第210章――黒き太陽の声
夜は深く、だがイアト帝国の野営地に眠りはなかった。遠くからは戦獣の咆哮と、鎧を鍛える槌音が響いていた。黒い天幕の海の中心に、一際大きな天幕がそびえていた。黒曜石の紋章で飾られた、それはまるで神殿のような場所だった。
その中で、ヴァルダーはルーンが刻まれた絨毯の上に跪いていた。額を深く地につけ、空気は香の煙と魔力で息苦しいほどに満ちていた。
そこに、一つの影が差し込む。皇帝ヴァルセリオン・イアト。その声を上げることなくしても、その存在だけで意志を圧倒する力があった。
「……ヴァルダー。」
その声は、まるで封じられた雷鳴のように天幕を震わせた。
「貴様はよく我が軍を動かした……だが、時はもう尽きかけている。」
ヴァルダーはさらに頭を垂れる。
「陛下……敵は予想以上に激しく抵抗しております。ダイヤの塔は単なる要塞ではありません……生きた武器です。リュウガとその仲間たちは、予測できぬ力を示しております。」
皇帝はゆっくりと歩みを進める。その一歩ごとに、床板が悲鳴を上げるように軋む――彼の重さを世界が拒んでいるかのように。
「異世界から呼ばれた、ただの小僧が……我が運命を阻もうというのか。」
低く、恐ろしく、そして嘲るような笑いが響く。
「……本気で、そんな者に私が止められると思っているのか?」
ヴァルダーは答えることを許されないと悟り、沈黙する。
皇帝は彼の背後で立ち止まり、鉄の手袋を嵌めた手をその肩に置いた。その感触は、炎と氷が同時に皮膚に触れたかのようだった。
「忘れるな、ヴァルダー。お前は私の剣に過ぎぬ。兵が何人折れようと、将が何人死のうと、知ったことではない。塔は――必ず、私のものになる。」
ヴァルダーは歯を食いしばり、顔を上げることなく答える。
「御意……陛下。命を賭してでも成し遂げてみせます。」
皇帝は冷たい笑みを浮かべた。
「当然だ。……もしも失敗すれば、私は鈍った剣を持つ理由はない。」
その姿が影の中に溶けるように消えていったとき、ヴァルダーはようやく顔を上げた。その目は、いつものように冷徹ではなく、抑えきれぬ怒りで赤く燃えていた。
「リュウガ……」
低く呟く。
「命に代えても……お前の名を、この世から消し去ってやる……」
外では、帝国の戦鼓が鳴り響いていた。それは、黒き心臓の鼓動のように、闇を震わせ続けていた。
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