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第112幕 ―「忘れられし王子の継承」

三年の歳月が過ぎた。


テオ王国は、表面上、いまだ輝きを保っていた。

祭りは続き、家族は笑い合い、王座も揺らぐことなく存在していた。


だが——空気は、明らかに変わっていた。


北の国境に、灰色の霧が静かに降り始める。

軍の通信が断たれ、

魔導士たちは突然、動きを止めた。

——周囲の魔力が、何かに吸い取られている。


賢者たちは口を揃えて言った。


「“何か”が、戻ってくる」


だが——誰も知らなかった。

“誰”が、あるいは“何”が戻ってくるのかを。


そして……


彼を、見た。

かつて死んだとされ、あるいは国外追放されたと思われていた

あの若き王子が——


王宮の正門を、歩いて通ってきた。


独りで。

裸足で。

同じ顔をして……だが、魂はなかった。


「……ヨル?」

兵士の一人が、かすれた声で呟く。


「警戒せよ! 奴は、もう昔のヨルではない!!」


だが——すでに遅かった。


わずかな手の動きで、


塔が崩れ落ち、

門は粉塵と化し、

兵たちは、何が起こったかすら分からずに倒れた。


王座の間。

国王ヴィレオンと王妃エリサが立ち上がる。


それは恐怖ではなかった。

ただ、**息子がもう“存在していない”**という、

その深すぎる痛み。


「……ヨル……戻れるのよ……」

エリサが懇願する。


「こんな道を歩く必要はない」

ヴィレオンが一歩、近づきながら言う。

「闇だけが……お前の居場所ではないんだ……」


ヨルは、二人を見た。


そしてその時、

彼はすでに“人”ではなかった。


彼の声は冷たく、終焉を告げるように響いた。


「あなたたちは、僕を救わなかった。

ただ……苦しみを延ばしただけだ。」


「違う……! 私たちは、全てを尽くした!!」

エリサが涙を流しながら叫ぶ。


「それでは足りなかった!!」


――咆哮。

――灰の閃光。


灰色の槍が、王妃の胸を貫いた。


ヴィレオンの絶叫が響く。

だが次の瞬間、見えざる力に吹き飛ばされ、玉座に叩きつけられた。


「ヨル! やめろ!! 私はお前の父だ!」


ヨルは静かに言う。


「もう父などいない。

母もいない。

そして……僕には、もう人間の心もない。」


――彼は、

両親を手にかけた。


迷いもなく。

悔いもなく。

涙も流さずに。


王の玉座は、血に染まった。


そしてテオの空は、

永遠に灰色へと変わった。

両親を殺し、

かつて愛したすべてを敵に回してから、数日後——


ヨルは、音もなく丘を下っていた。


その足元には、静かな村。

誰も知らぬまま、最後の夕暮れを迎えようとしていた。


そこにいたのは:


— ラー、かつての戦友。

— ヴィアム、最初で最後の愛。

— そしてどこかに……二人が育てた娘、アン。


ヨルは、遠くからその光景を見つめていた。


太陽は、かつての彼には届かない優しさを放っていた。

木々は風と共に踊り、

命はただ……穏やかに流れていた。


その一瞬だけ。

彼の視線が止まった。


小さな影が、花と蝶の間を駆けていた。


それがアンかどうか、彼には分からなかった。

だが、何かが心の奥で震えた。


許されざる記憶。

存在してはならない鼓動。


「……ヨル?」

ヴィアムが、霧の向こうに彼の姿を見つけて呟いた。


「……来たのか。

 彼女に……会いに?」

ラーが言った。

その瞳には諦めと哀しみが宿っていた。


「……アン……」


だが、ヨルは何も答えなかった。


一歩も近づかず。

一言も発さず。

一滴も涙を流さず。


ただ——


手を、上げた。


そして空が……


――血を流した。

数秒後――


村は、業火に包まれた。


ヴィアムは、アンを庇って命を落とした。

ラーは、かつての兄弟に刃を向け、そして倒れた。


だが――

煙が晴れたその時、


少女は、生きていた。


炎に囲まれ、

涙に濡れながら、

それでも――生きていた。


ヨルは、彼女を見つめた。


初めて。

真正面から。


そこにあったのは、

愛した者たちの血。

自らを壊した最後の欠片。

希望という名の、あまりにも壊れやすい命だった。


「……」


何も言わなかった。

手を上げなかった。

命を奪わなかった。


代わりに――背を向けた。


そしてその後ろから、ひとつの影が現れる。


ウェンディ。


破壊の中に立つ、見慣れた顔。

漆黒の髪、新たに鍛え直されたアーマー。

灰の世界に身を置いた者。

忘却のルールを受け入れた民のひとり。


「……排除命令を?」

ウェンディが、剣を構えながら尋ねる。


ヨルは、首を横に振った。


「……いや。

育てろ。

鍛えろ。

守れ……だが、何も語るな。」


「……何も?」


「そうだ。

俺のことも、

彼女の起源も、

失われたすべても。」


ウェンディは驚き、ゆっくりと剣を下ろす。


「……彼女は、何者?」


ヨルはもう一度だけ、アンを見た。


彼女は、ただ泣いていた。

全てを知らずに。

全てを失って。


ヨルは答える。


「誰でもない。

ただの少女だ。

……もう存在しない世界の、な。」


そして彼は――


振り返らずに、

何も説明せずに、

選択の余地すら与えずに、

その場を去った。


数日後、

ヨルは、ミラージュ聖域の廃墟に辿り着いた。


そこに、オエルの姿はなかった。

残されていたのは——

システム。

設計図。

断片だけ。


だが、それだけで——

彼は“築いた”。


それは都市ではない。

国家でもない。


――秩序だ。


灰の世界。


愛のない王国。

歴史のない世界。

記憶という概念すら存在しない空間。


そして、その法の中には――

「問い」さえも、許されていなかった。


その日、死んだのはテオ王国だけではなかった。


愛も。

裏切りも。

真実も。


全てが、灰の中に消えた。


だが、その灰の中心で……


ひとりの少女が、生きていた。


救われたのではない。

「置き去りにされた」からこそ、生き残った。


そして彼女を育てたのは、

過去について決して語らぬ者。


それが——アンの誕生だった。


感情を禁じた世界に生まれ、

咲いてはならない花のように……

たった一つの“芽”として存在した。


そして、

この世界が完全に彼女の存在を忘れたその時こそ――


彼女が、すべてを思い出す。

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この物語はメキシコ出身の作者「ジャクロの魂」によって執筆されています。 お気に入り・評価・感想などいただけると、物語を続ける力になります! 応援よろしくお願いします!
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