第25章 ― 見えない傷 ―
夜はすでに落ち、東部の野営地は未だに灯る松明の光に包まれていた。
まるで動かぬ蛍のように、ちらつく炎が静寂の中で揺れていた。
兵たちは沈黙のまま警戒を続けていた。
剣は腰に、槍は闇へと向けられ、まるで――
その“静けさ”そのものが敵に変わるのを待つかのように。
即席の監視塔の上――
一人きりのカグヤは、黙って地平線を見つめていた。
だが彼女の紫の瞳が見ていたのは、平原ではなかった。
それは記憶。
それは過ち。
それは罪。
その顔は静かに見えても、
その胸の内では、嵐が吠えていた。
「……全部、私のせい。」
そっと頬を撫でる夜風。
だが、その風すらも、彼女の傷には届かない。
「もっと早く動いていれば……自分を信じられていれば……
アルウェナも、兵たちも……」
瞼を閉じ、苦くつぶやく。
拳を握りしめたその手には、爪が食い込むほどの力がこもっていた。
その時――
すべてが、止まった。
松明の火が消え、風が静止し、
聖なる沈黙が、野営地を包み込む。
そして、その静けさの奥から――
まるで時を越えたような声が、響いた。
「見つけたぞ、カグヤ。」
カグヤは息を呑み、振り返る。
「……師匠?」
淡い月明かりの中、現れたのは紫の法衣を纏い、白銀の髪を持つ男。
その目には、厳しさと慈愛が宿っていた。
カグヤの足が震える。
「なぜ……ここに?」
師は腕を組み、静かに近づいた。
「お前は壊れている。静かに、だが確実に内から。
立っているように見えて、実は――崩れかけている。」
カグヤは目を伏せ、唇を噛んだ。
「私は……私は……失敗した……」
「嘘をつくな。その仮面は、もう見抜いている。
“影”としてではなく――“人”として、語ってみろ。」
沈黙。
そして――
その瞳から、ついに涙があふれた。
「……逃げたの……!誰も守れなかった……!
強さだと思っていたものは……全部壊れた……!
アルウェナも、兵も……あの人も――私のせいで死んだの!」
膝をつき、崩れ落ちるカグヤ。
その魂は、罪悪感で張り裂けそうだった。
「……どうして……みんなは立っていられるの……?」
師は膝をつき、彼女の肩にそっと手を置いた。
「――泣けば、癒えるのか?」
答えられないカグヤ。
師は静かに顔を上げさせる。
「痛みから逃げるな。
“失敗”は、弱さの証ではない。
痛みを知る者だけが――もう一度立ち上がる力を得られる。」
カグヤの瞳が揺れる。
「……じゃあ、私は……何をすれば……?」
師は微笑みながら手を差し出す。
「選べ。ここで止まるか――進むか。
お前の傷は、“燃料”にもなり得る。
失ったものは戻らない。
だが、まだお前を必要としている者がいる。」
「私は、お前に力を与えた。
だが、その“力の本質”を形にするのは――お前自身だ。」
「この混沌の中で……
私が最後に賭けた“希望の火種”があった。
それが――お前だった。カグヤ。」
カグヤは彼を見つめ、頬を伝う涙が月光に光る。
「……ありがとう、師匠……」
彼はうなずいた。
そして、風が再び吹いたとき、彼の姿は霧の中に溶けるように消えていった。
「礼は要らぬ。
ただ――前へ進め。カグヤ。」
松明の火が再び灯る。
野営地が再び鼓動を取り戻す。
だが――
カグヤの内側で、確かに何かが変わった。
「……追いついてみせる。」
そして、星々の下で、
彼女の瞳はそっと光を放った。
それは魔力ではない――
決意の光だった。