く刻まれた拘束痕――
首輪に繋がる痕跡が、未だに残っていた。
「私は……鎖で繋がれてた。
売られて……命令されて……“物”として扱われてた。
そしてそれは、全部……ヴォルテル王国が“正当化”してたんだよッ!!」
ヴォルテルの若き英雄たちは、誰もが言葉を失い、
神官の一人が前に出ようとするが、何も言えずに立ち尽くす。
巫女は唇をかみ、クロの目を見つめることすらできなかった。
「……“祝福”されてたの。
あの首輪は、女神の加護を受けていたんだよ?
どうして……? どうしてそんなものを“許せた”の?」
ヴェルは拳を震わせ、リシアは目を逸らして涙をこらえた。
「……そんな……うそでしょ……」
誰かが、呟く。
だがクロの声は、止まらなかった。
「信じろって言うの?
一緒に戦えって言うの?
じゃあ教えてよ――
“あんたたち”と、私を売った連中の――
どこが違うの!?」
その問いは、刃のようにすべての心に突き刺さった。
それまで黙っていたリュウガが、静かに口を開く。
その声は弱々しくも、確かで――
戦場全体に響いた。
「……何を言っても、過去は変わらない。
ヴォルテルが犯した罪は、消えない。
英雄の名を名乗ろうが、旗を振ろうが……罪は、そこにある。」
ミユキは唇を噛みしめ、目を伏せた。
巫女もまた、かつて日本で“リュウガ”と共にいた日々を思い出し、彼の言葉を飲み込むしかなかった。
リュウガは、苦しげな呼吸の合間に、続ける。
「けど……だからこそ、“今”が問われる。
あんたたちは、このまま“ヴォルテルの英雄”でいるのか。
それとも……“自分の意志で”道を選ぶのか。」
風が吹き抜ける。
砂塵を巻き上げ、クロの言葉をなぞるように空へと消えていく。
空気は、まるで切り裂かれたかのように張り詰め、
誰もが、呼吸すら忘れていた。
――そして。
この一日で築かれた“信頼”の上に、
静かに、しかし確かに――“不信”の種が蒔かれていた。
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