第10章 沈黙の断片
世界が沈黙するとき――
かつての「自分たち」の声が、
ささやきとなって
記憶の扉を叩く。
紫に染まる丘の向こうへ、太陽が沈みかけていた。
スターチューンはゆっくりと降下し、淡く光るルーンを浮かべながら、枯れた木々と古い石に囲まれた空き地に静かに着地した。
風が死んだ葉を巻き上げ、まるで自然そのものが警告をささやいているかのようだった。
最初に降り立ったのはリュウガ。
その黒いマントが、威厳をもって風にたなびいた。
—このまま夜の中を進めば…《幻想の王国》の門を越えることになる —
リュウガは重い声で言った。
—正気で戻れない者もいるだろう。
セレステも彼の隣に降り立ち、うなずいた。
—なら今日はここで野営しましょう。まだ…安全だから。
カグヤは静かに降り立った。
直前の魔法検知のあと、空気はより重く、そして曖昧だった。
彼女は空を見上げた。星々はかすかに瞬いていた。
まるで空さえ、地上を見つめることを恐れているかのように。
次に降りたのはクロ。
言葉を発することなく、黒い杖で地面に複雑な魔法陣を描いた。
防御結界が淡い青の光を放ちながら森全体に広がっていった。
そして最後に、あの二人の少女がスターチューンから姿を現した。
灰色のケープをまとい、
その瞳には光がなかった。
歩みには、魂が感じられなかった。
彼女たちは焚き火の前に並んで座った。
セレステが、魔力のこもった指輪で炎を灯した。
リュウガは、夕暮れに浮かぶ岩の上からその様子を静かに見つめていた。
—まるで、世界が息をひそめているようだ… —
彼はそう、低くつぶやいた。
カグヤが焚き火に近づいた。
—寒くないの?
白髪の少女が振り向かずに答えた。
—温度は…私たちの機能に影響しません。
オレンジ色のツインテールの少女が続けた。
—火は…雑音。熱には意味がない。
セレステが目を細める。
—最後に何かを「感じた」瞬間を…覚えてる?
少女たちは互いに見つめ合った。
一瞬の間。
いつもより少し長いまばたき。
—覚えていません。
二人は同時にそう言った。
カグヤは視線を落としたが、その声は揺るがなかった。
—それでも…私は信じてる。あなたたちは、まだ完全には忘れていない。
クロは魔法陣の刻印を終え、リュウガのもとへと歩いた。
儀式のような仕草で、湿らせた布でスプーンを丁寧に拭き取る。
そして、恭しく彼に差し出した。
それを見たセレステとカグヤの視線が、一気に熱を帯びる。
—ちょっと、なにしてるのよ!? —カグヤが声を上げた。
—スプーンまで…拭いてあげるの? —セレステが眉をひそめる。
クロは何も言わず、ただ静かに…待っていた。
リュウガは焚き火のそばに近づき、温かいシチューをよそった。
—まだ君たちの名前を知らない。一緒に旅してるけど…どう呼べばいい?
少女たちはすぐには答えなかった。
風が彼女たちの髪をやさしく揺らしていた。
やがて、赤毛の少女が顔を上げた。
—アオイ。
ツインテールの少女も続いた。
—アン。
カグヤは水を飲んでいて、思わずむせた。
—えっ!? アオイ!? アン!? しゃべれるの!?!?
セレステは微笑んだ。
—たぶん、リュウガを信頼してるのよ。彼は…信頼できる人だから。
カグヤは目をそらしてつぶやいた。
—あるいは、あんたが恋してて見たいものしか見てないだけじゃない?
—今、なんか言った?
—ううん。ただ、ご飯冷ましてるだけって言っただけよ、見つめながら。
セレステは、かわいらしくむくれた表情を浮かべた。
リュウガは好奇心を抑えきれずに尋ねた。
—君たちは…いったいどこから来たんだ?
アオイが無表情のまま答えた。
—南方王国。レベル3。感情観測部門。
アンが続けた。
—私たちの任務は「観察」。介入は禁止。記録のみ。
—記録って…何を? —セレステが身をこわばらせて訊いた。
—すべて。愛。憎しみ。戦い。抱擁。
カグヤは腕を組み、眉をひそめた。
—じゃあ、私たちのことも記録してたの?
アンは首をかしげた。
焚き火の明かりが、彼女の顔に揺れる影を落としていた。
—名前を与えられた時の記憶はありません。
感情は…「汚染」です。
ぬくもりは…「雑音」。
セレステはそっと目を閉じた。
それは冷たさではなかった。
それは――空虚。魂の欠如。
カグヤは、セレステとリュウガの親しげな様子にぶつぶつ文句を言っていた。
セレステは、それに対し挑発的な笑みで応じる。
クロはいつものように沈黙を保ち、手元の果物を外科手術のような精密さで切っていた。
その様子を、アオイとアンは静かに観察していた。
セレステ:敵意、抑制中。
カグヤ:苛立ち、上昇傾向。
クロ:無言の行動。
観察中の状態:感情的競合。
要因:被験体リュウガ。
感情干渉誤差率:12%。
—原因は? —アンが小声でつぶやいた。
—すべて。愛。憎しみ。戦い。抱擁。—アオイが即答した。
カグヤが堪えきれず叫んだ。
—またそれ!? 結局その意味って何なのよ!?
アンはまっすぐ彼女を見つめて言った。
—誰にも見られていないふりをしている。
でも…私たちは見てる。
彼が他の人を見てるとき…私、腹が立つ。
カグヤの顔が耳まで真っ赤になった。
—な、何言ってるのよ!? そんなの…ありえない!!
リュウガは手で顔を覆いながらつぶやいた。
—…なんなんだ、この状況は。
クロは無言で、完璧に切り揃えた果物をリュウガの前に差し出した。
沈黙。献身。揺るがぬ静寂。
—もう…収拾つかないわね —セレステがため息をつく。
—始めたのは私たちじゃないでしょ!? そっちが勝手に喋り出したんでしょ! —カグヤが鋭く返した。
火は静かにぱちぱちと音を立て、
ねじれた木々に揺れる影が踊っていた。
森はその瞬間だけ、まるで時を止めたかのようだった。
そして──
本当に久しぶりに、
彼らはただ「人間らしい」ひとときを共有した。
運命という名の重荷が
再び世界から迫る、その前に訪れた──
ほんの一息の、静かな安らぎだった。