第96章 ― 倒れぬ騎士(きし)
濃密な“任務の影”が、いまだテオ王国全体を包んでいた。
高くそびえる塔は、冷たく淡い光を放ち、街を見下ろしていた。
だが、その塔の影に沈む路地では、霧が濃く立ち込める中、小さな一団が静かに進んでいた。
先頭にはリュウガ。
そのすぐ後ろにセレステ、振動する魔法の杖を持つナヤ、そして黒い戦闘ドレスをまとったヴィオラが続いていた。
彼女の眼差しは鋭く、立ち居振る舞いは優雅そのものだった。
「本当にこの方向で間違いないのか?」
リュウガが問いかける。
「間違いないわ」
セレステが即答した。
「アンたちがここで戦った痕跡が残ってる。魔力の共鳴が空気にまだ残ってる。」
だがその瞬間、目の前の空間が、まるで布が裂けるように歪んだ。
空間が裂け、黒いポータルが暴れながら開かれる。
そこから現れたのは――
黒い鎧をまとい、赤いエネルギーが脈打つ騎士。
その一歩一歩が、雷鳴のように地を震わせた。
「まさか…」
リュウガが思わず一歩後退する。
「…エヴェソール…!」
ナヤが震える声でつぶやく。
かつて倒したはずの敵。
前線で葬ったはずの恐怖。
その存在が、いま再び――より深く、より邪悪な姿で立っていた。
彼の盾には生きたように脈打つルーンが刻まれ、背中には黒い剣が浮遊し、溶岩のように揺れる液体エネルギーで身体と繋がっていた。
エヴェソールは微かに笑った。
その笑みは、仮面の奥からわずかに覗く。
「…貴様らは機会を与えられた。だが、それを無駄にした。
私を完全に破壊しなかった時点で、敗北は始まっていた。」
「どうして…?」
ヴィオラが一歩引きながら言う。
「確かにあの時、貴様は…!」
「闇は、火花一つで蘇る。
そして貴様らは、その火花を残した。
さあ…今度こそ、貴様らがどれほど“面白い”か、見せてもらおう。」
彼が構えを取ろうとしたその時――
セレステが一歩前に出て、手を掲げて制した。
「……ダメよ。ここは、私が相手をする。」
彼女はリュウガたちを見つめた。
その瞳には、確かな決意が宿っていた。
「リュウガ…ナヤ…ヴィオラ。下がって。すぐに。」
「なっ…!?」
リュウガが思わず叫ぶ。
「ひとりで相手するなんて無理だ! 俺は――」
「言わせないで」
セレステは言葉を遮った。
「この敵は、以前とは違う。
ここにいると、あなたたちは足手まといになる。信じて。お願い、今だけは私を信じて――行って!」
ヴィオラは唇を噛みしめ、ナヤは目を伏せて頷いた。
リュウガは一瞬だけ、セレステの目を見た。そして理解した。
「…必ず戻る。君を迎えに。」
「知ってる。ありがとう、リュウガ。」
そう微笑んだセレステの姿は、穏やかで、揺るぎなかった。
3人は転送装置を起動し、光の粒子となってその場から姿を消した。
エヴェソールが一歩踏み出す。
「…お前が選ぶとはな。
てっきり仲間と戦うかと思ったが。」
「私は誰かの影じゃない。」
セレステが、静かに答える。
「私はセレステ。
そして、あなたが誰にも触れさせないわ。私の大切な人たちに。」
青い魔力が彼女の周囲に集まり、やがて輝きは太陽のような輝きへと変わる。
「――覚醒・サファイア・ルミナ!」
その叫びとともに、彼女の姿が変わった。
髪はより鮮やかに輝き、
深い蒼の装甲を纏ったドレスへと変化し、
腕と脚の周囲には浮遊する宝石のような光球が踊っていた。
巨大な蒼光の剣が彼女の側に現れ、両手でそれを握る。
「――来なさい、エヴェソール。あなたの“全て”を見せて。」
「喜んで、姫君…」
剣と剣がぶつかる音が鳴った瞬間、戦いが始まった。
セレステの剣は、研ぎ澄まされた舞のよう。
鋭く、しなやかで、美しくも致命的。
エヴェソールは盾で受け止めるも、その衝撃で数歩後退。
だが、セレステは止まらない。
剣を振るい、足を回転させ、空中から振り下ろす。
その一撃で地面が割れ、エヴェソールは再び防御。
だが次の瞬間、黒い剣で反撃――
閃光。火花。轟音。
セレステは横へ跳び、ぎりぎりでかわす。
自由な手で青い光の魔法を放ち、エヴェソールの胸部に炸裂。
彼を数メートル後退させる。
「…動きが速いな!」
「傲慢になったのね。」
再び飛び込みながら、剣に浮遊紋章が出現。
空中で回転しながら振り下ろした一撃が、
広範囲に光の衝撃波を放つ。
エヴェソールは両手で防御。
空気が唸り、戦場全体が震える。
「貴様の正義など興味はない!」
「だったら…ここで止めるだけ!」
2人の剣がまた交差する。
空が唸る――その戦いの意味を知っているかのように。
剣撃。回避。反撃。魔法。
それは力のぶつかり合いではなかった。
それは――意志と覚悟の交差。
セレステは一歩も退かず、目を逸らさない。
自分のためではない。
信じてくれる全ての人のために。
エヴェソールは息を切らしながら、一歩引いた。
「…前と違うな。まるで…目的を持って戦っているかのようだ。」
「そうよ。」
セレステは静かに、しかし強く言う。
「私は“理由”を持ってここに立っている。
だから、――絶対に負けない!」
その剣が地を揺るがすたびに、
その心は、どんな闇にも屈しなかった。