第19章―千の光の下での夜
エレイノール王国の大広間は、まるで星空が降り注ぐ夜のように輝いていた。空中に浮かぶクリスタルランプは、優雅なハープと魔法の笛の調べに合わせて、色をゆっくりと変えていた。
貴族たちは豪華な装いで集まっている。自動で翻るマント、宙に反射する星座を映すドレス、魔法によって物理の制約を無視した髪型──すべてが、この夜にしか見られない華やかさだった。
広間の隅で、リュウガは黒いシャツの襟をぎゅっと引っ張って不満げだ。
「なんでこんなに苦しいんだよ…」
襟元を引きながらつぶやく。
「だって、盗賊を倒したままの服装で王宴に来たらダメでしょ?」
猫のような笑みを浮かべてセレステが返す。彼女はワインレッドのドレスを身にまとい、スカートの縁には小さな火花のようなクリスタルが散りばめられていた。
「それに…意外と似合ってるよ?」
柱にもたれるカグヤも言った。彼女は紺碧の装飾が入った黒いキモノで、スリットから細い脚を大胆に見せている。「ライバルがいなきゃ、今夜は私が誘ってあげたかもね」
「ライバル?…ええっ?」
セレステが細めた目で反応。
「え?言っちゃった?ま、いっか」
カグヤはにやりと笑う。
その時、ヴェルマイラが大理石の階段を優雅に降りてきた。淡い黄金色のドレスが花びらのように揺れ、クラウンが光を帯びている。彼女の登場に、リュウガたちは言葉を失った。
「…本当に同じ人…?」
リュウガが小さくつぶやく。
「血みどろの断崖をよじ登ってた人よ?」
カグヤが追い討ち。
「やはり…美しい」
セレステが素直に認め、小さく胸を痛めながらも言葉を漏らす。
ヴェルマイラはゆっくりと歩み寄り、微笑む。
「どう思う?」
「…輝いてる」リュウガは言葉を詰まらせ、頭をかいた。「いや、ここちよくて…じゃなくて完璧だ。素晴らしいよ」
セレステとカグヤは目配せし、小さく鼻で笑った。
「リュウガが言葉に詰まるなんて珍しい」
セレステが囁く。
「ライバルが降りてきたからね」
カグヤがくすくす笑った。
その時、ヴェルマイラがリュウガを舞へ誘おうとした瞬間、三人の貴族が近づいてきた。彼らの衣装には奇抜な装飾があり、ひとりは薔薇を胸に、もうひとりは肩に羽根、最後のひとりは長い裾を引きずっている。
「ヴェルマイラ王女――」最初の男が甘い声で深々と礼をした。「お舞踏の相手をまだお受けしてないようで。命を懸けた我々が恥をかくのは避けたいものです」
「ありがとうございます。でも、今日は私が連れたい方がいるのです」
ヴェルマイラはリュウガをちらりと見て穏やかに断った。
だが男はひるまず、もう一歩近づく。
「王女が平民と踊るのは…控えたほうが。格式を教えて差し上げましょう」
その瞬間、リュウガが男の手首を握る。その力は冷たく硬い。
「彼女は“ノー”と言った」
リュウガが低く言い放った。
男は抵抗しようとしたが、呻き声をあげるだけだった。
「家格を知らずに手を出すとは…ティレンドール家の者だぞ?」
二人目が憤って声を上げた。
「“ティレンドール家”?パン屋か何か?」
リュウガはしれっと返す。貴族たちの顔に焦りが浮かんだ。
「我々の力で消すこともできるぞ!」
リュウガは肩をすくめ、小さく笑った。
「そんなこと言う奴に限って…翌朝には歯がなくなってるもんだ」
そこへ、毅然とした声が響いた。
「――問題があるか?」
全員が振り返ると、カエラン王太子が威厳ある歩みで現れた。黒いマントが背に翻り、目は厳しい光を放っていた。
「ティレンドール、フレイル、マルカス。王女や来賓に対し、これが貴族の振る舞いか?」
三人の貴族の顔色は一瞬で蒼白に。
「い、意図は…」
最初の男が震える声で言いかけたが、カエランはそれを遮った。
「静かに」
彼はリュウガに向き直り、礼を添えて静かに言った。
「妹を守るその覚悟に感謝する。これが本物の騎士の心だ」
ヴェルマイラは深呼吸しながらも微笑みを浮かべる。
「私は大丈夫。あなたのおかげで…」
カエランは再び三人を見つめた。
「今後、この社交の間への立ち入りを禁ずる。次に無礼を働けば、公の場で裁きを受けることになる」
三人は無言で退場していった。
カエランはリュウガの肩に軽く手を置いた。
「次は…もう少しやりすぎてもいいぞ」
「心得てます」と、リュウガは平然と返した。
ヴェルマイラがリュウガに寄りかかるようにして息を整えると、場の灯りは一層柔らかく揺らぎ、音楽が再び優しく流れだした。
そして、二人は再び穏やかに踊り出した――千の光の下で。
ステップはゆっくりと始まった。彼女は片手を胸に、もう一方の手でリュウガの手を取る。リュウガは少しぎこちないものの、その動きには確かな安定感があった。ダンスの達人ではなかったが、信頼に足る一歩一歩だった。
「……ヴェルって呼んで」
彼女は囁いた、ターンをしながら。「大切な人だけが、そう呼べるの」
「……じゃあ、ヴェル」
リュウガは視線を落とし、微かに微笑んで応えた。
近くの柱の陰では、カグヤが歯ぎしりしていた。
「ずるい!“助けられたお姫様”カードを出してきた!」
「気にしてるの?」
腕を組んでいたセレステが尋ねる。
「な、何言ってんの!全然平気!……ちょっとだけ、ね」
彼女は不自然に否定した。「でも、あなたも落ち着いてないでしょ」
セレステはため息をついて天井を見上げた。
「ええ、落ち着いてないわ。だって、あの子……私たちがまだ得られてないものを、もう手に入れてる」
「リュウガの心?」
「……あだ名よ」
二人は顔を見合わせて、ふっと笑った。
「……その瞬間、邪魔してやろうか。私と踊る?」
カグヤが冗談めかして言った。
「あなたと?私の足を踏んでもナイフを投げないって約束するならね」
「じゃあ、私のクリスタルサンダルを笑わないって約束して」
そうして夜は続いた。光、笑い、すれ違う視線……そして不規則に跳ねる鼓動と共に。
任務、危険、秘密、陰謀の渦中にも、愛や嫉妬、そして避けがたい物語は息づいていた。
とくに……英雄自身が、自分がすでにいくつもの心の主人公になっていることに気づいていないときには。