第266章 ――「アルトニアの影」
蝕の黒煙が、いまだ空を覆っていた。
その残骸――ねじ曲がり、煙を上げる金属の残響だけが、かつて帝国が誇った最恐の兵器の名残だった。
イアト帝国の皇帝は、ポータブル玉座から立ち上がり、怒りに震える拳を握りしめる。
「これはどういうことだ……!?
誰が、我が帝国の戦いに――口を挟むというのだ!!」
だがその前で、ヴァルダーは槍を構えたまま視線を外さず、静かに告げた。
「……陛下。
退却を――ご決断ください。」
「退却だと……!?」
皇帝が怒声を上げた。
だが、彼自身も感じていた。
空気の重さ。意志の圧力。
――このままでは、軍全体が沈む。
魔導長は蒼白な顔で呟いた。
「……あの男は……蝕を……一撃で……しかも、力すら振るったように見えなかった……!」
皇帝は歯を食いしばりながら命じた。
「よい。退くぞ。だが、これで終わったと思うな……!」
角笛が鳴り響き、イアト帝国の軍が整然と撤退を開始する。
だが、兵士たちの目には動揺と恐怖の色が消えなかった。
グリソーン――アルトニア王国の王は、
銀の鬣を揺らす黒き騎馬にまたがったまま、動かなかった。
風に白銀の髪が舞い、氷のような青い瞳が、
ただ全てを見下ろしていた。
彼は進まない。
攻撃もしない。
――ただ、見ていた。
その沈黙は、どんな脅しよりも重く、冷たかった。
ウェンディは空からゆっくりと降下し、リュウガと仲間たちの元へと着地する。
モルガナイト形態のセレステは、警戒を解かぬまま眉をひそめる。
「……なぜ動かない?
彼は何をしに来たの……?」
誰も答えられなかった。
巫女の支えでようやく立っていたリュウガは、
遠くのグリソーンを見上げる。
――その目と目が合った、気がした。
まるで、その蒼き眼差しが、
自分の内面を見透かし、心を暴き、
そして…裁こうとしているようだった。
「……知ってる……いや、知らない。けど、知ってる気がする……」
その違和感に、背筋を氷が走る。
“味方か? 敵か? それとも――別の存在か?”
答えの出ない疑問が、彼の胸に刺さった。
そしてリュウガは、長く忘れていた感情――
“疑い”という名の不安を、久しぶりに味わっていた。
イアト帝国の最後の軍旗が霧の中に消えたとき、
グリソーンはゆっくりと馬の向きを変える。
その動きはまるで、時間すら支配しているかのように静かだった。
何も言わず、
誰も振り返らず、
彼は去っていった。
空に残されたのは、
足音すら持たぬ、彼の蹄の余韻。
そして、沈黙。
戦場は凍りついたまま動かない。
負傷者たちが治療され、兵士たちが呼吸を取り戻す中――
ヴォルテルの英雄たちは、ただ一点。
グリソーンが消えた方向を見つめ続けていた。
「なんで……なんで、アルトニアの王が……ここに……」
ミユキが、風の中で呟く。
セレステは変身を保ったまま目を閉じる。
その額には焦りと憤りが浮かんでいた。
「……どうあれ。
これで、すべてが――変わった。」
リュウガは何も言わず、ただ静かに空を見つめていた。
その胸には、名もない不安が広がっていた。
“もしあの存在が、この戦いに関わってくるのなら……”
“俺たちの運命は、いったいどこへ向かう――?”
風が吹く。
硝煙と灰の匂いを運ぶ風だった。
戦いは終わった。
――だが、戦争は形を変え、
これからが“本当の始まり”だった。
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