第103章 ― 深淵(しんえん)のケンタウロス、審判(しんぱん)のプリズム
廃墟は、一撃ごとに震えていた。
セレステの息は白く凍り、静かに吐息として宙に溶けていく。
さっきの衝突の火花がまだ宙に舞い、まるで異世界の蛍のように光っていた。
そして──
目の前に立つのは、確かに自分が倒したはずの男。
イヴェソル。
「……あり得ない」
セレステは剣を構えたまま呟いた。
「たしかに倒した……この目で、見たのに」
イヴェソルは不敵に笑う。
その漆黒の髪が、禍々(まがまが)しい魔力の風に揺れていた。
「“倒した”だと? 惜しかったな…」
その声は深淵から響くような冷たさだった。
「だが、貴様の攻撃は──俺を“壊す”以上の結果をもたらした」
セレステの眉がぴくりと動く。
「どういう意味よ……?」
イヴェソルは左腕を掲げた。
そこには以前とは違う、複雑に再構築された黒の装甲。
紫の魔力が螺旋を描き、彼の体を包み込んでいた。
「貴様の“光”を取り込み、俺の“闇”と融合させた。
その結果、俺の肉体は……進化したのだ」
次の瞬間、イヴェソルの身体が発光する。
装甲がうねり、伸び、骨格が変形する音が辺りに響く。
顔には金属の仮面、脚部は四本に分かれ──
──深淵のケンタウロス形態。
紫と黒の装甲に覆われた巨大な獣人。
背には浮遊する二本の剣。
その全身が、セレステを威圧する魔そのものだった。
「……化け物」
セレステが一歩後ずさる。
「俺は力の到達点だ。
お前の“希望”と俺の“絶望”、その融合体だ!」
だが、セレステは剣を構えなおす。
青い光が再び彼女を包む。瞳には恐れはなかった。
「それならもう一度倒す。
あなたをここで──終わらせる!」
「ふはははッ! その覚悟は評価しよう!」
戦闘が始まる。
イヴェソルは地を蹴り、巨大な四脚で突進。
浮遊する双剣が独立してセレステに襲いかかる。
セレステは剣を回転させ、防御と回避を組み合わせて応戦する。
──金属音。
──風切り音。
──エネルギーの衝突音。
彼女の装甲は星の輝きを帯び、あらゆる角度からの攻撃に応える。
イヴェソルが距離をとり、胸部のコアを開いた。
「これで終わりだ……!」
紫と黒の球体が形成され、空間が歪む。
重力が狂い、魔力が渦巻く。
だが──
セレステが天に剣を掲げる。
「……コマンド・アブソリュート──!」
青く輝く魔法陣が空中に展開。
剣に宿る宇宙のような光。
「プリズム・コンゲラート(氷晶の審判)!!」
剣先から、氷と星の力を融合させた光線が放たれる。
それが黒き球体に直撃し、衝突の瞬間──
轟音と閃光!
紫と青の光が混ざり合い、爆発が周囲を凍てつかせ、弾け飛ばす。
氷の結晶が嵐のように舞い、戦場は輝きに包まれる。
爆発の中、両者が空中に投げ出された。
だが──倒れない。
空中で視線が交差する。
「……まだ終わってない」
セレステが息を整え、剣を構える。
「これは──皆のための戦い。ライガ、ヴェル、リシア……皆の」
イヴェソルは口元を歪ませ、舌を舐める。
「よかろう……
その光がどこまで俺に届くか、証明してみせろ!!」
両者が再び突進。
剣が交わる音が、星の審判の鐘のように響き渡った。
戦場は、破壊のクレーターへと姿を変えていた。
大地が震え、空気は純粋な電流で満ち、二人が衝突するたびに、空が裂けるかのような衝撃音が響き渡る。
セレステは荒い息を吐きながら、緊張と疲労に満ちた体を奮い立たせていた。
その剣は正確に舞うように動いていたが、対峙するイブソール――暗きケンタウロスの姿をしたその存在は、巨体に似合わぬ驚異的な速度で迫ってくる。
そのひづめ一つ一つが突進の如く、後ろ脚の一撃は鋼鉄の柱さえ砕く破壊力。
「……っ! お前……いったい何なんだ……」
セレステが横に跳び、イブソールの足が地面を叩き割る瞬間を辛うじてかわす。
「お前が生んだ――“過ち”だよ」
イブソールが、重低音と金属音が重なるような二重の声で笑った。
「だが、進化を知った過ちだ」
セレステは背後を狙おうと動く。
だがそれは罠だった。
後ろ脚が猛烈な力で振り上げられ、セレステの顔面を狙って襲い掛かる。
寸前で宙返りし、命中を回避。もし当たっていれば、頭蓋は砕けていた。
「いつまでも避けられると思うなよッ!」
イブソールが吠え、紫のエネルギーをまとった剣を高く振り上げる。
その一撃は、まるで終末の審判。
セレステは選択の余地なく、左手を掲げて叫んだ。
「アメジスト形態――起動!!」
胸元から紫の光が炸裂する。
鎧のプレートが再構築され、深いアメジストの色へと変化。
全身には遠くの星々のような線が走り、マントはエネルギーの塊のように濃密に、そして額には三角の宝石が輝いた。
ガァンッ!!
イブソールの剣が振り下ろされる――
だが、それをセレステが受け止めた。強化された剣で。
彼女の足が地面を滑り、火花が散る。だが――折れない。
「そう簡単に……押し潰されてたまるか……ッ!」
その言葉を聞いて、イブソールが半笑いになる。
「ほう……その形態、耐久力が増しているな」
そう言うや否や、横から盾による強烈な一撃を叩き込む。
セレステの体が弾かれ、崩れた像に激突し、そこから血を吐いた。
膝をつきながらも、彼女は剣を両手で握り、ゆっくりと立ち上がる。
「……これはもう戦闘じゃない……相互の処刑だわ」
その声には、静かな覚悟があった。
イブソールの表情が変わる。
笑いは消え、真剣な眼差しに。
「その通りだ、セレステ……だから、もう一切の手加減はしない」
セレステは、口元に皮肉な笑みを浮かべる。
「……奇遇ね。私もよ」
風が止んだ。
世界が、一瞬、沈黙する。
そして――
光と影に包まれた二人は、正面からぶつかり合った。